『エスタージュ(S-tage)』(「セカンドステージ;役者と監督のその後」)   作:坂村因

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第39話 「難しい宿題」

「謎の人物Hが何者なのか気になるわ」

「俺をスランプに陥れた奴だ」

 

「わ、悪い人なのね」

「口は悪いが悪人ではない(あと凶暴だ)」

 

「黒山さんが知ってる人…、口が悪くて凶暴な人…(名前も知ってるのかしら?)」

「名前が人物Hだ。クレジット用の名義だがな」

 

 

ここで雪は、

「いったい何ですかい? その訳わかんねー話は…」

と、話に割り込んだ。

 

 

ある日、黒山は、アリサから電話で「柊雪さんはクレジットの際、どう表記してるのかしら? あと、あなたのところの社名は出していいの?」と訊かれた。

 

つまり、

「柊雪(スタジオ大黒天)」

でいいのか、という類の質問だ。

 

黒山としては、ちゃらちゃらした媒体に社名は出されたくない(スターズ関連ならその可能性は十分ある)。

業界で活動する際に雪がどういう名義で通すつもりか、黒山は知らない(一般的に、女性は本名を出さない場合が多い)。

自分が仕事をあまりしないから勝手に動いているんだろうか?(「美人制作特集」をするからあなたも出なさい、会社の宣伝にもなるわよ、等の甘言にまんまと乗せられたとか…)

 

「なんでそんな話が出てきたんだ?」

(詳しいことは言えないわ。まだ決まった話ではないし)

 

「じゃあ、決まってから改めて聞いてくれ」

(簡略な資料を作るのに必要なのよ)

 

「ならイニシャルでいいだろ」

(H・Y・S・D?)

 

「それ、通じると思うか?」

(あなたが言ったんじゃない)

 

「人物H、社名D」

(それでいいの? 私は柊雪さんが普段使っているクレジット表記を訊いたのよ)

 

「それでいい。話が決まったらちゃんと考える」

(わかったわ…)

 

 

…電話での会話は、こんな内容だった。

 

 

「なんで私が美人制作特集に出るんですか!」

「何やったか訊いたら、教えてくれなかっただろ、お前」

 

「訊かれてません」

「訊いた。アリサが言えないなら自分も言えない、と答えた」

 

「……。(そういえば、そんな会話があった)」

「というわけで、明日、犬井さんとこ行って勉強会やるぞ。柊には良い機会だ」

 

「……。何が、というわけで、なんですか?(勉強会は嬉しいですけど)」

「俺はスランプなんだ。スランプじゃ仕事が出来ない」

 

「仕事しないのはいつもだろ。…あと、なんで私がスランプに陥れたことになってる?」

「気にするな。必要なスランプってのもある。感謝してるくらいだ」

 

夜凪が「あああーっ!」と大声を上げた。

手にしてる脚本に「柊雪」と記されているのを見つけ、騒いでいてた。

 

「夜凪。明日はお前も来るんだぞ」

 

そして、夜凪には「明日までにやっていてもらいたいこと」が言い渡された。

新しい脚本の5話目までの全出演者の芝居を覚えてくること。

4クール作品としては長めと言える1話あたり45分の放送時間構成を持つ大河ドラマ、その5話分の全出演者の芝居は相当な量になる。

 

夜凪は、闘志に燃える眼光を湛えて「やり遂げてみせるわ」と頼もしいことを言った後、「でも、1人じゃ無理なのよー」と、やや頼りない言葉を残して、劇団天球へと出掛けて行った。

 

 

 

ルイとレイの遊び相手をしながら、黒山と雪は静かに会話していた。

 

「この二人がいると、柊が大人しくなるから助かる」

「いや、まあ…、で、スランプって穏やかじゃないですね。私のせいってのは冗談として」

 

「これが案外、冗談じゃない。正直、トドメを刺された」

「……。く、詳しく伺いましょう…」

 

「明日、犬井さんも俺と同じ思いをすることになる…」

「私にそんな特別な力があるとは思えません」

 

「ある。お前は、勉強が足りてないんだ」

「……!(たしかにルイとレイがいると怒鳴れない。上げたいのか下げたいのか、どっちだ、コラッ!)」

 

きっかけは、環から出されたメモ書きのクイズだった。

あんなクイズ、わかるはずがない、と思った。実際、手も足も出なかった。

百城千世子から、「今の俺の映画には出たくない」、と言われたのは痛恨だった。

自分でも、どうも調子が変だ、とは感じていた。

百城の一件で、自分が変になっていることを認め、正面から取り組まなければならない、と思った。

 

思い返してみると、これまでにも明らかに変になっていた出来事が幾つも見つかった。

いつから自分はおかしくなったのか考えてみた。

そのタイミングは、自身初の大作映画のために活動を開始した時期に一致した。

 

自分の映画人生における重要な大仕事だ。しかも初挑戦。

平静でいられないのが普通かもしれない、と思った。

 

具体的にどう変なのか、どう修正すればいいか、考えてみると答えはすぐに見つけられた。

演出家と役者は、常に切り離して捉え、両者の間の距離は遠すぎても近すぎても駄目。

適正な距離を保ち、距離感を正確に管理しているつもりだった。

その距離感が狂っていた。

両者の距離は適正より遠くなっていた。

演出家とは何か、役者とは何か、ということをじっくり見つめ直した。

役者側に歩み寄るとは、どういうことか、その感覚を思い出そうとした。

 

