『エスタージュ(S-tage)』(「セカンドステージ;役者と監督のその後」)   作:坂村因

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第43話 「厄介な坂」

環は、ルイとレイに向かって、尖らせた唇に人差し指を当てる(シーッ)の仕草を見せ、同じ仕草を夜凪にも見せた。

夜凪家の3人は、こくっ、と頷いた。

念のためと、環は同じ仕草をもう一度見せた。

夜凪家の3人は、こくっこくっ、と二度頷いた。

 

B6のメモ帳を手に取った環は、(私も雪ちゃんの指示を受けたい)、と書いた。

メモ帳を手渡された夜凪は、書かれた一文の下に自分の返事を書いて環に戻した。

 

(駄目です)

 

環はメモ帳を掴む指に一度、メリッ、と力を込めてから、(なんで? 雪ちゃんの指示は面白い。私も受けたい)、と記した。

それに対し夜凪は、(私は昨日みっちり稽古したせいで何も指示をもらえなかった。環さんだけズルイ)、と書いた。

次に環は、(私はここで初めて5話目までの台本読んだ。練習なんてしてないよー。いっぱい指示もらえるよー。楽しみだわ。ププッ)と書いた。

 

(私は事務所でいつでも貰える)

(だったらズルイ言うな! けいちゃんのアホ!)

 

夜凪は、眉間を指で押さえて返事の内容を考える。(アホ!)と書かれたくらいで怒ったりはしない。

(駄目です)と書いた本心は、天球メンバーの活躍の時間を減らされたくない、ということなので、単純に返事が難しい。

 

(練習無しで見てもらうのは監督に失礼だわ。天球は昨日6回も稽古を通したのよ)

(じつはさっきのウソ。昨日話聞いてそっこー台本読んで練習した。失礼な芝居はしない)

 

(なんでそんな嘘ついたの?)

(なんで駄目って言うの?)

 

今度は夜凪の指が、メリッ、とメモ帳に食い込んだ。

でも夜凪はすぐに冷静さを取り戻す。

こういう我儘は良くないことだし、天球メンバーも政治的な画策を嫌ってる感じだった。

 

(ごめん。駄目じゃない。雪ちゃんの指示を受けてください。雪ちゃんの指示を見たのは私も初めてですが厳しいし面白いと思いました。私は何も言ってもらえなかったから羨ましいです)

 

「はい、沈黙モード終わり、小声でしゃべってよし」

「環さんが思ってたキャラと違ってて、驚いたわ(アホとかププとか…)」

 

「私は稽古とか羨ましいを漢字で書く人に出会って驚いたよ」

「出席日数ぎりぎりだから成績は上位を目指してる(学校は芸能活動の印象悪いし)」

 

 

 

犬井は、4回のすれ違いを指フレームで確認し終え、天球の3名に「良い芝居だったよ。ありがとう」と告げた。

 

田沢が、

「演技の工夫が素晴らしくて、勉強になります。腹筋使うとか思いつかないです」

と、笑みを浮かべる。

 

「ああいうのは、…日本の芝居のああいう工夫は、1人の役者によって基礎が作られたんだ。君たちが巌先生から教わった中にもたくさん含まれてたはずだよ」

「初耳です。薬師寺真波ですよね。舞台にも応用が利くような工夫も作ってくれたんですね…」

 

「当時は厳しい要求をする監督が第一線に並んでてね。NGテイクが50以上なんて珍しくなかった。真波は新しい工夫を大量に発案して要求に応えた」

 

田沢は、犬井の耳元に顔を寄せて、

(失礼なことを言いますが、私テレビを見てて役者さんの演技が上手いとか思ったことないんです。テレビにはああいう工夫が大量にあるのに、何故でしょう?)

と、囁いた。

 

「それは偽物を見せられてるんだよ。表面だけをなぞった紛い物の真波の技法だ。そんなのばっかりだよ、今のテレビは。俺はキネマのうたで真波の本物の技法の素晴らしさを伝えたいんだ」

「良いことだと思います。見るのが楽しみです(←パチパチと小さく拍手をしながら言っています)」

 

…ここで、外野から大きな声が届いた。

 

「はいっ! 私も芝居に参加したい!」

 

声の主は環。

リビング中央まで歩み出て、「大丈夫。終わるまでちゃんと待ってるから」と状況への理解を示し、待機中の七生の隣に腰を下ろした。

 

 

 

環は、夜凪の本心を察していた。

気持ちはわかる。

興業が不調気味の劇団天球の助けになりたい。

いろいろ世話になった仲間たちに恩返しがしたい。

(すごくわかるんだけど…)

