『エスタージュ(S-tage)』(「セカンドステージ;役者と監督のその後」)   作:坂村因

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第30話 「凄腕」

夜の歩道を(へへっ)と笑みを浮かべながら歩く雪の姿があった。

 

「へっ、へへ…。また、会ったねえ…」

 

目の前には、丈夫さが取り柄の街路樹が立っていた。

 

「君には名前をつけてあげよう。すみじゅ。漢字で墨樹だ。気に入ったかい?」

 

ドン、バサッ、という音が薄暗い街に響いた。

あの後の墨字さんの言葉、「大河ドラマの放送開始は1月。半年も先だ。実際それだけの時間があればいろいろ変更出来る」に対して、(そうだ。その通りだ!)と思い、続く言葉に期待した。

そして次の墨字さんの言葉は、「そんなことより、緊急の話だ」、だった。

「そんなこと」呼ばわりは非道い…。

 

話題は、あっさりと「緊急の話」へと移った。

けいちゃんと環さんの行動で負担が掛かっている部位は脳であるらしい。脳は驚くほど大量のエネルギーを食う器官だから、ブドウ糖の量を増やすことで対応出来るらしい。

ラムネ菓子を何本も用意するのもいいが、ドラッグストアで買える袋入りの物のほうが便利らしい。

 

…それで緊急の話は片付いたと思った。

 

ところが、環さんは「出来れば指示の方向性を変えて欲しい。イメージ通りの真波が演じられたらキネマのうたを面白くする自信はある」と言った。

(おや?)と思った。そこは制作関連の話じゃなかったっけ、と思った。

たしかに制作関連の相談はけいちゃんの話で、環さんは「その件」と言っただけで具体的な部分には触れなかった。

 

数メートル先に、これまた丈夫そうな樹が立っていた。

トコトコと歩き、

「君にはたまきという名前をつけてあげよう。漢字で玉樹だ。良い名前だねえ」

と雪は語りかけた。

 

「まぎらわしーわっ!」

 

ドン、バサッ、という音がまた響いた。

 

そして、とどめはけいちゃん…。瞳をキラキラさせて「お話をいじらなくても面白く出来るの?」と問い、環さんは「出来る!」と力強く答えた。

けいちゃん、うっとり…。

 

(おお、おおぉ…)

 

…駄目だ。けいちゃんに蹴りは入れられない。

うちの財産、ゆくゆくは自分の財産、宝物、頑張り屋、可愛い、たまに娘として見てしまうことさえある存在、…蹴りを入れられるはずがない。

(もしかして制作関連の相談は「キネマのうた」を面白くすることじゃないのかな。でも、少なくとも、けいちゃんの相談事はそれで当たってるよね…)

 

可能性があるならば、手を打っておかない選択はない。結局無駄に終わったとしても、出来ることはやっておいたほうがいい。

そう思い、雪はスマホを手に取った。何気なく目に入った現在時刻は、20時31分。

よし、この時間ならまだ起きてる。8歳とはいえ立派に仕事をしてる社会人だ。非常識というほどの時間じゃない。

 

自分は業界ではかなりの下っ端だ。大それた場所への突撃電話が出来る立場じゃない。無鉄砲な行動は許されない。

せいぜいこの程度。このへんが自分の判断のみで動けるぎりぎり。

雪は皐月ちゃんの自宅へと電話を掛ける。

本当は携帯が良いのだが、そういうのはセキュリティ上の問題で清水さん経由になっているのだろう。自宅の番号しか教えてもらえなかった。

 

(はい)

「夜分恐れ入ります。私、スタジオ大黒天の柊雪と申します。皐月さんに代わっていただけますか?」

(…は?)

 

あれ? 皐月ちゃんのお母さんの反応が変だ。普通に、失礼のない話し方をしたのに…。

 

(……。失礼。黒山の事務所の人ね。用件は何かしら?)

 

おや? これ、星アリサだ。何故? ちゃんと確認したし、間違えて掛けたはずはない。

理由は分からないがスターズに、しかも社長室に繋がっている。

ぐっ、無鉄砲な電話になってしまたあーっ!

いや、落ち着け。社会人として粗相のない対応をしなければ…!

 

「皐月さんのスケジュールについて確認したいことがあり、連絡した次第です。今後、いえ、キネマのうたの後半期の皐月さんのスケジュールはどのようになっていますでしょうか?(お、落ち着け私…)」

(……。…あなたは何を言っているの?)

