環が例の全30巻のビデオの話を教えてくれた。
前置きとして、今回の出演者は全員が見ているものと思い込んでいた、と環は言った。
収録されている約1000種の「真波の演じ方」は取捨選択されたもので、実際には1000どころではなく数が多い。
選ばれた1000種は、戦後の黄金時代の真波の物がメインではあるが、晩年の「とても静かな芝居」もそれなりに採用されている。
晩年の真波の芝居を直で見ていた真美は当時10代。
その素晴らしさに気づくには若すぎた。
時が過ぎ、大人になった真美は「とても静かな芝居」を理解出来るようになり、評価を改めた。
「キネマのうた」の出演者たちは、この1000種を参考にして台本の傍線に対応することになる。
1話目の撮影2日目に柴倉が自身の芝居に苦しんだのは、配られた新しい台本の傍線の影響だ。
それは1000種の中でもかなり難しい部類となる晩年の「真波の演じ方」の1つだった。
作品を「真波の演じ方」で染めるという制作陣の方針が、自分が予想していた以上に徹底されることを柴倉は知った。
そして夜凪は出演者たちの中で例外的な存在となる。
そもそも薬師寺真波は少女時代に芝居をしていない。映画に出演していない。
10歳から11歳にかけて13本の映画に出演した真波が、14本目となる映画に出演する機会を得たのは20歳の時。
実に、9年間の空白がある。
当然ながら、1000種の中に少女時代の「真波の演じ方」は収録されていない。
真美の頭の中にもそれは存在しない。
つまり、夜凪には「真波の演じ方」として参考に出来る資料がないことになる。
夜凪担当の傍線部は、一部1000種からの流用があるものの、大半が制作陣が工夫して創作した「真波の演じ方」だ。
話を聞いた夜凪は「教えてくれてありがとう」と言ったきり黙ってしまった。
元気がなさそうな夜凪に対し、(今の話に何かへこむような内容あったかな?)と思いつつ環は口を開いた。
「悩み事があるなら相談してくれていいんだよ?」
「ありがとう…」
悩み事か何かを言うのだろう、と思った環は口を閉ざして待っていた。
結果、そのまま沈黙の時間が流れただけだった。
そして、ついに開かれた夜凪の口から出てきたのは、
「キネマのうたって、どこが面白いの?」
という世界が凍りつくようなフレーズだった。
当然、環は困る。こんなことが関係者の耳に入ったら大変だ。
ただ、これは環も感じていることだ。
物語としての「キネマのうた」は面白くない。
もっとはっきり言えば、物語に魅力がない。
ストーリーの起伏に乏しい。
物語を前へ前へと進めるエンジンとなる物、つまり登場人物たちが目指しているゴールのようなものもない。
謎解き要素もないし、派手な演出やアクションもない。
武将を題材にしたドラマに見られるようなスケールの壮大さもない。
本来なら役者が考える領域ではないことを、まだ高校生の夜凪が気にしている。
「うん。面白くない…。キネマのうたは面白くない…」
「うん…」
一般的に、ドラマ初出演の若手の役者なんてのは、手放しで自分の出演作を「面白い」と言う。友人・知人にその面白さを語って聞かせ、クランクアップでは感動で号泣する。
…でも、夜凪は違う。
「その女優が凄いからといって、その生き様まで凄いとは限らない。実際、特に凄くはないし、物語にしても面白くならない」
「うん…」
「景ちゃんは、面白くない作品に出演するのはつまらないかい?」
「……。…そういうことではないのだけれど、面白くない作品への接し方がわからないわ…」
「ふーん」
「…世の役者さんたちはそういう経験をたくさん積んでいて、千世子ちゃんもそういう道を通っていて、私もいろいろ覚えていくべきなんだろうけど…」
「景ちゃん」
「はい」
「私は面白くない作品に出演するのはつまらないと思ってるよ」
「…え?」
「素直になろう。私は面白くない作品への出演はつまらない。だって本当につまらないんだからしょうがない」
「……。」
