『エスタージュ(S-tage)』(「セカンドステージ;役者と監督のその後」)   作:坂村因

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第50話 「役者が生まれる」

由衣は、母親の北瀬香と共にスタジオ大黒天を訪れていた。

オーディションが慌しかったために出来なかった様々な伝達を行う、とのこと。

事務所には柊監督と犬井監督の2人がいた。

 

「昨日お渡ししたこれは43話の台本です。後日、他の話の台本を含め編成部からダンボール箱で資料がどっさりと送られてきます。びっくりするほど大量に送られてきますが、それらすべてを見ても分からないことを今日お伝えします」

「はい。よろしくお願いします」

 

「キネマのうたでは出演者全員が薬師寺真波の演じ方で揃えます。演技を揃えると公には言いませんが、往年の真波ファンなら気づきます。そういうサプライズ的なサービスです。台本にはこのような傍線が引かれています。ここに真波の技法が入ります。この傍線はそういう目印です」

「はい」

 

「こちらの真美12歳専用の台本ですが、由衣さんはこっちに書いてある説明を読んで芝居を…、あっ!」

 

犬井監督が手を伸ばして奪うように専用台本を持っていった。そのまま台本を読み始めて「こんなの作ってたのか」と呟いた。

柊監督は困ったような表情を少し見せた後、まあいいか、という表情に変わった。

 

「専用台本に従って芝居をしてください。傍線部にも他の役者さんとは違って真波の技法は一切入りません。すべて真美の演じ方が入ります。鳴野さん、由衣さん、夜凪さんが演じる真美だけが特別扱いとなります」

 

「もったいねえ…」

 

「なにがですか」

 

「夜凪さんは当然として、その子も真波の技法を出来るだろう。撮り直しのV見て確信したよ。なんだ、この子も出来るじゃん、て」

 

「真美はあきらめてください。あと、そこまで判るなら一昨日のオーディションで由衣さんに決めてくれたら良かったのに」

 

「だって俺、わかんねーもん。柊さんに任せたほうがちゃんと選んでくれると思ったし…」

 

ここで柊監督はこっちに向き直ってあたしを見た。

 

「えーと、昨日のオーディションは制作陣の一方的な事情であんな変則的な物になりました。申し訳ありませんでした」

「いえ、大丈夫です」

 

なんだろ。柊監督と犬井監督は仲が悪いってわけじゃないよね。

エライのは犬井監督だろうけど、なんか尻に敷かれてる感じなのかな?

あ、尻に敷かれるは意味が違うか。

 

「それで、スタジオ撮影の時も犬井さんの指示ではなく私の指示に従って欲しいんです。犬井さんがあなたに指示を出したら私が引き留めます。現場は多少混乱するでしょうが、由衣さんは混乱しないでください」

 

あの…。

混乱しないでと言われても、既に今あたしは混乱してるんですが…。

犬井監督が指示を出す。

柊監督がそれをとめる。

現場は混乱する。

いや、あたしも混乱するよ、それ。

 

「犬井さんは隙あらば真波の技法を増やそうとします。真波の技法しか見えてません。犬井さん本人がそう言っています。それしか見ないと固く決意してるそうです。他のスタッフはそのことを知りません。私しか知らないので私がとめるしかないんです。もちろん、真美の芝居は真美の演じ方で一貫したほうがいいと犬井さんも納得しています」

 

「納得はしたが、もったいねえとは今でも思ってるよ」

 

「犬井さんはこんな感じなわけで…、あ、あれを由衣さんに見てもらおう」

 

立ち上がった柊監督は「ついてきて」と言って、犬井監督を残して歩き始めた。

 

うん、ちょっと分かった気がする。

犬井監督は真波担当で、柊監督は真美担当なんだ。

真美役のあたしは柊監督の言うことを守ればいいってことだ。

多分、合ってる。

 

連れてこられた場所はパソコンが何台も置いてある部屋だった。

そして人がたくさんいた。

 

うわ、夜凪景! なんで?

知らない男の人にチビッ子2人。

男の人はここの社長かな。

 

「けいちゃん、ごめんなさい。私のパソコン、空けてくれるかな」

「はい」

 

椅子から立った夜凪景はあたしの目の前に立った。

 

「スタジオ大黒天所属の夜凪景です。初めまして。よろしくお願いいたします」

「あ、北瀬由衣と申します。よろしくお願いします」

 

そうか。夜凪さんはここの所属なのね。あたしが来たからここにエスケープしてたんだ。

 

「綺麗だわ」

 

…えっ!

