『振り込め! 放銃しろ! ああっなんでそっち切るんや!』
横浜ロードスターズ、横須賀選手寮。
練習後、缶ビールを直飲みしながら、あたりめを食べ、1人寂しくプロ麻雀中継を眺める一人の乙女がいた。
末原恭子、24歳。
すでに佐久フェレッターズからの戦力外通告を経験、生ゴミ同然にチームからポイ捨てされ、横浜ロードスターズに拾われた不屈の雀士である。
昨年は一軍で主に敗戦処理として登板し、1勝をもぎ取ったものの、今年は一軍登板ゼロ。崖っぷちに立たされ、恭子は焦りを感じていた。
「なんで、二軍で成績いいのに、あげてくれないんや……」
今期の横浜ロードスターズは注目のドラフト1位ルーキー、亦野誠子を獲得し中継ぎの層が僅かに厚くなったことで、恭子は二軍落ちすることになってしまった。
岩館、亦野、小走。この3人のうち誰か1人にコケて貰わなければ、恭子に出番が回ってくることはない。
「亦野! なんで切らへんのや! 切れ! 切っちまえ!」
アルコールの力も借りて、チームメイトの放銃を心の底から願う惨めさに、恭子の瞳から涙が零れ落ちた。
亦野は当たり牌を握り潰したまま、先にリーチをかけられた状況から巻き返し、高速でツモ和了を決めた。
自分の完全上位互換であるその姿を見て、さらに恭子の心が折れる。
——完全に格が違うわ……
「こ、今年は出番ないかもしれへん……」
チームが優勝しても、自分が一軍にいなくてはなんの価値もない。
そもそも、出場機会のないチームにとって必要のない人間は消えるしかない。それは佐久フェレッターズで、嫌というほど味わってきた。
ドラフト下位指名、20代中盤、さしたる一軍実績なし、外様。
戦力外通告を受ける条件が満貫以上で確定している。このまま秋になって、立直をかければ一発もついて、跳満といったところだろうか。
恭子はシングルのショットグラスに安ウイスキーを注いで、一気に飲み干した。食道と胃をつたう灼熱感が心地良い。
缶ビールを灼熱した喉に流し込むと、苦味の後からウイスキーの甘さが追いかけてきた。
「あーやっぱ、ウイスキーのチェイサーにはビールやな……ほんまおいしいわ」
あたりめにも少し飽きてきたので、冷蔵庫からカルパスを取り出そうと座椅子から立ち上がると、一気に酔いが回って、思いっきりすっ転んだ。
視界がぐるぐると回る。
思いっきり床にぶつけた左肘が、ズキズキと痛む。立ち上がろうとしても平衡感覚がなくなって上手く立ち上がれない。
「ううっ……どうしてこんなことになるんや……痛い、痛い」
涙がポロポロと溢れ出してきたので、恭子は右手で目のふちを拭った。
ふと、テレビ画面を見ると宮永が登板している。どうやらまた今日も勝ったらしい。
フラフラする頭で恭子は考えた。よくよく思えば、敗戦処理をするために私が登板する理由がない。そんなことをするくらいなら、下位指名の高卒ルーキーでも、一軍に上げてやれば良い。
敗戦処理でも登板すれば、それが将来への布石になる。
20代中盤の敗戦処理など、本来いらないのである。
「だから勝つしかないんや! 勝つしか! 勝って! 勝って勝って勝って勝ちまくるんやこの横須賀で!!!」
二軍ですら少なくなった登板機会の中で2勝した。逆境にメゲている時間はない。一軍の試合に出たければ、可能性は低くとも勝つしかないのだ。
出番があるかはわからないが、明日も試合がある。ヤケ酒に酔い潰れている時間があるなら、早く寝なくてはいけない。
でも、それよりも早くしなくていけないことがあった。
叫んだことで急速に回ったアルコールに本能的に危機感を覚えた恭子は、這うようにトイレに向かい胃の中身を全部逆流させた。
ポヤポヤした酩酊感と動悸は治らないが、何度か嘔吐を繰り返すと、だいぶ楽になった。
水をたっぷり飲んでから、涅槃仏のような体制でリビングに横たわる。
「あかん……気持ち悪くて寝れへん。もう一回吐いてこよかな」