 

「キネマのうたの真美役についてです。皐月さんご本人から連絡先としてこの番号を伺っていましたので。混乱を招いたのなら申し訳ありません(←泣きそうになっています)」

(……。皐月の連絡先はこの番号で合っているわ)

 

「そうでしたか。では真美役について、見当違いの所に電話を差し上げた訳ではないのですね(何も言ってないのと同じだが、言葉が思いつかん。考えろ、私)」

 

(……。誤魔化しきれないわね。誰が漏らしたのやら…。黒山は…、黒山なら知っていたら自分で直接掛けてくるわ。あなたがどこで知ったか分からないけど、黒山にも教えないようお願いしていいかしら)

 

なんの話だ、これは? 自分は何も知らない。

でも察するに「極秘情報」の話だ。その情報が漏れたとなれば当然「犯人捜し」が始まる。

そんな厄介な展開になる…。

 

「私、極秘情報なんて知りませんっ!」

 

しばらくの沈黙の後、

 

(大丈夫よ。教えた人をとっちめるとか、そんな野蛮な話ではないから。ただ、今はまだ広がってほしくないだけ)

 

と告げる電話の声。

駄目だ。極秘情報を握ってる凄腕スパイの嫌疑は晴れてない。まずい。まずい…。

 

「本当です! 本当に私は知らないんです! ただ皐月ちゃんにお話があっただけなんです!」

(……。話がよくわからなくなったわ…)

 

雪は自分が考えた脚本改変案について話を始めた。

粗相のない応答とか、そんなことを気にしている場合じゃない。

正直に、正確に真実を語り、この電話が如何に「些細な用件」なのかを伝えなければならない。

 

意外なことに、(その短縮はどういう意図があるのかしら?)「対比を美しくするためです。輝いていた日々は…」という感じで向こうからの質問も混じった。

今日だけで3度目となる説明なので、雪はすらすらと答えた。

 

(借りるかも知れないわ)

「と申しますと?」

 

(あなたのアイデアを借りるかも知れない、と言ったのよ。真美役については、こちらも苦労していた部分なの)

「はい。私のアイデアなど存分に」

 

通話を終えた後、雪はしばらく、ぼーっ、と突っ立っていた。

なんだかとても重要な話をしたような気がする。だが、内容を咀嚼するほど頭が働いてくれない。思考が追いつかない。

 

とりあえず理解できることは、「キネマのうた」の脚本は真美が登場する話に改変されるということ。

 

地面を蹴って、雪は走り出した。

スタジオ大黒天へ向かう階段を駆け上がる身体が、歓喜と興奮に満ちているのを感じる。

 

 

 

事務所内に入ると、奥から相変わらずな会話が耳に入ってきた。

薬師寺真波がどれほどの技法を使う役者で、どんな信条の持ち主だったか。

墨字さんが、なんだか弁舌を奮っている。

けいちゃんと環さんは、「キネマのうた」の中での真波を語るために負けじと口を挟む。

時代は薬師寺真美だというのに、何をやっているんだ、この人たちは…。

 

「聞けええーっ! おまえらっ!」

 

雪は部屋の中央へとゆっくりと歩む。

大音声を出されたことで、3人は会話を中断している。

 

「皆さんは、時間を有意義に使うことの大切さを忘れている」

「この短時間で、飲んできたのか、おまえ」

 

「飲んでない。酔ってない」

「…そうか」

 

キッチンからごそごそと物音が聞こえた。

ルイとレイが目を覚ましてしまった。そして、キッチンのドアを開けて顔を覗かせた。

妹弟をちらりと見てから夜凪が、

「それで、何を聞くの?」

と雪に訊いた。

 

「それは、言えない(言うのはNGだった…)」

「……?」

 

「雪ちゃん、もったいぶらずに教えてよ。あんな大声、相当な話でしょう?」

「……。」

 

「柊、やっぱり飲んできたんだろ」

「飲んできてません」

 

どうしようかと困っていると、スタジオ大黒天の電話が鳴った。

雪は、ひとまず助かったとばかりに電話を取る。

 

「はい、スタジオ大黒天」

(黒山に代わってもらえる? あとスマホの電源を入れるよう言っておいて)

 

「少々お待ちください(何事もなかったかのように対応する私、…えらい!)」

 

 

 

黒山の電話が終わる。

わけがわからない、といった表情でフロアに戻ってくる黒山。

 

「柊、おまえのクレジットの話だったぞ。アリサは詳しいことは言えない、とか言いやがる」

「へ? 私? なんで?」

 

「おまえ、何したんだ?」

「アリサさんが言えないと言うなら、私も言えません」

 

何故、クレジットの話が出てくるんだろう、と雪は考える。

この5年間(6年間?)、そんなものとは縁のない仕事ばかりしてきた。

先刻の話も、自分の中では繋がらない。

それともこれから繋がるような事態になるのだろうか?

雪は、ようやく先のアリサとのやりとりについてじっくり考え始めた。

 

               第30話「凄腕」/おわり




以上が、私なりのアクタージュ「scene153」となります。

黒山が、薬師寺真波がどれほどの技法を使う役者で、どんな信条の持ち主だったか、について語っています。
これは重要なことのようで、やはりズレています。
冷静さを取り戻し、有能さを発揮し始めた黒山ですが、今の黒山は「駄目」なんです。
撮りたいものを夢中で追っていた若い頃の黒山は魅力的な映画監督でした。

この世に「撮らなければいけない映画」なんてものは存在しません。

これは、私の個人的な意見に過ぎません。
実際には「撮らなければいけない映画」に分類される映画はたくさんあります。
私が言いたいのは、そういう映画で「名作」というのを見たことがないという意味です。
映画オタクの私は相当数の映画を鑑賞してきました。
そして、「名作」は例外なく「撮りたい映画」に分類されるものでした。

今、スタジオ大黒天で頼りになる戦力は雪です。
……たぶん。
あと、街路樹を蹴ってはいけません。
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