私が清澄高校で目指したインターハイは、臨海女子高校の優勝に終わった。
試合後控え室で泣き続ける和ちゃんとそれを慰める部長と優希ちゃんのことを、私はぼーっと眺めていた。
インターハイ団体決勝で、私は卓についていない。Nelly Virsaladzeへのリベンジも、お姉ちゃんのお気に入りの大星さんとの対決も実現しなかった。
不完全燃焼という言葉がぴったりだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい……咲さんごめんなさい…………」
和ちゃんは、涙で目を真っ赤にしながら、ずっと私に頭を下げている。収支がたった2万点下振れしただけのことに、彼女はずっと謝り続けていた。
麻雀の実力は数試合では図れない、何百、何千と施行回数を重ねていくことで、真の実力がわかる。そう言っていた和ちゃんが、たった一度の半荘の結果で泣いている。話が違うじゃないか。
「ごめんなさい、ごめんなさい、私が台無しにしてしまって…………咲さん、ごめんなさい」
「もういいよ、わかったから」
インターハイ団体戦の決勝前に、私は、お姉ちゃんとすれ違った。それがこの団体戦の結果だった。冷え切った針のむしろのようなこの部屋で、肩を震わせて号泣する和ちゃんの嗚咽を聞きながら私は理解した。
団体戦は負けてしまった。もう変えようがない。そうなると、お姉ちゃんと和解できるチャンスは個人戦しかない。
Nelly Virsaladzeや阿知賀の高鴨さんはともかくとして、白糸台の大星さんは個人戦に出場している。当然お姉ちゃんだって出場する。
個人戦で優勝すれば、団体戦の結果がどうであれお姉ちゃんとは和解できる。
なにより、私が優勝しなかったら、和ちゃんは、私とお姉ちゃんの仲直りを台無しにした自責の念に、永遠に囚われ続けるだろう。
まっててね、私がなんとかするから。
膝折って崩れ落ちる和ちゃんを見下ろしながら、私は決意を固めた。目の焦点がうまく合わず、夢でもみているんじゃないかという非現実感。まるでふわふわと宙に浮くシャボン玉が揺蕩っているようだった。
そして迎えたインターハイ個人戦。
全国予選をまずまずの成績で勝ち抜いた私は、準々決勝に駒を進めた。
準々決勝には、大星さんがいた。こんなに早くチャンスが巡ってくるとは、思っていなかった。団体戦決勝で戦えなかった、因縁の相手が目の前にいる。その事実に私の心は躍った。
大星さんの牌譜は隅々まで研究したし、部長に頼んで、映像データも可能な限り収集した。能力、牌の流れ、打牌選択、理牌の癖、性格、人間関係、家庭環境。勝利に繋げるため相手の情報を、個人戦がはじまるまでの間、私は貪欲に集め続けた。
準々決勝の卓についた大星さんは、私が思い描いた大星さんそのもので、ずっと待ち焦がれていた姿だった。
ダブルリーチを狙い撃ちにして、自分の能力に疑心暗鬼を抱かせるように、揺さぶってやると、大星さんはいとも簡単に壊れた。
後半、大星さんは、ダブルリーチどころか、リーチすら打てないようになった。ツモ切りをすることが、怖くてたまらないのだろう。
試合が終わってロクに牌が持てなくなり、自分の肘を抱え、小さくなって震える大星さんの様子を見て、私は少し幻滅した。
——お姉ちゃんのお気に入りというから、もう少し強いと思ったんだけどな。
このまま勝利の余韻に浸るのも良いが、明日には準決勝もある。もう卓を降りて、はやめに次の試合に備えようと思った。
試合後、卓から立ち上がり踵を返すと、お姉ちゃんが試合会場に走ってきた。私には、目もくれず、一目散に大星さんのもとへ駆け寄った。また、私とお姉ちゃんがすれ違う。
お姉ちゃんは、壊れた大星さんを優しく抱きしめ、髪を撫でた。私には、ずっとそんなことしてくれなかったのに……その女が羨ましくてたまらない。そんな奴より、私の方がずっとずっと麻雀が上手で強いはずなのに。
じっとお姉ちゃんが大星さんを介抱する様子を見ていると、お姉ちゃんに憤怒の形相で睨みつけられた。
「咲の麻雀は、本当に周りを不幸にしかしないね」
大星さんを抱きしめたまま、お姉ちゃんは怨みと憎しみを込めてそう吐き捨てた。
頭の中が真っ白になって、それから姉に言われたことは、ほとんど覚えていない。ただはっきりとわかるのは、この時私と姉との関係は、破綻したということだ。
大星さんを倒せば、振り向いてもらえるなんて私の勘違いだった。当たり前だ。可愛い後輩を壊されて喜ぶ人間などいない。
何も考えられなくなって、虚な視界のなかただ姉の罵声を浴び続ける。ははは、私は救えないなあ。
麻雀を通じて相手の心がわかるという言葉は、嘘ではないだろう。相手の想いや焦り、恐怖そして期待。感情が牌を通じて、ダイレクトに伝わってくる。
しかし、その感情のやりとりは全て相手を陥れるためのものだ。感情の揺らぎは、ミスを生み牌を見えなくする。
そもそも、私たち姉妹に仲直りをする道など、はじめからありはしなかったのだろう。
ずっとはじめから私の勘違いで、団体戦決勝で負けてしまったときに、悪い夢を見ているようだと思ったのも私の勘違い。だって、私の都合の良い幻想で作ったお花畑の夢から、目が覚めただけなのだから。
決勝で私のことを倒すと言っていた姉は、別ブロックの準決勝で、あっさり園城寺さんに負けた。
神様は時々残酷なことをする。
