専業主婦、園城寺怜のプロ麻雀観戦記   作:すごいぞ!すえはら

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第77話 もうにどとまーじゃんはしません

 監禁生活も1ヶ月を超えて、怜の精神も次第に安定していった。多少の不自由さに目を瞑れば、概ね生活は快適そのものだ。

 料理は上げ膳据え膳だし、入浴後にはおててや肩のマッサージもしてくれる。

 

 勝手に部屋から出ないこと。

 麻雀の話をしないこと。

 竜華のご機嫌を損ねる行動をしないこと。

 

 この3つのルールさえ守れば、竜華は優しいのである。

 クリスマスには、竜華の出してきてくれたクリスマスツリーに飾り付けをして、ショートケーキを食べた。

 お正月におもちが食べられないのは、残念だったが、伊達巻といくらご飯をたくさん食べたので、怜はそれなりに満足していた。

 

「もしかして、一生このままなんちゃうかな?」

 

 ソファーの上でゴロゴロしながら、怜は縁起でも無いことを言った。

 2月の後半には、春季キャンプも始まるので、そろそろ解放されそうだ。しかし、竜華が絶対に部屋の外には出さへんでモードなので、どう転ぶのか、なかなか読めないところがある。

 

 体をムクリと起こして、竜華のいれてくれたカフェオレの入ったマグカップを、怜は両手でとった。

 

「結構苦いやん……竜華、砂糖入れ忘れとるわ」

 

 竜華が戻ってきたら、砂糖を入れてきてもらおうと怜は思った。

 

 部屋のドアは、換気のために開けっぱなしになっている。あっさり逃げられそうだが、これは見えている地雷なので、ソファーの上でゴロゴロしているのが正着なのである。

 高校生の頃これに引っかかって、オムツ姿で「もう、かってにへやのそとにでません」と号泣しながら何度も音読させられた経験が、園城寺怜の読みを支えていた。

 

 手錠も取れてすっかり快適な生活になり、お薬を飲まなくても寝れるようになった。

 

——それにしても、麻雀したいなあ

 

 体力と気力が回復してくると、麻雀がしたいという欲求が頭をもたげてくる。

 竜華を選ぶか、麻雀を選ぶか。この命題はインターハイ終了後から……いや、それより前からずっと園城寺怜の前に、現れ続けてきた。

 二律背反の関係だと、怜はこれまでずっと思ってきた。

 でもそれはきっと違う。竜華が怜に麻雀をさせないために、麻雀の対になるように、振る舞っているだけだ

 

 怜がカフェオレの水面を見ながら、思考を巡らせていると部屋に竜華が帰ってきた。

 

 白地にピンクの縦縞の入ったキッチンミトン。

 

 竜華の手の中にあるものを見て、怜はマグカップを取りこぼした。プラスチックの軽く無機質な音が部屋に響く。

 竜華の機嫌を損ねるようなことは、していないはずだ。

 

「怜、大丈夫? 熱くなかった?」

 

「う、うん」

 

 怜の太もものあたりに、カフェオレが少しかかってしまった。しかし、特段熱くはなかったし、怜の人生のトラウマの前では些細なことである。

 

「う、うち……なんも悪いことしてへんよ。はやくしまってや……」

 

「最近お薬も飲まなくて良くなったし、麻雀を諦めてもらうトレーニングも、そろそろできるかなって」

 

 体力と気力が回復してきたので、麻雀を辞められるよう洗脳しますと、竜華に宣言されて怜の頭は真っ白になった。

 あまりにも理不尽すぎる。

 

「や、や……」

 

 やめて欲しい旨伝えたかったが、怖くて上手く言葉が出てこなかったので、怜は全力で顔を横に振って拒絶の意志を示した。

 優しそうな笑顔を作った竜華が近づいてきたので、怜は慌ててソファーから立ち上がって、部屋の隅っこに逃げた。

 部屋の外にでると悲惨な目にあうので、逃げられる限界まで頑張って移動した次第である。

 

「大丈夫。大丈夫。最初はほら、8時間だけやから。安心して、ね?」

 

 頑張って怜は首を横に振り続けたが、抵抗も虚しく、竜華にお姫様抱っこをされベッドまで運ばれて、四肢を拘束される運びとなった。

 

「ほ、ほんま無理やから! やめてや!」

 

「大丈夫。大丈夫。一緒に頑張ろ? 終わったらモンブランを買ってあるから、一緒に食べようね」

 

