DAY ■■■/殺人考察
どく───どく───どく───
石のように冷たい心臓から放たれる、耳障りなぐらいに一定なリズム。
冷えきった身体に流れる煩わしい音に苛まされて、朦朧としていた意識が次第に明瞭になっていく。
「ん…………ここ、は…………」
何度目になるか分からない、真っ白で無機質な天井。
滑らかなパネルで繋がれたそれは、私の眼にはひどく冷たく映って見えた。
まるで霊安室のようですね、と。にべもない感想を抱く。
「ようやくお目覚めですか? シャルさん」
俄に響く、懐かしい声。
最後に聞いたのはそう遠くない日だった筈なのに、随分と昔のことのように思える。
見上げるとそこには、陽射しのように柔らかい微笑みを湛えた赤髪の少女の姿。
「こは────アンバー先生でしたか。良かった。無事だったのですね」
「はい、それは勿論。──いやいや、わたしのことは後回しです! シャルさん、もう駄目ですよ? あんなことをしては……!」
───はい?
めっ、と人差し指を立てて、幼子を諭すように叱る彼女。
その穏やかで慈愛の籠った光景とは裏腹に、思い出されるのは赤くぬちゃぬちゃと曇った惨劇───
「…………っ!? 、うっ、っ───」
「ちょ──シャルさん! いきなり動いてはお身体に障りますよ! まだ容態は安定していないんですから、大人しく寝ていてください」
「───申し訳ありません。ですが先生。私は…………」
霞のように頭にかかった靄が晴れて、鮮明に甦る快楽と渇望に満ちた記憶。
私は…………わたし、は…………
───誰かをこの牙で、吸い殺したのだ。
「あ、あ───」
越えてはいけない一線を、遂に私は踏み越えた。
それも、知らず知らずに、易々と。
───なんて、無様。
結局、共和国軍人としての枷なんてその程度のものでしかなかった訳か。この三年、自らを軍人と定義付けて積み重ねた私が一時の衝動にすら敗けるなんて。まるで、私は無意味だと言われているようじゃないか。
「シャルさん? まだお身体が優れないようでしたら横になられていた方がよろしいのでは?」
「いえ…………大丈夫です、先せ──こふ、っ」
不安と心配の入り交じった表情が、蒼白な私の顔面を覗き込む。
少しでも彼女の憂慮を取り除かんと紡いだ言葉は傍目にも分かるぐらいに無理筋で、それが虚勢なんてことはあからさまにバレバレだ。
「ほら、やっぱり駄目じゃないですか! 今は大人しくお休みになられて下さいまし。どうかご自分のお身体を労って下さい」
「はは───いやいや、この私もいよいよ焼きが回ってきましたかね。正直なところ、まだ本調子ではないようです。ええ。わかりました。今は貴女の言葉に甘えさせていただくとしましょう」
彼女の言葉に導かれるように、ゆっくりと枕に頭を落とす。
この場で幾ら自らを恥じたところで、それで身体が治る訳でもあるまい。ましてや、万全でなければあの衝動に抗うことも叶わない。その意味でも今は、回復に努めるのが先決だ。
自分をどうするかなんてのは、それから考えるべきことだろう。
「…………ところで、つかぬことをお伺いしますがアンバー先生。私は───」
しかし、私が欲望のままに誰かをこの牙で殺めたことは確かなのだ。せめて、それが誰であったのか知る義務が私にはある。
そう言い掛けて口を開いた矢先、唐突に医務室のドアロックが開いた。
「やぁ、お目覚めかな、シャルロット上級大将殿。あれだけ僕を手籠めに好き勝手してくれたんだから、元気になってもらわないと困るよ」
「ネモ艦……長…………?」
───え?
───手籠め?
───いや。まさか?
「あ、あの…………もしかしなくても」
彼の言葉が、まるでパズルのピースのようにカチリと嵌まる。
もしかしなくても、私が吸血した相手って…………
「コホン! …………うん、銀河は広いからね。人のように見えて、人とは違う種族がいるのは理解できるし、貴女がその類だってことはなんとなく想像がつく。けど───」
ツカツカと早足気味に歩み寄りながら語気に勢いを滲ませた彼は、私の眼前にまで辿り着くと俄に姿勢を屈めて顔を覗き込む仕草を見せた。
「僕が男だってこと、忘れてない?」
~~~~~~っ!?!?!?
