オフシーズン思い出いっぱい計画の第一弾として、竜華と怜の2人は有馬温泉の温泉旅館に遊びに来ていた。
「ときーいったでー」
卓球台を軽快にオレンジのピンポン玉が跳ねていき、怜の後方のグリーンのネットに引っかかった。はじめてから3球連続の空振りに、怜の心が折れる。
「打ち返すのは無理そうやから、うちが打つから竜華が返してや」
「わかった!」
怜はピンポン玉をグッと握りしめてから、空中に放り投げた。それから、ラケットを大きく振りかぶって渾身のサーブを決めると、無情にもピンポン玉は怜の足元に落下した。
空振りである。
卓球をはじめて開始10分間で、2度の挫折を味わう哀れな女がいた。
ラケットをグーで握る者、園城寺怜。
そのひとである。
「これ、無理みたいやわあ……」
「んーちょっと貸してな」
竜華は、浴衣姿でいじける怜のおててをつかんで、ピンポン玉にラケットが当たる感触を覚えさせた。
「打とうと思わないで、ラケットで触りにいくんや」
竜華のアドバイスが功を奏したのかは不明だが、だんだんとラケットに当たるようになってきた。
卓球はクソゲーと決めつけていた怜だったが、竜華とのラリーが何度か続く場面がでてくると面白いかもなと、思いなおすようになった。現金なものである。
しかし、運動も30分を超えると、気持ちどうこうではなく活動限界を迎える。
「も、もう無理や……膝が笑って動けへん」
「それじゃあ、卓球はもうやめよっか。スポドリ買ってくるから少し休んでてや〜」
竜華の言葉に甘えて、卓球台の横にあるベンチに座って休憩する。久しぶりに運動したなあと怜は思った。
ずいぶん汗をかいてしまったので、お風呂に入りたい。でもそれよりも喉が渇いた。
「はい、水分補給」
竜華が自販機で買ってきたスポーツドリンクを、喉を鳴らしながら飲んだ。かなりおいしかった。
「一年分運動しましたわあ……」
「まだ、30分くらいしか動いてへんけど?」
「もう年かな……若いときみたいに体動かへんわ」
怜はまるで若い頃はもっと体力があったようなことを主張しているが、もちろんそんなことはない、今も昔もクソザコの体力である。
「ゲームセンターもあるみたいやけどいく?」
「疲れたしそれはええわ。汗かいてもうたからお風呂入りたいで」
「そっか! じゃあ大浴場で2人でお風呂やな」
2人で大きなお風呂に入ってから、部屋に戻ることにした。
有馬温泉のお湯は赤褐色の濁り湯で、塩分を多く含んでいるのが特徴だ。塩分が入っているからなのか、体があたたまるのが早い気がする。
頭洗うところからかけ湯まで、竜華が全部やってくれた。ベタベタするので、湯上り後はしっかりとかけ湯をすることが大切である。
竜華と旅行に行くと、基本的に何もしなくて良いので楽ではあるのだが、行動が制限されてしまいあまり楽しめない。泉と旅行に出かけたほうが、泉の目を掻い潜って無茶が出来るので、ずっと楽しかったりする。
まあ、でも今日は卓球をしたり大浴場にいけたりと、楽しめたほうである。いつもだとなんだかんだ理由をつけられて、部屋から一歩も出られないことも多い。
お風呂上がり。何か買ってから部屋に戻ろうと思ったので、竜華と一緒に一階の売店に行くことにした。
売店には誰も居なかったので、ゆっくり買うものを選ぶことが出来た。
「んー怜どれにしよか? お土産買っていく?」
「いや、ええわ。お饅頭とか買って帰っても食べへんかったりするし……」
「とりあえず、部屋でアイス食べるで!」
ガラスケースに入ったアイスクリームを見てみると、普通のカップアイスが1個400円だったので怜は、買うのを一瞬躊躇したのだが、竜華が買う気まんまんだったので、買ってもらうことにした。400円って、観光地価格が過ぎるやろと怜は思った。怜は変なところで、庶民的な感覚を持ち合わせているのだ。
怜は抹茶味、竜華はチョコレート味を食べることに決めた。
売店に店員さんがいないので、どうやって支払うのかと怜は頭を悩ませた。しかし竜華がアイスクリームを持って、フロントで精算してくれていたので安心した。客どころか従業員さんも少ないし、この旅館潰れるなと怜は失礼なことを考え始めていた。
「買ってきたで!」
「サンキューや、部屋戻って牌王戦見ながら食べたいで」
部屋に戻ってテレビをつけると、すでに試合が始まっていた。
今日の試合会場は、千葉市内のホテルらしい。ホテルの麻雀室らしく無個性ながらも落ち着いた内装で、試合に集中しやすそうな環境だ。
