8月。プロ麻雀リーグ後半戦の開幕と高校インターハイが始まり、麻雀界の夏が始まった。
外は茹だるような暑さのなか、園城寺怜は、エアコンのきいた快適なマンションのリビングで、ソファーと一体化することに専念していた。去年もそうしていたし、一昨年もそうしていた気がする。
中学、高校の頃であれば、プールにお泊り会、麻雀部の試合など、夏にはいろいろな出来事があったのに、今はなにもあらへんなあと怜は思った。
「これが、大人になるということか……」
ソファーで寝返りをうちながら怜はそう呟いた。わかったような口ぶりをしているが、怜は24歳児なので、大人ではない。
「プロ麻雀の試合もなんとなくつけてるけど……これ竜華でえへんやろ」
今日のエミネンシアは3位と低調な上、トップの松山には4万点近いリードがあるので、守護神を任されている竜華が、登板することはなさそうだ。
竜華の作ってくれた、水出しアイスコーヒーを冷蔵庫から取り出して、ガムシロップを入れる。竜華の真似をしてブラックコーヒーに砂糖だけで飲んでみた怜だったが、あまり美味しくなかったので、ミルクもいれる。
「これブラックコーヒーのみたいけど、糖分とらなあかんから、砂糖をいれてみましたって味がするわあ」
竜華お気に入りブレンドより、カフェオレのほうがずっとおいしかった。そうして、ソファーでぼんやりとしていると、インターホンが鳴った。
「ん……宅配便かな…………基本宅配ボックスに入れてくれるんやけど」
竜華から、インターホンは悪い人が来るかもしれないからでなくてええで、と言われている怜だったが、一応モニター越しにエントランスを確認してみると、地味なグリーンのチュニックを着た、歳上の女性が映っている。
テレビでよく見たことがある顔だ。
というか、すこやんだった。
「園城寺です、なんでしょうか……」
いきなりの有名人の登場に、怜は慣れない敬語で対応する。
「あ、良かった園城寺さんの家だ! 小鍛治です、赤土さんに頼まれてた扇子を届けに来ました」
——なに言うとるんやろ……この人
怜は、かなり怪しげなことを言っているすこやんを訝しみながら対応していると、奈良旅行の際に、赤土さんにサイン入りの扇子を渡していたことを思い出した。エントランスのオートロックを開けて、部屋に入ってきてもらう。
「おじゃましまーす、って!? すごい綺麗な家だし、園城寺さんもすごい綺麗になったね!?」
「掃除しとるからなあ……主に竜華が」
パジャマ姿で出迎えた怜は、玄関からダイニングテーブルに移動し腰掛ける。水出しコーヒーをグラスに入れてすこやんに差し出す。
「ありがとう、急に押しかけちゃってごめんね」
「急にすこやん……いや、小鍛治さん来たからびっくりしたわあ」
「赤土さんに頼まれたんだけど、園城寺さんは滅多に家の外に出ないらしいから、直接行くしかないかなって……清水谷さんに渡すことも考えたけど、久しぶりに会いたかったし」
すこやんはそう言い終えてから、ブラックコーヒーを一口飲むと顔を綻ばせてから、グラスを二度見した。
——コーヒーを気に入ってくれたのはええんやけど、すこやんブラックコーヒー飲めるんやな……実家暮らしやし、うちと同じような好みやと思ってたわ
もうすぐ、アラサーも終わろうとしているすこやんの大人力を勝手に過小評価して、勝手に焦りを覚えはじめる園城寺怜。格好をつけて、二杯目のおかわりはブラックコーヒーにしようと試みるも、苦かったので挫折して牛乳と砂糖をいれる。
「じゃあ、忘れないうちに……」
そう言ってすこやんは、サイン入りの扇子を渡す。
瑞原さん、三尋木さん、宮永さんなどプロ麻雀界の有名人たちのサインがビッチリと書かれている。扇子の端っこのほうにすごく小さい文字で、小鍛治健夜の名前もあった。
「おーーーーーー姉帯さんもおるやん!」