───いやいやいや、そ…………それは反則ってやつでしょ……!?
うん、不味い。やばい。具体的には、気が移ろいそうになるぐらい。
「君は自分の容姿というものを自覚するべきだ。その……君みたいに可憐な女性にあんなことされたんだ。気がないのが分かっていても勘違いするだろう」
可憐──? うん、見た目だけは沖田さん似だから、そうなるのかな──?
いや、ちょっと待って。いろいろ空気が変な方向に行きかけている気がするんですけど!?
「きゃー☆ シャルさんったら大胆ですね~~~それでそれで! ネモさん! 具体的には、どんな風に襲われたのか是非とも詳細をー!!」
「いや、その…………詳しくは、伏せる。この場で語れるような内容じゃないし」
そして当然のように食いつくアーパーもといアンバー先生。ゴシップは飯の種と言わんばかりに黄色い声で騒ぐ彼女に思うところがない訳ではないが、ばれてしまったのが運の尽き。暫くはこの話題でいじられること間違いなしだ。
にしてもしかし、話が逸れに逸れてしまった。
「───あの、少し話を変えても?」
「なんだい?」
さも、何でもないことのように振り向くネモ艦長。
彼の様子を見ていると自分のしでかしたことが大したことではないような思えてしまうが、そうじゃないんだからな。
「私が貴方の意に反して傷付けたことは事実だ。貴方が処分を望むと言うのなら──」
私は加害者で、彼は被害者。
この原則を崩すな。
私は共和国の軍人で、軍令を統括する立場なのだ。
その使命の前では女のつまらん感想など不要。そんなものに耽るのは後回しにしろ。今は為すべきを為せ。
容貌だとか、今の相手の意思だとかは関係ない。起こした事実から目を背けるな。
「いやいや待ってくれシャルロット!? ───その、僕は気にしないよ。うん、ちょっと痛かったけど…………代わりにいい思いもできたんだし、代償としては安いもいいとこだ」
「…………本当にすまない。私が言うべき言葉じゃない気もするが───貴方が無事でよかった」
「いや、だから僕は気にしないって。むしろちょっと嬉しいぐらい…………」
「? なにか言いましたネモさん?」
「ゴホン……ッ! いや、なんでもないよ。───まぁ、今回は大事に至らなかったから良いものの、暫くは安静に努めるべきだろう。話に聞く限りでは、調子が狂うほどああなりやすいんだろう? なら、今は彼女の言葉に従うべきだ」
「───ありがとうございます、ネモ艦長」
───ふぅ。
…………本当に、大事に至らなくてよかった。
これで仮に誰かを吸い殺していたというのなら、本気で自刃も検討に入れなきゃいかんぐらいの重大事だ。
彼と先生のお陰で何でもないことのように見えるかもしれないが、本来なら処分もいいところだぞシャルロット。それをまず自覚するべきだ。
彼は赦すと言っているが、上司が質の悪い吸血鬼だなんて何かの悪い冗談もいいとこだ。とにかく、この吸血衝動を自制するためにできることは可能な限り手を打たなくては。
そこでまた、プシュー、と間の抜けた開錠音が部屋全体に響き渡る。
「あら、目が覚めたというのは本当だったのですか」
貴女のことです、また病弱が悪化したのでしょう? とやや失礼な気がしなくもない言葉を発しながら医務室に現れたのは、分艦隊司令のエレイシア代将。
何故か細長いパンの入った袋を片手にしながら入室した彼女は、徐にそれを千切って私の前に差し出した。
「あの…………エレイシア代将?」
「こういうときは、とにかく栄養補給あるのみです。生憎肝煎りのカレーパンは切らしていますが、単品でも結構いけるものですよ」
「はぁ…………ありがとうございます?」
どこか遠い記憶の既視感を刺激される物言いで呈されたそれを手に取ると、微かに残った熱が冷えきった私の掌に染み渡る。
病人に普通のパンという組み合わせに若干の疑問を抱かない訳でもないが、厚意? なんだしとりあえずありがたく受け取っておこう。
───あ、おいしい。
手渡された一切れを試しに放り込んで咀嚼すると、仄かな甘みが口に滲み出て心地好い。
表面の丁度良いサクサク具合なんて、まるで出来立てみたいに感じられる。
あれ? でも、パンを焼けるぐらいの調理設備なんて、この艦にあったっけ?
