セカンドステージ (役者と監督のその後)   作:坂村因

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第38話 「人物Hの活躍の舞台裏(後編)」

編成部の台本担当組のチーフである女性は、あの日の会議のことを思い出していた。

とにかく異様な会議だった。

 

中嶋から、一刻も早く編成部の人間を全員集めて欲しい、という連絡があった。

それぞれが多くの業務に関わっており、外出中の者もいる。

一刻も早く編成部の人間を全員集める、というのは相当に無茶な申し出だ。

 

中嶋は、柊雪という人物が「キネマのうた」の新しく書き直された脚本を持っていく、その吟味から採用までを最短で決断できる準備を整えて欲しい、と言った。

 

そう言われても、とチーフは困る。

中堅所の中嶋が編成部にする申し出としては大胆に過ぎる。

そもそも、初めてその名を聞く柊雪がどういう人物なのかをチーフは知らない。

 

(急ぎなんです。薬師寺真美も柊雪の脚本に期待している。私も読んだ。凄く面白かった。一刻も早く集めてください)

 

電話の中嶋の口から「薬師寺真美」の名前が出てきたことに、チーフは多少驚く。

自分をはじめ、編成部の人間は真美がどういう人物なのかをよく知っている。

まず、真美は何事においても「ゴリ押し」しない。

何かを提案してくる際には、丁寧に手順を踏んだ上で、しっかり吟味された間違いのない物を提示してくる。

 

編成部の人間は全員、1000種の演じ方を何度も鑑賞し、そこから多くのことを学んでいる。

あのビデオ30巻は、制作関連者にとってはバイブル的な物であり、実演と解説を務める真美はある意味「先生」のような存在だ。

母である真波はもちろん、真美自身も、芝居や演技に対して厳しく高い理想の持ち主であることを、編成部の人間は心得ている。

 

しかし、撮影が既に始まっている状況での「脚本改変」はさすがにゴリ押しではないのか?

幸い、真美は「その提案は受け入れられない」と返答すれば、あっさり引き下がってくれる人物だ。

 

(改変を採用する前提で動いてほしい。そして、柊雪について配慮してもらいたいことがあります)

 

会議の異様さは、中嶋のこの言葉が発端となる。

 

とにかく大急ぎで人が集められた。

別件に取り組んでいる人はそれを一旦中断し、出先の人たちは全員呼び戻された。

台本担当組も自分含め9名すべてが揃った。

採用が前提で急いで決断、という話だと、ここまでしなくてはならない。

 

 

 

会議の進行中は気を付けなければならないことが多かった。

 

連れてこられた柊雪という若い女性は、業界ではほぼ実績がなく、進行中の出来事の重要度や規模の大きさについて「ピンと来ていない状態」であるらしい。

その「ピンと来ていない状態」を壊してはならない、という配慮が会議参加者全員に求められた。

 

台本担当組は、配られた原稿のコピーを急いで読んだ。

編成部部長が率先して、時にフランクに、時に敬語で、柊雪に質問した。

柊雪の意見に誰かが反論することはほぼ無かった。

交わされた質問と回答、及びそれらに対する柊雪の意見と解説に関する「議論」という形で、会議参加者たちの「吟味と感想」の言葉が述べられた。

その「吟味と感想」の言葉は、自分たち台本担当組に向けられた物だった。

 

採用が前提の話し合いだ。

スムーズに進行することが優先された。

 

チーフは、柊雪の「ピンと来ていない状態」を壊してはならない、という不可解な配慮の必要性について納得した。

柊雪は、堂々と、伸び伸びと、しゃべり続けた。

また、そのしゃべる内容も素晴らしい。

原稿を書いた本人であり、実際に執筆してから時間があまり経っていないために印象や記憶が鮮明というのも理由だろう。

それより何より、「キネマのうた」という物語に対する理解の深さや的確さが凄い。

人物描写も見事というしかない。

この「しゃべり」が、本人が委縮することで発揮されなくなってしまったら大変だ。

チーフは48歳。

これまで、大河ドラマの台本を多数手掛けてきたキャリアの持ち主だ。

だが、迷いなく柊雪に対して敬語を使った。

 

