『エスタージュ(S-tage)』(「セカンドステージ;役者と監督のその後」) 作:坂村因
真美が正面に座っている状況での芝居に、皐月は不思議な感覚を抱いていた。
他の役者の演技を盗むこと。役者の世界では当たり前のように行われている成長の手段。
だが真美との掛け合いでは、盗むまでもなく相手から勝手に演技指導のようなものが伝わってくる。
この異常事態は気のせいではない。実際、目に映る光景や空気に漂う息遣いが、1つの調和に向かって純度を上げながら変化していく。
真美は多少驚きながら皐月の様子を観察していた(思った以上に、この子には才能がある)。
周囲の者も空気の良さを感じとり、場の雰囲気が徐々に高まっていく。
そんな8テイク目…。
一方、女子トイレ。
こちらではレベルの低い争いが繰り広げられていた。
まだふらふらする体で夜凪は、なんとか手を振りほどく。
よろよろと皐月の元へ向かおうとする夜凪の腕を、再び(ガシッ)と捕まえて足を踏ん張る環。
(とりあえずトイレから出ませんか?)
(話を聞くと約束してくれるなら…)
周囲に誰もいないことを確認し、環と夜凪は壁に背中を預けて並んで廊下に立った。
「今戻っても君はまた吐いちゃうし、落ち着くまで私の話に耳を貸そう(私の話は役に立つぞ)」
一呼吸おいてから環は、
「薬師寺真美はこの業界の毒だ」
そう呟いた。
きょとんとしたまま立っている夜凪。
なにか苦味のような渋味のような面持ちで腕を組んでいる環(もう言わないぞ。1回しか言わないぞ。こんな危険な言葉…)。
「そしてそれは同時に神の調合による万能薬でもあった」
「えと…」
「まあ、聞けよ」
「…はい」
「多くの役者が万能薬に救われた。成長した。上達した。業界そのものもずいぶんと支えられたことだろう。掛け値なしに本物の万能薬だ」
環は言葉を続けた。
「それを作ったのが薬師寺真美で、そのきっかけとなったのが母であり師匠でもあった薬師寺真波。この二人の功績、貢献度の大きさは計り知れない」
ここで夜凪が、
「そんな立派な人がどうしてど……」
と言いかけたが、その口は環の手によって押さえられた。
もちろん「毒」と言わせないためだ。
手を離してから、シッと人差し指を自分の唇に添える環。こくりと頷く夜凪。
しばらく「んー」と唸ってから、
「君はセントサイモンの悲劇って聞いたことあるかい?」
環がそんなことを言った。
夜凪はふるふると首を横に振る。環は(だよね)と応じる。
「セントサイモンはイギリスに実在したサラブレッドの名前だよ。名馬中の名馬でね。またその子供たちが鬼みたいに強かったんだ。みんながうちのメス馬には是非セントサイモンの子供を産んでほしいと願った。結果、世界中のサラブレッドがセントサイモンの親戚だらけになった…」
それきり二人は沈黙。
やがて環は、頭を抱えてその場にしゃがんだ。
セントサイモンの例え話が夜凪に伝わるわけがない。
その自覚があったので、へたりこんでしまったわけだ。
隣の夜凪を見上げ、「よくわからなかった…よね?」、と恐る恐る確認する環。
夜凪もしゃがんだ。
そして環のほうに顔を寄せ、
「これっぽっちもわかりませんでした」
ひそひそ話をするような小さな声で、しかしキリッと真剣な表情で、夜凪はそう回答した。
申し訳なさそうにその回答を受け止める環(ゴメンね。でも相手がおっさんだったら百点満点の例え話なんだよなあ、一応…)。
しばらくの間の後、夜凪は皐月のことを思い出し、立ち上がった。
駆け出す夜凪を、環はもう引き留めなかった。
いくらか体調が戻ったらしく、ふらつかずに走る夜凪。
その背中に「ゲロだけはこらえろよー」と環は声を掛けた。
夜凪は振り返りはしなかったが、小さく右手を挙げて「了解」の意思を示し、そのまま走っていった。
1人残された環は思い悩んでいた。
何故夜凪が嘔吐してしまうのかその理由はわかっていた。
ただ、どこまでが伝えても良いことで、どこからが伝えては駄目なことなのか、その線引きの判断がとても難しい。
考えを整理するのに苦心しなければならない。
なんで私にこんな損な役回りが巡ってくるんだ?
