セカンドステージ (役者と監督のその後)   作:坂村因

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第20話 「構築」

既に修学旅行の夜といった雰囲気の中、夜凪は大きめの声を出した。

 

「環さん! 環さんが変だった!」

 

しかし大人たちが作る流れのペースは乱れない。変わらずへらへらとおしゃべりしている。

 

「何か悩んでいるんだと思うっ!」

 

ようやくおしゃべりが停止した。

 

黒山が、

「おまえ、悩んでるのか? 別に何もないと言ってたじゃないか」

と環に問う。

 

「別に何もないが、悩んではいる…。嘘は言ってない。言い掛かりはやめてほしいなあ」

と応じる環。

 

(ああ、ノリが修学旅行のままだわ。このノリは駄目)

 

「悩みは解決したほうがいい!(と思います)」

 

見逃してくれない夜凪に対して、根負けしたらしく、

「…だね」

と環は呟いた。

 

「酒が入る前で良かったな。何を悩んでる? 話してみろ」

「…いやぁ、今日、現場でめっちゃビビった。それだけっちゃあ、それだけなんだけど…。家に帰っても1人で眠れる気がしなくてね。で、お泊りに来たんだ。ここなら気が紛れると思ってさ」

 

「おまえがビビるって相当だな」

「…薬師寺真美が演技指導したんだよ、柴倉さんに。もうみんなビビっちゃってさ。私がいちばんビビったんだけどね。すんげえ怖かった…」

 

「マジか。あのバァさん、封印を解いたのか」

「…封印て、初耳だなあ。とにかくあれは勘弁だ。こえーのなんの…」

 

「もしかして事前に俺の話を聞いたの、あれマズかったか?」

「あー、関係ない、関係ない。だって、沢村さん以外みーんなビビってたもん。その後の撮影、しばらくガッタガタ…」

 

そう言って環はテーブルに突っ伏した。

 

ここで唐突に黒山は、

「夜凪、おまえにはどう見えた?」

と夜凪に話を振ってきた。

 

(えええ。…時間が押してるなあとは思った。でもそれが変だという見方はしなかった。何故なら私は皐月ちゃんの観察に集中してたから)

 

「ごめんなさい。皐月ちゃんの芝居に集中してて、全体はよく見えてなかったわ」

「…そうか」

 

変と言うなら自分自身には変なことが起こった。真美の演技指導の折、支配する者の隣にいるような感覚を味わった。

でも、あれには有害性が無かった。驚いたし、怖いと思ったけど、よく考えると特に自分に悪影響をもたらす物ではなかった。

役者にとって大事なのは芝居であって、怪奇現象のような物の謎解きではない。そんな謎解きはどうでもいい。なので、黒山さんに質問もしない。夜凪は自分でそう決めた。

 

黒山は環との会話を再開させていた。

 

「沢村さんはずいぶん昔に、真美と共演している。もしかするとその時、演技指導の直撃弾を受けたのかもしれない」

「……?」

 

テーブルに突っ伏していた環が顔を上げた。

 

「柴倉はどうだった? 直撃弾を受けた後だ」

「柴倉さんは…」

 

夜凪は(ここだ!)と思った。

 

「柴倉さんは見事な芝居をしていたわ。皐月ちゃんとの掛け合いは完璧だった。私、じっくりしっかり見てたわ!」

 

「だ、そうだ」

「なるほど、さっさとあれを受けちゃえばいいのか。…なるほど、なるほど」

 

夜凪は(良かった。役に立てた)と胸をなでおろしていた。

 

 

 

撮影3日目の朝、元気に「行ってきます」と出て行った夜凪を見送った雪と黒山は、

「私、とても良いアイデアを思いつきました」

「駄目だ」

というやりとりをしていた。

 

「例の全30巻をけいちゃんに見てもらうんです(聞く前からダメってどうなの?)」

「だから、駄目だ」

 

「……。全30巻、時間にして45時間。数にして1000とちょい。けいちゃんなら来週までにすべて頭に入れます(賢いんです)」

「そんなことしたら、夜凪はてめぇの芝居を見失う」

 

「……。」

「あいつのような呑み込みの良い役者は特に駄目だ」

 

雪は(そういうものなのか。勉強になった…)と思い、口を閉ざした。

 

 

 

現場では、順調に撮影が進んでいた。

皐月の芝居がどんどん良くなっていた。

大船に移転してきた松菊撮影所の前に立つ演技も素晴らしかった。

 

「…わあ」

「撮影所…、この町に撮影所ができるんだ…!」

「きっとお母さんが私に女優になれって言ってるんだ…!」

 

(皐月ちゃん、上手い!)

 

夜凪は台本を見つめる。今の皐月の台詞の4箇所に傍線が引いてある。

この台本は昨日配られた。最初に配られた物との違いがこの傍線だ。

これらの箇所での演技が「真波の演じ方」に相当する。そういう説明こそ無かったが、夜凪はすぐに理解した。

 

そしてオーバーラップのシーンの撮影となった。

まずは皐月のシーンから。

放送の際には「夜凪」→「皐月」と変化する場面だが、撮影順は逆だ。

待機している夜凪の傍に新名夏が立っていた。

その硬い表情を見て、なっちゃん(←夜凪は距離ヘタ)緊張してるなあ、と思った。

 

皐月が苦戦していた。傍線は3箇所。でも長い傍線も含まれていて、実際かなり難度が高い。

 

「この海は俺と平助を育てた海だ。特別なんだよ。なあ、おい」

 

映画に出てくる男性の台詞だ。それを8歳の真波が空地で練習している。台詞に長い傍線が1箇所、所作に傍線が2箇所。

皐月は9テイク目でOKを出した。

犬井が皐月に人差し指を向け、皐月も同様に人差し指を犬井に向けた。そして弾けるような笑顔になる皐月。

 