 

「母親の北瀬香さん譲りだな。骨の形がいいんだ。輪郭にTライン。後頭部の形。印象的な派手さはないが女優向きの顔だ。いい部分が似て良かったな」

 

…骨? 骨が似てるの、あたしとお母さん。

 

「私が12歳の時はこんなに綺麗じゃなかったわ」

 

…いや、あたしが18歳になっても夜凪さんほど美人になる未来図は想像出来ない。

 

「肌はわからんな。気を抜くとすぐに荒れる。今後の手入れ次第だ」

 

「なに言ってるの! 肌もすべすべよ。髪も艶々でさらさらよ」

 

…肌はともかく、髪はカツラになるんじゃないかなあ。

 

「雪ちゃん、由衣さんは地毛でいってほしいわ。長さも私と皐月ちゃんと合うわ」

 

「そのつもりです。あ、由衣さん、こちらに来てください」

 

そう言われて柊監督の隣から覗き込んだパソコン画面には、何かがずらりと並んでいた。

柊監督が説明してくれた。

 

犬井監督が独力で集めた動画ファイル集。動画に対する説明文。

動画の数は3500。

スクロールを延々続けても終わりが見えない分量だ。

 

「これ。多分、作るのに5年くらい掛けてます、犬井さん」

「すごい執念ですね」

 

「その通りです。だから隙あらば真波なんです。気をつけてください」

「なるほど、納得しました。このドラマのずっと前から注目してたんですね、犬井監督」

 

「…賢い子だな」

 

「そう。由衣さん、頭がいいんです。よく見えてます。頭の中で優先順位をつけるのが上手い。真美役にぴったりですよ」

 

なんか、めっちゃ褒められてる…。

期待を裏切らないようにいっぱい練習しよう。

 

お母さんと犬井監督がいる部屋に戻る。

犬井監督はまだ専用台本を読んでいる。

一言もしゃべってないんだろうなあ。

お母さんは世間話が嫌いだから、ほっ、としただろうな。

 

そして柊監督に腕をつつかれて犬井監督が口を開いた。

 

「俺が暴走したら柊さんに従ってください。暴走中の俺のことは遠慮なく無視してください」

「は、はい。了解しました」

 

「良かった。これを直接由衣さんに言ってもらうために来てもらったんですよ。…犬井さん、不満そうな顔しないでください」

 

「不満はないよ。もったいねえと思ってるだけだ」

 

犬井監督の顔がおっかない。

あたしは勇気を出して「カキツバタってどういう演技ですか?」と質問してみた。

すると犬井監督は一気にご機嫌さを取り戻し、力説を始めた。

 

ある映画の撮影中、薬師寺真波は芝居の中に奇妙な動きを5回入れた。

周囲の者が「何やってんだろ」と不思議がっている中、カメラマンだけが平静だった。

実は奇妙な動きはすべてフレームの外で行われていて、撮影された映像は見事な物だった。

在原業平が短歌の中に「かきつはた」の5文字を巧妙に隠したという有名なエピソードに通じるものがあるということで、技法に「カキツバタ」の名が付いた。

フレーム外の動作を利用する手法を使ったのは日本では真波が第1号であり、以降は普通に使われる考え方として普及した。

昨日のロケの真美が花を見るシーンは、あの時に「次は母の眼前で技法カキツバタを使おう」と思いついた場面とのこと。

そして真波は自分の「カキツバタ」はそんなあっさり再現出来る簡単な物ではない、と対抗心を抱き、母子の戦いが始まった…。

 

うん、犬井監督、迫力ありすぎです。

現場で見たら、あたし混乱します、多分。

うまく無視できなかったらごめんなさい…。

 

「それとオーディションの時から疑問に思っていることがあるんですけど…」

「はい。どうぞ」

 

「12歳の真美は作品後半の最重要キャラと聞かされたんですが、そのあたりを教えてもらっていいですか?」

 

柊監督が両手を机に突き、下を向き、そして勢いよく上げられた顔には「よくぞ聞いてくれました」と書いてあるかのようだった。

柊監督の力説が始まった。

 

12歳の真美が面白いと思ったことが、そもそもの出発点だ。

母の演技の意味が理解出来ないのに形だけを懸命に真似る真美。

その形だけの真似が演技として一流の域に届いてしまったのが、真美が12歳の時だった。

天才的な感覚を持つ真美に追い詰められる真波。

娘は無邪気に追いかけてるだけなのに、母は敗北感とプライドの濁流に飲み込まれる。

苦しい。

我が娘が怖い。

そしてこんな自分を愛してくれる多くのファンの声がさらに自分を苦しめる。

負けられない。薬師寺真波は頂点でなければならない。

逃げ場はない。進むしかない。

そんな母子の戦いを表現するために文字を連ねていたら、脚本が出来てしまった。

草見修司の文字が1文字たりとも残っていない完全新作にして大幅内容変更の一品、意図せずそんなものを書いてしまった。

12歳の真美はそれほどまでに魅力的だったわけで、最重要キャラはけっして過言ではない。

 

