セカンドステージ (役者と監督のその後)   作:坂村因

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第34話 「容れ物」

夜凪は現場に着くと、まず人目のない場所へ移動し、いつか集中的に練習した「皐月ちゃんの真波の7年後の真波」の演技のおさらいをしていた。

これを日課にしよう、と自分で決めた。

 

阿笠の芝居を見ている時も、阿笠が演じるたか子と絡んでいる自分のイメージはその「真波」だった。

夜凪が、黒山から聞いた立体音感の話でいちばん興味深かったのはこれだった。

 

頭の中に、仮想空間を構築する。

 

作業としては、普段何気なくする空想や妄想と変わらなかった。

感覚も同じだ。

ただ、それを芝居に応用する試みは新鮮だった。

過去の映画や舞台への出演時にも同じことをやっていたはずなのに、立体音感を意識して行うと印象が違う。

 

黒山が「意識することで、おそらく見える世界が変わる」と言ったので、夜凪はその言葉に過剰な期待を抱いた。試すのが楽しみだ、と思った。

 

…期待は見事に空振りした。

 

(だって、まったく同じなのよ…)

 

夜凪が頭の中に作る空間の雰囲気は、過去に実行した物と違うところが何もなかった。ただ、(他の人はこういうふうには空想しないんだ、不思議だなあ)という印象を受けるだけだった。

新鮮といってもその程度の変化だった。

 

ただし、けっこう便利ではあった。

以前は単に必要に応じてやっていたことだったのが、今は(この状況なら頭の中で練習出来そう)と自分でその機会を見つけられるようになった。

 

阿笠の撮影が終わり、しばらくの待機時間が発生した。

夜凪は、環に「ちょっと1人で考え事してくる」と告げて移動した。

 

現場から少し離れた場所、人目のない所にあるベンチに1人座った。

集中して、先ほどまでやっていた阿笠と自分の掛け合いの構築を再度試す。

うまくいかない。

集中しても、先と同じ物しか作れない。

 

黒山が言っていたのは「見える世界が変わる」だ。

それを「頭の中に作る空間の姿も変わるかも」と勝手に期待したのは自分だ。

黒山に非はない。

 

なお、「見える世界」については既に検証が済んでいる。

夜凪は、何気なく目に入る風景について、(他の人はこういうふうに見えてないのか)と思いながら、いろんな物を見た。

 

その時、必ず自分の頭の中に勝手に作られる空間の姿、他の人にはこの空間の姿がないらしい。

 

後天的に鍛えることで得られる代物ではあるらしい。鍛える部位は耳、とのこと。

聴力を鍛えるのではなく、音に対する感覚を鍛えるらしい。

 

夜凪は自宅で、大きめの音量で音楽を流しながら部屋の中を見回した。

大量の複雑な音が、部屋の中のいろんな物にぶつかり跳ね返る。

飛び交う多くの音と音は衝突して混じり合い、別の波長の音となって漂う。

そうすると、頭に作られる空間はより克明となった。夜凪は(なるほど)と思った。

さらに、頭の中の空間に意識を集中させると、その姿は克明な上に鮮明になった。

夜凪は(ふーん、こうなるのね)と思った。

 

(だから、なんだというの?)

 

夜凪は布団の上にダイブし、足をジタジタさせた。

 

黒山の話は「医療に関する論文」が裏付けになっていて、夜凪はまずその「医療に関する論文」というのが気にくわなかった。

専門的な話として「おまえは普通の人とは脳が違う」と宣告されている気がして、それはけっして気分の良いものではなかった。

特に「脳」という単語が駄目だった。

なんというか、「脳が違う」という宣告は、受け入れがたい不気味さを伴っていた。

 

もし、事故かなにかで役者が続けられない身体になった時、オーケストラの指揮者を目指せとでもいうのだろうか。

 

もう1つ、黒山が教えてくれたことがあった。

何故夜凪が吐き気を克服出来たかという話だった。

 

あの時、夜凪が懸命に取り組んでいたこと。

つまり、薬師寺真波を演じる夜凪景を演じる千世子ちゃんを私が演じる、というのが良かった。

特に良かったのは、夜凪が選んだ相手が百城千世子だったことだ、と黒山は言った。

 

(そう、千世子ちゃんはとても良いものなのよ)(←隙あらば褒める)

 

百城が得意とする俯瞰は、空間を作るという意味において、「現象」としてとても似ている。

百城が優れているのは目と記憶力であり、視覚情報から得られた記憶を元に、高い空間把握能力を発揮する。

あの時の取り組みで夜凪は、百城が作った空間と自分が作った空間を頭の中に同居させた。

その行為を何度も繰り返し、没頭した。

結果、夜凪の脳は自身の三半規管を疑うことをやめた。

 

(また「脳」。イヤなのよ、その言葉…)

 

これまで生きてきて、自分が他の人とは違うと感じる局面は何度もあった。

普通がわからない、自分は変な人だ、という思いは散々味わってきた。

ただ、「脳が違う」は、今まで考えたことすらなかったことだ。

 

さらに、黒山は「あくまで仮説」としてこんなことを教えてくれた。

 

…何故夜凪景はメソッド演技を得意とするのか?

