「ふぅ、今回は上手くいったようですね。エレイシア艦長、艦の損害はどの程度です?」
「この状態なら中破ぐらいでしょうか。運航に問題はありませんよ」
戦闘を終え、被害確認を進めながら艦隊はコルサントへ退却中。旗艦〈ユリシーズ〉は絶えず先頭に立ったにも関わらず、損害は予想より軽微だった。流石は新鋭戦艦だ。クルー達の働きも、熟練艦に勝るとも劣らない見事なもので、練度の高さを窺える。
艦隊は現在ハイパースペース航行に移っているので、外への警戒の必要が薄い分、艦橋内にはどこかゆったりとした雰囲気が漂っていた。
この分なら、ハイパースペースにいる間に戦闘詳報を纏めてしまうのも手だろう。どうせ仕事は病院療養中にたんまりと溜まっているのだ、出来るタイミングで減らしていきたい。
「艦長、私はちょっと報告書を纏めてくる。何かあったら内線で連絡してくれ」
「了解です。お疲れ様でした、ブリュッヒャー将軍」
「ええ。艦長も、いいタイミングで休んで下さいよ。それでは失礼」
エレイシア艦長に一礼して、艦橋を後にする。
旗艦〈ユリシーズ〉は新型艦のヴァリアント級だが、基本的な構造は前級のヴェネター級と変わらないようだ。艦橋を出た私は迷うことなく、司令官の個室に辿り着くことができた。
―――どくり。
脈が、乱れる。
個室に着くのとほぼ同じタイミングで、ぐらん、と胸のナカが揺れる。持病の喘息であればアンバー先生の薬で問題なく抑えられている筈なので、この胸の痛みはそれとはまた別の病理によるものらしい。
ともかく、この程度の悪寒なら大丈夫だ。報告書なんてさっさと終わらせて、早く休むとしよう。
―――ずきん。
ちくりと、再び胸に痛みが走る。
太い針を立てたような、鋭い痛み。
思わず胸の服を鷲掴みにしたが、痛みが収まる気配はない。どうも、今日の発作はいつもとは勝手が違うようだ。
「よっ、と…………」
机に身体を預けながら、慎重にデスクの席に腰を下ろす。
今は少し調子が悪いようだ。どうやらこの身体、以前ほどの自由は利かないらしい。確かに先生から退院許可は貰っているが、戦闘の衝撃で悪化してしまったのかもしれない。場合によっては、予定を変えて休まないとまた先生に怒られるな―――
そう、考えていたときだった。
―――どくん、どくん、ずきん。
「ごふ、っ――!?」
喉元が、熱く爛れる。
私のナカから咽び上がってきたそれは、容赦なく気道を焼き付くした。
堪らず右の掌で抑えるも、吹き上がるそれは私の手を真っ赤に染める。
―――吐血、ですが。いよいよ不味くなって……!? っう――!
手を染めた赤が視界を覆ったその時、全身に鈍器で打たれたような鈍い痛み。
「あっ、が……!?」
バタン。
無様に椅子から転げ落ちて、床に赤い花が咲く。
/…………血が、足りない。
「コハク、っ…………」
堪らず、先生の名前を口にする。
今日の発作は、いつも通りにはいかないらしい。先生に診て貰わないと、本格的に命に関わる。
―――あ、れ…………?
なんで、今間違えたんだ?
彼女は琥珀ではなく、アンバー先生。始めからそう呼んでいた筈なのに。
「シャルさん!?」
勢いよく、扉が開かれる音。
見ると、血相を変えてアンバー先生が駆け寄ってくる。
「あ、…………せん、せ―――」
彼女の名前を呼ぼうにも、血で焼けた喉に上手く言葉が通らない。それどころか、一字一句を発する度にどんどん身体が焼けていく。
熱はお構いなしに私の身体を駆け巡り、至るところで私を焼き付くしていく。今にも、身体がバラバラに引き裂かれそうだ。
/砕けた霊核を癒すには、あの程度の血じゃ足りない。
「どうしたんですかシャルさん!? うわっ、すごい熱―――今治療の準備をしますから、もう少し頑張って下さい!」
彼女は私の額を触ると病状を悟ったのか、慌ただしく駆けていく。なんだか、彼女にしてはらしくない姿だ。
―――どくん、どくん。
/その、白い首筋に、目を奪われる。
「はわわわ、えっと…………これじゃ駄目ですね。シャルさん、申し訳ありませんがもうしばらく―――」
ゆらゆらと、陽炎のように立ち上がる。
気付くと私は、アンバー先生の背後に立ち尽くしていた。
「―――シャルさん?」
間の抜けた、先生の声。
彼女が絡繰のように振り替えるのとほぼ同時に、私は彼女を抱き寄せていた。
―――意識が/反転/する。
突き上がる赤い欲情。
白い柔肌の奥に秘めた赤い生命の塊を待ちわびて、身体は恍惚に落ちていく。
獲物を逃がさないように、彼女の後頭部に回した腕に力を込める。
目を丸く見開いた彼女をよそに、牙をその肌に突き立てて、私は―――
…………駄目だ。
がちり。
錆び付いた歯車が、ぎちぎちと再稼働する。/
一度吸ったことがあるとはいえ、形の上では上司と部下。同意すら得ないようでは、それは単なる傷害だ。