「…本音はどう? つまらないだろ?」
「…はい。つまらない…です」
「どうすればキネマのうたは面白くなると思う? 魅力的になると思う?」
「…それは、えと、…ちょっと考えさせてください」
そう言って、夜凪は熟考モードに入った。
環は犬井とは飲み友だちだ。
バーで隣に座っていた犬井は「みんなが見飽きたと言ってる真波の芝居が如何に素晴らしい物か世間に思い知らせてやる」と言っていた。
それは、でたらめに広まってしまった形だけの真波の技法の否定であり、今もなお広め続ける業界への警鐘でもある。
中嶋プロデューサーが「成し遂げたい」と考えていることもほぼ同じだ。
このままではテレビ業界は駄目になる、という思いで通した企画だ。
理念としては立派だ。
だが、役者である環や夜凪はそれを、つまらない、と思っている。
しばらく(んー)と考え込んでいた夜凪は、
「難しい…。今から出来ることが少なすぎる。小手先の工夫では覆らない…」
と静かに言葉を吐いた。
「なんなら今から直談判に行こうか?」
「……?」
「一緒にいるよ、たぶん。監督も真美さんも、他のスタッフも。直談判にはちょうどいい」
「…な、何を、直談判するの?」
「おまえら! このドラマ面白くねーぞ! なんとかしろっ! と夜凪様がおっしゃってるぞ!」
「…い、言わないわ。…私、おっしゃってないわ」
これはもちろん環の冗談だ。
冗談だが、環は(案外アリかも)と少し思った。
直談判という形ではないにしろ、一度ちゃんとした話し合いの席を設けるのは有意義な気がした。
面白い成分、魅力的な成分、次回がどうなるのか気になる成分、そういう物を増やして欲しいのが本音だった。
休憩が終わり、シーン12の撮影の再開となった。
現場に向かう夜凪は、なんだか憤っている自分に気づいた。
先の環の冗談のせいだ。
(出来るものなら、おっしゃってやりたい!)
そういう本心が自分の中に確かにあった。
本当に直談判出来ればいいのに、と考えると無性に腹が立ってしまう。
踏み込む足にも力が入る。
そんな歩調で、夜凪は撮影現場へと歩いていった。
第24話「理念」/おわり
以上が、私なりのアクタージュ「scene147」となります。
戦前の日本映画は「(第一)黄金時代」と呼ばれただけあり、製作本数も多く、名作とされる映画がたくさんあります。
残念なことに、焼失や破損等でそのほとんどが失われ、現存するのは当時製作された映画全体の1割程度と言われています。
記事や写真で存在を知ることは出来ても、それら失われた映画を我々が鑑賞することは不可能です。
大半が制作陣が工夫して創作した「真波の演じ方」という部分は環の推測ですが、この推測は当たっています。
環は台本を受け取ってすぐに繰り返し読み、内容を頭に叩き込んでから俳優連盟を訪れています。
そこで、台本と見比べながらビデオ30巻を見ました。
付箋を貼り、メモを取り、1000種と格闘したわけです。
同様に、「青い草原」「食卓」についても台本と見比べて大量のメモを取っています。
他の出演者も皆そのようにしています。ただ、1000種もの「演じ方」を覚えきれるものではありません。なので、忘れた箇所を再確認したい場合は、また俳優連盟に行くことになります。
もし、現場に30巻の現物があれば、制作陣の仕事も出演者の確認作業も捗ります。
ですが、俳優連盟は「大河ドラマで必要だから」という程度の理由では貸してくれません。
俳優連盟のビル内でのみ視聴可能で、盗撮も厳禁です。
夜凪は、自分が担当する傍線部が真波本人の物ではないことに特別なショックを受けていません。
もともと、皐月→夜凪→環、のリレーを完成させることを最重要視していたので、傍線部の真贋はたいした問題ではないのです。
ただ、「作品を面白くしよう、魅力的にしよう」という空気が現場から感じられないことがやはり気になっています。
今まで夜凪が出会ってきた演出家たちとの差異に戸惑っているわけです。