顔つなぎ等の行為は、「そういうことをする人物」という評判が陰口のようにじわじわと広がり、いずれは自身が苦しむことになる。

業界に、「正直者が馬鹿を見る」に近い薄汚い競争原理が働いていることは事実だ。

だが、汚れた競争の中で勝者となった者は、引き換えに悪評の苦しみと戦い続けることになる。

避けて通れる道を歩めるのなら、それに越したことはない。

 

「環。5話目に参加しようとか考えてない?」

「…へ? 考えてないよ」

 

「うん。今回のモブは10名前後。11人は良かったが、人数が減ったらどうなるかも見たいんだ」

「わかってるってば」

 

犬井とやりとりを交わした環は、(やべえ。わかってなかったよ。5話目で参加する気まんまんだったよ)と、危機回避の動揺を隠しながらそう思う。

 

(モブか…)

 

夜凪の今回の顔つなぎは「モブの紹介」だ。

モブの意義を考えると、この話は(WIN-WIN)だ。

よくあるバラバラに集められたモブだと、役無しの出演者として名前を羅列されるだけの扱いとなる。

だが、モブ全員を1つの団体に依頼した場合は扱いが異なる。

つまり、クレジットの際に「(劇団天球)」と所属団体の表記が入るパターンが使用される。

モブの役割は、作品への関与としては正直弱い。

とはいえ、大河ドラマに団体名が表示される恩恵はけっこう大きい。

業界において、大河ドラマはそれくらい特別な代物だ。

制作側は単純に作業が1つ減るので、 WIN-WIN成立となる。

 

(景ちゃん、けっこう策士だ。でも、景ちゃんってそんなタイプには思えないんだよなあ)

 

夜凪が顔つなぎのような行為についてどの程度の認識なのか、一度ちゃんと話し合っておこう、と環は思う。

 

 

 

七生は、反省しつつ小難しいことを考えていた。

環が「参加したい」と言った時、その発言に困ってしまった自分がいた。

参加するということは、天球の誰かと交代する気だろうか?

交代するのであれば、環は「真波」をやりたがるんじゃないだろうか?

それは自分が交代させられることを意味し、せっかく(すごく楽しい)と感じられる機会を得ているのに、その楽しみを奪われるのは嫌だ。

そして、

 

(私1人の勉強会じゃない。みんなが機会を得るべき。当たり前だろ、そんなこと)

 

と、自分の未熟さを噛み締めた。

その後の犬井と環の話を聞いて、交代ではないことを知ると、(良かった)、と喜んだ。

すぐに、(だから! こういう考え方をしちゃ駄目なんだよ!)、と自分の未熟さを呪い、いっそ噛み砕く勢いで反省した。

 

(そもそも、こんなに楽しんでていいのか?)

 

七生は、さらに厄介な、そんな問題にぶつかる。

あくまで自分は舞台役者だ。

テレビドラマの芝居にこんなに強い興味を抱き、しかも一時的とはいえ、今後しばらくは映像作品に進出するというプランを立てている。

 

(私の魂は、ちゃんと舞台に帰ってこれるのか?)

 

考えすぎだ。自分は舞台に戻る。そうなるに決まっている。

だがもしその時、魂が浮ついていたら、自分は戻ってきたと胸を張れるのか?

 

そんな小難しい思考の溝の奥底に、七生は自ら勝手に落ちていた。

 

この勉強会がこんなに楽しいのがいけないんだっ!

いやいや、映像に進出するための勉強会だろ、本末転倒だ!

 

七生は、奥底から傾斜のある坂のほうへと滑り落ちる。

留まろうと必死に伸ばした手は、何故か変てこな岩ばかりを掴んでしまう。

 

そして、ようやく体育座りで隣にいる環の存在に思い当たる。

環は、名実ともにトップの女優だ。

たしか舞台の主演も何度か務めたはずだ。

そういう時、気持ちの切り替えはどうなっているのだろう?