 

仮説の検証のために夜凪は、過去に何度も見た自宅にある映画のビデオを鑑賞した。

その映像や音声は、いつも通り自分の頭の中に空間を生じさせた。

(普通の人にはこれがないのね)

さらに映画を見続ける。

そして、現実から逃避するために作品世界に没入していた頃の自分に思いを馳せた。

 

異常なほどに没頭していたと思う。

作品世界以外のことがすべて消し飛ぶほどに、極度に集中していたと思う。

自分が作品の中に登場していると錯覚出来るほどに、完成度の高い仮想空間を作り上げていたと思う。

 

結果、翌日になっても感覚が抜けず、ルイとレイ(おもにレイ)を怖がらせてしまった。

そのせいで、「おねーちゃんは役者さんにならないとダメ!!」と言われてしまい、おかげで自分は役者になった。

 

夜凪は、実体験にせよ作品鑑賞にせよ、そこから受け取る情報量の多さが常人の比ではない。

 

たとえば自分が作品中の人物の1人、つまり現実の自分とは別の人物に成りきること。

自分が「それそのもの」とただ思い込むだけなら、空想力の逞しい人なら可能だろう。

 

ただし、思い込むだけではなく、「それそのもの」に完全に成りきるためには、「それそのもの」と区別がつかないくらい精巧な容れ物の中に入る必要がある。

その精巧な容れ物を頭の中に作るためには、どれほど膨大な情報が必要だろうか。

夜凪は、その必要な情報量を特異な能力で集めきってしまう。

夜凪のような能力を持たない者が、練習や訓練によって容れ物の出来栄えを高める努力をどれだけこなしても、夜凪の域には届かない。

 

ただ、夜凪は思う。

 

(メソッド演技は武器の1つでしかない。役者に大事なことは他にいくらでもある!)

 

たとえば、今ベンチに座ってやっている訓練は、「上手い演技」を目標とする物だ。

上手い演技のためには、とにかく稽古。絶対的な練習の回数。

キャリアの浅い自分はどう考えてもその回数が少ない。

だから、阿笠と自分の掛け合いの構築をこうやって繰り返す。

本当に練習しているくらい効果的になるまで頑張る、と決意して繰り返す。

 

 

 

都内の喫茶店。

ようやく来た人物は、プロデューサーの中嶋だった。

そして挨拶の後、「草見さん、来れなくなったって。柊さんに聞けばわかるから大丈夫らしい」と、とんでもないことを言った。

 

「カバーはむしろちょっと増えてるって言ってたよ」

「そうですか」

 

雪には「カバー」とやらが何なのか分からない。

いったい何がどうなっているのか、自分に丁寧に説明してくれる人にそろそろ出会いたい、と雪は思う。

雪は今朝書き上げたばかりの原稿の束と、その文章ファイルのデータを中嶋に渡す。

受け取った中嶋は、

「拝見します」

とにっこり答えた後、原稿に、ぐっ、と顔を近づけた。

 

「へえ、草見さん、文章巧くなったなあ」

「……。そうですか」

 

「あの人、小説家志望だったからね。修飾やら叙述やらに凝ってたんだよ。でも脚本の文章には不要なんだよ、そういうの」

「…そういうものですか」

 

「これ、こういうのが脚本の文章。読みやすいし、必要な情報が伝わりやすい」

「草見さんは、凝った文章が好みだったんですか」

 

「そう。いくら言っても直してくれなくてさ。脚本は小説じゃないんだから、とお願いしても変にこだわって聞いてくれなかった。それが今回は直ってる。脚本はこうじゃないと駄目。これがプロの脚本家が書く本物の文章だよ」

「……。…果たして、そう…ですかねえ?」

 

「…え?」

「いえ、なんでもありません」

 

無言のまま、熟読タイムが続く。

雪は、チョコレートパフェを注文した。なんだか美味しいものを食べたかった。

中嶋は、いろいろ質問してこない代わりに読むのが遅い。

そして、原稿用紙にどんどん貼られていく付箋を見ると、雪は暗い気持ちになった。

けっこうな時間が経ち、時計を見ると、お昼が近い。

スタジオ大黒天に戻って、ルイとレイに昼食を作ってあげなくてはならない。

 

ゆっくりと真剣な顔で原稿を読む中嶋。

増えていく付箋の数。

 

業界の下っ端として、雪はいらいらが態度に出ないよう気をつけて、ただ座っていた。

 

               第34話「容れ物」/おわり




以上が、私なりのアクタージュ「scene157」となります。

夜凪の変なところとしては、直接芝居に関わらない状況での演技が下手、というのもある気がします。
アクタージュ原作「scene33.夜景」において、七生との色仕掛け勝負で見せた夜凪の演技の下手っぷりときたら……。
原作「scene108.スター」で、シャトーブリアン登場のせいで幻となった夜凪による「王賀美の真似」はもしかしたら上手だったかもしれません。
そして、原作「scene32.私のカムパネルラ」で、千世子が見せた芝居(泣いたフリして夜凪を遊びに連れ出すやつです)のような物は、そもそも出来ない気がします。
それとも、今の夜凪なら出来るんでしょうか。

あと、「意識していないこと」を処理するのも苦手なようです。
アクタージュ原作「scene10.顔合わせ」では、黒山から「自分を俯瞰する力が足りない」と言われています。
そのことを課題として意識して臨んだデスアイランド編では、千世子の俯瞰の技術をあっさりと盗み、「フレームアウトして嘔吐する」という荒技に成功しています。
これは、俯瞰する能力のポテンシャルは高かったが、意識することで能力をコントロール出来るようになった、と解釈していいと思います。




雪は、現状ルイとレイ(この二人、無園児ですよね)の面倒を見ています。
翌年、ルイとレイが小学校に入学すると、状況も変わります。
そして、同時に夜凪は高校を卒業します。
スタジオ大黒天を取り巻く環境は大きく変動しそうです。

夜凪は「自分の定義の1つ」としての学校を失うことになります。
私としては、新しい「定義」を夜凪に与えるつもりでいます。
それは、相当に大掛かりなプロジェクトとなり、その具体的な詳細について私は既に決めていますが、それを書くのはまだまだ先になりそうです。

まずは、「キネマのうた」編をきっちり仕上げたいですね。

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