「―――すいません、先生。…………少し、熱に浮かれていたようです」
彼女の背後に回した両腕を開放し、頭を下げる。
身体はぎちぎちと音を立てて崩れているが、それは言い訳にはならない。先ずは、この非礼を詫びるべきだ。
欲情に任せて牙を突き立ててしまえば、それは
それだけは、どうしても避けたかった。
「シャルさん……いえ、私はなにも気にしてませんよ。それよりも、まずはどうぞお掛けになって下さい。立っているのも辛いでしょう?」
「え? 、ああ…………すみません、失礼します」
促されるままに、再び転げ落ちた椅子に身体を預ける。
「……アンバー先生、でも、私は」
「いいんですよ。シャルさんは何も気にする必要なんて無いんですから」
先生はいつもの調子で、諭すように告げた。
「―――血が切れたんですね。であれば、どうぞ私の血を啜って下さいませ」
でなければ、シャルさんは死ぬことになりますよ。
何でもないことを告げるように、彼女はとんでもないことを口にした。
呆気にとられる私を他所に、容赦なく私の身体に跨がる先生。
するり、と白衣が滑り落ち、軍服の上着を脱ぎ捨てて下着姿になった彼女は、その白い肌を眼前に晒した。
「―――さぁ、どうぞ召し上がって下さいませ」
今はなぁんにも、我慢する必要なんて無いんですよ。
耳元で囁かれる、悪魔の誘惑。
「あ、う…………」
全身の血液が沸騰し、頭が割れるように軋んで瞬く間に塗り替えられる。
肉体は生命の具現を求めて躍動し、歯車は砂塵のように蒸発する。
そして、誘われるがままに、彼女の首筋を喰い破った。
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「簡単に説明しますと、シャルさんはあのとき本来は死んでいたのです。それを無理矢理わたしの感応能力で延命している状態なんですよ」
淡々と、私を悩ませていた病理について説明するアンバー先生。彼女が言うには、私は本来ハイポリの戦いで死んでいる筈だったとか。それを先生の感応能力で無理矢理延命しているがために、先生の血が切れると身体が死へ向かうのと同時に猛烈な吸血衝動に襲われるらしい。
吸血衝動は以前投与された死徒化薬の副作用らしいのだが、本物の死徒のように誰の血でも構わない、という訳ではない。そもそも必要なのが先生の感応能力な訳だから、先生の血以外でこの衝動が癒える事は無いのだと。
道理で、バクタに突っ込まれても治らない訳だ。
「なんですか。つまり、私はアンバー先生と一蓮托生というわけですか」
要約すれば、今の私は生きるために定期的にアンバー先生の血を摂取しなければならない身体になってしまったという訳だ。
それはつまり、先生から離れられないということに他ならない。
「はい。わたしとシャルさんは一心同体、これはもう夫婦と言っても過言ではないのでしょうか!」
全くその気が無い癖に、わーとかきゃーとか、先生は妙に思わせ振りな口調で大袈裟にリアクションする。
それはいいんですけど、なんでまだ半裸で跨がったままなんですか、アンバー先生。
下着こそ着けているが、端から見れば完全に色事だ。
互いの肌に飛び散った赤い生命の具現が無ければ、間違われても仕方ないだろう。いや、あったらあったで猟奇性癖と見られるから余計に質が悪い。
実態として色気はこれっぽっちも無いものの、他人に見られたら絶対に勘違いされる。それこそ、評議会の堅物達に見られたら破門一直線コースではなかろうか。
それはそれで、気が楽になるから魅力的だが。
「うふふ、背徳的でしょうシャルさん? 真昼のイケナイ秘め事ごっこです!」
きゃー、なんてわざとらしく喚声を上げてはしゃぐ先生。血を吸われて萎れるどころか、水を獲た魚のように生き生きとしている。
「―――流石に悪趣味が過ぎます。アルトに見られたらどうするんですか」
「そのときは全部説明してあげたらいいじゃないですか。桃色なことはなーんも無い筈なんでしょう?」
うっ、確かにその通りだけどさ…………
先生の言葉は一見正論にも思えるが、そもそも下着姿で跨る時点で誤解を招く気満々だろう。だがそれを指摘したとしても、先生ならひらりと躱して瞬く間に手玉に取るのが目に見える。基本的に、先生と話せばペースを握ることはできないのだ。
「そ れ に、――鍵はちゃんと閉めてますよ」
耳元で、そっと囁く割烹着の悪魔。
どくり、と心臓が一際激しく鼓動する。
「―――今のはずるいですよ、先生」
その気が無いのに、此方が勘違いしてしまいそうだ。
彼女と一蓮托生ということは、生涯この魔性と付き合わなければならないという事。それを考えると、心労でまた倒れてしまいそうだ。
まあ、でも、それも案外悪くないかな。
〈ユリシーズ〉がハイパースペースを出たのは、ちょうど先生の"治療"が終わった頃。結局、仕事はこれっぽっちも進めることができなかった。