良い芝居だった(最後のはよくわからなかったけど)。

真波の演じ方もちゃんと見えた。

私は頭の中でその形を構築できた。後はそれをアウトプットするだけだ。

 

夜凪の撮影シーンが始まる。

場所は同じ空地だが、立ち位置が異なり、夜凪は塀に向かって芝居をする。

眼前に海が広がる芝居を、目の前に塀がある状況で行うわけだ。

集中し、カチンコの合図を待つ。

音が鳴る。

 

「この海は俺と平助を育てた海だ。特別なんだよ。なあ、おい」

 

手応え有り。構築したイメージを綺麗に出せた。

しかしOKにはならなかった。

 

「すみません。夜凪さんの演技に見惚れて反応が遅れました。次は大丈夫です」

 

NGを出したのはなっちゃんだった。

台詞も大きな所作もなく、驚いている芝居をするだけ。

このNGは仕方がない。なっちゃんは緊張していた。

それに先の芝居は気持ちよかった。もう一度やるのも悪くない。

 

2テイク目でOKとなった。

なっちゃんが寄ってきて「素晴らしい演技でした」と褒めてくれたので、「ありがとう」と返した。

 

気持ちが高揚する。皐月ちゃんにあやかって、というわけではないが、自分もどんどん調子が上がっていく感覚がある。

 

約1時間後、問題の2カット目の撮影。

これも放送とは逆に、先に撮影するのは皐月。

台詞はなく、所作のみ。ただその所作に傍線が5箇所ある。

 

草むらに死んだように横たわる真波。

ゆっくりと起き上がり周囲を軽く確認する。

立ち上がり、不安と恐怖に塗れた表情のまま、身体は動かさない。

その顔がほんの数ミリ上を向く間に、(死んでない、自分は生きている)という歓喜の表情に変化する。

 

皐月の撮影が始まった。

(いきなり上手い。5箇所すべてに真波が見える)

次のテイク。

(すごい。3箇所目と4箇所目がもう明確になってきた。もっと見せて、皐月ちゃん)

さらにテイク数は進む。

(そう。身体を動かさないのは負傷の程度を確認している時間。手を見たり、あちこち触ったりしないのが真波)

 

13テイク目。

(4つはほぼ見えた。肝心の5箇所目もあとちょっとだ)

真波が動きの1つ1つに込めた意味、意図、その表情が伝える物、それらが皐月の演技の向こう側に見えている。

夜凪は愉悦に捻じれた笑みが自分の顔に浮かんでいることに気づいていない。

それは芝居を見事に仕上げつつある皐月の演技力への対抗心。

(見せて、皐月ちゃん)

17テイク目、皐月の表情に真波の心情が浮かび上がった。

(それだ、その表情)

「カット、OK」

犬井の声が響いた。

 

ありがとう、皐月ちゃん。凄い。凄かった。皐月ちゃんは既に凄い女優だ。

次は私が見せる番だ。

 

胸が高鳴る。真波が生み出した芝居の空間が、綺麗に、精緻に、完璧に、夜凪のイメージの中に構築されている。

 

今回は夏はいない。夜凪1人の撮影となる。

 

横たわった状態でカチンコの合図を待つ夜凪。

合図が聞こえると同時に、夜凪は無心になった。

そして身を起こす。ただ手が動くからそうするだけ。

周囲に目をやる。ただ見えるから見ただけ。

立ち上がり、ようやく状況を整理し始める。

ぼんやりした頭はなかなかうまく働いてくれない。

身体のあちこちが痛い。怪我もしている。でも、生きてる。

私は死ななかった。

私は生きている。

わずかに顔が上を向く。

 

 

…これが、薬師寺真波だっ!!

 

 

喜びを噛み締める笑顔のきらめき。

その美しさは、生命の証だ。

 

「カット、OK」

 

犬井は自分が見た一連の光景に困惑していた。

完璧な何かを見せられた。

この世に完璧なんてものはない。

あるはずがないものを目の前で見せつけられた。

(この子は、「キネマのうた」において、他の役者たちとは違う戦い方が出来る唯一の存在かもしれない)

 

やや離れた場所から冷徹な目を向けていた人物がいた。真美だ。

夜凪の芝居を鋭く睨むように見つめていた。

OKテイクとなり、芝居が終わった今も、真美は夜凪を見つめていた。

 

                第20話「構築」/おわり




以上が、私なりのアクタージュ「scene143」となります。

夜凪は高2の修学旅行に参加していません。
仕事があったからです。ただ、「デスアイランド」のロケで、「なんか修学旅行みたい」という声を耳にしています。
神社仏閣巡り等ではなく、「友達と寝食を共にすること」が修学旅行の肝であると認識しています。
仮に出演する作品にそういうシーンがあっても夜凪は正しく「修学旅行」を演じます。

とりあえずの悩みから解放された環はスタジオ大黒天でぐーすか眠っています。
雪と黒山は環が目覚めるのを待っています。
目覚めたら車で撮影現場まで環を運びます。

ただし、環は今のままではやはり懸念材料が残ります。
沢村や柴倉に出来たからといって、環に同じ真似が出来るとは限りません。
沢村も柴倉もベテランです。
環とは踏んできた場数が違います。
まあ、実際環担当の撮影が始まったら案外平気かもしれないし、それまでにもっと確実性のある方策を見つけるかもしれません。

そして今回ようやく夜凪の演技のシーンを書くことができました。
やっぱり楽しいです。
2話目の撮影が始まったら、たくさん夜凪を書けます。
そして皐月はこの回でも頑張りました。
成長も著しく、大活躍ですねえ。

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