朝4時50分。
自然と目が覚めた私は、ホテルのベッドから抜け出して、眠い目を擦りながらシャワーを浴びる。
窓から大宮の街の空が、白んでいるのが見えた。湯気が立ち昇るバスルームから眺める、日の出はなかなかロマンチックだなと、私は思った。
シャンプー終えて、トリートメントを髪に馴染ませると、ゼラニウムと柑橘系の香りが広がる。女の子らしい華やかな雰囲気の芳香が、なかなか気に入った。乾かした時にセットがやりやすいようなら、買ってみてもいいかもしれない。
私は、シャワーを終えてバスタオルを頭から被ったまま、手早く化粧水と乳液を顔に塗り込む。スキンケアには、時間をかけた方が良いと言う人もいるけど、化粧水で顔を洗うように大量に使えば差はないと思う。保湿が出来ていればいいはず……
ドライヤーで髪に念入りに癖をつけてから部屋に戻ると、哩先輩がクイーンサイズベッドの上で枕に顔を埋めて泣いていた。
ベッドの淵に腰掛けて、私は問いかける。
「なに、泣いてるんです?」
「こ、こんなのおかしか……」
ベッドに顔を埋めて、私のことを見ようともしない哩先輩の首輪の鎖を引っ張って、強引に私の方に顔を向けさせる。
顔を少しだけ赤くさせながら、アヒル座りで涙を流す哩先輩を見て、思わず抱きしめたくなったが、お風呂上がりなのを思い出して、やめておくことにした。
「おかしいですか? 自分から誘ってきたのに? あれだけのぼせあがってから、私のせいにするのは、フェアじゃないですよ」
「ちが……」
「違わないです、私が高校卒業してから哩先輩のこと、一度でも誘ったことがありましたっけ?」
私がそう言うと、哩先輩は顔を伏せてベッドのシーツを両手で握りしめた。顔が見えないと興醒めするので、金属が擦れる音が哩先輩によく聞きこえるように、鎖を鳴らしてから、私の方に勢いよく引き寄せる。
首が締まったのか、哩先輩は辛そうに咳き込んだ。
せっかく音を鳴らせて、顔を背けたことを警告してあげたのに……本当に哩先輩は、救いようがないなあ。
「鶴田先輩に謝ったほうがいいんじゃないですか?」
「いっぱい、躾けてくれるかもしれませんよ?」
鶴田先輩の名前がでて、哩先輩の肩がビクッと震える。
「あ、でも幻滅されて口も聞いてくれなくなっちゃうかな?」
私はそう言ってから、放心状態になっている哩先輩の首輪の鍵をベッドの上に放り投げてから、ジャケットを羽織ってホテルの部屋を出る事にした。
鶴田先輩への謝り方を練習させてあげようかとも思ったけど、私からこうやって雑に扱われるだけでも哩先輩は、逸楽の海に浸っていられるだろう。1、2時間はショックで動けないだろうし、楽しんでもらえるといいな。
「じゃあ、哩先輩また今度」
返事代わりの哩先輩の嗚咽を聞いて、私はドアを閉めてホテルの外に出た。すっかり空は明るくなっていたが、ジャケットを着ているのに少し肌寒い。
夏も、もう終わりなのかな。
「そんな事思ってると、また暑くなったりするのかもしれないけどさ……」
自分の方向音痴は自覚しているので、タクシーを呼んで、横浜の自宅に帰ることにした。ホテル横の公園にある小綺麗なベンチに座って、タクシーの到着を待つ。早朝なので到着まで少し時間がかかってしまうらしい。
『私の目に狂いはなかった、別居して本当に良かった』
『咲はなんて綺麗な麻雀を打つのかしら、ほんとうに綺麗……咲、愛してる』
忘れようとしていた言葉が、脳裏から焼き付いて離れない。
そのように、母親が私のことを褒めていると人づてに聞いたのは、つい一週間前のことだ。
母親のことは、もう親とも思っていなかった。しかし、その話を聞いた時には、心をのこぎりで挽かれたような気分になった。まだ、自分にも家族に対して、そんな思い入れが残っていたのかと憤りを感じる。私に家族は一人もいないはずなのに。
なにより、あの女が私の耳に入るように、本心を曝け出したのは確実で、その程度のことに心を乱される自分に腹が立つ。
私は首を横に振ってから、胸ポケットからタバコを取り出した。ライターの炎の先端で炙るように、時間をかけてタバコに火をつけた。お気に入りの銘柄の100sは、肺に入れずにゆっくり吸ったほうが、甘さを感じられておいしい。強く吸うと少し辛い。
口から吐き出した真っ白な煙が、空に消えていくのを見て少し気分が楽になる。このまま肺癌にでもなって死ねないかな?
