『エスタージュ(S-tage)』(「セカンドステージ;役者と監督のその後」)   作:坂村因

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第52話 「怖い二人」

スタジオ大黒天。

皐月は、黒山が由衣に演技を教える様子を眺めていた。

黒山は説明の仕方が上手で、由衣はきっちり理解した上で黒山が実演している身体の使い方をなぞっている。

 

皐月は真美から身体の使い方を教わっている。

真美は、「しゃべりながら身体を使う練習をすれば、自分が子供の頃にやっていた意味が分からないままの物真似と同じになる」と説明してくれた。

 

…頭の中と身体の動きを切り離すことがポイントとなる。

 

真美が「芝居の意味を理解しないままの練習だと、あなたが役作りで作り上げた真波のイメージを壊すこともないでしょう。だからしゃべりながらの練習が今のあなたには最適なんですよ」と言ってくれたことも嬉しかった。

 

皐月は、頭の中と身体の動きを切り離すことが大事だと黒山に伝えたほうがいいと考えている。

 

でも、由衣さん、ずっとおしゃべりしてる。

分かってやってるのかは判らないけど…。

数を数えたり、「ここがこーなって…こっちがこう…」と言ったり。

身体を動かしながら。

ちゃんと理想的な練習法になってる。

 

ここで夜凪が、

「黒山さんは男性だし、身体も大きいし、私が実演役をしたほうがいいんじゃないかしら」

と、そんなことを言い出した。

 

うわ、夜凪さんの真美の芝居、見てみたい…。

でも見ちゃ駄目って言われてるのよね。

 

黒山は「間に1人混じると伝達の効率が落ちる。伝言ゲームと同じだ」と難色を示し、夜凪は「体格が近いほうが伝わりやすいのも確かだわ。やってみる価値はあるわ」と応じた。

 

「私、夏休みの宿題があるからちょっと席を外すわ」

 

皐月はそう言って立ち上がった。

そして自分のバッグを持ち、PC室のほうへと歩き出した。

 

見たい。見たい。

あの流れだと夜凪さんが実演を見せることになる。

私も見たいよ。

 

皐月は、しょんぼりとPC室のドアを開け、「お邪魔します」と言って室内に入った。

作業中の雪が「どうぞ」と答えた。

皐月は雪からいちばん遠い席に座り、机の上にバッグを置いた。

 

机の上に算数ドリルを開く。

鉛筆を手に、ドリルの中身に顔を向ける。

 

真美から、夜凪を見てはいけない理由について「夜凪は特殊な演じ方をする役者だから」と聞かされた。

夜凪は、見る者に映像を伝えるような演じ方をするらしい。

 

皐月にはその特殊な演じ方に接した経験があった。

前の脚本の1話目の撮影時、「芝居を盗むまでもなく、向こうから勝手に教えてくれる」という感覚を、同じ場で芝居をしている真美から感じたことがあった。

あの感覚のことだ。

 

真美も、夜凪と同種の「特殊な演じ方」をする役者だ。

 

夜凪による「真美の演技」を見ると、真美本人から教わった「真美の演技」が崩れてしまう危険性がある。

夜凪の「別の演技」はどれだけ見ても構わない。

見てはいけないのは「夜凪による真美の演技」だけだ。

 

皐月は算数ドリルに取り掛かることにした。

夏休みの宿題を持ってきたのは、この事態に対応するためだ。

その場を離れる理由として使う夏休みの宿題。

皐月はどうせならいちばん厄介な算数ドリルから片付けてしまおうと考えて、算数ドリルを選んだ。

 

ドリルの文字に目を向けると、まずページ全体に大きく「俺に近づくんじゃねえ」と書かれた文字が見えた。

何故こんなものが見えるんだろう、と皐月はいつも不思議に思う。

こんなふうに書かれると算数ドリルに近づいてはいけない気がしてしまうではないか。

自分は算数ドリルと向き合おうとしているのに。

近づくんじゃねえ、とか…。

これでは向き合いたくても向き合えない。

何故算数ドリルは向き合おうとする者をこんなふうに遠ざけようとするのか。

 