フローリングの床のひんやりとした感触を楽しんでいた恭子だったが、その時間は長くは続かず、唐突に部屋の扉が開け放された。
「うるせえええぞ末原ァ!!!!! 夜中に大声出すんじゃねええええええ!!!! って……!? おまえ、大丈夫か!!! おい!!!!」
寮内で大声を出した恭子のことを、大声で怒鳴りつけながら、寮母の久保さんが部屋のドアを蹴飛ばして侵入してきた。
大声が頭に響いて、滅茶苦茶痛い。
返事をする元気もないので、床にへばりついたまま久保さんの様子を伺う。
「馬鹿が馬鹿な酒の飲み方しやがって! とりあえず救急車呼ぶからな、末原聞こえてるか! 末原ァ!!!」
救急車は流石にまずい。
頭はかなり痛いがしばらくおとなしくしてれば、大丈夫そうである。
「あーはい。大丈夫です、救急車呼ばなくても」
「いや、呼んだ方がいいだろ」
「ほんまに大丈夫なんで……とりあえずお水ください」
恭子が床に胡座をかいて健在ぶりをアピールすると、久保さんも少し安心したようで洗面所から、水道水を汲んできて持ってきてくれた。
「吐かなくて大丈夫か?」
「いえ、一応さっきトイレで吐いたんで……大丈夫です、はい」
「そうか……」
頭を抱える久保さんの顔をみていたら、さらに悲しい気持ちになってきた。
吐き戻したのが良かったのか、水分をとったのが良かったのか、酔いもすっかり醒めて、頭痛だけが残る。
ガラスのコップを両手で持って水を飲んでいると、涙がボロボロとこぼれ落ちてきた。
本当に辛い。
「まあ、末原の立場は私もわかってるし……荒れる気持ちもわからなくはないが」
「すみません……」
「本当にプロ麻雀は残酷だよなあ、どれだけ練習しても報われないことが多い。才能や運のあるやつは簡単に上にあがる」
体育座りをする恭子の横に、たて膝をついて座り込んだ久保さんがそう呟いた。
「魔境だよプロは。高校時代の化け物が、何人も波に飲まれては消えていく」
「そこに挑戦できるというだけでも、すごいことなんだ。だから、私は恭子には諦めて欲しくない」
久保さんからかけられる優しい言葉が、胸にしみる。
自分は頑張らなくちゃいけない。そう強く思えば思うほど、現状の不甲斐なさが見えない刃となって恭子を苦しめる。
先が見えない。練習した先にレベルアップがある保証などなく、かえって麻雀が下手になることもある。
しかし、久保さんの期待には応えられるように頑張らないといけない。
「ありがとうございます……頑張ります」
「いや、頑張らなくていい」
「は?」
自分が頑張って絞り出した言葉を、久保さんにあっさりと否定されてしまい恭子は困惑した。
「努力が目的化した選手は、本当に活躍しなくなるから」
寂しそうな表情で久保さんはそう言った。
誰のことを思いながら、その言葉を紡いだのだろうか? 昔の教え子なのか、先輩なのか……それとも久保さん本人?
恭子が痛む頭でぐるぐると思考を巡らせていると、久保さんが口を開いた。
「トッププロと普通の選手との差は、技術だけじゃない。私はそう思う」
恭子は、その言葉を聞いてなぜだかプロでもない園城寺の顔を思い浮かべた。
7年のブランクがあるにもかかわらず、数々のプロ雀士を打ち倒して、雀聖戦の挑戦者決定戦まで駒を進めた天才の中の天才。
努力など無価値なように思えてくる。
園城寺や宮永にあって、私に無いものはなんなのだろうか?
才能?
そこまで考えた時に、恭子はかぶりを振った。
自分には才能がないから仕方がない。
だから、そのぶん精一杯努力しよう。
努力は裏切らない。
そうやって自分を甘やかして、逃げ続けてきた結果が、この体たらくである。
勘違いをしていたのだ。今までずっと。
「ありがとうございます、目が覚めました」
恭子は久保さんにお礼を言ってから、ゆっくりと立ち上がった。
まだ頭痛はあるが、ふらつくことはなかった。
大好きな麻雀では、誰にも負けたくない。
子供の頃の将来の夢はプロ麻雀選手。
そう何度も書いてきたんや。