けれど、直接対決すれば分かり合えるかもなんて、私の甘い考えを打ち砕いてくれるあたり、麻雀の神様はとても慈悲深く優しい。
準決勝は、姉にとって相性の悪い荒川さんが同卓していて、それを園城寺さんに利用された。他家を利用するセンスで、園城寺さんの右に出るものはいない。
準決勝で獅子原さんを下し、決勝へと駒を進めた私は、姉を破った園城寺さんと対峙した。対面に座る病弱で顔の青白い儚げな美少女。心のうちに闘志と決意が燃え滾って、まるで命を燃やしているようだった。
卓を囲んでみて初めてわかる。想いという言葉では生ぬるい、妄執を園城寺さんに感じた。なぜ、自分の人生の全てを捧げてまで、母校、そしてチームを勝たせなければいけないのか、全く私にはわからない。ただ、その妄執が怨念のように、彼女の身体を蝕んで麻雀をさせていた。
姉の準決勝に荒川さんが同卓していたことは、技術的な敗因にすぎないのだと私は思った。本当の敗因は、前に対戦した時と様子の違う園城寺さんに、照魔鏡を使ってしまったことだろう。彼女の心のうちを覗き見て、姉は気圧された。私にはわかる。だって、姉は私と同じように弱い人間だから。
私は園城寺さんと、心のやりとりはしない。心理的な優位に立とうと揺さぶりをかければ、足元を掬われる。ただ、いつもどおりに麻雀をして踏み潰せばいい。
園城寺さんに、付け入る隙は与えない。
私は麻雀をする機械だ。機械になれば、姉に勝った園城寺さんに、姉の影を見出すこともない。
その狙い通り、私は試合を終始圧倒した。麻雀の実力だけを比べれば、園城寺さんに後れをとることなどないのだ。
気がつけば園城寺さんは、一巡先もまともに見えていない状況にまで、追い込まれていた。それでも彼女の手牌に、有効牌が引き寄せられていく。不思議だった。
それまでずっと機械になれていたのに、私は最後の最後で臆してしまった。
園城寺さんの執念に押されて、私は嶺上牌を覗いた。一時の感情にながされて、自分の能力を頼った。
破綻した関係の姉との約束という不確かなものに縋り、敗北した私は園城寺さんから見れば、さぞ滑稽だっただろう。
結局のところ、私が甘かったのだ。
甘えが出てこないよう徹底できているつもりでも、全くなっていなかった。
和ちゃんは東京の学校に転校して、麻雀も辞めるという。
インターハイに負けた私は、全てを失うことになった。お姉ちゃんとの仲は仲直りするどころか破局。和ちゃんは転校、部長は引退。それが結果だった。
「咲、勝たなくてはだめよ。勝負に引き分けなんてないの。勝者は全てを手にする。勝ちなさい!」
「宮永さん、麻雀は勝利を目指すものよ! 次は勝つための麻雀を打ってみなさい!」
「あなたが手加減してると、私は楽しくありません……私も楽しませてください!」
勝った者は全てを手にし、負けた者は全てを失う。
母親が言っていた通りの結末になった。麻雀など、どこまで行っても勝負事でしかない。麻雀が楽しいなんてありもしない幻想を、清澄では見させてくれただけ、感謝しなくてはいけないのかもしれない。
部室に和ちゃんはもういない。部長も引退してから、家庭のことで揉めているらしく、活動に顔を出すこともほとんどなくなった。
それでも、私には優希ちゃんと染谷先輩がいる。3人でまた全国に行こう。
そして、優勝して忘れ物をとりにいくんだ。そうしたら、和ちゃんだって、麻雀を再開してくれるかもしれない。麻雀で勝てば、大抵のことはうまくいく。勝たないと駄目だ。
部員が3人しかいないので、秋季大会には参加することが出来なかったが、国民麻雀大会には出場することが出来た。染谷先輩は残念だったが、私はジュニアBで優勝し優希ちゃんも上位の成績を残した。新チームの滑り出しは上々だった。
清澄が秋季大会に参加出来なかったことを受けて、私のもとへ多くの強豪校からスカウトが訪れた。風越、新道寺、臨海、晩成、姫松……数えきれないほどの誘いがあったが、私は断った。この3人で優勝しなければ、意味がない。
団体戦で全国の頂点に立つには、染谷さんと優希ちゃんの今の実力では厳しい。来年の1年生で、どれだけ上手な子が入ってくるかはわからない。最低でも2人には、強豪校のエース以上の実力をつけてもらう必要があった。
部員だけでは三麻しかすることが出来ないので、他校との練習試合や染谷先輩の雀荘で実戦経験を磨いた。インターハイの敗戦から、能力だけに頼り切りでは駄目だと痛感したので、苦手なネット麻雀も練習に取り入れた。
23時頃に練習を終えて帰宅し、ご飯とお風呂を手早く済ませて、3時、4時くらいまでネット麻雀をする。そんな生活を3ヶ月ほど続けた。
明け方に自室のベッドで軽く仮眠してから登校し、学校の机に突っ伏して寝た。良いことでないのはわかっている。インターハイ個人戦で2位になっており、深夜まで麻雀部の部室の光がついていることは、教師もクラスメイトも知っていたので、特に何も言われることはなかった。
本を読むこともなくなった。私に物語は似合わない。そんな時間があるなら、麻雀がしたい。
いつものように部室で練習をしていると、唐突に優希ちゃんが卓を立って私に言った。
「さ、咲ちゃんと麻雀やるのは……もうしんどいじぇ」
そう優希ちゃんに言われた時、私は何を言われているのかあまり理解できなかった。インターハイの団体戦でも個人戦でも負けてしまった私たちには、練習時間が必要なはずなのに、なにを言っているんだろう?