…「委縮」は「破滅」を意味する。

 

やがて、柊雪の調子が上がってきた。

チーフにはその原因がわかった。

柊雪は、徹夜による疲労でハイになる「ゾーン」に入っている。

自分も何度も経験したことだ。

そしてこれは、「ロウソクの火が消える前の輝き」とも言える。

 

 

 

草見と部長の電話のやりとりがあった。

ここで会議参加者は、「草見による傍線部のチェックが成されていない」、という事実を初めて知る。

(中嶋の連絡不備だ。なに、ぐーすか寝てんだ、コラッ)

その中嶋が、突然目を覚まして「草見修司の本は売れる」と大声を出した。

中嶋は、寝惚けていた。

寝惚けながらも、「この脚本を書いたのは草見修司だと思い込んでいるフリを我々は演じなければならない」という配慮を必死に実行したわけだ。

(よし、連絡不備は許す。お前はそのまま寝てろ)

傍線部のチェックを草見が終えないと、我々は動けない。

作業はその段階まで進んでしまっている。

無駄に手書きで傍線を引いていたのは僥倖だったかもしれない。

手持ち無沙汰で、「ピンと来ていない状態」を壊してはならない、に配慮するための振舞いは難しい。

(そういえば、草見修司の「怒られるからヤダ」は秀逸だった。あの人も配慮を忘れていない)

 

草見からのメールが届いた。

書式が前回と同じなのはありがたい。

だが、肝心の傍線部に添える説明文が記されていない。

前回は、草見による記述で、傍線部に関する所作の理由や心情の細かい解説が付いていた。

今回のメールには、「僕にはよくわからないから柊さんに聞いてください」という一文が添えられていた。

(これは責められない。今まで演じ方のチェックを大急ぎでやってくれていたんだ)

だが、現実問題として、かなり厳しい。

台本担当組にとって、専門外の領域が含まれており、はっきり言って最大のピンチと言える。

(とにかく書くしかない)

チーフは、物語の整合性から推測して説明文を書き始めた。他の8名(←混乱してた)もチーフに倣った。

 

9名は書き上がった順に初校をどんどん柊雪に回した。

チーフは、戻された自分が書いた初校を見て声が出そうになった。

(真っ赤だあ! 容赦ねえ!)

しかし、入れられている朱筆を読んで驚く。

物凄く難しい作業のはずなのに、朱筆は細部まで丁寧に記されていて、しかも漏れが無い。

内容的にも、深いところまで言及されてる上に、読み易くて、分かり易い。

(凄い。ここへ来て、柊雪、今日一の切れ味だ!)

この頑張りに応えるために、9名は慎重に2校の記述に取り組んだ。

(心配なのは柊雪の体力と集中力だ。頼む、もってくれ)

とはいえ、9名分の台本の初校を1人で捌いている。

疲れないはずがない。

台本の分量は物凄く多い。

 

…時刻は夜中になっていた。

 

柊雪の朱筆の速度は、まだ衰えない。

相当に疲労と眠気が溜まっているのは、顔色を見るだけで判る。

だが、集中力が途切れていない。

(頼む、柊雪。もってくれ!)

チーフは祈るしかなかった。

部長をはじめ他の編成部員たちも、寝ずに台本の精読を手伝ってくれていた。

 

…夜が明け、朝になった。

 

柊雪は、まだ朱筆の速さを維持していた。

顔色には、土気色が混じっており、それは完全に限界を超えている証だった。

 

午前10時過ぎ、台本原稿2校の最後の1枚が書き終えられた。

チーフはそれを書いた部下からその1枚を受け取り、自ら柊雪のほうへ向かった。

(渡す時に「これで最後です」等と部下が口走ったら大変だ。ここは私が持っていく)

柊雪の前に、その1枚が置かれる。

チーフは無言で傍に立ち、その瞬間を待った。

柊雪は、その1枚の内容をじっくり読み、「校了」の2文字を原稿に書き入れた。

 

 

「終わりです。それが最後の1枚です。ありがとう、柊さん!」

 

 

