セカンドステージ (役者と監督のその後)   作:坂村因

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第37話 「人物Hの活躍の舞台裏(中編)」

真美からの電話は「自分は次の大河に出演するが、何か役に立てることはないか?」というものだった。

アリサは、主役の子供時代のオーディションがあることを知り、同時にわずか1話のみの出演ということを知る。

真美は、「1話だけとはいえ、役を勝ち取って欲しい。天職が女優であると納得させるだけの演じ方を、自分が鳴乃皐月に教える。彼女がどれだけ女優業に本気か伝わるように、厳しい演技指導を受けている様子も撮影する(現場で別撮りしていた皐月の個人レッスンに該当する撮影のこと)」と告げる。

 

役者として一流の真美は、演技指導者としても一流であり、そのことをアリサは知っていた。

 

必ず成功する類の話ではないが、望みが出てきたことにアリサは喜んだ。

皐月は見事実力でオーディションを勝ち抜いた(アリサが手放すのを惜しがるだけあり、皐月のポテンシャルは高い)。

 

1話目の撮影を終えた真美は、皐月の実力の高さ、短期間での成長ぶりを信じ、行動に出る。

草見と話し合いの場を設け、「脚本に変更は出来ないか? 具体的には、第二黄金時代の後の真波と子供時代の真美(皐月が演じることになる)のエピソードを加えることは出来ないか?」とお願いした。

 

草見は、不出来な脚本が採用されたことを残念がっており、この真美の願いを快諾した。

ただし、草見が変更を加えた脚本が採用される保証はない。

撮影は既に始まっており、編成部に変更を認めさせるのは難しい。

草見は、「中嶋に相談し、なんとか認めさせる方策はないか考えてみる」と真美に告げ、その話し合いは終わりとなった。

よって、真美とアリサ(当然、変更案が通った折には皐月を真美役の子供時代にどうか? と事前に真美から知らされている)は、結果を待つしかない、という不安な日々を過ごすことになった。

 

この時点で、この変更案の話が動いていることを知っている人間は5人。

真美、アリサ、皐月、草見、中嶋の5名のみだった。

 

「ところがこの時点でこの話を知る者がもう1人いた。謎の人物Hだ」

 

「いったい何者なの? 謎の人物H…(産業スパイ?)」

 

「……。」

 

人物Hは、アリサに電話を掛けてきた。

他に知る者などいるはずがない、とアリサは誤魔化そうとしたが、通用しなかった。

なにしろ相手は「真美役の皐月」という具体的な内容まで知っていた。

 

そして、人物Hは唐突に「キネマのうた」の脚本改変案を語りだした。

電話で聞いていたアリサは驚いた。

その改変案が面白い内容だったからだ。

草見と中嶋からの報告で、「前回は技法を配置するだけで精いっぱいだった。今回は少し条件を緩くして貰ったとはいえ、それでも難しい」、とアリサは聞かされていた。

時間が経ち、撮影が進むほどに編成部に認めさせるのは、より難しくなっていく。

 

アリサは、作業が難航している草見の助けになるかもしれない、と電話の内容をメモに取った。

さらに、「今の改変案を文章化出来ないか」と人物Hにお願いした。

 

文章化された物の内容を検証するための場が設けられた。

一晩で文章化された改変案は、文字数にして約5万字。

単行本の3分の1程度の量しかなく、内容も作中での出来事を並べただけの概要に過ぎない代物だった。

それだけを読んでも面白さは分かりづらいが、派生する細かいエピソードとその説明を聞くとたしかに面白い。

アリサは、電話で聞いて面白いと感じた派生エピソードや説明等の細かい部分のメモを、A4用紙3枚にまとめた物を用意していた。

 

その日のうちに草見は、概要を基にちゃんとした脚本の形にする作業を開始した。

だが、草見の作業は遅々として進まない。

概要に施す肉付けは、適当に膨らませればいい、という性質の物ではなく、しっかりと面白さが維持されていなければならない。

その維持が草見には難しい。

作業の協力者となった人物Hからは、派生エピソードやその詳細の具体的な内容が口頭で伝えられる。

草見はただそれを文字にして入力する。

 

