神戸の高層のマンションの一室。
怜のお気に入りのゴロゴロできるソファーの後ろに、落ち着いた部屋の雰囲気と調和しない機械的な自動麻雀卓があった。
リビングに、牌と牌が擦れる音が響く。
そんなプロ麻雀選手の邸宅で、麻雀の練習に励む1人の雀士がいた。
理牌しながらポッキンアイスを貪り喰う者、園城寺怜。
その人である。
半荘戦 南3局
園城寺 怜 39600
加治木 ゆみ 33400
二条 泉 16800
船久保 浩子 10200
「なあ……アイスを食べるか牌を弄るかどっちかにしたらどうだ?」
「アイスを食べてると、集中力が高まるんや!」
対面に座る加治木さんから、苦言を呈されたので、怜はそう言い訳をした。もちろん、嘘で、怜はただ、冬の暖房の効いた部屋で、ぬくぬくと麻雀しながら、アイスを食べたかっただけである。
「怜、アイスだけじゃなくて、みかんさんも食べてな。ビタミンCとらなあかんで!」
「うん、ありがとう」
怜の隣に座っている竜華が、怜の口元に、白いところを綺麗に取り除いたみかんの房を持っていった。こうすることで、手を使わずにモグモグできるのだ。
「ん……もう少し食べたいで!」
「ちょっと待っててね、今剥いてあげるから!」
怜は竜華に、食べ終わったポッキンアイスのプラスチック袋を返し、みかんを受け取った。竜華の剥いてくれたみかんが、一番おいしいと怜は思った。
「…………おまえら、いや……なんでもない。園城寺の体調が回復したみたいで、良かったよ」
加治木さんは竜華と怜のラブラブっぷりを見て、少しげんなりしたように眉間に手を当ててから、麻雀卓に向き直った。
怜が麻雀をすることを認めてくれてからの竜華は、人が変わったように協力的になってくれた。今日の、エミネンシア神戸の関係者を招いての麻雀合宿も、竜華が企画してくれたものだ。
監禁生活は1ヶ月以上にわたり、怜にとっては嫌な思い出ばかりだった。インターハイ個人戦後のトラウマと重なって、本当に自分の人格が壊れてしまうのではと、怜が思ったこともあった。
でも、どんなに酷い仕打ちをされても怜は竜華を許してあげようと思っていた。だから、竜華が監禁生活と麻雀のことを謝った時に、2度とそのことを謝らないで欲しいと怜は告げ、竜華に約束させた。
過去はいらない。
今、麻雀ができる。それだけで怜には充分だった。
ロン! 5200や!
半荘戦 〜終了〜
園城寺 怜 43200
加治木 ゆみ 32600
二条 泉 20000
船久保 浩子 4200
オーラスに怜は最下位のふなQから、出和了を決めてトップで半荘を終えた。
「いやー、この卓の中で麻雀をするのは流石にキツいですわあ」
「それでも、浩子久しぶり言う割には結構打ててるやん?」
眼鏡を外して、額の汗をハンカチで拭き取るふなQに竜華は健闘を称えた。
ダイニングデーブルの上に6つ並んだマグカップから1つ竜華は手に取って、魔法瓶からコーヒーを注いでふなQに手渡した。
「あ、ごっそさんです。プロしかいない卓とはいえ、この結果ですよ。本当に私なんかで、良かったんでしょうか?」
「んーまあ、うちらは浩子や泉が来てくれるだけでも嬉しいしなあ」
「は、はい……ありがとうございます」
後輩に、優しい言葉をかける竜華の姿に加治木さんは、少し驚いたように眉を上にあげてから微笑んだ。
そんな変化を好ましく思っている、加治木さんとは対照的に、二条泉さんは豹変した竜華の姿に、可哀想なほどビビりまくっていた。なんの罠なのかと、泉は訝しむように竜華の様子を観察している。
「じゃ、浩子。うちが変わるから牌譜データ頼むわ」
「おまかせあれ。スカウトの腕の見せ所や!」
❇︎
朝から晩まで麻雀ができる。
怜が思い描いていた理想の生活が、完成しつつあった。
しかし、麻雀を再開してから、怜にとって誤算だった出来事がひとつだけあった。
清水谷竜華、強すぎ問題である。
『リーヅモチートイドラドラの一本場は、6100オールや』
半荘戦 〜終了〜
清水谷 竜華 43600
園城寺 怜 31600
加治木 ゆみ 26900
二条 泉 −2100
『ん、泉……ロン、3900』
半荘戦 〜終了〜
清水谷 竜華 43400