その言葉を耳に入れた柊雪は、ゴンッ、という音を立てて机の上に額から頭を落とした。

会議室内に、パチパチパチ、と拍手の音が響いた。

その拍手の嵐が聞こえていそうにない柊雪は、仮眠室へと運ばれていった。

 

 

 

草見と中嶋は、この数日間、頻繁に電話でのやりとりをしていた。

会議の翌日の電話では、中嶋は、「今回、自分はいろいろと冷静な判断力を欠いていた。編成部に柊雪を連れ出す時も、黒山がせっかく絶妙な言い回しで誘導してくれたのに、自分は土下座をしてしまい、台無しにするところだった。編成部にも強引な申し出をしてしまった。薬師寺真美の名前も出してしまった。成功させたい一心だった。反省だ」、というようなことを言った。

 

草見は、中嶋が「薬師寺真美」の名前を出してしまったことに思うところがあった。

 

真美がどういう人物なのかは理解していた。

とにかくいい加減なことはしない人だ。

自分が如何に強い発言力を持っているかを心得ており、それ故に滅多なことではその力を行使しない。

名前を勝手に使われたと知ったら、中嶋の心証は悪くなるだろうな、と草見は思う。

それより、中嶋の一連の行動は、もし今回の脚本が不採用だった場合にはかなりの大問題となっていた。

(忠告したのに暴走しちゃったな、中嶋さん。まあ、結果オーライ、ぎりぎりセーフか…)

 

ただ、今回はその滅多に行使されない真美の力が発動された稀有な例ではあった。

特に、自分が依頼された「子供時代の真美を入れて欲しい」という話は異例だ。

これは草見と中嶋のところで止まっていたので、他の編成部の人間には伝わっていない。

 

草見は「キネマのうた」の脚本が採用された後、すぐに「楽しませなくて何が役者か」という本の執筆に取り掛かった。

大河ドラマの放送が始まると、その後「キネマのうた」のタイトルで自分の本が出版される。

あの出来の悪い脚本がハードカバーの立派な本になって、「大河ドラマ・キネマのうた」の帯が入る。

残念ではあるが、これは仕方がない。

なので、草見は「楽しませなくて何が役者か」が同時に出版される形にしたかった。

「楽しませなくて何が役者か」のほうは、その内容に自信があった。

真美から凄みのある話を聞かされ、衝撃を受けた自分だ。

薬師寺真波という女優の素晴らしさと凄さを十分に伝える内容に仕上がった、という手応えがあった。

そちらにも大河ドラマの帯が入る。

せめて、そうしないと気が済まなかった。

 

日程を考えれば、急いで執筆する必要はなかった。

それでも、草見はすぐに書いた。

自分が受けた影響を、一度文章にして頭の中できっちり整理しないと、ショックを引きずりそうな気がしたからだ。

早々に完成してしまった「楽しませなくて何が役者か」は製本されて、ドラマ撮影用の資料として関係者に配布された。

雪が薬師寺邸で「出版されてるんです」と言っていたのは誤りで、出版されるのはずっと先だ。

スタジオ大黒天に送られた資料の中にあった「楽しませなくて何が役者か」を見て、あんなことを言ったのだろう。

 

 

 

雪の脚本が、難しいはずの「演じ方のカバーの条件」をクリアしている事実には明確な理由があった。

自分が書いた脚本は、「大河ドラマだから」という固定観念のもと、登場人物の動きが派手で賑やかになる前提で記述した。

だから、難しくなってしまった。

雪が書いた脚本は、登場人物のリアクションが薄く、無駄な所作も無く、どこまでもリアル志向だ。

草見は、台本の傍線部に該当する箇所を選びながら、「リアル志向のほうが圧倒的に楽じゃないか」と感服していた。

 

自分は、「この演じ方はさっきと被る。こっちは行動理由が被る」という感じで苦戦させられた。

固定観念の弊害だった。派手さや賑やかさを醸し出すために「同じ演じ方を2~3回使うことは許容範囲。仕方がないこと」と考えていた。

 