第56回牌王戦 1日目
第1半荘 南4局2本場
宮永 照 96700
宮永 咲 41600
鶴田 姫子 32700
三尋木 咏 29000
宮永 照 今年度成績
ドラフト1位 個人戦順位 6位
白糸台→恵比寿
17勝1敗0H
プロ入り後度重なる怪我に泣くも、今季からポイントゲッターに転向し飛躍。復活した天才。
宮永 咲 今年度成績
ドラフト1位 個人戦順位 1位
清澄→新道寺女子→横浜
0勝0敗23S
プロ麻雀界最強の女。名将戦で獅子原爽に痛恨の敗北を喫したものの、個人戦1位を維持。現在五冠。
鶴田 姫子 今年度成績
ドラフト2位 個人戦順位 17位
新道寺女子→松山
5勝5敗27H
松山優勝の立役者。今季好調を維持し、シーズン後半に特に存在感を示した。
三尋木 咏 今年度成績
ドラフト1位 個人戦順位 4位
妙香寺→横浜→恵比寿
11勝6敗12H7S
圧倒的な火力で相手を蹂躙する、日本麻雀界を代表する選手。現牌王位にして永世牌王。
「あれ? 宮永照が勝ってるやん」
宮永さんが宮永照に負けるイメージはあまりなかったので、怜は少し意外に思った。
なにはともあれ、今はアイスである。
ゆっくり戻ってきたので、溶けていないかが心配だった。
「今年の宮永さん強いからなあ……」
「どっちの宮永やねん!?」
「宮永さん言うたら、そら咲ちゃんじゃなくて、お姉さんのほうやろ?」
「うちは、宮永咲のこと宮永さんって呼んでるんや!」
テレビ画面上に二人の宮永さんがいる。わかりにくいこと、この上ない。
竜華から抹茶アイスを受け取ると、少し柔らかくなっていて、ちょうどいい固さになっていた。付属のミニスプーンで抹茶アイスを口に運ぶ。なかなかおいしい。
第56回牌王戦 1日目
第1半荘 終了
宮永 照 96700
宮永 咲 40000
鶴田 姫子 34300
三尋木 咏 29000
宮永さんが鶴田さんの安手に差し込み、宮永照の親が流れて、この半荘は終了となった。和了の際に喜びを押さえつけるように、宮永照が一度目を閉じてから、スカートの裾を握りしめた姿が印象的だった。
「やっぱり、姉妹対決ってことで思うところがあるんやろか?」
怜は、竜華にそう問いかけた。
「宮永さん(照)にはあるんやろけど、咲ちゃんにはなさそうに見えるなあ……いつもと全く同じや」
たしかに竜華の言う通り、テレビ画面の中で何度もスコアを確認している宮永照に比べて、宮永さんはアイスコーヒーにガムシロップを3つもいれて、平和そうに落ち着いて飲んでいた。宮永照はタイトル戦初挑戦なので、少し硬くなっていることもあるのかもしれない。
「牌王戦は赤なしのルールやから少し宮永さんが損なんかな? チャンピオンは打点低くても連続和了あるからええけど」
宮永さんの火力は、プロの平均よりは上だが特筆して高いわけではない。赤があったほうが火力差が詰まる。そのため、高火力型の三尋木さんや鶴田さんが赤なしルールではやや有利である。
「まあ普通に考えたら、三尋木さん絶対有利のはずなんやけど4位やからなあ……たぶんもう三尋木さん咲ちゃんに勝てへん。」
「14連敗やっけ?」
「タイトル戦だけじゃなくてシーズンも含めたらもっとやろ。もう、自分は咲ちゃんに勝てないんだってわからされとるからな」
「その点宮永さん(照)や獅子原さんみたいに、対戦経験が浅い人はチャンスやなー」
竜華は当たり前のように宮永さんをタイトル保持者のように話しているが、現在牌王位を手中にしているのは三尋木さんである。
三尋木さんが宮永さんに、負けるのを既定路線として見ているあたり、竜華の宮永さんへの評価は、とても高いのだろうと怜は推測した。
第二半荘がはじまると、幸先よく宮永照が先制和了したがどうも様子がおかしい。打牌選択や牌捌きが安定しない。らしくない闘牌が続いている。
危なっかしいなと怜は思いながら見ていると、三尋木さんに跳満を放銃した。
「なんか、チャンピオンおかしくあらへん?」
「たしかに怜の言う通り様子が変やな。どうしたんやろ? トップになって守りに入ってしまったんかな?」
竜華も少し不思議そうな顔をしている。
その後も宮永照はつまらないミスを連発して、大きく点棒を失った。何がつまずく要因があったのか、怜にはよくわからなかった。竜華の言うようにリードしたプレッシャーなのだろうか?