「むむっ。カレーとはいけませんねエレイシア代将さん。仮にもシャルさんは病み上がりなんです。そんな胃に重たいものは食べさせるべきではありません」
「おやおや、貴女ともあろう人がよく言いますね。カレーは人生の万能薬です。これさえあれば万事上手くいくというのに」
「それは貴女だけのお話でしょう!?」
そして何故か、唐突に火花を散らし始めるアンバー先生とエレイシア代将。いやほら、間に挟まれてるネモきゅ…………ネモ艦長も困ってるでしょ。できれば止めてほしいなぁ。こんな話題で修羅場じみた雰囲気作られても、ね…………
にしても、カレー。この世界にもあったんだ。
一度でいいから、食べてみたいなぁ…………
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そもそもの話、私の吸血衝動とは何処から染み出ているものなのか。
誰もいなくなった病室で、一人物思いに耽る。
部屋は当然のように薄暗く、消灯された生気のない空気が否応なしに私の思考を鋭利な刃のように刺激する。
元を正せば、この衝動は本来一過性のものだった筈だ。
私に血を吸わせるために、一時の間身体を少し作り替えるためアンバー先生が打った薬が原因なのだとしても、彼女の言を信じるなら幾らなんでも効果が持続し過ぎている。
むしろ、悪化する一方じゃないか!
…………いや、待て。
誰かが、私の身体に細工した?
アンバー先生は───やりそうだけど、あの人なら意味のないことはしない筈だ。私を
なら、誰が…………
こういうときは、
ただでさえフォースなんて超常の力がある世界なんだ。”
まぁ、フォース自体あれはあれでそこまで万能じゃないけど。それでも私の知らない使い途なんてごまんとある筈。何せ、そっち方面の探求に関してはからっきしもいいとこなんだし。
私が死徒化したとして、混沌を引き起こして利益を得るのは一体誰か。
分離主義者? は確かに動機ならあるが、いまいちしっくりこない。彼等の思考回路なら、もっと真っ当な手段で私を排除しようとする筈。
なら、他に動機がある者は誰か。
いや、まさか。
───よく考えろ、シャルロット。
彼女にあの薬を打たれた後の、私の行動を振り返る。
───してやられた…………ッ!?
脳裏に浮かぶ、最悪の可能性。
状況証拠はそれを肯定するには充分で、動機も説得力があるときた。
───もし、パルパティーンがこの身体に気付いていたら?
あの後私があった人物で、私が死徒化したとして利益のある者。
そう考えると真っ先に思い浮かぶのが、あの暗黒狸爺の顔。
私の暗黒面を刺激して、吸血衝動を固定化あるいは加速させた?
暗黒面は、己の負の感情や欲望から生じるという。
ならば、私を吸血鬼に墜としてあわよくば引き入れようとしたとでもいうのか?
仮に軍門に下らなかったとしても、放っておけば勝手に吸血衝動に苛まされて自滅だ。こんな旨い話があるとしたら、実行しない手なんてない。
───くそ。だったら、どう対処しろっていうの…………
確かに、暗黒面がこの衝動を後押ししているのは事実だろう。あれの性質を考えれば、それが一番説得力がある。だが、あの衝動は今更光明面に立ち返っただけで抑えられるような代物じゃない。
朧気ながら、朦朧とした意識のなかでも唯一はっきりと知覚できた猛烈な喉の渇き。
あれを血で潤してしまった以上、もう一度同じ状況下に置かれたら我慢できる自身がない。
そうして欲望のままに血を喰らい続けていれば、行き着く先なんて分かりきった結末だ。
私は化物と蔑まれ、私の軍は内側から晴れてめでたく空中分解。頭も身体も、見事にバラバラのグチャグチャだ。
「あっ、アハハは、っ…………」
愉快すぎて、思わず乾いた笑いが溢れ出す。
全く、私自身が
ああ、全く、質の悪い作り話だ。
「───冗談じゃないぞ。