予想以上の豪華メンバーのサイン入り扇子に、怜のテンションが上がる。瑞原監督と宮永さんからも、園城寺怜さんへと書かれているところもポイントが高い。惜しむらくは、真ん中に下手くそな文字で、玄ちゃんのサインが揮毫されていることくらいだ。
「気に入ってもらえたみたいで良かった」
「サンキューや!」
怜は満足気に扇子を拡げてサインを眺めてから扇ぎはじめる。怜は、サインの書かれた道具であっても、保管せずに普通に使用してしまうので、最終的にはなくす運命にある。
すこやんの持ってきてくれた、モンブランを2人でフォークでちまちまと食べながら、本題にはいる。
「で、わざわざ扇子のためだけに来てくれたわけではないんやろ? なにかあったん?」
「ま、まあ……そうだけど、可愛い顔してずいぶん直球で聞いてくるね」
すこやんはモンブランの栗を半分にして、一口ずつ口に運ぶ。
「すこやんみたいなアラフォーの有名人が、うちにわざわざ会いにくるなんて、良からぬ企みがありそうやん」
「良からぬ企みはないよ!? それにまだアラサーだから!?」
必死に、アラサーであることを主張するすこやん。怜がインターハイに出ていた頃とは違った趣きがある持ちネタだ。
「こほん……園城寺さんと赤土さんの牌譜を見せてもらったんだけど、良い試合だったから、お話しするために記念のケーキを買ってきました」
日本麻雀界最強のおばさんに褒められて、怜は気恥ずかしくなったので、コーヒーに口をつける。
「あれ、全然牌とか見えてへんかったけどな」
「後半は、普通に全盛期みたいに見えてたでしょ?」
「まあまあくらいやなー、それよりうちの全盛期っていつや?」
「6年前のインターハイの団体戦終わってから、個人戦終了までかな」
「短すぎやろ!?」
怜はすこやんから、全盛期1ヶ月以下というミンミンゼミには、ギリギリ勝てそうな判定を受けたことに驚愕する。
「そもそも、個人戦優勝しなくてもドラフト1位は確定だったのに……それでもやっぱり、インターハイで優勝したかったんだね」
「団体戦は、うちのせいで負けたからなあ……個人戦だけでも、千里山を優勝させることが出来て本当に良かったわあ」
怜が微笑んでそう言うと、すこやんは少し視線を逸らせた。
たしかにすこやんの言うように、損得だけを考えたら、命を削るような麻雀を個人戦でする必要はない。
しかし、どうしても怜はインターハイを千里山で優勝したかった。
そもそも、当時はプロ麻雀にあまり興味がなかった。プロ麻雀選手になりたいと思ったことは全くない。今、プロ麻雀をよく見ているのも、チームメイトや当時のライバルが出場しているから見始めただけで、もともとプロ麻雀観戦が好きだった訳でもなかった。
「もう園城寺さんは、麻雀はできないんだと思っていたから……本当に良かったよ」
思い詰めた表情で怜のことを見据えて、すこやんはそう言った。高校時代から現在まで、あまり関わりのないすこやんが、何故そこまで自分のことを気にしているのか、怜にはわからなかった。
「どうしてそんなに気にしてくれるんや? すこやんとは1、2回しか会ったことないやん?」
「その時の試合を解説していたのが、私だったからね」
「それは悪いことをしたわあ……」
たしかに、自分の解説してた試合で選手が壊れれば気分も悪いだろうと、怜はすこやんに謝った。すこやんは、そういうことじゃないとか色々と言っていたが、怜は聞くのがめんどくなったので、適当にモンブランを食べながら聞き流した。
すこやんは一通り話し終えると、コーヒーのおかわりを自分で注いだ。その時に一緒に怜の空になったグラスにも、コーヒーを注いでくれたので怜はお礼を言う。
「わざわざ、ありがとなー」
それからプロ麻雀のことや福与アナのことなど雑談をしばらくしてから、怜は、すこやんを玄関までお見送りする。
「それじゃあ、園城寺さんお大事に。清水谷さんにもよろしく、ケーキ食べてね」
帰り際の挨拶で竜華にも気をつかう、すこやんに怜は小さく手を振りながら言った。
「まあ、仮病やからな。あんまり気にせんといてや」