セカンドステージ (役者と監督のその後)   作:坂村因

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第32話 「好きこそ」

真美が草見に対して、いろいろと礼を述べた。

真波の演じ方について、「膨大にある中で特にこれは入れて欲しい」と考えていた数々の技法がきっちりとカバーされている。その上で、物語として成立させるのは相当な難事業のはず。これは草見だから出来たこと。

というようなことを丁寧な言葉と口調で草見に伝えた。

そして、「柊さん、お願いいたします」と真美が言った。

 

雪は、声が出ない、無理に出したら大変なことになる、と思う。

目の前に置かれたお茶を飲んでみる。

ありがたいことに、お茶がとても美味しい。さすがだ、これは高級なお茶だ、と雪は思う。

息を1つ、ふぅー、と吐く。

 

「少し面白さが足りないんじゃないか、と思います」

「……。」

 

「柊雪と申します。スタジオ大黒天で制作を担当しています」

「草見修司です。初めまして」

 

「初めまして。キネマのうたは面白くないんです」

「うん」

 

「や、薬師寺真波は、見る者を楽しませなくて何が役者か、という考えだったんです」

「…知ってる」

 

ここで雪の言葉は一旦止まる。

…このままじゃ負ける。

予想では、面白くないと告げたら草見は怒るはずだった。予想が外れると調子が狂う。

しかし、事前に「こういうことをあなたの口から伝えて」と言われていたことは、すべて言ってしまった気がする。もうお役御免なのではないだろうか。

…いや、現状で自分は負けている。

 

「本もあるんです。『楽しませなくて何が役者か』という本まで出版されてるんです」

「うん。僕が書いた本だね」

 

(一人称「僕」かよ。なんかの会見で「私」って言ってたのに。「僕」のほうがいいじゃん。ずっとそれでいけよ。…て、現実逃避してんじゃねーよ私)

 

真美が、「柊さん、お茶のお味はいかがでしたか」と訊いてきた。

 

「美味しかったです。とても」

「良かった…。話の腰を折ってごめんなさいね。続きをどうぞ」

 

まだお役御免じゃないらしい…。

(しかし…、あの本は草見修司が書いた本だったのか。知らなかった…)

雪は、(書いた…といえば、まだあれを出していなかった…)と思い、バッグから自分が書いた原稿を取り出す。

机の上に、原稿用紙の束を置く。

 

「……。こ…、これは…、この…原稿は…」

 

自分が置いた原稿の天地が逆さになっていることに気づく。

原稿用紙の束を180度回転させ、ついでに、トントン、と机の面へのタップで束を整え、草見のほうへと、ずいっ、と差し出した。

 

「これは、私が書きました」

 

差し出された紙の束をじーっと見つめる草見に対し、アリサが「こちらもどうぞ」と言い、数枚の紙が雪の原稿の横に置かれた。

 

「拝見します」

 

草見は両方を交互に見ながら読み始めた。

(おお、アリサさん、なんか用意してくれてた。たぶん、すごく役に立つ物だ。これは助かる)

そんなことを雪が思っていると、草見が話しかけてきた。

原稿の内容について「ここは何故1人なの?」と訊いてきたので雪は簡潔に答えた。

しばらくすると、「こっちが1人なのはわかるけど、さっきの1人のところ、もう少し詳しく」と訊いてきたので、雪は具体例をいくつか挙げて説明した。

その後、草見は雪の原稿をどんどん読み進めていった。アリサの紙は途中から見なくなった。

 

草見は立ち上がって、「横、失礼するよ」と言い、雪の隣に座った。

そして原稿の1箇所を指差し、「ここはどういう心情なの?」と訊いてきた。

 

(さっきと同じ箇所じゃねーか。私の許可も取らずに隣に座るし…)

 

そこの心情は、怒り、悔しさ、プライド、が入り混じった物、と雪は説明する。

 

(あなたプロでしょ。脚本家としては屈指の人でしょ。何故この程度のことがわからん?)

 

しかし、同様の展開がその後も続いた。

雪には簡単に思えることを、プロである草見が訊いてくる。

 

ようやく最終ページまでいったところで、真美が口を開いた。

 

「どうかしら草見さん。カバーして頂いていた部分、そちらにも入れられるかしら?」

「入れられますよ。ただ…」

 

突然、草見が険しい顔を横に向け、雪の顔を見た。

いきなりだったので雪は驚き、その険しい表情にビビった。

 

「柊さんは、なんでこんな物を書いたの?」

「……。」

 

(予想と違うタイミングで怒り出した。「けいちゃんのリクエスト」と答えると、けいちゃんが黒幕にされてしまう)

 

「なんで…と訊かれても、…困ります」

 

(最終ページまでいって、ほっ、とする暇も貰えず、訳のわからない窮地に立たされた。限界だ…)

 

「柊さんの協力がないと書けません。柊さんがこの調子では書くのは無理です」

 

草見から真美への返事の続き。

さらに追い込まれた、と雪は思う。

 

(この調子ってなんだ? 態度のことか? 説明する度に「なんでわかんねーんだよ」と思ってたのが態度に出てたか? そもそも協力って具体的に何だよ? 私に何を求めてんだよ?)