雪の脚本には、心情の発露や細かい行動理由がびっしりと詰まっており、自分の物とは「演じ方」の総数が比較にならないほど多い。

当然、真美の選出した物に当てはめるのも楽だ。

真美が強く希望した「晩年の真波の静かな演じ方」については、草見は無理矢理捻じ込むことで応えたが、雪の脚本だと「勝手に入る」くらいの勢いで対応出来た。

結果、「晩年の真波の静かな演じ方」は大きくその数が増えた。

 

真美が選出しなかった「多くの作品で使われ過ぎた真波の演じ方(←環が嫌がってたやつです)」については、草見は「出演者の演じ方を揃える」という目的のために多用した。

それは、「演じ方のカバーの条件」とは無関係なものだ。

ただ、「揃える」ためには多用するしかなかった。

それが真美にも出演者たちにも歓迎されないと分っていても、既に精一杯だった草見には選択の余地が無かった。

 

雪の脚本だと、「多くの作品で使われ過ぎた真波の演じ方」を使う必要がまったく無かった。

そもそも、「演じ方」の総数が多い。

真美が選出しなかった「演じ方」で、かつ「多くの作品で使われ過ぎた真波の演じ方」ではない物を当てはめることで「揃える」に対応出来た。

 

(これは、真美さんも出演者たちも喜ぶだろうな)

 

草見は、快調に作業を進め、半日でチェックを完了させた。

説明文は雪に任せるから作業量は減っているとはいえ、これほど早く終わるとは思っていなかった。

なお、編成部からの電話で状況を聞かされた時には(マジか)と思った。

だが、電話が来た時、幸い草見の作業も既に完了目前だった。

台本担当組がどれだけ頑張っても、今日1日では全体の半分も進まないはず、と草見は考えていた。

メールを送信した後、(これは新脚本採用確定だな)と思いつつ、眠りに落ちた。

 

 

 

なお、少し前に依頼された「子供時代の真美を入れて欲しい」という話は立ち消えとなった。

真美からその話が来た時、「楽しませなくて何が役者か」の執筆までした自分にとって、おそらく後悔の一冊となる「キネマのうた」に手を加える最後のチャンスだと思った。

だから、快諾した。

ただ、真美の人柄を考えると意外な依頼だったので、理由を訊いた。

真美とアリサの事情と、「鳴乃皐月」の問題をなんとかしたいという思いから来る我儘だと教えてくれた。

オーバーラップのシーンを1話目に押し込めないかと編成部に頼んだ話も聞かせてくれた。

 

だが、立ち消えとなった今、自分には関係のない話だった。

自分が書いた「キネマのうた」がボツになることが、ひたすら嬉しかった。

 

真美とアリサが抱える「鳴乃皐月」の問題は、黒山に教えた。

黒山にとっては無関係じゃないと思ったからだ。

オーバーラップの夜凪景の演技に、真美は口を挟むべきか相当迷ったそうだ。

あまりに夜凪景の演技が凄かったので、オーバーラップの効果に影響が出ることを心配した、とのこと。

 

「皐月の演技が良かったので、なんとか許されたわけか」

「その通り。夜凪さんにオーバーラップの狙いの意味を教えたほうがいいぞ」

 

そんな話を黒山と交わした。

 

               第38話「人物Hの活躍の舞台裏(後編)」/おわり




以上が、私なりのアクタージュ「scene161」となります。

アクタージュ原作「scene123」で草見が言っていた「薬師寺真美は毒」については、第16話「支配」において沢村に「犠牲者第1号は柴倉か」と言わせることで「毒」の正体は「過去の映画界からの刺客のようなもの」と匂わせるための布石を置きました。

その第16話「支配」のあとがきで、「草見が言っていた毒が具体的な形で作用した」と書きました。

そして、今回の「人物Hの活躍の舞台裏」において、黒山と草見に「過去の映画界のしがらみは厄介」という話をさせました。

「過去の映画界の凄み」は、役者を「委縮」させ、制作関連者から「新しい物を作る気概」を奪い、脚本家に「出来の悪い脚本に満足」させ、プロデューサーに「冷静さ」を失わせました。

「過去の映画界からの刺客のようなもの」の怖さを匂わせるには、十分すぎるくらいです。

自分でも、しつこかった、と思います。

でも、雪の頑張りが書けたので、今回は、よし、とさせてください。

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