和姫は、こそこそと柱の影から天元が現れるのをみる。天元は、頭に手を置き、溜め息をついている。和姫は、今日、天元が辛い任務であったことを予め知っていた。だから、和姫は、天元をなんとか元気づけようと画策していた。
「天元様。」
「ん?」
天元は、和姫に気がつかなかったようで、和姫の登場に少し驚く。和姫の存在に気がつかなかったのは、天元が相当疲れて、気を抜いている証拠だが、和姫の特技に関するせいでもあった。和姫は、何をしてもくのいちとしてだめだめだったが、気配を断つということにおいては、ダントツで上手だった。
「おお、和姫か。どうした?」
天元は、和姫のほうへ向きそう問う。和姫は、どうにかこうにか天元の本音を少しでも聞き出せたらと思っていた。
「修行、辛かったんじゃないです?」
和姫が心配げにそうきくと、天元は和姫の頭をくしゃくしゃとなでる。
「平気だ。変な心配するな。」
天元はそう和姫に笑顔を向ける。
しかし、和姫が聞きたいのはそういう答えではなかった。和姫は天元が辛いなら辛いと正直に言ってほしいのである。つまり、和姫に弱みを見せてほしかったのだ。
「そういうこといってほしいんじゃないです。」
和姫は、天元の答えに不満げにそう答える。和姫が、さらに天元に問いただそうとすると、和姫の後ろからバタバタという音が聞こえてきた。須磨である。
「天元様!」
須磨は、天元に飛びつく。須磨も天元がきつい修行を受けてきたことを知っているため心配していたようだ。ただでさえ、天元の弟が命を落としたばかりである。須磨は、天元の身にも何かあったのではと始終心配していた。
須磨は少し涙目である。
「おい、なに泣いてんだ。」
天元は、須磨をなだめる。飛びかかってきた須磨の背中を撫でる。
そうこうしていると、雛鶴、まきをもやってきた。
場は一気に明るくなり、天元も笑顔になる。
和姫は、少し元気になったような天元に安心して、そっと側から離れた。
和姫は、長い髪を後ろへ束ね、途中だった夕食の準備に取りかかる。いつもなら、天元が帰ってくる頃には作っているのだが、今日は変則的である。厳しい訓練だった分、早く終わったようだった。
今日は、さんまの鯖焼きである。しかし、和姫は、すりおろすための大根がきれていることに気がついた。
和姫は、急いで支度をし、走って町へ出かけた。
まだ外は明るく人もにぎわっている。和姫は、人を縫うように通り抜け、目的の八百屋へ急ぐ。
すると、その途中で和姫はある老人が目に入った。いたってふつうの老人である。杖をついてのんびりとした速度で歩いていく。
和姫は、何故だかその老人から目が離せなくなり、老人の数メートル前で止まる。老人も和姫の視線に気がついたのかふと顔を上げる。
二人の目線は数秒交差した。しかし、和姫にとっては何倍も長く引き延ばされて感じた。そして、何故か胸が昂揚する。自分と老人以外の第三者の目線は消え失せ、二人だけの空間のような気に陥る。
時間が止まり、そこはまるで無機質な空間のように感じられた。
和姫は、呆気にとられ、老人を見つめる。するとどこからと無く体中を駆けめぐるような声がした。老人が発した声のようだ。
「ほう。君は少し異質な存在だね。」
和姫がいたはずの町中ではなく、もはや老人と和姫の二人、何もない真っ白な世界に、気づくと移動していた。
和姫は、老人のいっていることが理解できず、思考を停止する。
老人は和姫にどんどん近付いてくる。しかし、和姫にとって、どうしても老人が害のある存在に見えなかった。
「この世界とは少し違う、別の体質をしている。」
和姫は思わず聞き返す。
「別の体質?」
老人は和姫の体に触れる。和姫は、何かが和姫の体を移動しているような変な感覚を味わった。
和姫は思わず、老人のほうをみる。
「こっちの才能は天性なものだね。普通は、感じることは出来ないのに。」
和姫は、老人のいっていることがさっぱりわからなかった。
「どういうことです?」
そうきくと、老人は和姫の体から手を離す。もう先ほどの変な感覚はなくなっていた。
「私は、世界を渡り歩く者だ。世界といっても、国じゃない。こことはまた違う世界だ。」
