「なあ、セーラ。はじめてうちと麻雀した時のこと覚えてる?」
卓に着こうとする直前、俺は怜からそう尋ねられた。
「ん? ああ、小学校の頃やろ。あの時の俺は竜華と、どうしても戦いたかったんやけど……終わってみれば、怜のことばっか考えてた」
周囲に持て囃され将来を嘱望されていた小学生時代の俺にとって、純粋に麻雀を楽しむ少女との出会いは得難い経験やった。
当時の怜はスジもロクに見えない下手くそやったが、大事なことを教えられた。
「なんか初恋みたいやな……悩殺してもうたみたいで、すまんな」
「違うわ! 俺は裕子一筋や! 麻雀の話や!」
目の前でアホがクネクネし始めたので、俺はそうツッコミを入れた。
「麻雀の話?」
「あんなに純粋に楽しそうに麻雀するやつは、周りにはいなかったから……俺も洋榎もみんなしがらみの中で麻雀してた。濁ってたんやな」
俺はネクタイを少し緩めて、ジャケットの上ボタンを開けてから椅子に腰掛けた。
「セーラも昔から楽しそうに麻雀しとったやん? カッコ良かったで?」
女性的なベージュのブラウスに、ピンクのリップ。大人になった怜にキラキラした目でそう言われると、本当にドキッとしてしまいそうになったので慌てて目を逸らす。
「ま、まあ……そう言ってもらえると嬉しいんやけど……そんなに、褒められたもんやなかったな」
対戦相手に物足りなさを感じる俺に、プロ雀士の娘であることに苦悩する洋榎。小学校時代は、周囲の期待に押しつぶされそうになりながら必死にもがいた記憶しかない。
でも、一つだけはっきりと覚えていることがある。
『絶対、また打とう』
小学生5年生の頃、怜とした約束だ。
大きな手を作って大きく勝つ麻雀。それを邪念なく怜が認めてくれたおかげで、自分はプロまで、真っ直ぐに伸びてこれたのだと思う。
俺よりも細かいやり取りが、得意なやつはいくらでもいる。上手い奴も。
だが、大事なのはそういうことじゃない。
それを教えてくれた。
「だから、怜とまた打てて良かった。そういうことや。ええ試合にしような」
「もちろんや!」
怜の返事を聞いて心が熱くなる。
中学の頃は、怜に負けることはほとんどあらへんかった。しかし、高校に入ってあっという間に抜かれた。
抜かれるだけならまだええ。怜が全国の頂点に立つ直前には、まるで歯が立たなくなっている自分がいた。練習相手にもならない不甲斐なさは、筆舌に尽くし難い。
高校を卒業してプロとしてやってきた。その経験がどこまで通用するのか試したい。怜が病気で寝ていた7年間、俺もずっと遊んでいたわけやない。
今日は勝たせてもらうで、怜。
サイコロがカラカラと回る。
雀聖戦 二次予選 決勝
東1局
東 薄墨 初美 50,000
南 園城寺 怜 50,000
西 江口セーラ 50,000
北 福路美穂子 50,000
薄墨の起家で、試合は開始された。
薄墨は風牌を支配する系統の能力者だ。特に北家の際には、役満の危険性もある強能力の持ち主。
配牌は悪くない。
ポン!
薄墨の発声が響きダブ東が卓上に晒されると、卓に緊張感が走った。風牌から仕掛けて来た時の薄墨は怖い。
北家でなければ、致命傷にはならないことは知っている。むしろ他家が警戒して回してくれれば、俺がツモりやすくなる。
縮こまっていては損するだけや。
三筒、六筒の良形聴牌。当然押す。
卓上にリーチ棒を供託しリーチをかけていくと、怜から鳴きが入った。
ツモ 700、1300です。
鳴きでリズムを作った怜が、3巡先でそのまま和了した。高校時代から変わってへんのなら、怜の未来視では3巡先までは視えていない可能性が高い。
ならば、この鳴きは俺の和了を止めるためにズラしたと考えるのが自然だ。本来であれば和了出来ていたはずなのは俺。
流れは悪くない、このまま押し切る。
雀聖戦 二次予選 決勝
東2局
園城寺 怜 53,700
福路美穂子 49,300
薄墨 初美 48,700
江口セーラ 48,300
薄墨の北家で怜の親番。
東場最大の山場だ。薄墨の対策のために風牌を絞らなくてはならないが、怜に連続和了を決められても困る。
幸い配牌に風牌はなかった。この局も勝負にいける。そこまで考えた時、とんでもない事態が発生した。
驚きが顔に出ないよう軽く目を閉じて表情を消す。
大宮の福路が北を切った。
ポン!!!