 竜華は怜の人差し指から小指までを包帯でくるくると丁寧巻いた。指先が動かすことが出来なくなった怜のおててに、キッチンミトンが被せられた。

 まるで手が無くなってしまったかのように、指先の感覚がなくなる。

 

「や、やめろ言うとるやろ! アレはほんまに無理なんや! やめて!」

 

 怜の哀願はあっさりと竜華に無視されて、無抵抗な怜の耳に、遮音性能の高いイヤホンが差し込まれる。

 

 精神を無理矢理抑圧するようなホワイトノイズが、世界から音を塗りつぶした。

 

 人格を壊される恐怖で、頭がいっぱいになる。

 

 怜はイヤホンを外そうと首を振ってみたが、耳たぶが擦れるだけで外れそうにない。外したところで、竜華にまた押し込まれるだけなのだが、体を動かさずにはいられなかった。

 聞き取れないが竜華が何かを呟くように口元を動かしてから、アイマスクを手に取って怜に装着した。

 

 五感を全て奪われた真っ暗闇の世界。

 

 じっと、ホワイトノイズを聞き続ける。

 このまま寝てしまえば、辛い時間も少しは短く感じられるかもしれない。しかし耳障りなノイズと恐怖が怜にそれを許さない。

 

 めちゃくちゃに手を動かしても、包帯とキッチンミトンに包まれた指先からはなんの感触も伝わってこない。

 何も感じない無重力の宇宙を一人漂っているような浮遊感に、怜は苛まれた。自分は本当に仰向けに寝ているのだろうか?

 

 ホワイトノイズをはやく止めて欲しい。

 

 力一杯叫んでも、遠くでかすかに声がするだけだ。喉が痛くなるだけで、ホワイトノイズは止まらない。

 

 だれでもいいからはやくたすけにきて。

 

 叫ぶことをやめて、怜は僅かな刺激を求めて体をモゾモゾと動かしたが何も感じない。頭がおかしくなりそうだ。

 

 感覚遮断は、体への負担はほとんどないが、精神をズタボロにされる。ただ寝転んでいるだけの時間が地獄に変わる。

 

 しかし、耐えることしかできない。

 じっと、心を強く持って頑張っているとホワイトノイズが消えた。

 それから視界がぱっと明るくなって、眩しさを覚えた。

 

「とき、おはよう! 気分はどう?」

 

「さ、最悪の気分や……」

 

 隣に竜華がいてくれたことに安心感を覚えながら怜は、正直に感想を口にした。なんでもいいから早く終わりにしてほしい。死にたくない。

 

「まだ、1回目やし余裕やな。んー……とくにまだ暗示とかないし、もう一回沈んどこか?」

 

「や、やめてや……麻雀やめるから! やめるから許して」

 

 竜華に無慈悲にまたホワイトノイズの世界に帰されそうになって、怜は必死にお願いした。心が正常なうちに許して貰いたい。あとから口約束など、いくらでも破れる。

 怜の反応を見て、竜華は微笑んだ。

 

「ふふっ、嬉しいなあ。そうそう、怜は病気なんよ。麻雀をしたら死んでしまうかもしれへん……だから、麻雀したらあかんよ?」

 

「う、うん」

 

「でも、うちが守ってあげるから安心してね!」

 

「そ、そっかーありがとなー」

 

 怜はもう2時間以上経っていると思っていたが、時計の針を見ると30分も経っていなかった。竜華が、初日だから8時間と言っていたことに怜は戦慄した。あと、15回以上この地獄を過ごしたら、確実に壊れる。

 

「麻雀、麻雀やめるから! ほ、北海道勝手に行ったうちが、全部悪かったです……だ、だから、ええやろ! はずして!」

 

「怜が協力的で嬉しいわあ。じゃあ、麻雀を辞められる様に、しっかりトレーニングしていこうね!」

 

 アイマスクをつけられて、視界が真っ暗になった。

 

「や、やめて! ほんまに麻雀やめるから! やめてください!!!!」

 

 怜の言葉の返事は帰ってこない。

 

 にっこり微笑む首を押さえつけられて、無理矢理イヤホンをねじ込まれた。また耳障りなホワイトノイズが鳴り始めた。

 

 怜は大声で叫ぼうと喉に力を入れたが、ホワイトノイズしか聞こえてこない。

 耳を澄ますと遠くで、誰かが叫んでいる。その小さな物音が恋しくて、怜は喉が枯れるほど力を込めた。

 

 咳が止まらない。呼吸ができない。

 

