セカンドステージ (役者と監督のその後)   作:坂村因

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第12話 「転機」

真波の演じ方を描き出すこと。

本来なら許されない。他の役者のあからさまな真似は憚られることだ。

皮肉にも母子だからこそ成立した出来事と言える。

真美が子役から脱した段階で、「これまでに描いてきたすべてを捨てろ」と真波が言うべきだったかもしれない。

だが、それを言うことは真波にとって敗北を意味した。

薬師寺真波の演技は、そう簡単に再現できるような安っぽい代物ではない。

そんなことがあってはならない。

結局、真波は死ぬまでそれを口にすることはなかった。

 

そして真波の死後、真波の演技の描き方が流行し始めた。

薬師寺母子の戦いを見てきた関係者なら誰でも思いつくことだった。

 

…真波の演じ方は、それそのものが優れている。

 

子役の頃の真美が実際にやっていたこと。

12歳の真美が形を描いただけの表現が、演技として一流の域に届いていた事実。

 

見る者に伝わりやすいもの、たとえば「目に力を込めた真剣な表情」「顔の向きを変える際には動きはゆっくりと行う」「大声で怒鳴った後は余韻として顔を震わせる」等が流行の主体となった。

 

時間が足りない。

予算が苦しい。

未熟な役者が混じっている。

急遽代役を立てる事態になった。

 

そういった現場の苦境を乗り切るために、「ここはこんなふうに、ここをこうして、こう演技して」という演技指導が駆使された。

役者が未熟だろうと、役の解釈が頭に入ってなかろうと、それで演技が「様」になった。

 

無理なスケジュールでもなんとかなる。

アクシデントがあっても撮影を無事終えられる。

 

流行は勢いを増すばかりだった。

 

真美は動きを見せなかった。

いつまで経っても抜け殻のままだった。

映画関係者たちはまだ若い真美になにかしらの肩書を持たせようと様々な役職等の打診を試みたが、そのすべてを真美は断った。

自分が出演する作品の現場で、真波の演じ方が新人役者に指導される様子を、真美は無気力に眺めた。

 

やがて声を上げる者が現れた。

 

山岡という実力派俳優だった。「役者とは何だ? 映画とは何だ? 業界がこんな有り様で良いはずがない!」と叫び、自身の演技を披露した。

その撮影現場には真美もいた。

事実上、山岡が真美に本気の喧嘩を売った形になった。

披露された演技は気迫に満ちていた。役者としての魂を絞り出すような素晴らしい内容だった。

 

この時、真美は自身の心に開いた大きな穴から、張り付いて剥がれない鬼面姿の自分が顔を覗かせるのを感じた。

 

静かに立ち上がり、山岡の傍まですっすっと歩いた。

 

「山岡さん。顎と腕を同時に上げるのではなく、腕の動き出しをやや早くするとより良い演技になりますよ」

 

そう言って、真美は山岡と同じ台詞、同じ所作を披露してみせた。

山岡より4つ年下の真美による演技指導だった。

現場の空気は一旦凍り付き、山岡が「無礼者!」と声にした途端、騒然となった。

 

山岡が自分で作り上げ披露した演技は、過去の作品において真波がやった演技とほぼ同じだった。

 

……真波の演じ方はいずれも完成形と呼べる水準だ。

 

後続の役者たちが工夫して自分なりの演じ方を編み出しても、大抵は真波に先にやられている。

だからといって新しい物を生み出す努力を放棄していいわけではない。

ただ、この山岡と真美の喧嘩は大きな流れの始まりとなった。

それはけっして良い流れとは呼べないものだった。

 

それまで無言で眺めているだけだった急場凌ぎのための演技指導に、真美は積極的に介入した。

それは指導を受ける俳優にとっても、監督や演出家にとっても有益な介入だった。

動きのコツ、表現の意味、演技の意図と狙い等についてのわかりやすい解説。そして極めつけは、真波の演じ方の手本として、真美による実演を間近で見られること。

 