…不思議だ。

 

皐月は、(むーん、むーん…)と唸りながら、数字や計算式を思い浮かべる。

こうしているとそのうち例の大文字は消えてくれることがある。

消えてくれなかったら潔くきっぱりと諦めるしかない。

こんな仕様になってるから算数ドリルは厄介なんだ、と思う。

 

ようやく大文字が消えて、ドリルに記された計算式が見えるようになってくれた。

皐月は、(よし、やろう)と鉛筆の先端を紙面に向けて降下させた。

 

「ちょっと使わせてー」

 

雪の声だった。

皐月は、自分の側頭部近辺の髪の毛にすりすりと雪の頬が当てられている感触を確認する。

 

「私はそういう使い方をする物ではありません…」

 

忙しそうだからわざわざ離れた席に座って静かにしていたのに。

 

「お、算数の宿題。エライねえ」

「ええ、まあ、片付けるなら早めにと…」

 

「邪魔しないから宿題、続けてね。私はしばらくこうしてるから…」

「……。」

 

すりすりとされる感触は続く。

この手の扱いを受けるのは慣れていると言えば慣れている。

 

邪魔しないと言われたが、「んー」とか「いい匂い」とか呟きが聞こえてくる。

皐月はしばらく動かない彫刻作品と化して、時間が過ぎるのを待つ。

 

ようやく離れた雪は自身の席に戻り、「よし!」と声を出して作業を再開させた。

 

皐月も算数ドリルに手をつけようとページに目を向ける。

 

…はっ! まさか!

 

こういうケースでは例の大文字が復活することがよくある。

だが、幸い今回は大文字は消えたままで、計算式はちゃんと見えていた。

皐月は鉛筆を動かし、計算問題の答えを書いていった。

 

 

 

環にとって2回目となるロケ撮影日。

だいぶ雪の指示方針に慣れてきたと、環は思う。

 

大げさな伝わりやすい表現は「駄目出し」の対象。

もちろん、普段日常で行う「完全にリアル」な素の動きを見せても「駄目出し」の対象となる。

 

あと、「キネマのうた」の芝居全体に言えることだが、無駄な間は厳禁。

 

たとえば3人のうち2人が会話するシーンで、残された1人がぼーっと突っ立っていることは許されない。

2人の会話が終わり自分の台詞の番が来るをただ待つだけでは駄目で、台詞がない間にも常に何かをしていなければならない。

 

…これが実に、実に難しい!

 

ベテランの役者は、視線を控え目に泳がせたり、なんとなく何かに気を取られたフリをしたり、といった感じの演技で上手に間を繋ぐ。

 

環は一度、「会話している片方にしゃべりかけようとして諦める」、という演技で繋ごうとした。

 

「カット! 環さん、今なにを言おうとしたんですか?」

 

会話に混ざりたいけど混ざるタイミングが見つからないことってよくあるでしょ、と説明したら、「このシーンで真波は会話に混ざろうとしていません!」と叱られた。

 

「キネマのうた」は脚本の段階で「ご都合主義的な動き」というものが、これでもかという勢いで排除されている。

 

重要な話し合いの最中、話の核心に迫ったまさにその時、「大変だ」と言って誰かがドアを開けてその場に闖入してくる、…等といった展開は皆無だ。

歩いている時に誰かのことを考えていて、丁度その誰かが少し先を歩いていて、その姿に気づいて駆け寄る、なんて出来事も発生しない。

誰かを待っている人が壁にもたれて無言で立ち、待ち人が来たら「やあ」と声を掛ける、といった手軽な「場面導入」も一切使われない。

 

その結果として、場面内に「手持ち無沙汰な人がいる」という状況は極端に少ない。

少ないとはいえ、ゼロではない。

短い時間の「手持ち無沙汰」までカウントするなら、けっこうな数がある。

そのすべてを「繋ぐ」で凌がなければならない。

 

…これはどう考えても雪の好みだ。

 

