『エスタージュ(S-tage)』(「セカンドステージ;役者と監督のその後」) 作:坂村因
ロケ撮影は順調にそのスケジュールを消化しており、景色や風景はほぼ撮り終えていた。
役者同行のロケ撮影も始まっていた。
スタジオ大黒天では、由衣が黒山から演技指導を受け、その様子を皐月と夜凪が観察する、という機会が増えた。
真美役の中心は由衣で、皐月と夜凪は「由衣が演じる真美」に合わせていく形になる。
「そこでゆっくり顔の向きを変える」
「はい。これ、頭の中で数を数えちゃ駄目ですか?」
「1、2、3、…か? リズム感に自信があるなら良い方法だ」
「やってみます」
由衣の演技は、土台はしっかりしているが真美のような機械じみた正確さにはまだ遠かった。
皐月にとっての「真美」は、役作りの対象としてはそれほど難しい人物ではなかった。
母を懸命に真似る子供。
心情に一般性があり理解しやすい。
恵まれた環境の中に身を置き、「真波の技法」を丁寧になぞることに夢中な8歳の少女。
皐月の中では、あとは微調整のみということになるが、アジャスト先の由衣の「真美像」がなかなか定まらない。
由衣が真美のイメージを固定させるのを待たなければならない。
夜凪にとっての「真美」は奇妙な位置付けになった。
前の二人は夢中で母を追うのに、夜凪のところで意図的に母を苦しめる人に急変する。
真美は4歳から21歳の間に32本の映画に出演している。
それらの鑑賞会も行われた。
夜凪は俳優連盟の建物の前に立っていた。
市街地内のそれほど大きくない白いビルで、区役所やカルチャーセンターといった雰囲気だ。
自分から「音量ゼロで鑑賞する」という条件を出し、黒山から鑑賞の許可を勝ち取った。
ビデオ30巻セットは複数用意されているらしく、受付で30巻すべてを一気に借りたい旨を告げるとすんなりと話が通った。
連盟が実施する定期鑑賞会は、椅子がたくさん用意された広い部屋で大きなスクリーンを使用して行われる。
個人が鑑賞する場合は、応接室のような部屋でテレビ画面で見る。
…さて、と。
じっくり見させてもらうわ。
黒山さんを説得する目的がなくても、音量ゼロで見るつもりだった。
見たいのは真美さんが作る映像の形。
鑑賞開始。まず真美さんによる真波作品の紹介。実際の映像。真美さんによる実演。そして技法の解説。
たしかにこんなものを何十時間も見続けたら「焼き付いてしまう」かもしれない。
音量ゼロでも、このシーンが何を伝える物なのか、どういう心情なのか、ちゃんとわかる。
具体的な細かい設定や単語は予想を外しているかもしれない。
物語の動き、人々の感情の方向、流れ、そういう予想は多分外してない。
形の精密さがすごい。
今の私ではまるで届いてない。
でも大黒天で見た作品の21歳までの真美さんなら、今の私のほうが上だ。
以前の私なら、5~6歳時の真美さんにさえ負けている。
立体映像を意識し始めてから、本番の撮影時や勉強会のための練習を通して私もかなり扱いに慣れてきた。
真波の技法ってすごいわ。
隠れているのに伝わりやすい。
見えているのに、本音が別にあったり。
技術の高さや美しさを追求していない。その時必要な物を必要な分だけ届けてくれる。
真波の芝居は、アートではなくエンターテインメントだ。
真美さんはずっとこれと付き合ってきたのね。
こんなに精確に描けるくらいに…。
夜凪は6本見たところでその日の鑑賞を終えた。
明日また続きを見に来よう。
明後日も、その次も、…30巻を全部きっちり見てみよう。
役者同行のロケ撮影も順調に進んでいた。
学校が夏休みに入り、皐月、由衣、夜凪もロケ撮影に参加する段階になった。
7月22日、夜凪にとっては河原での撮影以来のロケとなった。
けっこう大規模なロケ隊。