だから柊監督が真美担当なのか。

脚本が本業なのか、監督が本業なのか判らない人だ。

形だけっていう弘法大師のやつが実質的なオーディションだったわけね。

あの2人に2回やらせたのは「形だけの演技が出来ないことを確認した」ということかな。

よくわからない。

よくわからないけど、あたしには出来ていたらしい…。

どうやってやったんだろう。

かなり難しいらしいのに、自分が出来た理由が見つからない。

とても難度の高いっぽいことが…、わけもわからず、無自覚で…、出来ていたらしい。

そんなふわふわしたものに期待が寄せられている…。

脚本ってかなりエライ人だ。

その人が最重要は過言ではないと言った…。

 

「ふ、ふるえる…」

 

「え、寒い? 温かい物なにか飲む?」

 

…違います。ビビッているんです。

3年間まともな仕事を獲れなかったあたしが、…突然、…こんな。

 

 

「私にはわかるわ! 由衣さんは責任の重さを噛み締めているのよ!」

 

 

…あ、夜凪さん。

 

「大河ドラマよ。ただのドラマとは違うのよ。責任を感じないはずがないのよ!」

 

あたしは涙を我慢して立ち上がり、恰好よく指差しポーズを構える夜凪さんのほうへ走っていた。

夜凪さんがにこりと微笑んで両手を広げて迎えてくれたので、その胸に飛び込んでしまった。

 

意味不明な涙がぽろぽろ出る。

 

これは「責任の重さ」からくる涙だと夜凪さんが教えてくれた。

髪を撫でてくれた。

撫でながら「皐月ちゃんも泣いてたなあ。役者の気持ちは役者にしかわからないものよ」と言葉をくれた。

 

じわじわと実感が込み上げてきた。

自分は今から多くの役者が通ったであろう門をくぐろうとしている。

歩む足にしっかりと力を込めなければならない。

大河ドラマの重要登場人物。

半端な気持ちで臨んではいけない…。

前を見続ける覚悟が要る。

胸に刻みつけて、あたしは進んでいく。

 

涙はなかなかとまってくれない…。

 

 

 

香が静かな口調で、

「由衣は滅多に泣かない子なんですよ」

と、雪と犬井に教えた。

 

「ちゃんと支えます。私が支えます」

「一度にいろいろ言い過ぎたなあ」

 

 

「犬井監督、柊監督、お二人ともどうか由衣をよろしくお願い致します」

 

 

手を突いて丁寧に頭を下げる香の姿があった。

 

               第50話「役者が生まれる」/おわり




以上が、私なりのアクタージュ「scene173」となります。

由衣の賢さは「頭の中に向き合うべき問題がある。そして新たにそれより重要な問題が見つかった。前の問題は保留(あるいは忘れるか逃げる)にして新たな問題に当たる」という感じの物です。
いちばん重要なことが見えていて、他のことは後回し、それを無自覚でやってのける。
そういう賢さってのもあると私は思います。
事務系の仕事が得意な人が並行していろんなことを処理する能力に近いです。
前回、車の中で「寝ます」と言ったのは、「薬師寺真美の前で薬師寺真美を演じる問題」は今考えてもしょうがないから、この後の撮影のために頭を休める、という選択です。

由衣が役者の道を選んだのはかなり早い段階です。
演技力は高いのに、器用に世渡りが出来ないせいで日の目を見なかったタイプです。
この日は学校を休んでのスタジオ大黒天訪問ということになります。
本気度がうかがえます。

雪との相性はいいと思います。
中身のない世間話や長たらしい挨拶を嫌悪するあたりも波長が合うところでしょう。

由衣の撮影が本格的に始まるまではけっこうな時間があります。
その間に真美の演じ方をとことん練習することになります。
真美の演じ方というのは「真美が描く真波の演じ方」を意味し、それは犬井がこだわる真波の技法とは質が異なります。
真美の演じ方は、再現が極めて困難な技法となります。

12歳の真美が最重要というのは、ドラマ後半においては事実です。
犬井が一言のためだけにスタジオ大黒天に足を運ぶ価値はあります。
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