「まあ、こんな吸い方じゃならないか……シャワー浴びたのは失敗だったかも」
そう自嘲してみる。思った以上に冷えるので、シャワーは浴びたのは失敗だったけど、髪をよく乾かしておいて良かったと思った。
——麻雀がうちたいな
タバコをふかしながら、私はそう思った。昨日は、試合でも登板機会が無かった。試合後も哩先輩と会うため、すぐにスタジアムを出たので、ほとんど牌に触っていない。試合中の調整ルームで、少し触ったくらいだろうか。
フーっと息を吐くと、また煙が空へと消えていった。
思っていたよりもずっと早くに、タクシーが到着したので、タバコの火を消して携帯灰皿に放り込んだ。まだ、だいぶ残っていたので、勿体ないことをしたな。もう少し、リラックスできる時間が取れればいいのに。
タクシーの白いレースのかかった後部座席に座って、外の景色をぼんやりと眺めるのも飽きてきたので、私はスマートフォンを起動して、ネット麻雀をやることにした。実際に牌を持つのとは違うが、麻雀をやりたくなった時の手慰みくらいにはなる。
「ん……この人…………」
一半荘終えてから、ふとランキングを見ると「あ」というアカウントが目に止まった。累計ランキングで、常に最上位にいるアカウントだ。ネット麻雀の最強はどれほど、強いのかと興味を抱いた私は、牌譜をめくっていくことにした。
園城寺さんだ。
私は一目でわかった。
深い読みに裏打ちされたセンスの光る牌回しに、0%台の放銃率。なにより、一局一局を楽しみ人をワクワクさせる闘牌は、園城寺さんに間違いない。
「麻雀続けてたんだ……」
園城寺さんと私は良く似ている。
同じような対応型の雀士で、攻撃よりも、守備に重きを置いた闘牌スタイル。鳴きや面前にこだわりはないし、精神的に揺さぶれるタイプでもない。圧倒的な守備力から鋭い攻めを仕掛けるので、バランス型と言う人もいるが本質は違う。
そうした麻雀の技術的な面から、心の強さの柱や、麻雀観までそっくりだと、インターハイでの対戦や、彼女の牌譜の研究を通じてそう感じた。
でも、彼女と私とでひとつだけ、決定的に違う点がある。
園城寺さんは、麻雀が大好きだった。
私は、どうだろう?
よく、わからないや。
そういえば、最後に麻雀をしていて楽しいと思ったのはいつだろう。
思い返してみると、新道寺で団体優勝した時くらいしか、麻雀をしていて嬉しかった記憶がない。負けることは出来ないのに、勝っても全く嬉しくない麻雀を続ける。それが子供の頃から、ずっと続いてきたようにも思えた。
スマートフォンのタッチパネルを操作してツモ切りをしながら、私は考えを巡らせた。インターハイで優勝を目指した時の事。園城寺さんとの対戦。はじめて牌を持った時の事。
清澄高校の人たち、新道寺のメンバー、横浜ロードスターズの同僚の顔も思い浮かべた。
麻雀が好きな人は多かったし、分かり合えた気持ちになることもあった。麻雀に関わる色々な思い出がある。
もっと麻雀が強くなりたいという思いも、自分の中にある。
ただそれでも……
「私は、麻雀それほど好きじゃないんだろうな」