専業主婦、園城寺怜のプロ麻雀観戦記   作:すごいぞ!すえはら

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第76話 園城寺怜と熱帯魚の水槽

 園城寺怜はベッドの上で、四肢を拘束されたまま、仰向けになってボーッと天井を眺めていた。 

 

 ベッドに繋がれたまま、4日が過ぎた。

 

 壁に掛けられた時計と、サイドテーブルに置かれたカレンダーが正しいものであれば、そのはずである。

 プライドを何度も何度も辱められ、いくら竜華に懇願しても、部屋から出られないこの状況に、涙も枯れ果てた。

 

 何故、最愛の人にここまで酷いことをされなくてはならないのか。

 

 生きるんてつらいなあ……

 

 楽しいのは、お薬を飲んでぐっすり寝ている時間と、ご飯を食べている時間だけだ。

 自分の瞳は、絶望で染まっているのだろうなと怜は思った。そんな姿を見て、満足そうに微笑んでいる竜華が、優しく怜の髪を撫でている。

 

「手首めっちゃ痛い……手錠とってや」

 

 怜がそう言うと、竜華は撫でる手を止めて両手で怜の左手を手に取って、傷口を観察した。

 手錠や足枷をかけたまま暴れ回ったせいで、両手首と両足首が真っ赤に腫れている。腫れに手錠の硬い金属部分が当たり、ズキズキと痛みが続く。

 

「消毒もしたし、大丈夫やろ? 初日に暴れなければ、そんな痛い思いもしなかったのに」

 

「そ、それはうちが悪かったから……ほんまに痛いんや、外して」

 

「んー、あと3日したら外してあげるから、それまで一緒に頑張ろ? ね?」

 

 最低でも3日は、この生活を続けなくてはならないことを告げられて、怜は身体を縮こまらせた。

 

「足枷だけでもええやん……どうせ逃げられへんのやから……竜華の言うことなんでも聞くから、ほんま外して……」

 

「んーなんでも言うこと聞いてくれるん?」

 

 竜華の問いかけに、怜はコクコクと頷いた。麻雀をやめろと言われそうだが、とりあえず言葉だけでも追従しておいて、この状況から逃れることが大切なように、怜には思えた。

 監禁生活が何ヶ月も続くようだと、心が壊れてしまう。

 

「そら、嬉しいなあ。それじゃあ、あと3日間はベッドの上で繋がっていようね!」

 

 一切の慈悲のない竜華の態度に、怜は涙を流した。もう涙も枯れたと怜は思っていたが、人間の涙の水脈は、想像よりもずっと豊かだったらしい。

 

「なあ、竜華……はじめからこうするつもりだったん?」

 

 涙声だが竜華が聞き取って貰えるよう頑張って、怜は絞り出すようにそう言った。

 

「はじめからって言うと、何処からなのかわからへんけど……咲ちゃんから、メール来た時あったやん? あの辺りから、このお部屋の準備はしてたんよ」

 

「え…………?」

 

「咲ちゃんから誘われても、うちに相談してくれたり、行かないって選択をしてくれると思ってたのに、黙って出て行ったやん? あの時は、ショックやったなあ」

 

「ちょっと待ってや、なんでそれ知ってるん!?」

 

「え、そら家にいる時は毎日怜の携帯チェックしとるし? パスワード急にかけたから、なんかあったんやろなって」

 

「あ、でもでも、パスワードをうちの誕生日の0608にしてくれてたのは、嬉しかったわあ」

 

 北海道旅行が、全部竜華の手のひらの上で行われていたことを知り、怜は愕然となった。止めてくれても良かったはずなのに、ずっと行動を観察されていたことに、怜は空恐ろしさを感じた。

 

「なんで止めてくれへんかったんや……北海道行かへんかったら、こんな目に合わずに済んだのに……」

 

「そら、怜に心の底から、自発的に麻雀辞めてくれへんと意味ないしなあ。怜が嘘ついてるかどうかなんてすぐ分かるし」

 

「それなら、うちが病気治ったって言うのも嘘やないってわかるやん!!」

 

「怜本人はそう思い込んでるのかもしれへんけど、神様に会って身体治ったなんて信じられへん。それに仮に治ってたとして、また麻雀続けたら、再発するに決まってるやん?」

 

「麻雀の件に関しては、1%でも怜に害が及ぶ可能性があるなら、やらせたくないんや」

 

 真剣な表情で怜の体調を心配してくれる竜華のせいで、また吐き気がぶり返してきた。

 ここで否定しても、ベッドの上に拘束される時間が長くなるだけで、なんの益にもならないことを怜は経験から知っていた。

 

「怜は病気なんよ。命をかけてまで麻雀したいとか病気以外のなにものでもあらへん。だから、北海道で都合の良いこと吹き込まれてあっさり信じてしまうんや」

 

「でも、うちが守ってあげるから、安心してね!」

 

 壁に向かって話してろやと怜は思ったが、どうしても耳に入ってきてしまう。竜華の気持ちもわからないことはないし……どうしたらええんやろ……深く考えれば考えるほどわからなくなっていった。

 

 それから、竜華の作った晩御飯を食べさせて貰った。

 竜華は、青椒肉絲とご飯をスプーンの上にカレーライスのように均一に盛り付けて、一口ずつ怜の口元に運んでくれた。

 あーん拒否は許されないので、1時間ほどかけてゆっくりと夕食をとった。食事くらいしか楽しみもないので、それはそれで悪くないなと怜は思った。

 

「なかなかおいしかったで」

 

「そら、良かったわあ」

 