老人は、黒い帽子のつばを掴む。そして少し上を見上げる。
「違う世界?」
和姫は、老人をみる。よく見ると黒い手袋のしたからちらちらひどいやけどの跡が見えた。
「私は、途方もないほどの世界を見てきた。」
そして、老人は両手を交差させる。
「これもその途中でやられたものだ。世界には、この世界とは考えられないほど危ない世界があるからね。」
しかし、老人は思い出したように、先ほどの言葉を否定する。
「ああ、でもこの世界も大概か。強くなければ生き延びられない。」
老人は、目を細め遠くのほうを見るように和姫の背後を見つめる。その目は、この世界のなにもかもを理解しているような目で、未来が見えているかのようだった。
「あなたは、なにを知っているんです?」
和姫は老人にそう問う。しかし、老人は、静かに首を振った。
「何も。ただ私は、他の者より、沢山の世界のあり方を見てきたと言うだけだ。」
老人は、すると面白そうに和姫を見る。
「例えば私は、君と同じような体質を持つ世界を知っているよ。」
老人は、あれはいつ頃だったかな。と思い出している。
和姫は、訳が分からなくなった。老人が言う、別の体質とは何なのだろう。和姫は、この世界の人と、何か違うのだろうか。
「私は、この世界に生まれるべき存在では無かったのです?」
和姫は、そうぼそぼそとした声で聞く。
すると老人は、すぐにそれを否定した。
「いや、生まれるべき存在なんて、関係ないんだ。・・・ああ、そうだ。」
老人は、名案を思いついたかのように、顔を上げる。
「君、その世界に行ってみるかい?」
老人は、面白そうな顔をしている。「これは初の試みだ。どうして気づかなかったのだろう。」と小さな声でいっている。
和姫は急にこの老人が怖くなった。和姫は、返事が出来ず固まっている。
「いや、君がこの世界に『生まれるべきではなかった。』と考えているようだったから。違う世界を見て、いろいろ考えてみればいいと思ってね。」
老人は、自分の提案が妙に気に入っているようだった。また、和姫の体質が別の世界のものとよく似ていたものだから、尚更、興味深く思っているようだった。
和姫は、一人考える。確かに和姫は、妙にこの世界にいて異物感を味わうことが多かった。他のくのいちが簡単に出来ることが、和姫にとって何倍も難しく、逆に、気配を断つなど、変な所で、人より何倍も抜きんでていた。これは、和姫自身が、この世界の者とは違うと言うことを表しているのかもしれない。
しかし、和姫はそう思うと急に寂しさでいっぱいになった。いつもにもまして、自分はこの世界に必要では無かったのかと、思ってしまうからだ。
「私が、その世界に行くと、どうなるのです?」
そう聞くと老人は、「ふむ。」と顎に手を当てる。老人も初の試みだと言っていたように、想像がつかないようだ。
「君は、今の何十倍、何百倍も強くなれるかもしれないね。」
和姫は、その言葉を聞き、胸が高鳴った。
「強く?」
老人は、和姫に向かって答える。
「長所は伸ばせば伸ばすほどいいんだ。例えば、君がこの世界でしていることは、いわゆる、短所を頑張って普通にしようとしているようなものだ。」
老人は、面白い玩具を見つけたかのように和姫を見つめた。
「君の長所はこの世界にいては見つからない。君は、あちらの世界で鍛えることによって無限の可能性を占めているからね。」
老人は、続けて妙に気になることを言う。
「それに、この世界にこれから訪れる脅威に、君は必要になってくるかもしれない。」
和姫は、老人の言っていることがさっぱりわからなかったが、最初より、自分があちらの世界に惹かれていることに気がついていた。行ってみてもいいかもしれない。和姫は、少しそう思う。
「帰ってこれるんですよね?」
そうきくと、老人は、「勿論だ。」という。
和姫は、自分の胸を押さえる。この世界に不満があるわけではない。しかし、自分がこの世界にいては手に入れることが出来ないものを手に入れて帰ってきたら、きっとそれは天元の役に立つのではないかと、和姫は思ったのだった。