するとメモ書きのクイズが別物に見えた。

切り離す捉え方が巧くなりすぎていた、と思った。

距離を間違えると、こんなにも見落としが増えるのか、と怖くなった。

それくらい、あのメモ書きのクイズは、実は簡単な代物だった。

 

「か、簡単なクイズがわからない。つまり、私は勉強不足ってことですね…」

「違う。そんな意味じゃない(あんなクイズは慣れの問題だ)」

 

あのクイズと百城の一件から、切り離す捉え方を捨てようと考えた。

器用にそういうこと出来ると作業効率が上がるメリットはあるが、今はデメリットのほうが怖い。

自身初の大作映画のプレッシャーがある中、本調子を維持し続けるのは難しい。

今はあんなつまらないスランプから抜け出せたが、油断は禁物。

 

ところが、柊に気づかされた。

自分が抜け出したと安堵したスランプは小さい物に過ぎず、もっともっとどでかいスランプを抱え込んでしまっていることに。

 

「現に俺は今、心も体も粉々に砕かれた感覚の真っ只中だ。映画に対する感性そのものが死んでいる。それくらい駄目になった」

 

 

 

劇団天球。

夜凪は、阿良也が不在なことに肩を落としていた。

 

劇団員たちは、その分かり易過ぎる落胆ぶりに呆れていた。

なんというか、「阿良也以外は役に立たない」とでも言ってるような態度に見えてしまい、夜凪はそういう気を遣う芝居がとことん下手だ、とみんな思った。

まあ、夜凪に悪意がないことは、劇団員たちは分かっていた。

 

七生が台本に目を通し、「これはこういう芝居でしょ」と演技を1つ披露した。

 

それを、ぼーっ、と眺めていた夜凪は、

「0点…」

と、小さく呟いた。

 

当然、怒る七生。

 

「景、あんたちゃんと見てなかったでしょ(0点なわけねーだろうが)」

「…七生さん、ちょっと待って」

 

夜凪は、稽古場の端に置いてあるパイプ椅子に座り、

「俺はなぁ、七生。手グセの演技なんか見たくねーんだよ…」

と、静かだが威厳のある口調でそう言った。

 

みんなが思わず(巌さん!)と声にしそうなほどに、雰囲気が似ていた。

 

「ふ、不謹慎な物真似すんなっ!」

「不謹慎じゃないわ。お前は巌裕次郎になれって、巌さんから直々に言われたのよ」

 

「嘘ねっ、巌さんなら、お前は俺になれって言う」

「あ、言ったのは黒山さんだったかも…」

 

そんなやりとりはあったが、しばらくすると「本題に入ろう」という空気になった。

夜凪が課された宿題の量の多さと内容に、みんな興味を持った。

なにしろ、1話目と2話目は8歳の真波の役だ。

夜凪の身長は168センチ。

それで、どうやって8歳を演じるのか。

 

「ま、まずは安田役ね…」

 

「駄目だ。真波からだ。主役で、しかも夜凪もやる役だろ」

 

「景、私が点数をつけてあげるわ。100点になるまでやってもらうから」

 

そして夜凪は、雪が書いた脚本の真波を演じる。

松菊撮影所の前で無言で立っている。

門柱看板を見て、静かに歩き出し、近くまで行く。

看板の漢字は読めない。

真波は、ゆっくり身体を斜めにし、建物内の光景を見つめる。

 

「はい、100点。次、亀、あんた安田役」

 

建物内を歩く安田と目が合うのを待つ真波。

目が合った途端、真波は目を逸らす。

安田のほうから真波に歩み寄る。

ぎりぎりまで近づいてから真波は安田に背を向ける。

 

「なぁに、しとんじゃ?」

 

真波は、一瞬安田の顔を見るが、すぐにキリリとした目で建物を見上げる。

 

「ここはなぁに?」

 

「はい、カット。50点。テイク2」

 

夜凪が演じる「8歳」は、相当に雰囲気が醸されており、かなり上手だった。

それはそれとして、七生も他の劇団員も、168センチが演じる8歳を見るのが面白くて仕方がなかった。

 

               第39話「難しい宿題」/おわり




以上が、私なりのアクタージュ「scene162」となります。

夜凪の宿題は半端なく大変だと思います。
でも、こういう稽古は今の夜凪にはぴったりな気がします。
相手役がいないと芝居の稽古は効率が落ちますし、劇団天球に来たのは正解だと思います。
今は面白がっている段階ですが、結局はきっちり厳しい稽古に付き合ってくれる人たちです。

なお、雪の脚本による台本では、皐月が演じる8歳の真波の場面が2話に増えています。
これは以前、8歳の真波に「片鱗」という要素を加えるなら2話使いたい、と雪自身が言っていたことです。
作品のテイストも、最初の物とはかなり違っています。
雪は、撮影所を見た8歳の真波に「わあ」と言わせません。
普通、独り言でそんなことは言わないものだからです。
リアル志向の雪が書いた「キネマのうた」は一味違いますね。
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