加治木 ゆみ 26600
園城寺 怜 23800
二条 泉 6200
「な、なかなかやるやん……次は、絶対勝ったる!」
竜華の麻雀のイメージが、高校時代で止まっていた怜にとっては衝撃だった。
昨年は最優秀防御率を獲得し、団体戦での負けは、獅子原さんにつけられた1敗だけ。紛れもないトッププロの1人なのだが、やっぱり竜華は竜華やろと、怜は少し侮っていたところがあった。
いつのまにか、若木が大樹になってしまったような、寂しさが怜の心によぎった。
6年間のブランクは大きい。
いつのまにか、怜が挑戦者だ。しかし、それも悪くない。怜は、まだ見ぬ強者がたくさんいることに、ワクワクしていた。
高校時代に勝った、姉帯さんや辻垣内さんもプロで一流と呼ばれる選手になっている。
こうしてはいられない。
「もっかい、麻雀するで!」
「でも、お腹空いてない? 大丈夫?」
「んー、甘いもの食べたから少ししょっぱいもの食べたいかもしれへん」
すぐに再戦を怜は要求したが、竜華に体調のことを気遣われてしまった。5、6時間ずっと麻雀をしていたので、言われてみると、体に疲労を怜は感じていた。
「たしかに少し、お腹がすいたな。園城寺、病み上がりなのだし、あまり焦ることはないさ。糖分をしっかりと体に入れて、休憩してから再開しよう。休むのも練習だよ」
「そうそう、ゆみの言う通りや」
「じゃあ醤油ラーメンさん、食べたいで! あ、泉、この半荘も負けたんやし買ってきてや」
「ええっ!?」
怜の思いつきで、ラーメンを買いにパシらされることになった泉は、口では文句を言いながらもハンガーから、コートを羽織っていた。
「とき、そういう後輩に強く当たったりするのとか良くないと思うで? 出前にしよ?」
「わ、わかったで!」
竜華にそう諭されて、怜は泉にラーメンを買いに行かせるのをやめた。
「い、いや……私、行ってきますよ、大丈夫です」
「わざわざ、行く必要ないやん? でも、そうやって頑張ろうとしてくれるの、本当助かるわあ」
「は、はい」
泉が直立不動のまま、よしよしと竜華に頭を撫でられている姿が印象的だった。半泣きになって、足がブルブルと震えている。
泉の頭を撫でながら、竜華はよく使う中華料理屋さんに出前の連絡を終えた。ここのお店のラーメンは、昔ながらの醤油ラーメンでなかなかおいしい。
「でも、出前届くまで時間かかるやろ? それならもう一半荘できるやん」
「せやけど、怜はずっと通しでやってるから……見学やで? わかった?」
「じゃ、じゃあ、竜華の見てるわ」
半荘戦 東1局
東 清水谷 竜華 25000
南 加治木 ゆみ 25000
西 船久保 浩子 25000
北 二条 泉 25000
「最近気がついたんやけど……」
竜華は、自動卓から上がってきた牌を、足を組んだまま眺めやって、ポツリとつぶやいた。
「麻雀ってこんなに楽しいものやったんやなって……ぜんぜん知らへんかったわ」
無秩序に並んだ手牌から、竜華は迷わず1索を切り出した。
勇気を振り絞って、泉がその呟きに答える。
「そうですよ、清水谷先輩! 麻雀は楽しい! だってずっと負け続けてる私だって、今日先輩達と打てて楽しいんですから!」
「ふふっ、泉……ありがとう」
2人のやりとりを見て、怜はあったかい気持ちになった。
「なあ、良い雰囲気なところ悪いんだが、ひとつだけいいか?」
「ん? 加治木さんどうしたんや?」
「私だけ、千里山高校の先輩じゃないんだが?」
たしかに、言われてみれば今日の面子の中で、加治木さんだけが千里山の出身ではない。
「まあ、そこはあれやろ。名誉関西人みたいなもんや。自分、生まれ関西やろ?」
「いや、生まれは長野だし。大学は東京だ」
「まあ、長野は関東じゃないから、だいたい関西やろ」
「園城寺先輩、それめちゃくちゃ過ぎますよ!?」
「ほら、今は神戸にいるわけやしなあ」
加治木さんをどうにか関西人に仕立て上げたい怜だったが、ふなQと泉という良識派の前で計画は瓦解してしまった。
牌の音がリビングルームに響く。
深夜になってもその音が、止まることはない。
卓を囲む雀士たちの頭上で、シーリングライトの暖色の光が煌々と輝いていた。