第1半荘は制したのだから、結果が悪くなるまで同じ闘牌をすれば良いのに、宮永照は変に牌を掻き回して、不自然な流れを作ろうとしているようにも見えた。
「なんか良くわからへんな、この試合」
第56回牌王戦 1日目
第2半荘 終了
宮永 咲 79600
三尋木 咏 56700
鶴田 姫子 36300
宮永 照 27400
宮永 咲 +50
宮永 照 +26
三尋木 咏 −29
鶴田 姫子 −50
いつのまにか、宮永さんが逆転している。
他の選手がトップに立っても小さなミスから崩れて、宮永さんに逆転されてしまう。タイトル戦でよく見る光景だ。
「これ、宮永さん(照)悔しいやろなあ……まだ最終半荘あるから踏ん張りどころやなー」
「いや、もう無理やろ」
竜華はそう言っているが、一度逆転されてしまった宮永照が、最終半荘でトップに立てるとは思えない。
休憩時間。プリンアラモードをおいしそうに頬張る宮永さんとは対照的に、宮永照は虚な瞳でアイスクリームをスプーンで突っついていた。
妹より優れた姉など存在しない。
そんな麻雀界の都市伝説を証明するような試合展開に、怜は少しだけ宮永照に同情した。
それにしても、プリンアラモードおいしそうやな……
「うちもおやつ食べたいで!」
「んーアイス食べたばっかりな気もするけど、頼みたいなら頼んでや。夕食少し遅らせるから」
竜華からホテルの冊子を受け取り、ルームサービスを選んでいると、マッサージが目に止まった。45分で8000円となかなかのお値段だが、卓球をして今日はかなり疲れたので、少し贅沢しても良いような気がする。
「なー竜華、このマッサージってやつ使って良い?」
「駄目やで」
「え?」
予想外の返事に怜は驚いて、少し戸惑ってしまった。竜華の顔も怖いし、なにが地雷だったのかわからない。
怜がおどおどと顔をあげて竜華の方を見ると、怒った竜華に睨み付けられた。
「うち以外の女に肩や背中の肌を見せるとか、それもう実質浮気やん。ありえへんわ。 怜は浮気したいんか?」
「そ、そんなことあらへん」
——な、なんでそんな話になるんや……うちマッサージしてもらいたかっただけや。
竜華の独占欲の強さと、どこに人生を終わらせられる地雷が埋まっているのか、わからないことに怜は恐怖した。できるだけ、穏便に絶対に地雷を踏むことがないように、怜は竜華の問いかけに慎重に回答する。
「それは良かったわあ♪ じゃ、うちがマッサージしてあげるね」
「うん」
「卓球したから足とか疲れてない? 大丈夫?」
「うん」
「今日は頑張ってたしなー。座ってやるよりも寝転んで貰った方がやりやすいから……あ、畳の上でええかな?」
「うん」
「あ、でも畳だと少し固いし下に座布団敷いた方がええやん?」
「うん」
怜が答えると、竜華は部屋の座布団を集めて二枚重ねにして、敷布団のようにしてくれた。バスタオルで枕まで作ってくれたあたり、芸が細かいなと怜は思った。
「じゃ、こっちきてやー」
「うん」