薄墨は嬉しそうに発声した。
薄墨の能力を知っていれば、通常そんなことはありえない。風牌は当然絞る。半荘戦で四喜和を和了されたら、その場で麻雀が終わるのだから。
しかし、怜の親番でこの展開はかえって都合が良いのか? 怜の親かぶりで薄墨に役満を和了させてしまえば、怜の親番を流すことが出来るし、勝ち進める可能性も高くなる。
福路は悔しいが上手い。俺とは真逆のタイプの打ち手。彼女に限って薄墨の能力を失念するなんてことは、絶対にありえへん。
牌をツモってきた怜の手が止まる。
何かあるな……怜のツモ切りは未来が視えている関係上、他のプレイヤーと比べて圧倒的に速い。
怜はそのまま二萬をツモ切りしてから、薄墨の捨てた五萬をチーした。
確実になんかやっとる……こちらの聴牌は遠い。ここは、ベタオリしておいた方が間違いがないやろ。
ツモ、2000オールです。
怜の手牌が倒されて、薄墨の役満は不発に終わった。連荘になるが、役満を和了されるよりはええ。
雀聖戦 二次予選 決勝
東2局 一本場
園城寺 怜 59,700
福路美穂子 47,300
薄墨 初美 46,700
江口セーラ 46,300
続く一本場も福路が東を切って、薄墨を鳴かせることで積極的に仕掛けてきた。
ジロリと福路のことを睨みつけてみたが、顔色ひとつ変えへん。かわええ顔をしているくせにえげつない麻雀をしとる。
薄墨の役満の影がチラついて踏み込みが甘くなる。
福路が意図的に作り出した場況だが、果たしてこれは、彼女にとって有効に機能しているのか?
この状況で切り込んでいけるのは、ただ1人しかいない。
リーチ
リーチ棒がまっすぐに立つ。
園城寺怜のリーチ宣言。
鳴いてズラしても和了する可能性が高い、しかし一発を消すために鳴かざるをえない。
薄墨の捨てた一筒をポンしてから、安牌を捨てる。これで一発は消えた。
和了する未来は変わらない。
ツモ 4100オール
怜は当たり前のように和了牌を引き込んで、満貫を仕上げてきた。
雀聖戦 二次予選 決勝
東2局 二本場
園城寺 怜 72,000
福路美穂子 43,200
薄墨 初美 42,600
江口セーラ 42,200
あっという間に3万点差。
薄墨への福路のアシストはない。小細工を弄することを辞めたのか、それとも出来なかったのかはわからんへん。
しかしこれは、チャンスや。
聴牌したが、ここでリーチはまだ早い。高めを狙っていかへんと、怜に差し込まれて流すために利用されてしまう。俺も苦しいが北家に薄墨を抱えたまま、連荘を続ける怜も厳しいはずだ。
手牌は太らせてから和了を目指す。
一気通貫もついて、満貫確定。
リーチや!!!
手を大きくしてから俺はリーチをかけた。ダマにしても怜は出さへんし、和了できる確率はほとんど変わらへん。
愚直に前に進んで、大きな和了を目指す!
ツモ!!! 3200、6200!!!
待ちに待った跳満和了。
やっと流れを掴めたことに安堵する。
雀聖戦 二次予選 決勝
東3局
園城寺 怜 65,800
江口セーラ 54,800
福路美穂子 40,000
薄墨 初美 39,400
1万点差まで詰め寄った。
このまま一気に流れを掴んで、勝負を決めたかったが福路に満貫を和了されてしまい出鼻をくじかれてしまった。
これで流れが福路に向かうのかと思ったが、今度は怜があっさりと安手を和了して南入。
牌の流れが全く掴めへん……
山に吹き荒れる風のように無秩序だ。
雀聖戦 二次予選 決勝
南1局
園城寺 怜 66,500
江口セーラ 50,100
福路美穂子 46,700
薄墨 初美 36,700
薄墨はここまで和了がない。最後の親番となるこの一局は、なんとしても和了しておきたいと考えているはずだ。
北家の役満が狙えてもそれをアテにするのはあまりにも不確実すぎる。
ポン!
八索を鳴いていって、強引に形を作りにいった薄墨から、怜が直撃を奪う。
ロン、2600です。
雀聖戦 二次予選 決勝
南2局
園城寺 怜 69,100
江口セーラ 50,100
福路美穂子 46,700
薄墨 初美 34,100
怜の親番、そして薄墨の北家。
2万点差。通常であれば跳満直撃で逆転できる点差だが、怜は点棒を持ったら本当にかたい。放銃がない。その一点で、2万点差は支配的なリードへと変わる。
2位狙いが、現実的なラインなのかもしれへん。この局、薄墨に役満を和了されへんかったら俺と福路との一騎打ち。
福路が薄墨に北を鳴かせにいって、場を荒らしてきた。ここで、薄墨に和了させる必要はないのに、何故絞らへんのやろか?