バスの隣の席には、この日が「キネマのうた」のロケ撮影に初参加となる環が座っていた。
「景ちゃん、舞台演劇に興味ない?」
「あるわよ(急になんですか?)」
「……。私が、自分の…、環蓮の劇団を立ち上げることになりそうなんだけど…。景ちゃん、出演しない?」
「出演はしたいけど、なんでそんなことになったかが気になるわ」
「阿良也君がねえ。なーんか、話してると、色々こじれてさあ」
「環さん。大河の準備期間に一体何をしていたの?」
「景ちゃんも一度天球に来てみないか! 話がまとまらなくて、こう、なんか意見を言って欲しい!」
「いいけど…」
バスが現場に到着した。
夜凪は9話目、環は17話目の撮影だ。
順番は、必要人数の多い環の撮影が先(出演する役者のスケジュールの都合が優先される)。
リハーサルを終えて戻ってきた環が怪訝そうにしゃべった。
「なんか、雰囲気変わってない?」
「うん、変わったと思うわ」
沢村秀夫、入江恭太、中里紀之介の芝居の雰囲気が変わっている。
指示の声は環にのみ掛けられる。
テストでもテスト本番でも環にばかり指示が飛んだ。
そして本番、テイク1。
「カット! 入江さん、目が強いです」
テイク2。
「カット! 環さん、首を傾けるタイミングもう少し早く。沢村さん、テイク1の演技に戻してください」
テイク3以降、雪の指示は環にのみ向けられるようになった。
テイク14でOKとなった。
環は、沢村や入江から「そのうち慣れるから」等と声を掛けられながら戻ってきた。
「景ちゃん。…雪ちゃん、雪ちゃんが、なんか厳しいよ? なんで?」
「本番だから厳しいのかしら。驚いたわ」
「気楽にしてるけど、景ちゃんも厳しくされるんだからね!」
「私は大丈夫(たぶん)」
「甘いね、景ちゃん。あのお方は1ミリの誤差も許さないね」
「それは大げさよ(ちょっと不安になるわ)」
雪の指示の中心にあるものは、表現の強さが想定を上回ることを禁じること。
雪が許容するラインより少しでも強いと「駄目出し」が行われ、先にロケ撮影を経験した役者たちは散々NGを食らうことでその指示方針に慣れていた。
動きや声量の正確さにおいてもズレが許される範囲がかなり狭く、全体的に厳しかった。
あと、アドリブは厳禁だった。
夜凪の順番となった。
頭の中のイメージを整理し、(大丈夫)と気合いを入れて初期位置へと歩いていった。
「皆さん。次、本番でもいいですか?」
夜凪以外の役者は、揃って「はい」の声を響かせた。
「けいちゃんはテストがあったほうがいいですか?」
「いえ、いけます。本番いってください」
合図を待つ夜凪は「テストって言った? リハーサルじゃなくて? そしてテスト本番は無しなの?」等と考えていた。
…合図が鳴った。
静かな歩様で戸井口のほうへ向かい、足をとめずに林を見る。
「ん?」
「まだ何も言ってません…」
「嬉しそうにしてっから。そっから何か見えるん?」
「撮影所が見えますね。…半分ほど」
「戸井口、真波ちゃん、大島の秘密、聞きにきたぞ。抜け出してきたぞ。眉唾だったら承知しないぞ」
「声、でっけ。秘密てほどじゃねぇよ」
「いいえ。秘密です。監督は背中を見るんです。カメラも背中を狙う」
「んあ、そんだけ?」
「大島監督は後ろ姿が多い映画を撮る人と思ってよ。落ちっから。受かりたかったら背中だ」
「顎をこのように突き出してしまって良いですね」
「叱られっよ」
「栄治よぉ。…真波ちゃんは、嘘言わっぞ」
「こっ、こうかぁ?」
「こぉうですよ」
「……。」
「……。」
「カット!」
Vチェックが行われた。
そして「OKです」の声が聞こえた。
戻ってきた夜凪は、
「怖かった。怖かったわ。雪ちゃん、1回カット掛けそうになったわ」
と、引きつりそうな声で言った。