 怜がお礼を言うと、竜華は嬉しそうに食器を片付けてくれた。

 麻雀さえやめれば上手くいくんじゃないかと錯覚しそうになる。竜華にそう誘導されていることは、間違い無い。しかし、それでも麻雀に対する考え方の違いが、諸悪の根源であることは疑いようはない。

 

——うちが麻雀さえ辞めれば……竜華も幸せになれるし、うち自身も苦しむことはないんや。竜華を助けてあげるには、これしかないのかもしれへん。

 

 怜が麻雀をインターハイ後辞めたのは、竜華のためだ。身体のことだけであれば、多少寿命は縮んだとしても麻雀は続けたし、それで死んでも仕方がないと怜は思っていた。

 食事をとって、歯磨きもしてもらった。あとは寝るだけ。しかし、寝ようと思っても、悩みが頭をもたげてうまく眠れない。それに、手首がズキズキと痛む。

 

「もう寝ようと思うんやけど、手が痛くて寝れへん」

 

 怜がそう文句を言うと、竜華は部屋の外からお薬箱を持ってきてくれた。

 

「んー寝れへんのやったら、やっぱりこの辺なのかなあ……ときーどれがええ?」

 

 竜華は、お薬箱の中から数種類の睡眠薬を取り出した。以前服用したエチゾラムの他にも、ゾルピデムやトリアゾラムなど、世界プロ麻雀連盟のドーピング検査項目に、適合する安全なお薬たちが並ぶ。

 

「おくすりバイキングされても、1種類しか使えへんやんけ!」

 

「んーもしかしたら、2種類使えるかもしれへんよ?」

 

 竜華はそう言ったが、もしかしたら使えるかもで薬を飲むのは怖すぎるので、エチゾラムを2錠ほど服用した。

 効果はすぐに現れて、緊張が解けていった。この薬が自分には、合っているのかもしれないと怜は思った。

 

「他の薬選んだら、使わせてくれたんか?」

 

「んーまあ、調べてからやけど。ゾルピデムは、椿野さんや野依さんも使っとるから安全そうな印象はあるなー」

 

「寝れへんの? その2人?」

 

「まあ、プロ選手は移動も多いしナイターとデイゲーム交互にやられたりすると、バランス崩すしな。あとはまあ……ストレスやな」

 

 プロ麻雀の過酷な環境に怜は驚いたが、それと同時に竜華のことが心配になった。今飲んでいるこの薬は、竜華に処方されたものなんじゃないかと思ったからだ。

 

「竜華は大丈夫なんか?」

 

「え? ああうちは、寝られなくなったこととかないし大丈夫やで? この辺の薬はチームドクターから貰ったやつやけど」

 

 健康なのに薬もらってくるなやと、怜は言いたかった。しかし、竜華が健康で安心したし、瞼もだいぶ重たくなってきたので、そのまま寝ることにした。

 重たくなった身体から、意識を手放してポケットコイルのスプリングを沈める幸福を怜は噛み締めた。

 

❇︎

 

 久しぶりにお風呂に入ることができた。

 手錠をかけたままだが、湯船に浸かって頭と身体を洗って貰うと、生き返ったように晴れやかな気持ちに怜はなった。

 毎日どころか、1日に2回湯船に浸かることも多かった怜としては、一週間お風呂なしというのは死活問題であった。

 

 湯船に浸かった途端、涙腺が壊れたように涙が止まらなくなった怜のことを、竜華は優しく慰めてくれた。

 お風呂上がりに、竜華が作ってくれた麦茶をごくごくと喉を鳴らしながら飲んだ。冬の麦茶もなかなか乙なものである。

 

「お風呂、気持ちよかったわあ」

 

「ふふっ明日もまた一緒に入ろうね。あ、湯冷めには気をつけへんとな」

 

 ベッド生活からも解放されて、ソファーで竜華にドライヤーで髪を乾かして貰った。

 

「ときー少し目瞑っててなー」

 

「うん」

 

 竜華は、コットンにたっぷりの化粧水を馴染ませて怜の頬をパタパタと叩いた。

 お風呂で鏡を見た時に、肌が少し荒れていたので、ゆっくりケアせなあかんなと怜は思っていた。

 

「顔パックしたほうがええかな?」

 

「んーとりあえず、このあと乳液塗って様子見ようや。あんまり急に色々やるとかえって良くなさそうやし」

 

 血行も良くなって、毎日お風呂に入っていれば肌の具合も良くなっていきそうだと、怜も思ったので、竜華の言う通りにした。あんまり頑張ってケアして、栄養過多になってしまっては元も子もない。

 

「肩こりもずいぶん良くなったで」

 

「やっぱりお風呂さまさまやなあ……じゃあ肩は揉まへんでも別にええか」

 

「それはそれ、これはこれや」

 

「はいはい」

 

 竜華に火照った体をマッサージしてもらって、心に栄養が行き届いていくのを怜は感じた。

 

「今日と明日はソファーでゴロゴロしててええかな?」

 

「ええよ。撮り溜めしたドラマでも、一緒に見る?」

 

「殺人事件で頼むで。名探偵ちゃちゃのんシリーズ見たいわ」

 

「物騒やな……刑事ドラマは、国税調査官シリーズしか撮り溜めあらへんけど……」

 

「じゃあそれでええわ」

 

 これまでの平和な日常が帰ってきたように怜は思った。

 窓ひとつない防音室の室内でも、幸せは感じられる。

 

 熱帯魚の棲む水槽のあぶくの様な幸せ。

 

 いつかは、竜華と麻雀の話をしなければいけないとわかっていても、今は先延ばしにしようと怜は思った。

 竜華の心が晴れるまで。

 

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