草見は、一旦作業の場を離れた。

 

そして、現状についてのすべてを細かく黒山に伝えた。

この時の草見と黒山の話し合いにおける黒山のアドバイスが光った(←自画自賛ですよ)。

 

草見と黒山の会話の流れは以下のような感じだった。

草見が「やはり薬師寺真美は業界の毒だ」という話をした。

撮影所時代の映画界を支えた女優を母に持ち、その母を自身の才能で苦しめた薬師寺真美。

生き抜いてきた世界も、母子が登り詰めた高みとそこから見ていた景色も、何もかもが現在と違い過ぎた。

草見は真美の話を聞いて大きな衝撃を受けた自分に気づいていた。

しかし、その衝撃は草見が自覚している以上に根が深く、脚本を書く指はどうしても「昔の業界の凄み」に引っ張られた。

結果、本来なら世に出す物としては相当に非道い出来の脚本に、草見は満足してしまった。

出来の非道さに「もう少し何とかならなかったものか?」と草見が悔やむのは、しばらくの時間が経ってからだった。

 

草見は、「中嶋さんも自分と同じ道を歩もうとしている気がする」と不安を吐露した。

 

熱が入りすぎている…。

中嶋は、元々「テレビ業界のために!」という熱い思いを持っていたが、真美の注文と向き合っているうちにその熱が高くなってしまっている。

草見は、そのうち中嶋が自分のように暴走してしまうのではないか、と心配した。

そして「キネマのうた」リハーサル初日、中嶋と二人きりになった時に、草見はそのことを忠告した。

薬師寺真美の「毒」は想像以上に深く強く効く、自分はこんな失敗をした、という内容だった。

その時の草見の「中嶋の覚悟に乗っただけ」という言葉には、「自分は何も出来なかった。非道い出来の脚本を作っただけだ」という自虐の意味があった。

 

草見は、人物Hにもちゃんと説明しておこう、と呟いた。

そこで黒山は、「やめたほうがいい。あいつは今自分が置かれている状況がよくわかっていない。それがわかってしまうと委縮してしまう。中嶋さんにも、あいつに状況を悟られない言動を取るように教えておいたほうがいい」とアドバイスした。

PC室からは、カタカタと調子の良い音が聞こえていた。

黒山は、「伸び伸びと作業している証拠だ」と言い、草見は、「なるほど」と納得した。

 

 

 

話題は「毒」に関する内容に戻った。

黒山は、「その毒の影響については、演出家や監督はもっと深刻だ」という話をした。

現役時代の母子と仕事をした人物を師匠に持つ者はもちろん、ビデオ30巻の技法1000種を見ただけの者もことごとく影響を受けている。

とにかく内容が素晴らしすぎる。

影響を受けないはずがない。

おまけに、俳優連盟は定期鑑賞会まで開いている。

 

21世紀を生きる我々は新しい物を生み出す気概を持つべきなのに、その土壌が作れていない。「過去の財産」に引きずられたままだ。

 

黒山と草見は、酒を飲み始めた。

過去の財産に苦しめられている現実がたしかにある。しかも、二人とて例外ではない。

黒山は、自分が作りたいと憧れた映画は「東京物語」だった、その憧れを今も引きずっている、と白状した。

そして、「教え子には、スター・ウォーズはルーカスが既に作ってるだろ、と叱ったくせにな」と笑った。

草見にも思い当たることがいくつもあった。

そんな話をしていると、お酒が進んだ。

 

 

 

やがて、もう1つの意味で使われている「毒」の話になった。

真美にとっては濡れ衣であり、中嶋が何とかしたいと願っている話でもある。

技法1000種を便利に使いたがる業界関係者が多すぎる、という問題だ。

 