犬井はどちらかといえば細かい部分はズボラで、見せ場に力を注ぐタイプの監督だ。

 

環は、「私たち役者陣はみんな犬井と雪に騙されている」、という仮説を立て、熟考する。

 

…スタジオ撮影が始まったらどういう状況になるかを想像してみる。

 

犬井が、雪が今やっているような類の厳しい指示を出してくるとは思えない。

犬井はひたすら「真波の技法」に目を光らせるだけ。

真波の技法についてのみ、相当に厳しい指示を出してくることが予想される。

 

そしておそらく犬井の隣に雪がいる。

犬井は真波の技法しか見ておらず、他の部分はすべて雪が指示を出す。

今やっているような厳しい指示を飛ばしまくってくる。

 

(なんだよ、おい。スタジオ撮影、すげーキツそうじゃん!)

 

沢村が教えてくれた話にあった「指示のポイントは犬井と自分ではほぼ一致するはず」という部分は嘘だ。

犬井が役者陣をコントロールするために考えた作文だ。

それを雪に言わせたんだ。

 

雪は、見る者にとって「不親切」な展開や芝居を好む。

犬井は、技法そのものが優れているが故に「技法を用いるだけで雄弁」という真波の技法の再現を要求してくる。

 

(どうなるんだ、これ?)

 

見る者に伝えるべき情報を、我々役者は演技を通して伝えなければならない。

雪は、伝わりやすい手法でそれを伝えることを許さない(なんて厄介なお方だ)。

犬井は、真波の技法の雄弁さを引き出せば「伝わる」という信念を押し付けてくる(難しいんだよ、それが!)。

 

雪が書いた脚本は丁寧にじっくり読めば「伝わる」ように組み上げてある。

映像となって放送された時、視聴者が丁寧にじっくり見てくれれば「伝わる」ようにはなっているはずだ。

 

問題は、視聴者を「丁寧にじっくり見る」姿勢に引っ張り込むのは簡単ではないということだ。

 

この部分は役者の領域だ。

少なくとも「キネマのうた」においては役者に掛かる比重が大きい。

 

(ククッ。ジョバンニのように客を一気に引き込めばいいってわけか…)

 

「テレビドラマでそんなふうになるわけないだろ!」

 

環のこの突然の大声に、周囲にいた役者たちは心配そうに環のほうへ集まった。

 

今のところ間の繋ぎがいちばん得意な入江が、

「目に映った物の名前を逆から読んでます。ほどよく難しくて目線も動きます」

と、自分のやり方を教えてくれた。

 

沢村が、

「役作りが壊れない物なら対象はなんでもいいよ。俺は日本刀の銘を思い出すことにしてる」

と、アドバイスをくれた。

 

環は、入江のやり方を採用しようと思った。

 

それはそれとして…。

自分には主演としての義務がある。

役者に掛かる比重は、自分が主体となって支えなければならない。

 

客の心の隙間に浸み込む感じ、という阿良也の教えをテレビドラマに活かせないか。

 

視聴者を引っ張り込むには、…やはりジョバンニじゃないのか。

 

               第52話「怖い二人」/おわり




以上が、私なりのアクタージュ「scene175」となります。

皐月は、なんというか大人ですねえ。
算数ドリルへの苦手意識はともかくとして、気遣いが立派です。
なお、「キネマのうた」の出演者の中でいちばん準備万端なのは皐月だと思います。

皐月視点で動いたので、夜凪の「真美の演技」が書けませんでした。
ビデオ30巻で映像の形をじっくり研究した夜凪なので、かなり精度が高い物を見せたはずです。
夜凪の場合は真美の役作りが大変です。

どうしましょう。

私も決めかねてます。
夜凪が担当する真美は、母子の戦いが泥沼化している時期なので難しいんです。
視聴者から「嫌な奴」とか思われるキャラにしたくないなあ、とかなり悩んでいます。
何とか考えてみます。

環は、たぶん大丈夫です。
なんといっても主演ですし、迷走しつつも選択は間違えないのが環です。
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