 なんとか呼吸を整えても、真っ暗闇。

 ホワイトノイズの音が耳障りだ。

 はやく、竜華と話したい。麻雀はやめると言っているのだから、もう許してくれるかもしれない。視覚と聴覚が戻ってくるまで、それを希望として生きようと怜は思った。

 

❇︎

 

「ときーおはよう! ちょっと疲れてきたかもしれへんけど……うちの話聞いてな? わかった?」

 

「……うん」

 

 竜華ちゃんの問いかけに、怜は小さく頷いた。

 感覚遮断と覚醒を繰り返されて、だんだんと意識が曖昧になってきた。

 もう何度目だろう。4回目までは数えていたのだが、いつからか数えるのをやめた。怜はふと時計を見たが、うまく時計が読めなかった。なぜ時計を見たら、回数がわかると思ったのだろう?

 

「怜は竜華と一緒にな、おうちで仲良く暮らすのが一番いいと思うんよ?」

 

「うん」

 

「やっぱりそうやなー、うちと同じ気持ちやな! 怜は病気なんよ普段は平気でも……麻雀をしたら病気が悪化してしまうんや」

 

「でも、安心してね! うちがずっと守ってあげるから!」

 

「うん!」

 

 竜華ちゃんの言葉は安心できる。

 ホワイトノイズの世界から出てくると、聞こえてくるのは、必ず竜華ちゃんの声だから。竜華ちゃんと話している間だけ、感覚のある世界にいられるのだ。

 

「大好きや……怜」

 

「うん」

 

「怜がいなくなるなんて耐えられへん……だから、麻雀は諦めなくちゃいけないんや! わかった?」

 

「…………うん」

 

 竜華ちゃんの言っていることはよくわからないが、竜華ちゃんが言うからそうなのだろう。でもその言葉に頷くと、胸がズキズキと痛むのを怜は感じた。

 

「えらいなーとき、それじゃあうちの言った言葉を繰り返してほしいんやけど……ええかな?」

 

「うん」

 

 怜が素直に竜華ちゃんの言葉に頷くと、竜華ちゃんは言葉を続けた。

 

「もう」

 

「もう」

 

「二度と」

 

「にどと」

 

「麻雀はしません」

 

「まーじゃんはしません」

 

「ふふっえらいでー怜」

 

 言い終えると竜華ちゃんは、怜の頭を優しく撫でた。たったそれだけのことで、怜はとっても嬉しくなった。竜華ちゃんといると心が温かくなるのだ。

 でも、どうして? そんなに、悲しい顔をしているのだろう?

 

「ねえ、竜華ちゃん? どうして、泣いてるの?」

 

「な、なんでやろな、怜が麻雀を辞めてくれて嬉しいはずなのに……」

 

 怜が問いかけると、竜華ちゃんは肩をビクッと振るわせた。

 竜華ちゃんの頬に伝う一筋の涙を、怜はキッチンミトンの上から優しく拭った。

 

 手が届いてよかった。

 

 鎖で、もう届かないかと思ったよ。

 

「でも、これで……怜は麻雀をやめてくれるんよな?」

 

「うん、竜華ちゃんがそういうならやめるよ。でも…………」

 

「でも?」

 

 不安そうに聞き返した竜華ちゃんに、正直に気持ちを伝えた。

 

「最後にまた竜華ちゃんと一緒に、まーじゃんをしたかったな」

 

 竜華の瞳から、決壊したダムのようにぼろぼろと涙が零れ落ちて、頬を濡らした。もう、拭いきれない。竜華ちゃんには笑っていてほしいのに、いつもうまくいかない。

 

「怜……麻雀したいん?」

 

「うん」

 

「じゃあ二度と麻雀はしないのは……やめとこっか?」

 

「うん」

 

「うちともまた……打ってくれるん?」

 

「もちろんや! 竜華ちゃんには負けへんで!」

 

 項垂れる竜華ちゃんのことが心配だ。

 怜は、キッチンミトンの上から竜華ちゃんの手をとった。

 視線と視線が交錯する。

 

「竜華ちゃんは、ずっと守ってくれてたんやな。ありがとう」

 

 ふるふると首を横に動かす、竜華ちゃんの手を怜はぎゅっと握りしめた。厚い布越しでも竜華ちゃんが握り返してくれた感触が、はっきりとわかる。

 

「今度はうちが、竜華ちゃんのことを守ってあげるから……泣いたらあかん!」

 

 頷いた竜華ちゃんに、怜は言葉を続けた。

 

「また2人で一緒に、まーじゃんをしよう! 何が起こるかわからへんワクワクが、きっと待ってるで!」

 

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