セカンドステージ (役者と監督のその後)   作:坂村因

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第36話 「人物Hの活躍の舞台裏(前編)」

「キネマのうた」2話目の撮影が終了した週末のスタジオ大黒天。

宅配便でダンボール箱に入れられた新しい脚本と台本が届いたことで、夜凪家の面々も呼び出されていた。

 

黒山に「まずは読んでみろ」と言われ、夜凪は脚本と台本を渡された。

 

ソファーの上で脚本を読む夜凪を見て、黒山と雪は「凄い集中力だな」「読むの速い」といった会話をした。

ページをめくる夜凪の姿は場面毎に表情が変わるので、黒山と雪はそれを面白く感じながら眺めていた。

 

台本を読むのは逆にゆっくりだった。

ページを戻したり、立ち上がって所作を試してみたり、動きこそ忙しい夜凪だが、読む進めるのには時間を掛けていた。

 

読み終えた夜凪の第一声は、

「これ、撮影はどうなるの?」

だった。

 

「1話目から全部撮り直しだ」

「…そう。そうよね。だって全然違うもの…」

 

「日程にも予算にも余裕のある現場だ。スケジュールは大丈夫だろう」

「さすがMHKだわ。オーディションの時、大河ドラマはそういうところがいい、と言ってた子がいたわ」

 

「もちろん変更は早いほうがいい。大きな変更だと尚更だ。決断するのも大変だっただろうな」

「そういうものなのね…」

 

黒山が、今回の変更に至るまでの一連の流れを、順を追って説明してくれた。

草見から詳しく聞いた、と前置きされたその説明は、意外なエピソードから始まった。

 

 

 

薬師寺真美にとって星アリサは恩人だった。

 

停滞していた真美が自分を取り戻せたのは、アリサとの出会いのおかげだ。

自分より9つ歳下の、これまでに見たことのないタイプのアリサというその女優は、真美に「新しい時代」の到来を予感させた。

真美からの一方的な思いではあったが、再び自分が活動するきっかけとなったアリサは、間違いなく「恩人」と呼べる存在だった。

 

活動再開の1つ目として真美が選んだ行動は、「薬師寺真波の演じ方」全30巻のビデオの制作だ。

真美にとって、真波は「日本一の女優」であり「誰にも超えられない上限的存在の役者」だった。

それを過去の物にしてしまおう、というのが真美の考えだった。

 

「薬師寺真波」という存在そのものを、俳優博物館的な何かの中に歴史的資料として仕舞ってしまえばいい。

少なくとも、自分の中ではそういう「扱い」とし、出来得ることなら他の業界関係者にも共有してもらいたい「扱い」と考えた。

 

だが、真波の演じ方の劣化版や簡易版といった演技指導は多用された(今現在もなお多用され続けている)。

芝居が未熟な役者に手っ取り早く「様になる演技」をさせるのに、「万能薬」はあまりに便利過ぎた。

そのため、それ抜きには成立しないような企画が多発される流れが既に生まれていた。

真美はその流れを苦々しく思い、自分が出演する作品においてはその使用を絶対に許さなかった。

 

 

参考にするのであれば、書道における過去作品の臨書のように行われるべきであり、不正確ででたらめな真似は有害でしかない。

 

 

役者に対して真波の演じ方を杜撰に教える監督に、真美は苦言を呈した。

そのせいで、予算やスケジュールが苦しい企画が頓挫するケースも少なくなかった。

 

真美が業界で、「口うるさい」「偉そう」と悪口を言われる所以でもある。

 

アリサに対し、真美は大きな期待を寄せた。

 

真波の域に届くかもしれない。

もしかすると超えて行くかもしれない。

しかも、まったく新しい形の役者による新しい可能性。

真波を過去の物とし、次の時代が始まるためのきっかけとなる役者。

その大役を任せるのに、アリサ以上の逸材はいない。

 

真美はあらゆる面でアリサを支援した。

共演の機会があると、可能な限りサポートした。

 

そういった支援の最後の1つが巌裕次郎との橋渡しだった。

 

最高峰の実力を持つ演出家と天才女優、その融合から生み出される物に真美は注目した。

 

結果、アリサは役者をやめることになった。

このことで、真美は大きな負い目を感じることになった。

 

その後、幾度となく真美はアリサに声を掛けた。

アリサは真美に対して恨みなど持っておらず、いろいろと目を掛けてもらったことに感謝すらしていた。

ただ、「役者の幸せ」を最優先することに決めたアリサの意思は固かった。

 