 

 

「雪さん…」

 

 

声の主は真美だった。

雪は顔を上げ、真美を見た。そこには哀しそうに瞳を揺らす真美の顔があった。

その瞳に胸の奥を、ぎゅっ、と掴まれた気がした雪は、

 

「や、やります。やらせてください。私に協力出来ることがあるのなら…」

 

そう口走っていた。

 

薬師寺家の運転手がハンドルを握る外車の中。

後部座席には雪と草見が乗っていた。向かっている先はスタジオ大黒天。

なんでこうなった、と思いつつ、雪はスマホを手に取った。

草見が「黒山に電話するつもりなら、やめて欲しい」と言い、雪は「へ?」と声を出した。

 

「電話するとあいつ、逃げるだろ。なんだかんだ理由作って…」

「…わ、わかりました」

 

雪は(よくご存知で)と思いながらスマホをしまった。

先刻の出来事をよく思い出してみる。

 

(なんか「柊さん」呼びが「雪さん」呼びになってた。なんか騙された、たぶん。なんで私が草見修司の仕事を手伝うんだ? しかも徹夜で)

 

車の窓の外を流れる夜の街の光景を眺めた。

(一応、私は21歳のうら若き娘だぞ。墨字さんが留守だったら、このおっさんと一晩二人っきりかよ)

そんな雪の思いを乗せたジャガーXJは東京の夜を走っていく。

 

 

 

スタジオ大黒天。

中に入ると、黒山はソファーの上で眠っていた。

雪は草見をPC室へと案内した。

自分が書いた原稿の文書ファイルを呼び出し、席を草見に譲った。

草見は文書ファイルのコピーを作り、コピーのほうを開いて文字を打ち始めた。

 

作業開始からすぐに、「ここは具体的にどういう出来事で埋めるの?」と質問が来た。

雪は、「後ろをゆっくり歩くシーン、途中でこっそり喫茶店に入るシーン、喫茶店で客から注目を浴びるシーン」と答えた。

草見は「ふーん」と答えて、すぐに「なんで?」と訊いてきた。

自分はからかわれてるのか、と雪は思うが、草見の表情は真剣で、からかわれてる訳ではないらしい。

 

これはさすがに簡単だろ、と思える箇所でも質問が来る。

後ろに立っていた雪は、オフィスチェアーの1つを手で掴んで滑らせ、草見の隣に座った。

そして、延々と続く質問と返答、(これはたしかに徹夜コースだ)と、雪は思う。

 

気づくと、黒山が二人の背後に立っていた。

 

「ああ、久しぶり。パソコン借りてるよ」

「それは柊のパソコンだ。俺のじゃないよ」

 

というやりとりをしたきり、黒山は黙った。

雪と草見の作業は続く。

30分ほど経過したところで、「しかし、あれだねえ、草見さん」と黒山が唐突に声を出した。

 

「好きこそものの上手なれ、ってこういう時に使う言葉じゃないけど、こういう時にこそ使いたいねえ」

「まったくだ」

 

黒山の言葉で一旦作業が止まり、その機に草見が「柊さん、文章書ける?」と変な質問をしてきた。

 

…雪は考える。

 

脚本家である草見が言う「文章書ける?」は、おそらく著作をするレベルでの「書ける?」であり、自分にそんな文章力はない。

 

「ビジネス文書を書く程度しか出来ません」

「上等、上等」

 

そして、雪は1人でパソコンに向かうことになった。

カタカタとキーを叩き、自分が書いた原稿に文字を足していく。

内心、(自分1人のほうが速いのでは?)と疑問を抱きつつ作業をしていたので、抵抗なくこの展開を受け入れた。

 

草見がやっていた作業は文章の肉付けだ。

自分が書いた原稿は、「概要」という感じで細部の叙述がない。

それでもかなりの文字数の原稿になっていた。肉付けすると、書籍1冊分くらいのボリュームになりそうだった。

 

(「文章書ける?」って、概要見れば私の文章力の程度なんてわかるじゃん。聞く必要ある?)

 

そんなことを思いつつ、キーを打ち続ける。

(具体的な細かい出来事もそうだけど、その理由とかその時の心情とか訊いてきたなあ)

雪はそういう部分も丁寧に文章化し、肉付けを膨らませていった。

(こういうリアルな人間の面白さを、あんたらプロが書いて、私はそれを読んで楽しむ側だろ)

だが、実際に書いてみると意外と楽しい。文章の巧拙など度外視して、雪は指が動くままにどんどん書いていった。

 

少し休むか、と伸びをして、時計を見ると3時間が経過していた。

キッチンに飲み物を取りに行くため、PC室を出る。

 

フロアでは1人用の椅子の上で黒山が、テーブルを挟んだ対面のソファーの上で草見が、それぞれ眠っていた。

 

(寝てるじゃねーか。徹夜させられるの私だけじゃねーか!)

 

 

               第32話「好きこそ」/おわり




以上が、私なりのアクタージュ「scene155」となります。

黒山が言った「好きこそものの上手なれ」は一般的に広く正しく使われている言葉です。
もちろん今回の雪のエピソードには当てはまりません。
黒山は、「好物の土俵ではとんでもない域に達している例」として言っています。
本来の「好きであることが上達の早道」という意味とは、似ているようで全然違います。

そして、この時点で雪は自分がどういう事態に巻き込まれているのか理解できていません。
黒山もそうですが、アクタージュに登場する大人たちは、不親切な感じに言葉が足りないスタンスの人が多い気がします。

そういう態度がかっこいいんでしょうか?
まあ、実際ちょっとかっこいいんですけど……。

なお、夜凪はこの日もくたくたに疲れており、早々に自宅へ帰って、家でのんびり過ごしています。

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