「神の調合…か」
ぽつりと呟く。
神の調合という言葉を使ったのは薬師寺真美本人だ。母の演技を研究していたら勝手に生まれた物、偶然の産物、自分が何か凄いことをしたわけではない、という謙遜の言葉。
良い物は評価される。
評価された物は皆欲しがる。
当たり前と言えば当たり前のこと。
でも、それが大きな悲劇につながる事例が稀にある。
撮影現場に戻った夜凪は、壮麗とも言える異様な迫力を身に纏う皐月と真美の姿をその目に捉えた。
不敵な笑みを浮かべ、問答無用に自身が役者であることを醸す真美。
まったく引けを取らず、同様の迫力とオーラを放つ皐月。
そんな二人が互いを正面に据えて座っている。
テイク数は11まで伸びている。
第3話「神の調合(後編)」/おわり
以上が、私なりのアクタージュ「scene126」となります。
脚本担当の草見修司の「薬師寺真美、あれは毒ですよ」という発言に対し、私は「神の調合による万能薬」という解釈を環にさせてみました。
これは、あくまで環の解釈です。
ただ、おそらく原作者が意図していた「毒」の解釈とは別物のはずです。
そして環が「セントサイモンの悲劇」に例えようとした役者界の悲劇は、現実の日本で実際に起こったことです。
つまり史実です。
中心人物となったのは杉村春子。
「日本の役者史上、もっとも凄い女優は誰か?」という問いがあったとします。
映画や芝居に携わる専門家なら必ずこう答えます。「それは杉村春子である」と。
事実、杉村春子は凄い女優だったと思います。
ただ、その影響力があまりにも大き過ぎました。
監督も名優と言われる役者たちも、杉村春子を前にすると何も言えませんでした。それは「杉村春子の演技は絶対的に正しい」という共通認識によるものであると同時に、純粋に彼女を尊敬や心酔の対象とする役者たちが多く存在したという事情によるものでもあります。
橋田壽賀子が率いる「橋田ファミリー」の面々の多くが杉村春子に心酔していた事実も、影響力の増大に拍車をかけました。
そして杉村春子の演技を「方法論」的に解釈し、それを簡略化して教え伝える「万能薬」のようなものが生まれました。
いろんな撮影現場で、役を掴み切れない役者に対し、監督や演出家たちは「こんな感じで演技して」と指導しました。
別に示し合わせたわけでもなく、たまたま同時に多くの現場でそういう事態が発生した結果として、簡略化した方法論が「万能薬」のように機能してしまったわけです。
実際、万能薬の効果は抜群でした。
時間や予算に苦しむ映画やドラマが、万能薬のおかげで芝居全体を壊すことなく撮影を終えられるという嬉しい現実。
こんなありがたい話はないと思われつつ、採用され続けました。
この現象の根幹は、日本語の言語としての特徴に由来します。
表音文字を体系に持ち腹式発声を行う欧米の多くの言語と違い、日本語は表音文字と表意文字の融合と胸式発声の組み合わせという不思議な構造を持ちます。
残念なことに、日本語のこの不思議な構造は、「芝居」にとことん不向きなのです。
私のウンチクなど書いてもしょうがないのでこれ以上詳しくは記述しませんが、以前は克服が難しかった日本語の弱みは万能薬登場以降あっさりと解決されました。
そして起こった悲劇。
「どいつもこいつも同じ演技しやがって。気持ち悪いんだよ!」
お茶の間でテレビを見ている人、映画館に足を運び映画鑑賞した人、そういう人たちからそんな不満を漏らす者が現れ始めました。
この悲劇は今もなお未解決のまま現実の日本に存在する深刻な問題です。
業界関係者はこの問題と向き合わねばならず、黒山は日本語の弱みそのものと向き合わねばなりません。