「神の調合」と呼ばれた真美の演技指導を流用すれば、お手軽に「様になる芝居」の出来上がり。

 

こんな「毒」がある限り、腐敗の蔓延が止まるはずがない。(←環が夜凪に教えたのは、こちらの「毒」のほう。環は、「超一流の演技指導力が練り込まれた万能薬は役者の演技を真波色に染めてしまい、その役者は個性を潰されかねない。だから、恐ろしい」と解釈していた。「難解な方程式」についても「万能薬に対する防衛策」だと単純な解釈をしていた。黒山にも「気持ち悪さに対するクッション」の意図はあったが、もっと重要な本来の意図は、「ベテラン役者たちの技を覚えること。具体的には、真波の演じ方を精確に踏襲する方法。その上で、如何に自身の個性を乗せていくか、という工夫。さらに、それを競い合うというベテランたちの姿勢。可能ならば、外部事情を作品内に落とし込む熟練の技術も覚える」、そういったものを夜凪に学んでもらうことだった。)

 

「中嶋さんには頑張ってもらいたいな」

 

そう呟いて、草見は眠ってしまった。

 

 

 

早朝、目を覚ました草見は(まずい)と思い、PC室へと向かった。

PC室は無人だった。

やや遅れてやってきた黒山は、「俺が酒を出したのが悪かったな」と呟いた。

 

草見は、ディスプレイに表示されているコピーされたほうの文書ファイルを開いた。

そこには完成した脚本原稿があった。

合計16万文字。

概要では5万文字だったので、実に11万の文字が書き加えられたことになる。

 

二人は完成原稿の文章を順に目で追っていたが、黒山は気になる点を見つけ、概要のほうの文書ファイルを開いた。

概要に書かれた内容は、以前黒山が人物Hに話したものが参考になっていると思われた。

真波、真美、そして母子の戦いについて自分が話した中から、人物Hは自分が面白いと思う部分をピックアップして組み込んでいる、と黒山は思った。

そして、黒山は完成原稿のほうに目を戻す。

施された肉付けには、明らかな傾向が見られた。

それは、真波のイメージの部分にあった。

黒山は、(これは、皐月、夜凪、環の3人が作ったイメージだ)、と思った。

より正確に言うなら、「イメージ通りの真波が演じられたらキネマのうたを面白くする自信はある」と環が力説した時のイメージだった。

あの時、人物Hは執拗なほどに「そのイメージでキネマのうたが面白くなるのか」と食い下がっていた。

言い合いの末、環の力説が勝った。

 

しかし、と黒山は不思議に思う。

同じ時に、自分も真波について思いっきり力説した。

その真波のイメージがまったく混じっていない。

忠実に、純粋に、鮮やかなほどに、環が力説したほうの「真波のイメージ」に寄せられていた。

そして、黒山は思い当たる。

そういえば自分が力説している時、人物Hは何故か不在だった(←外に出て、夜の歩道で墨樹と玉樹を蹴ってました)。

もし黒山の力説を耳に入れていれば、環の力説の印象がいくらか薄れ、純度の低いイメージになっていたかもしれない。

 

真波の描写にブレがないことが、人物像をリアルに掘り下げる手法にがっちりと合っている。

そのことが、物語の味わい深さを見事に際立たせている。

 

               第37話「人物Hの活躍の舞台裏(中編)」/おわり




以上が、私なりのアクタージュ「scene160」となります。

なんだか長くなってしまいそうなので分けました。
というわけで、「中編」という事態になってしまいました。

どうせ書くならとことん書いてやろうと思い、あえて詳細に記述しました。
雪は玉樹を蹴ったくらいなので、言い負かされたのが悔しかったのでしょう。
そして、同時に「まあ、たしかに面白くなる」と納得させられています。

環が力説したほうの真波は、晩年寄りです。
雪の好物の方向だったのも大きいかもしれません。

言うのも何度目かになりますが、街路樹を蹴ってはいけません。

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