試合後、私はお気に入りのシガーバーで葉巻を楽しんでいた。
葉巻が特段好きなわけでもないのだが、麻雀後気持ちの整理がつかない時に、一人の時間を作るためにここを使う。生演奏のジャズを独り占め出来るのも良い。
パーソナルソファーの背もたれに体を預けて、私は天井を仰いだ。
今日は、高鴨さんと対戦した。
大将戦で1万点差を捲り、彼女の支配の上を行った。完璧な内容。
大星淡、Nelly Virsaladze、高鴨穏乃。
これで全部倒した。
あの日、決勝戦で戦う予定であった相手は全部。
嬉しいはずなのに、インターハイのライバルを倒すたびに、心がどんどん空っぽになっていくのは何故なのだろう。
口の中に揺蕩っている煙をゆっくりと吐き出す。
今日は長く吸うために、少し長めの葉巻を選んでもらった。キューバの葉巻で7000円ほど。銘柄など詳しいことは良くわからないが、香りが良く吸いごたえがあっておいしい。
園城寺さんが、麻雀界に復帰したという話を最近聞いた。
獅子原さんとの北海道での出会いで、なにか掴んだのだろうか? それはともかくとして、清澄のインターハイで負けた相手は、全員倒さなくっちゃいけない。
だから、園城寺さんの復帰を知った時は手放しで喜んだ。
まだ、倒すべき相手がいる。
でも、園城寺さんに勝ってしまったら?
私はそこまで思い浮かべてから、頭の中から考えを振り払った。
園城寺さんのことを考えるのはやめよう。
今日勝った相手に、明日も勝てるのかはわからない。未来の敵に思いを馳せている余裕は私にはない。
葉巻の煙を、口の中で揺蕩わせる。
時間が経つにつれて、煙の風味が変化していく。
新緑のウッディーさに、青リンゴを思わせる爽やかな酸味が後追いしてくる序盤とは一転して、中盤はカカオのようなほろ苦さと木の香りが混在して複雑な味わいだ。
口からため息をつくように吐き出した煙が、部屋の空気に溶け込んで消えていく。
少し辛いな、そう思った私は注文しておいたアイスクリームを席に持ってきてもらって、スプーンで口に運んだ。
アイスクリームの甘さで、喉の奥の辛さと苦味が和らぐ。
「今日の試合もギリギリだったなあ……無理言って登板させて貰ったのに、負けたら格好がつかないよ」
高鴨さん相手に、ビハインドは厳しい。彼女の山の支配力は一級品で、こちらから嶺上開花を仕掛けていれば、足元を掬われていた。前半は全く動けなかったし、第二半荘でやっと牌の流れが掴めたと思っても、和了そのものは能力で阻害された。
幸い高鴨さんが能力に慢心してくれたおかげで、寄せていった牌回しが偶然当たったが、彼女に充分な経験があれば、倒れていたのは私だっただろう。
「今日のことで、苦手意識でも持ってくれるといいんだけどな……」
軽く吹き戻してから、私は葉巻の灰を灰皿にそっと落とした。
綺麗に並んだ葉巻の灰をボーッと見つめながら、アイスクリームに舌鼓をうつ。
コーヒーも飲みたくなったが、眠れなくなるだろうから辞めておくことにした。もしかしたら、明日も登板するかもしれない。
スマートフォンのバイブレーションの音が、カバンの中から聞こえてきた。せっかくの幸せな時間を邪魔されてしまったことに、ションボリしながら私は、スマートフォンの画面を見やった。
憧ちゃんからのメールだ。
そういえば試合後、ホテルで会う約束をしていたような気もする。マナーモードじゃなくて、電源を切っておけば良かった。
スマートフォンの電源を切って、葉巻を手に取って煙を口の中に取り入れる。心地よい陶酔感。
お酒が飲めたら、もう少し生きているのが楽しかっただろうな。
長かった葉巻が人差し指くらいの大きさになったので、私は灰皿の上にそっと葉巻を置いた。
バーテンダーさんに店の前までタクシーを呼んでもらってから、私は席を立った。
店の外に出ると少し肌寒い。
花冷えのする夜だ。私は慌てて、停車しているタクシーに乗り込んだ。
❇︎
宿泊先のホテルのスイートルームにたどり着くと、憧ちゃんがイライラしながらソファーに腰掛けて私の帰りを待っていた。
「遅い! どこで何してたの!?」
「え……えっと、少し予定があって」
なんで私の部屋に憧ちゃんがいるの? その言葉が喉まで出かかったが、私はすんでのところで抑えることが出来た。
イライラしている女の子を刺激すると、面倒なことになる。
「って……タバコ臭っ!? ほんとなにしてたのよ。約束放り出して!」
「ご、ごめん。忘れてたよ」
私が憧ちゃんのホテルに、泊まりに行く約束をしていたのだと、先ほどまで思っていた。しかし、どうやらそれは勘違いで、憧ちゃんが私の部屋に泊まりに来る約束をしていたらしい。
たしかに、自分の性格を考えると来てもらう方を選ぶだろうなと思い、私は納得してしまった。
憧ちゃんに、スーツのジャケットを渡すとハンガーにかけてから親の仇のように、消臭スプレーを吹きかけられた。
「そんなに、臭うかな……」
「吸う人はわからないだろうけど、かなりね。お風呂沸かしてあるから、早く入ってきてよ」
「そうする……」
憧ちゃんのストレートな物言いに、少し落ち込んでしまった。
換気扇の下で、タバコを吸う世のお父さん達の悲哀を思い浮かべる。パートナーがいると、タバコ1つ満足に吸うことができない。結婚しないことを心に誓っておいて、本当に良かった。
「そういえば、今日はシズとだったわね。すごい和了決めてたじゃない」
「んー偶然だよ、あれは」
憧ちゃんは思い出したような態度を装って、そう尋ねてきた。特に隠す理由もないので、正直な気持ちを答えておいた。
あの槍槓がなければ、続く南3局は無理に嶺上開花で、和了しにいくしかなかった。親番だったので、それでも勝てた可能性はあるが、不確定要素が大きすぎる。あえて、再戦を有利にするため嶺上開花を狙わずに、終局に持ち込んだかもしれない。それで負けてしまっても、未来への布石になるし、精神的なダメージも少ない。
「槍槓が偶然ねぇ……シズの鳴いた八萬にあわせにいったんじゃないの?」
「そうだけど……あ、麻雀の話はやめていいかな? 疲れてるんだ」
「……ごめん」
「うん、それじゃあお風呂行ってくるね」
ハンガーとバスタオルを持って、私はバスルームに向かった。
せっかく憧ちゃんがいるから、お風呂から上がったら、高鴨さんの話を聞いておこうと思った。趣向や人となりがわかれば、精神的な揺さぶりをかけやすくなる。
アメニティーにバスソルトがあったので、湯船のなかに入れてみると、ローズマリーとラベンダーの香りが広がった。
日付が回っても、バスルームの大きな窓から見える東京の夜景は、キラキラと輝いていて、まるでプラネタリウムのようだった。
バスソルトがよく溶けるように、右手で湯船をかき混ぜる水音だけが、バスルームに響く。
水面からふわりと香るラベンダーの芳香に包まれて、私は幸せな気分になった。
今日は良く眠れそうだ。