少し困惑しながら麻雀を続けていくと、福路も薄墨も危険牌を押していることに気がついた。
薄墨と福路のめくりあい。どちらが和了しても不利な状況だが、これ以上付き合うのは危険だ。牌形も悪い。
2人のめくりあいは、意外な形で終わりを告げた。
ロン 3900
怜がツモってきた牌をそのまま捨てて、福路を和了させた。
怜が放銃したことも意外だったが、立直をしていなかった福路の打点が、3900しかないことにも驚いた。
不機嫌そうに、薄墨が牌を卓に放り込む様子を見て役満を張っていたのだろうと察した。
雀聖戦 二次予選 決勝
南3局
園城寺 怜 65,200
福路美穂子 50,600
江口セーラ 50,100
薄墨 初美 34,100
3位に転落してしまったが、怜との得点差は詰まり親番。
配牌も悪くない。
大きな手を狙えば逆転も狙えるが、打点はいらない。面前で手早く仕上げて、立直を打てればそれでええ。
リーチ
点棒が真っ直ぐに立つ。
一向聴、あと一歩のところで怜からリーチ宣言が入った。
ツモ 1300、2600
届かなかった自分の手牌を、眺めやる。
平和に一盃口がついた綺麗な手。リーチをうてば満貫も狙える。
その手牌を大事に裏向きに倒してから、そっと卓の中央へと流し入れた。
怜の背中は見えた。
しかし、最後は怜が福路の1500点に差し込んで終了。
麻雀の終わりは呆気ない。
雀聖戦 二次予選 決勝
〜終了〜
園城寺 怜 68,900
福路美穂子 50,800
江口セーラ 47,500
薄墨 初美 32,800
肩の力を抜いて、ふうとため息をついてから怜に声をかける。
「強かったわ。挑戦者決定戦も頑張れよ」
「がんばるで」
互いに右手をグーにして、コツンとぶつけて健闘を讃えあう。
負けても悔いはない。全くないと言えば嘘になるが、怜が麻雀に復帰したのだから再戦の機会もある。
その時までに、さらに腕を磨いて怜に勝ちたい。
手をガタガタと振るわせて、喜びを噛み締める福路をあまり見ないようにして卓から立ち上がると、視界の隅にいてはいけない生き物が映り込んだ。
な、なんでアイツがいるんや……せ、せっかく晴れやかな気分で、負けを認められたのにおかしいやろ!?!?
「おー勝ったな。怜、おめでとう」
「ありがとうございます」
怜が勝って上機嫌の金髪の畜生が、卓の横に現れると、怜は慌てて立ち上がって気をつけをした。
このまま、畜生が怜に気を取られているうちに逃げ出そうと思ったが、バレるとシバかれるくらいでは済まなそうなので、直立不動のまま藤白さんの声がかかるのを待つ。
こちらから声をかけると、先輩を呼び止めるのは失礼やろと難癖をつけられるので、自然と千里山内ではこのスタイルが、確立している。
しかし、無視して立ち去っても藤白さんの逆鱗に触れるので、起立をして待っていることしかできない。
「疲れてるやろ? 座ってええで」
「はい、ありがとうございます」
きちんとお礼を言ってから、着席する怜に藤白さんは、リンゴジュースの入った瓶を手渡した。
「頭使ったやろ? それ、飲んどけ」
「はい、ありがとうございます」
ジュースを飲む怜を満足そうに眺める藤白さんの後ろを、ふなQがチョロチョロしているが、なんの用なんやろか……なんでもいいから助けて欲しい。
というより藤白さん、怜に対してだけ甘すぎやろ……
「おい、江口」
「はい!!!」
「てめえ、なに負けてんだよ」
怒号を浴びせられて体が震えあがる。千里山時代の悪夢が昨日のことのように、フラッシュバックする。
謝罪の言葉を言うよりもはやくに、藤白さんのローキックが脛に飛んできたので、直立の姿勢は崩さず謝罪の言葉を述べる。
「申し訳ありませんでした」
「雑魚が負けるのは当たり前だから怒らへんけど、なんで挨拶来いへんの?」
助けを求めるように、ストローを瓶に挿してリンゴジュースを飲む怜に視線を向かわせたが、顔を背けられてしまった。
「申し訳ありませんでした……」
「はあ?」
なんとか謝罪の言葉述べると再度、無言で蹴りが飛んできたので、頑張って起立姿勢を維持する。
「まあええわ、江口に挨拶されても気分悪いしな。ところでメガネ、試合終わったしお腹空かへん?」
「は、はい……空きましたね」
借りてきた猫のように大人しくなっているふなQが藤白さんの言葉を肯定する。全肯定するのは仕方がないのだが、この流れはまずい。
「江口、なんか食べたいものあるか? 奢ったるわ」
「そ、そうですね……」
一見すると後輩に奢ってくれる優しい先輩に見えないこともない。
しかし、その実態は藤白さんが食べたいものを当てるまで、延々と蹴られ続けるという最悪のクイズゲームなのである。
焼き肉、天ぷら、ステーキ、中華。
試合後の疲れた頭脳をフル動員して、藤白さんが食べたいものを予想する。
「焼き肉食べたいです」
「おー焼き肉かあ。ええやんええやん、江口もたまにはええこと言うやんな」
見事、一発ツモを引き当てたので蹴られずに済んだが、ふなQの顔が絶望に染まっている。
な、なにがそんなあかんのやろか……
上機嫌の藤白さんと、煮干しのようなふなQの表情を眺めていると、あることに気がついた。
あっ……これ、藤白さんにお肉焼いてあげなあかんやん。