トップにいる人は、そういう対応も心得ているからこそトップにいられるんだ。

映像と舞台の両方をこなす役者は他にもいるだろうし、そういう役者の経験談等も耳にしているはず…。

 

七生は、環のほうに身体を寄せて、耳元で(初めまして。三坂七生といいます)と囁き声の自己紹介をし、そのまま悩み事の内容を詳しく語って聞かせ、解決法について尋ねてみた。

環からすぐに、(難しい問題だからちょっと待って)、と囁きの返事が来た。

 

 

 

環には、映像と舞台の板挟みになった経験などなかった。

舞台の主演を務めた時も、稽古では「舞台の演技になってない」と散々叱られた。

なんというか、舞台の芝居に「照れ」を感じ、正面から向き合えなかった。

自分が主演を務めた舞台は、客層はミーハーな人たちだったし、演劇の内容も芸術的とは言えない浅薄な物だった。

 

七生の言葉を借りるなら、役者としての「魂」はいつも映像側に在り、気持ちの切り替えは不要だった。

 

ただ、舞台を見る時は、自分は楽しい時間を過ごせた。

見る者をぐいぐい引き込む芝居を見て、(舞台役者ってすごい)と思った。

舞台の主演の経歴を持っているくせに、実際に演じた時も他の舞台を見た時も(自分は舞台役者じゃないなあ)と感じた。

 

天球の人たちが、この勉強会で良い芝居を見せているのは真剣に稽古したからだ。

元々の地力が高いこともあるだろうが、やはり向き合う姿勢の差が大きい。

 

自分も、きっちりと真剣に舞台の稽古をやっていれば、見る人が(すごい)と感じるような芝居が出来たのかもしれない。

魅力的だし、かっこいいし、可能ならば自分もあんなふうに演じてみたい。

 

いっそ劇団天球の公演で、脇役でいいから自分を使ってくれないかな…。

 

環は、顔寄せ囁きで(明神阿良也って厳しい?)と七生に訊いた。

すぐに七生は(鬼です)と囁き返してきた。

 

鬼か…。いいなあ…。

 

めちゃ厳しくしごかれると、結果も違うよ。

私の舞台は「なんちゃって舞台」で本物じゃない。

本物の舞台は、迫力あるし素晴らしいんだ。

 

 

…はっ!

 

 

待てよ。私は舞台役者としては駄目駄目だけど「集客力」はあるぞ。

景ちゃんの思惑とも一致する。

問題は、「望まぬ客」が集まってしまうことだけど、天球の舞台なら彼らを「本来の客」に変える力がある!

 

私だって稽古して成長したら、その力の一助になれるかも!

 

環は、舞台の上で、舞台役者として素敵な芝居をする自分を想像してみる…。

環は、眉間に皺を寄せ、あえて気難しい表情を作る。

心の中に、はしゃいで興奮している自分がいる、と認識してしまったので、それを隠すための表情を作ったわけだ。

 

舞台「羅刹女」を見た時のことを思い出す。

あの舞台も、「望まぬ客」が大勢来ていたが、そういう人たちも劇の魅力に引き込まれていった。

主要4名のうち、生粋の舞台役者は阿良也のみで、他の3名は違ったというのにあの結果。

 

自分もみっちり稽古をすれば、あんなふうに魅力を伝えられるかも、…というのはさすがに楽観的か。

いや、そんな弱気なことでどうする?

環蓮は、ちっぽけな女優じゃない。

自分の実力を信じられないような、やわな役者じゃない。

 

そう、集めてさえしまえば、望まぬ客さえ演劇の力で虜にすればいい。

 

舞台「羅刹女」の出演者たちは、実際にやって見せたではないか。

あの舞台の主要4名、夜凪景、王賀美陸、百城千世子、明神阿良也。

 

(ぬっ!)

 

一瞬、環の胸に痛みが走った。

環は、(いやいや)、と呆れながら思う。

そんな痛みが走るはずがない。気のせい。気のせい。

 

(んむっ!)

 

ズキッと、あってはならない痛みが、再び環の胸を貫いた。

(うん、そもそも空想だから。私が舞台に取り組んだらどうなるかなー、という妄想だから…)

環は、自分に言い聞かせる。

夜凪景、王賀美陸、百城千世子、明神阿良也…。

だから、何? 私は環蓮。

 

その様子を見ていた七生は、(自分が厄介な質問したせいで苦しんでる…)、と心を痛めた。

 

               第43話「厄介な坂」/おわり




以上が、私なりのアクタージュ「scene166」となります。

副題の「厄介な坂」は、黒井千次の「春の道標」の本文から拝借しました。
深い意味はありません。
三坂七生の名前の「坂」とかけただけです。

七生は、巌裕次郎の教え子だけあって、芝居に対する意識が非常に高いですね。
さすがです。

そして環は自分の実力に自信を持つべき人です。
今はちょっとナーバスになってるだけ(だといいですね)。

面倒見の良いお姉さんキャラの環の芝居を、ちゃんと書いてあげたいですね。
この勉強会のうちにせめて一度くらい…。
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