セカンドステージ (役者と監督のその後)   作:坂村因

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第25話 「メモ帳」

休憩時間中の打ち合わせの結果と思われる話が犬井から告げられた。

夜凪の芝居については、より細かく具体的な指示を増やすので、テイク数が今より多くなることが予想されるがそのつもりで、とのこと。

犬井の顔をじーっと見据えてから、夜凪は静かに「はい」と返事した。

 

合図待ちの状態で立っていると、「足音は静かに、ウキウキした気分は引き戸に手が触れると同時に気配ごと消す、廊下に膝を…」と犬井の指示が始まった。

(テストも省略、役者自身の芝居を見るのも省略…、鞄はゆっくり置きたいし右爪先で左踵を軽く蹴るのも…私の真波じゃない…)

最悪だ、と夜凪は思った。

 

 

 

3テイク目でOKとなり、夜凪は遠巻きに見学している環のほうへ向かった。

自分の次の撮影まで最短でも4分くらいはある。十分だ。

「良かったよー」「けっこう早かったね」等の言葉をくれる環に駆け寄り、夜凪はいきなり環の耳元まで顔を近づけた。

そして、「7年後の真波じゃないものを伝えます」と囁いた。

周囲に人が少ないことを確認し、夜凪はやや早口の小声でしゃべりだした。

 

「鞄を素早く置く。右爪先で左踵を軽く蹴る。引き戸に手が…」

「待った! メモ帳、出させて」

 

メモ帳にしばらくペンを走らせてから環は「いいよ」と言った。環はまだペンを動かしていた。

かまわず夜凪は続きをしゃべった。

しゃべり終えた夜凪は、文字を書いている途中の環の耳元に口を寄せ、「どうすれば面白くなるか私も考えてます。環さんも良いアイデアを思いついたら教えてください」と告げた。

 

 

 

メモをすべて書き終えた環が顔を上げると、撮影現場の中心に向かって走る夜凪の後ろ姿が目に入った。

(頑張ってるなあ)

環は夜凪の後を追って歩き出した。せめて、もっと近くに陣取ってあげよう、と思ったからだ。

前列の近い位置に座っていたスタッフに席を譲ってもらい、環は書いたばかりのメモ帳を開いた。

(これは誰かに見られて困る内容じゃない)

7年後というのはさつきが演じた8歳の真波から数えて、という意味だ。

景ちゃんの担当は、15歳から18歳。15歳と16歳がメインで、17歳と18歳は出番が少ない。

セットの座卓の上に勉強用具を広げている真波は、今でいう中学3年生。

18歳の景ちゃんがちゃんと中学3年生くらいの幼さに見えるのは、おさげのヅラのせいだけじゃない。

さつきが作った真波の7年後をきっちりイメージ出来ている。

先のOKテイクの真波には、大人っぽい小賢しい動きが含まれていた。

その部分を、3人で作る真波のイメージから切り離してほしい、ということだ。

(しかし、多いなあ)

メモを眺めながら環は思う。

このメモを見て誰も「捨てる部分」とは考えない。逆に、重要な部分だと勘違いするだろう。

 

 

 

シーン12はこの撮影で実質終わり。

次の撮影、文代と二人で座卓に付いている様子を背後や側面から撮られる場面で芝居を求められるのは真美だけだ。

夜凪には台詞も動きもない(むしろピタッと静止していなければならない)。

 

例によって、犬井の説明が長々と語られる。

(こんなもの、一発で決めてみせるわ)

犬井による、祖母から勉強を教わるのは嫌だが鞄の中の台本を見るのが楽しみという表情を眼球の動きだけで表現、首を回さないよう注意、ノートに視線を落とす時は…という指示を聞きながら、夜凪は「自身の真波のイメージ」を維持し続ける。

 

1テイク目はNG。

夜凪は懸命にイメージを維持しつつ、犬井が指示する芝居を表現する。

テイク数はどんどん伸びて行く。

 

環は「捨てる部分」に目星を付け、箇条書きでメモを取った。

テイク数が進むにつれてメモの箇条書きは増えていく。増えていく部分が妥協した部分なんだろうなあ、と環は思う。

16テイク目、環はメモの整理を始める。目星を付けたが間違いだったと判断した部分を、あらかじめ二重横線で消す。

 

21テイク目でOKとなった。

夜凪はそのまま場に残り、真美がセット内に入る。

既に別撮りした場面を、二人が同時に映るようにいくつかの角度から撮影。

この撮影はすぐOKとなり、シーン12は終了した。

 

 

 

とてとて、と小走りで向かってきた夜凪に、メモ帳とペンを手渡す環。

受け取った夜凪は、環の意図を瞬時に汲み取ったらしく、目を見開いてメモを睨み、シャッシャッ、カッカッカッ、とペンを動かした。

無言で、今にも泣きそうな顔で、メモ帳とペンを差し出す夜凪。

その表情を見て、ありがとう、という声が聞こえてきそうだ、と思いながら環はメモ帳とペンを受け取った。

夜凪は忙しく現場へと戻っていく。

 

環は返されたメモ帳を開いて眺めた。

夜凪によって削られた部分が2箇所、新たに書き加えられた文章が1つ。

(おお、正解率高いな、私…)

気楽なことを考えた環だが、それどころじゃない、と思い直した。

どう考えても夜凪の負担が大きい。

 

何とかしなくちゃならない。

いちばん効果があるのは「3人で作る真波」を諦めてもらうことだが、それは最終手段だ。

景ちゃんが最優先していることだし、何より自分自身が簡単には諦めたくない。

自分が担当する真波には、何重にも縛りがある。

それでも捻じ込みたい。たとえオリジナルの芝居を多少無視することになっても、さつきと景ちゃんの真波の延長上にある20歳から29歳のイメージを使いたい。

 

それは絶対に、実際の真波より生き生きしたかっこいい女性になる。

 

私は、女優としての真波より女性としての真波のほうに興味がある。

時代を背負わされた女優の生き様なんて、正直どうでもいい。

 

早いほうがいい。

今夜あたり、スタジオ大黒天に集合するか…。

 

ここで環は、はっ、と思い当たり、黒山のスマホに電話をかける。

悪い予感は的中。電話は繋がらない。

つづいて雪のスマホにかける。

 

「あ、雪ちゃん、墨字くんは?」

(あ、環さん、お疲れ様です。墨字さん、いますよ)

「そのまま代わって」

 

               第25話「メモ帳」/おわり




以上が、私なりのアクタージュ「scene148」となります。

戦前の俳優は、映画会社に入社する形でした。
では、社会人の年齢に満たない役者はどういう状況だったのでしょうか。
歌舞伎等の劇団子役から使えそうな人材を見つけ、映画に出てもらうのが一般的だったようです。
劇団に戻らず、そのまま俳優を続ける人は、18歳くらいになるとその映画会社に入社します。
戦後は各映画会社系列の撮影所が活発な存在となり、撮影所に入社して俳優になる人も多かったようです。

真波のように撮影所に出入りしているうちに認められるケースもありました。
実際、そういうパターンで大女優になった人もいます。
今のように芸能プロダクションといった合理的なシステムがなく、偶然や人との出会い等の運要素が色濃かったわけです。

さて、今回は環の活躍が目立ちました。
夜凪もかなり頑張っています。
しかし、自分が思う真波のイメージではOKテイクになってくれないわけです。

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