セカンドステージ (役者と監督のその後)   作:坂村因

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第26話 「立場」

黒山はここ一週間、尾道に行こうとすると皆から止められることを苦々しく思っていた。

なんだか、「後回しにしろ」「東京でも考え事は出来る」「散策して、浸りたいだけだろ」等と好きなように言われる。

なので、せめて携帯の電源を切ることで、考え事に集中出来る環境を作っている。

そんな感じで、旅に出るのを諦め、スタジオ大黒天に留まっている。

 

環から「会議を開くから迎えにきて」との電話を受け、撮影現場へ車を走らせた。

二人を拾うと、夜凪は車に乗り込んで早々に眠ってしまった。環が「女優にしか分からない感覚ってのもあるんだよ」と言った。

これは、電話で「何故スマホの電源を切ってるの?」と問われた際、「演出家にしか分からない繊細な感覚ってのがある」と答えたことへのお返しのような物だ。

 

「まあ、あるだろうな」

「うん…」

 

寝ている夜凪を起こさないよう会話はそれで終了。車内は静かになった。

たしかに東京にいたほうがいいかもしれない、と黒山は思った。

民放の連続ドラマと違い、予算も時間も人材も豊富な大河ドラマの現場ではトラブルが少ない。

そう思って、油断していた。

 

 

 

スタジオ大黒天。

部屋の隅に布団を敷いて、眠りっぱなしの夜凪を寝かせた。

寝ている夜凪を見つめながら環は、

「景ちゃん、ほんとは別件で墨字くんに相談したかったんだよ」

と呟いた。

 

「なんで俺に?」

「なんでもなにも、頼りにしてるからでしょ。その件では私も墨字くんに力になってほしいと思ってる」

 

「その件てことは、今回のとは別にってことか…」

「そう…」

 

「基本、俺は放任主義だったからな。わざわざ相談ってことは芝居じゃなくて制作関連か」

「うん。素人が集まってあれこれ話し合っても心許ない。1人はそっち側のプロがいてほしい」

 

その言葉は、さくっ、と雪の心に刺さった。もちろん、雪は顔に出ないよう堪えた。

 

今回の話は「それとは別で、もっと緊急」と言いつつ何かを思いついたらしく、環は「コンビニへ行く」と出ていった。

しばらくすると環から雪のスマホに連絡があり、雪は財布を持って最寄りのコンビニへと向かった。

環はメモ帳の拡大コピーを取ろうとしていた。

小銭(というか現金)の持ち合わせがなく、雪が呼び出されたわけだ。

 

「コピー機なら事務所にあるのに」

「音でかいじゃん。景ちゃんが目を覚ます」

 

さて、環、黒山、雪(と、ルイとレイ)がフローリングの中央に集まり、話し合いが出来る形になった。

環がバッグの中に手を入れたので、(先のコピーが出てくる)と雪は思ったが、取り出されたのは緑色の小さいボトルだった。

 

「これ、もう中身がほとんど残ってない。景ちゃんが自分のを全部食べちゃったので私のを分けた。私もけっこう食べたので、ほとんど無くなった」

 

ラムネ菓子のボトルをバッグに戻し、いよいよコピー用紙の束が出てきた。

 

「このメモを渡す前に言っておく。あんたら二人は敵だ。これが何なのかを言う時は、よーく考えてから慎重に言うこと」

 

言われた言葉にピンと来た雪は、少し嬉しいと感じながら「わ、私も敵でいいんですか?」と環に訊いた。

 

「…え? 雪ちゃん、映画を撮る側の人だよね?」

「そうです。…実は、そうなんです(自主制作しか撮ったことないけど)」

 

床に置かれた紙の束を手にした雪は、それがちゃんと2部用意されていることに感動した。

トランプの札を分けるようにして、雪は2つの山に交互にコピー用紙を重ね、その1つを黒山に渡した。

 

「私、必ず正解してみせます!」

 

力強く、雪は宣言した。

 

 

 

さっぱりわからない…。

たんに演技をする上で重要なポイントがメモされているだけに見えるが、そんな安直な答えじゃないんだろうなあ、と雪は思う。

環さんの文字もあるし、けいちゃんの文字もある。箇条書きのいくつかに施された二重の横線も、環さんのとけいちゃんのと両方ある。

何より、この量の多さ。

 

「これは犬井さんが出した指示だろ。そのメモだ」

「よーく考えてって言ったのに、墨字くんはそんな答えなんだ…」

 

緊急ならばこんなクイズのような方法は非効率だろう、と黒山は言ったが、それは環の機嫌を損ねる発言だった。

黒山と環のやりとりに口を挟まず、雪はコピー用紙を睨んだ。

 

そうか、犬井さんてこういう指示の出し方をする監督なんだ。墨字さんにはそれがすぐ分かったのに自分には無理だった。

とはいえ、あんな回答では駄目らしい。しかも、なんか揉めてる。

 

