テイク3。
「どうして!? どうしておばあちゃんは映画が嫌いなの!?」
皐月の演技に、見る者を惹きつける空気が宿り始める。
「私もお母さんみたいになりたいのに。どうして許してくれないの…?」
カットの声は掛からない。つまりここまでにNG部分はなく、そのまま次の文代の台詞へと撮影は続く。
集中力が増した皐月の正面には、文代役の薬師寺真美が悠然と座っている。
真美の口が開く。
場の空気の色が一気に変わったような感覚が皐月に伝わる。
「芸能は、…あれは女が嗜むものではありません」
集中していたはずの皐月の反応が遅れる。次の「でも女優には立派な人もいるわ!」という台詞の前におかしな間を作ってしまう。
ここでカットの声。当然OKテイクにはならない。
テイク4。
「でも女優には立派な人もいるわ!」
周囲には「良い演技だった」という目で場を見つめる者たちがいる。
だがOKテイクにはならない。
環は「当然よ」と思いつつ立っていた。
無能な監督なら今のでOKにしてしまう。だがこれは大河ドラマだ。求められる水準の高さが違う。
テイク5。
ほぼ同じ流れ。OKテイクにはならない。しかし皐月の演技が徐々に空気に溶け込み始めている。頑張る皐月を見つめる環。
その視界の隅にスッと場を離れる夜凪の姿が映った。
環は、
「まさか? いくらなんでも早すぎる。でも他の理由は考えられない」
そう思いながら夜凪を追う。
行き先は女子トイレ。
予想通り、夜凪の嘔吐の声が環の耳に入る。
(どうする? これも墨字くんの戦略の1つ? いや、さすがに無茶だ。戦略が破綻したとしか思えない。私がなんとかするしかないのか?)
トイレの個室から出てきた夜凪。目の光は強いが、顔色は悪く体もふらふらしている。
環は「大丈夫?」の声も掛けず(どうしろっていうのよ)という心持ちで夜凪を見つめる。
「…墨字くんに何か言われた?」
環はようやく言葉を絞り出した。
まだ呼吸の乱れが戻らない夜凪は、
「いくつかの…。難解な…方程式…」
と環の質問にかろうじて答える。
その答えを聞いた環は懸命に考えを巡らせる。
…難解な方程式か。
何を指しているかはわかる。だがそんな言い方じゃあ「毒」に対する防衛策としては弱い。
(おいおい、墨字くん。夜凪景の力を見誤ってるぞ。すごい早さで吸収してるぞ、この子。このままじゃあ破綻コースだ)
(それとも、この事態すら戦略のうち? ふざけちゃいけないよ、墨字くん)
そんなことを思うも、考えはまとまらない。
…どうする?
「も、戻らなきゃ。皐月ちゃんの演技を見なきゃ…」
走りだそうとする夜凪の腕を咄嗟に掴む環。「どうする?」という言葉が出口を見つけられないまま環の頭の中をぐるぐると回る。
腕を掴まれ、「え?」という反応を示す夜凪。
第2話「神の調合(前編)」/おわり
以上が、私なりのアクタージュ「scene125」となります。
黒山は不在です。アクタージュ原作「scene117.奪う」で「俺、来週からまた空けるから」「しゃあねえ。そろそろ動き出さねぇとな」と既に明記されていることなので私が変更するわけにはいきません。
そして雪の同行を許さずに「今は夜凪を頼む」と述べていることから、黒山の行動がどういうもので何を目的としたものなのかもほぼ確定路線として決定しています。なので変更できません。
黒山は広島県尾道の旅館にいます。
スマホの電源は切っています。これにはとても重要な意味があり、尾道を訪れた黒山にとって外界からの接触を断ち、自分自身を見つめることは絶対的に必要な作業となります。
アクタージュ原作「scene114」において「撮りたい映画じゃない。撮らなければいけない映画が見えるようになってきた。そのための力がまだ足りない。俺にもお前にも」と言っています。
黒山も自分自身のステップアップに挑戦しています。
尾道を選んだのは「東京物語」のロケ地だから、というのが原作本来の理由に相応しいかと思います。
その理由に加えて、他にも何か別の理由も与えてみようと私は思っています。
大きな国際映画賞を数多く受賞しているドイツの映画監督ヴィム・ヴェンダースは「尾道への旅」という写真展を開いており、その旅の写真で写真集も出しています。
ヴェンダースの代表作「ベルリン・天使の詩」(カンヌ国際映画祭:監督賞)という映画は「全てのかつての天使、特に安二郎、フランソワ、アンドレイに捧ぐ」というクレジットで締め括られています。
安二郎は小津安二郎のことです。
黒山にとって小津安二郎は演技面での完璧さを追求する演出家です。
「作品は人ありき」と考える黒山にすれば、小津は目標にすべき偉大な先人の1人です。
そして、究極の映像美が本領といえる「ベルリン・天使の詩」に、小津安二郎の名がクレジットされているという事実。
黒山はこの事実をうまく咀嚼できない自分に気づいています。
未消化のまま課題として残っているわけです。
映画作品「東京画」では、ヴェンダースは「自分が求めた東京の風景」として「東京物語」の映像に加え広島県尾道の景色を採用しています。
旅館の電話番号はさすがに雪に教えたものの、スマホの電源を切った黒山はヴェンダースという宿題と向き合っています。