「真波は歩きながらしゃべるからねえ。こぉうですよ、の直前が危なかったわねえ」
「軸が一瞬揺れたわ。石ころ踏んだのよ。危険だわ、石ころ」
「まあ、ワンテイクでOKで上々じゃん」
「みんな、慣れてる。いきなり本番だったわ」
「この後、戸井口と栄治のシーン、撮れるだけ撮るらしいよ。そのための巻き」
「撮影、順調って聞いてたのに、遅れてるの?」
「いや、沢村さんから話聞いたんだけどさ…」
環が座って休んでいると、沢村が声を掛けてきたらしい。
犬井がロケ撮影への同行を一切しないことに決めたこと。
そしてスタジオ撮影はすごく厳しい内容が予想されること。
雪が「犬井はかなり厳しくやるつもりだから自分で慣れて欲しい。自分より犬井のほうが厳しいと予想される。指示のポイントは犬井と自分ではほぼ一致するはず」というようなことを言った。
なので、まだ若い雪からの厳しい言葉に反発することなく、ベテラン勢もスタジオ撮影を見据えて準備している。
そして、スタジオ撮影の時間を少しでも多く確保するために、ロケ撮影が「巻き」になっている。
沢村は環にそんなことを教えてくれた。
「そういえば、雪ちゃんと犬井さん、同じ資料使ってるわ。すごい量なの、その資料」
「犬井さん、雪ちゃんに色々投げたな」
「あの二人が組めば絶対厳しいわ。厳しくないわけないわ」
「景ちゃん、一発OKなんて私を置いてかないで。苦労を共にして友情は育つものよ」
そう言って夜凪の手を握った環の両手には、ぎゅーっと力強い(共に!)の意志が込められていた。
薬師寺邸では、真美による皐月のレッスンが行われていた。
教えている時や皐月の芝居を見ている時の真美は終始楽しそうだった。
皐月がその理由を尋ねると、「自分の目の前で自分を演じる役者がいることが奇妙で可笑しい」という答えが返ってきた。
「やっぱり実際の私とはだいぶ違いますね」
「すみません」
「あ、違うんですよ。お芝居続けてください」
「はい」
「ドラマだから当たり前ですけど、子供の頃の私とは全然違うの。それが妙に可笑しいんですよ」
「そ、そういう、…んー、…もの…ですか」
「皐月ちゃん、しゃべりながら身体を使うの慣れてきましたね」
「まだ…難しい…です」
役作りは比較的簡単ではあるが、芝居自体は難しい。
挑戦しているのが本格的な真波の技法であること、それを丁寧に再現すること。
その部分でレッスンを受けられるのはありがたい。
皐月が特にありがたいと思うのは、「皐月の真波」を壊さないように気を配ってくれることだ。
放送では、「8歳の真波」より「8歳の真美」のほうが出番は多い。
だけど、真美は「8歳の真波」も大事に考えてくれた。
第51話「本格的に」/おわり
以上が、私なりのアクタージュ「scene174」となります。
オーケストラの指揮者が他の指揮者の公演のBDを音量ゼロで鑑賞したとします。
さらに、画面の大部分を何かで覆って演奏者の姿を隠し、見えるのは指揮者のみという状態にします。
その状態でもほぼ問題なく演奏の状況が判るそうです。
今どのパートを導いているのか、指揮者の指示は「タッタッター」なのか「タータッター」なのか。
楽曲名の表示が隠れていても楽曲名を言い当てられるし、その公演の出来が良かったのか悪かったのかも判るそうです。
しかも、そんなことは出来て当たり前のことであり、難しいことでもなんでもないらしいです。
女性の指揮者は少数です。
音楽界の慣習といった側面が大きいでしょうが、「空間能力、構造的思考力」等に関わる脳の発達における男女の差異も指摘されています。
「キネマのうた」の撮影がどんどん進み始めました。
全員が、クオリティの高いドラマの完成に向けて着実に動いています。
環を除いて。
まあ環は相当な総合力の持ち主なので寄り道しているくらいが調度いいのかもしれません。