「犬井さんてどんな人ですか?」

「名前の通り、権力の犬だ」

 

紙面に目を戻し、(墨字さんに訊いた私が馬鹿だった)と雪は思った。

改めて、メモの情報を分析してみる。

 

しかし、なんてヘタクソな指示だ。これじゃあけいちゃんが可哀想だ。あ、これ、けいちゃんが疲れていることに関係あるかも…。

急いで書いた文字と、それなりに丁寧な文字がある。これは…理由が分からない。

所作に関するメモが多い。ゆっくり、素早く、タイミング、といった詳細な言及が目立つ。

 

隣を見ると黒山もコピー用紙と睨めっこしていた。ちゃんと真剣な表情で。

前を見て、(あっ)と雪は思った。

環が眠っていた。クッションを枕のように抱えて、床に横たわっていた。

雪はタオルケットを持ってきて、環の身体に広げて乗せた。

 

雪と黒山とルイとレイは、PC室に移動した。

 

「しかし、難しいな、これ」

「でも私は正解したいです。すごく意味のあることのような気がします」

 

「犬井さんの指示っぽくない文章も混じってる。これが何なのかわからん」

「…そうですね(そうなのか…)」

 

「そろそろ夕飯か。(ルイとレイに向かって)おまえら、親子丼でいいか?」

「私も親子丼でいいです」

 

 

 

6人前の親子丼の出前が届き、その後、夜凪と環は本格的に眠る形になった。

二人ともけっこうな勢いで親子丼を食べ終えた。

夜凪は、起こしていた半身をすぐに布団の中へと滑り込ませた。

環は、タオルケットを身体に巻き付けてクッションに頭を乗せた。

ルイとレイが食べ切れなかった分を黒山が食べ終えた頃、ルイとレイもうとうとし始めていた。

結局、布団を3組敷いて、奥から、夜凪、ルイとレイ、環、と並んで就寝モードに入った。

 

PC室で、雪と黒山はメモの難問と向き合っていた。

二重横線も夜凪の文字もなく、環の文字だけがB6の見開きいっぱいに記されている1枚がある。

これが特異といえば特異だ。だが、そこから何もヒントを得ることが出来ない。

 

「これ、あいつらが役者だから分かることで、俺たちが演出家だから分からないって話だよな?」

「そうだと思います」

 

「あいつらが特別で、役者なら誰でも分かるわけじゃないってオチはないか?」

「……?」

 

「あいつらにしか分からないような話なら、この時間はけっこう不毛ってことだよ」

「…ああ、たしかに。ただ、私たちをもっと見て、という話なら、薄っぺらいかもです…」

 

黒山はスマホを操作し、

「誰でもいいから適当に役者を1人貸してほしい。今すぐここに来れる奴。手伝ってもらいたい作業がある。……ああ。……たぶん」

そんな電話を掛けた。

 

「いや、誰でもって、ある程度の実力は必要かもしれないじゃないですか」

「大丈夫だろ。スターズの役者なら実力も及第点なはずだ」

 

(…え、今、電話した相手スターズ? 星アリサ? こんな個人的な用件で?)

 

でも、それで検証出来るならありがたいことではある。

現時点で、自分も黒山も具体的な状況がまるで見えない。

役者が待機してOKが出るまでのすべての出来事、それが連続して行われる間に発生する様々な可能性、そういった撮影の一連の流れに可能な限り考えを巡らせても、あのメモが生まれる光景がどうしても思い浮かばない。

 

 

 

都内の道路を移動中の車内後部座席、アリサは通話を終えたばかりの端末を、無表情でしばらく見つめていた。

 

「黒山が何か手伝って欲しいそうだから寄り道するわ。すぐ終わる用事らしい。近くで車を止めて待ってるから手伝ってあげて。用事が片付いたら連絡ちょうだい」

「はい」

 

後部座席、隣に座る百城千世子はそう答えた。

 

               第26話「立場」/おわり




以上が、私なりのアクタージュ「scene149」となります。

立場の違いから生じる考え方の差異、私個人としては、これは現実でもかなり厄介な問題だと思っています。
なので、まるまる1話使いました。

黒山は、自身の宿題のために尾道に行きたがります。
これは、周囲からの共感を得られない問題です。
でも黒山にとっては凄く重要なことで、絶対に代えの利かない無二の方法なわけです。

そんな黒山も、役者の立場の繊細な部分は分かりません。
仮に、環がすぐに「これこれこういう事情で景ちゃんの負担が大きい」と説明したとします。
おそらく黒山は、「そんなの、例えば粘るのは10テイク目までって決めときゃいいだけじゃねーか」という身も蓋もない答えを提示するでしょう。
その答えは合理的だし、そういう考え方をもって「演出家は役者のことも分かっている」と言い張ることは可能だと思います。
ところが、役者側からすると、そういうことじゃないんだ、となります。
うまく言葉では言えないが譲りたくない、そんな「感覚の話」なわけです。

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