「なんで?」
私は、自分の口から発せられる声が恐ろしく冷たいものだったことに気がついたが、特に改める必要もないだろうと思った。
優希ちゃんは一瞬怯えるように体を震わせた。それから一度俯いてから、顔を真っ赤にして私に怒鳴った。
「インターハイ終わってからの咲ちゃんは異常だじぇ!!!! いつも麻雀麻雀麻雀! お姉さんとは和解できなかったのかもしれないけど、そんなふうに練習してたら体壊して終わりだじぇ!!!!! それだけ、私と染谷先輩が信用できないなら、臨海でも新道寺でも行けば良いんだ!!!」
「そんなことないよ、私はみんなと……」
優希ちゃんに伸ばした右手が払い退けられた。優希ちゃんの目からは涙が溢れていた。泣いている姿が見られないように、優希ちゃんは顔を隠しながら、慌てて荷物を鞄に放り込み部室を飛び出した。
私は、追いかける気にもならなかった。
インターハイ、終わっちゃった……
「優希は風越に行くそうじゃ、年内に転校すれば来年のインターハイにも、間に合うからのぅ」
「そうですか……」
そこまで決まっているんじゃあ、仕方がない。私が片岡さんと目指したインターハイは、思い出になった。
「染谷先輩はどうするんです?」
「わしか?わしゃあ……競技は辞めるよ、部長と一緒に全国も行けたし充分すぎた……嬉しかったし、自分の分を思い知らされたよ」
「わしのことは良いから、咲の好きな進路を選んで欲しい」
染谷先輩は眼鏡をクイっと上にあげると、私のことを真っ直ぐに見つめた。同情と不甲斐なさが入り混じった表情をしていた。
「清澄高校に残るという選択はないですか?」
「ないじゃろ、麻雀を辞める気なら止めることは出来んが」
麻雀を辞める。それも悪い選択ではない。人よりも少しだけ麻雀の才能があったばかりに、私はずっと苦しめられてきた。家族から疎まれ、チームメイトからも疎まれる。辞めてしまえば、その苦しみの連鎖から逃れることが出来る。
しかし、それは逃げの選択だ。私が選ぶ道じゃない。
「それなら、新道寺女子高校に転校しようと思います。寮もありますし……臨海にもありますけど、東京には良い思い出がないので」
「そか、納得してもらえて良かったわ」
染谷先輩は私の決断を聞いて安心したように、ため息をついてから笑みを浮かべた。染谷先輩も私に麻雀を辞めるという選択は、してもらいたくなかったのだろう。
「それにしても、こんな時に久は何しとるんじゃ。人殴って停学になっとる場合じゃなかろうに」
「あはは……部長も大変なんですよきっと」
最近部長には会っていないけど、転校の前に少し話をする時間がとれたらいいな。
部室の窓を開けると、真っ暗闇に降る雪を街灯が優しく照らしていた。ため息が白く煙のようになって、そして消えていった。
「染谷先輩……最後に1つだけいいですか?」
「なんじゃ?」
「私の麻雀って、やっぱりみんなを不幸にするんでしょうか?」
「わしはそうは思わんよ。めぐり合わせが悪かっただけじゃ」
「ありがとうございます……」
染谷先輩にお礼を言って、私は清澄高校を去った。
周りに誰も居なくなっても麻雀だけは、私を裏切らなかった。私は牌に愛されている。
それから、新道寺女子高校でも、プロの世界でも私は麻雀を打ち続けた。
清澄高校で目指したインターハイは負けてしまったけれど……勝ち続ければ、負けるよりずっと良い未来があるはずだから。
手加減はしない。そう約束した。
私の麻雀で、
全部、倒す。