時間も予算も人員も確保された大作映画の撮影現場においては、出演者の1人にすぎない真美が自ら進んで制作に介入するようなことはなかった。

ただ黙って、たまに意地悪い笑みを浮かべるだけだった。

その笑みが、「今のは真波の演じ方の1つですよ」というサインになっていることに監督や演出家はすぐに気づいた。

監督はその場で撮影を一旦中断し、「こういう場面で薬師寺真波がどう演じていたか」を解説付きで真美に実演させる機会をわざわざ作った。

 

……真波の演じ方。

 

その発想の奇抜さと見事さ、着眼点、表現に込められた解釈、考えを実際の表現に落とし込む際の方法論、役者としての心構え、どれもこれも映画関係者なら学ぶべき貴重な教材であり、業界全体の底上げに繋がるかもしれない頼もしい財産だ。

 

もちろん、監督は真美が実演した真波の演じ方に倣うよう役者に強要することなど一切なかった。実際、役者も自分の演技を変えたりしなかった。

そして、「わざわざ撮影を中断してまで勉強会とはいかがなものか」といった無粋なことを言う役者もいなかった。

また、真美が笑みを浮かべたら必ず中断になるというわけではなかった。さすがに監督たちは常識の範囲内でしか動かなかった。

 

この「勉強会」が如何に有意義な代物かを現場にいる者は皆理解していた。

 

真美の笑みのチェックを担当する専門のアシスタントが都度用意され、彼らは「真美番」と呼ばれた。

頻度は抑えられた。撮影の流れに悪影響が出るようでは駄目だからだ。

 

 

…ベテランや実力派と言われる役者たちはこの勉強会を恐れた。

 

 

演技における大抵の表現法は既に真波にやられてしまっている。いつ監督から中断の声が飛んできても不思議ではない。何より、自身の演技が真美の手本に負けているという現実を突きつけられるのが怖い。

 

真波の演じ方には勝てない。

 

そして、その生き字引とも言える薬師寺真美という女優の存在。

業界の役員といった御偉方が、その手の肩書を何1つ持たない真美(推薦の類を真美がすべて断っているため)のすることに口出し出来ない。

 

急場凌ぎの演技指導の流行は、そのバリエーションを増やしつつ広がり続けた。

大作映画の現場における勉強会も続けられた。

抜け殻から心に鬼面顔を宿す役者に変貌した真美は、その状態のまま女優業をこなした。

 

長い時間が過ぎた。

 

 

 

そして、前を見ることを忘れた真美に、ようやく転機が訪れる。

その転機とは、

 

 

 

…星アリサとの出会い。

 

 

 

この出会いにより、薬師寺真美は女優として前を向く姿勢を取り戻すことになる。

真美は、暗闇の中に停滞していた日々を悔やんだ。

自分が成すべき事と向き合う時間、その時計が動き始めた。

 

                第12話「転機」/おわり




以上が、私なりのアクタージュ「scene135」となります。

星アリサは公式では54歳ということになっています。
薬師寺真美って何歳ですか?

「scene119」において、「十歳近く歳が離れてますが」というスミスの台詞があります。
とりあえず仮に63歳ということにしてみます。
作中、薬師寺真波の逝去から40余年が経っています。
子役時代から含めても母子がともに女優だった期間は十数年、真波逝去時の真美は二十歳そこそこ、ということになります。
これは私の個人的な感覚だと、短い上に真美の年齢的にも具合が悪い、となるのです。
「真波は母というより師でした」
「彼女は私を娘ではなくライバルとして見ていました」
「あの人の恐ろしさも美しさも私が誰より知っています」
上記の関係が成立するには、真波逝去時の真美は少なくとも30歳より上であってほしい。

一応、私はここまで「真波逝去時の真美は二十歳そこそこ」という設定を崩していません。
出来ることなら崩したいのが本音ですが、母子の壮絶な戦いが「真美が十代の頃の出来事」というのも天才ぽくて捨てがたいなあ、と思ったりしています。

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