役者の在り方について「高みを目指す」という考えの持ち主である真美の声は、スターズ社長星アリサに聞き入れられる内容ではなかった。

それでも、真美は事あるごとに打診を続けた。

 

 

 

ある日、中嶋という名のプロデューサーが「キネマのうた」の企画の話を真美の元へ持ってきた。

中嶋は、「今のテレビ業界を何とかしたい」という熱い思いを真美に語った。

 

そして、中嶋が提案した「本物で紛い物を塗り潰す」というコンセプトで書かれた脚本は、内容そのものが真美が考える水準を遥かに下回っていた。

 

現在、横行している紛い物の「真波」を塗り潰すには、必要な「数」がまるで足りていない。

選択された「真波の演じ方」も相応しくない物が多い。

 

真美は、ビデオ30巻に収録された技法1000種以上の中から多数を選出した。

これらをほぼカバーする内容の脚本が作れるなら「薬師寺真波」を題材に使うことを許可する、という話になった。

中嶋の考えには大いに賛同出来るものの、やはり真美には譲れないラインがあった。

 

中嶋は、脚本の執筆者である草見を訪ね、真美の注文を伝えた。

その注文の具体的な内容を見て、草見は「キネマのうた」の脚本の書き直しをその場で断った。

あまりに難しい注文だったからだ。

 

中嶋は食い下がった。

 

もし注文に応えられたなら、真美自身が作品に出演してもいいと言っている。

もちろん、撮影現場で直々に出演者たちの芝居の質を見るための出演だ。

必要とあらば、演技指導も厭わないとまで言っている。

真美もかなり前向きな証拠だ。

この注文に応えて、真美による品質調整が実現すれば「キネマのうた」は凄いドラマになる。

 

草見を説得するために、中嶋は熱弁した。

 

その甲斐があり、草見は一度真美と話し合う機会を作ることに了承した。

 

真美から「真波の演じ方」について説明を受けた草見は、自分が今とても濃厚で有意義な話し合いの時間を過ごしている、と実感した。

草見が認識していた「ドラマや役者の世界」とは、まったくの別物としか思えない世界の話だった。

 

捉え方が違う。

姿勢が違う。

熱意が違う。

見据えている高みが違う。

 

草見は脚本の書き直しに着手した。

しかし、注文された内容を配置し、なんとか物語の形に整えるのが精一杯だった。

あまりに難しく、筋を吟味する余裕など無かった。

書き直した脚本が真美の「許可」を勝ち取ったことを中嶋から伝えられ、草見は心底嬉しく思った。

 

後になって考えると、自分が書いた脚本は非道い出来だった。

ただ、作られるドラマがどれほど有意義で高品質な代物になるのか、その完成品を見るのが楽しみだ、と草見は強く思った。

心残りは、吟味する余裕もなく、工夫する余地もまるでなかった脚本のことだった。

 

 

「草見さんの心残りは、謎の人物Hによって解決されることになる」

 

「そういう勿体つけた言い方好きじゃないわ。誰よ、謎の人物Hって…」

 

「……。」

 

 

真美は「キネマのうた」の企画が通ったと中嶋から連絡を受け、アリサに電話を入れた。

いつものように聞き入れられないことは覚悟していた。

ただ、真美がアリサに対して抱いている負い目はあまりに大きかった。

 

最近のアリサは「役者の在り方」について考え直し、スターズの長年の方針を変えようとしていた。

そして、鳴乃皐月の今後について悩んでいるところだった。

 

               第36話「人物Hの活躍の舞台裏(前編)」/おわり




以上が、私なりのアクタージュ「scene159」となります。

雪の大活躍には、ちゃんとそれなりの理由があります。
普通に考えて、特に何者でもない21歳の小娘が「面白い物出来ました」と言い出しても、こんな展開にはなりません。
また、雪に「もう一度同じことをやれ」と言ってもまず無理でしょう。

雪は有能です。
ただし、その有能さが開花するのはさすがにもう少し先の話です。
今回の出来事は、後ろで動き回った多くの人たちがいて、雪本人としても偶然やタイミングに助けられた部分が多々あり、実力以上の働きを見せてしまったわけです。

前回の「会議室にて」は、私の中ではキリのいい箇所に位置付けられていて、「さあ、今回から新展開だ」と張り切っていました。

まあ、撮り直しが決まったことは大きな動きではあるんですけど……。
なんだか、前回までの話の残り火のような内容で1話を使ってしまいまして。
しかも、(前編)という事態になってしまいまして……。

まあ、焦らず丁寧に書いていこうかと思います。

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