『エスタージュ(S-tage)』(「セカンドステージ;役者と監督のその後」)   作:坂村因

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第53話 「キネマのうた(1)」

スタジオ撮影初日。

28話目の撮影のためにスタジオ入りした環には、初日のこの日にしか出来ない「大仕事」を抱えていた。

 

こういうことは男がやると角が立つ。

かと言って気の弱い女には荷が重い。

私のような肝の据わった女にしか務まらない役目だ。

 

環は、(女の大河主演は8年ぶり。今年は女の年だ)と自らの気合いを確認する。

 

役者間で「スタジオ撮影」がどういう状況になるかという情報を口伝てで回した。

どれくらいの人数に伝わったかはわからない。

見渡した感じ、出演する役者のほぼ全員が「スタジオ撮影」の様子を見るために来てくれている。

 

この日は1話目を中心に、計6話に渡る12のシーンが撮影される。

基本的には話数の若いシーンが優先されるが、放送日が後のシーンもバラバラに混じり込む。

5つのセットを使うこの日の12シーンの中では、環の28話目がもっとも放送日が遅い。

 

1話目シーン7、文代の家の場面。

皐月が演じる真波の撮影が始まった。

 

無感情で虚空を見る皐月。

目線が右に動き、ゆっくりと悲しさと暗さが混じった表情へと変化していく。

台詞はまだ無し。

目線の先の真美は、静かに針を動かし繕い物をしている。

 

「トーキー」

 

真美は返事をしない。

 

「お母さんの悪口…」

「……。そうだね…」

 

「カット」

 

声を出したのは雪。続いてV確認が犬井と雪によって行われた。

 

環は、(さつき、上手い。完璧、いや、それ以上? 真美さんは文句無し)、と滑り出しを評価する。

 

このテイクはOKとなった。

真美が、自分と皐月のシーンは本番から始められる物が多いと発言したため、撮影一発目からリハーサルもテストも無しとなった。

8K帯指定番組に使われるカメラは、役者の準備さえ出来ていればいきなり本番から始められる。

 

(2人のあの自信。本物だ。相当練習してきてるね)

 

吐き捨てるように投げられた「お母さんの悪口…」という台詞はゾクッとするほど上手かった。

 

「道子の弁は上手だったのにね」

「すっごく…面白かった」

 

「……。」

「……。でも悪口ばかり…。トーキー、…トーキー」

 

「カット。真美さん、繕い物に集中してる感じ、もう少し出せますか?」

「はい」

 

雪ちゃん、真美さんに指示出した。すげえ度胸。たしかにそのほうがさつきの台詞が活きる。

さつきの表情の情報量が多いせいもあって、もっと台詞を聞かせろ、という気持ちにさせられる。

 

 

 

柊雪作「キネマのうた」序章の抜粋。

 

昭和2年、夫との死別後に身籠っていたことを知った薬師寺道子は、その子を産むことを決意した。道子にはサイレント(無声映画)の解説者を生業にして娘を育てていく自信と覚悟があった。解説者の実入りは良く、蓄えもあった。

 

昭和3年、道子は産まれた娘に真波と名付けた。

 

翌年、日本最初のトーキー(音声映画)が上映された。トーキーは品質が低く集客力も小さかった。その2年後、字幕の普及と機器性能向上によりトーキーは流行の兆しを見せた。

その流れは予想外に速く、道子は仕事の場を唐突に失ってしまった。蓄えは徐々に減っていった。道子は複数の仕事を掛け持つことになった。

 

昭和9年、トーキーを懐疑的に見る勢力の中から独立プロダクションが立ち上がり、サイレントの上映が再び行われた。人気解説者だった道子は勢力の一員として尽力した。

小スタジオ主催のサイレントで解説する道子の姿を、文代と真波は必ず見に行った。

真波はサイレントを非常に面白がり、文代は勇ましく弁を揮う娘の姿を誇りに思った。

 

トーマス・エジソン発明のキネトスコープによる日本での映画初上映から30年あまり。

その間サイレントに魅入られていた大衆はあっさりとトーキーへと心変わりした。

サイレントの勢力は大衆から完全に見放された。道子は過労と心労により倒れ、その生涯を閉じることになった。

文代にとって、道子を苦しめた気まぐれで移り気な時勢は憎しみの対象となった。

真波にはトーキーに接する機会がなかった。

ただ母が大好きで、母が愛したサイレントが大好きだった。

 

柊雪作「キネマのうた」第1章の抜粋。

 

昭和10年、母道子を亡くした薬師寺真波は祖母のいる鎌倉に移り住んだ。7歳の時だった。

祖母と二人、裕福とは言えない静かな日々が始まった。

 

 

 

夜凪は環の隣に立ち、異様に完成度の高い芝居でOKテイクを重ねていく真美と皐月を見ていた。

 

サイレント解説者だった道子が逝去していること。

文代と真波の二人暮らしであること。

真波がトーキーが何なのかを知らないこと。

 

はっきりした情報はそれだけなのに、口数の少ない芝居から色んなことが伝わってくる。

 

「予定と違うわ。でも皐月ちゃん、ほんとに凄い」

「誤算だが、嬉しい誤算てやつだ。…素直に喜ぼう」

 

文代の家のセットを使ったシーン7とシーン36は、9テイクすべてが本番からの撮影となった。

皐月は一度もNGを出さなかった。

9つのテイクのうちワンテイクで決められなかったのは、繕い物のシーンで真美にNGが出された1回のみ。

 

1話目シーン31。松菊撮影所内のセット。

皐月が撮影所内を歩き回り、何人かとすれ違う場面の一部が撮られる。

皐月は後ろ姿を撮られ続け、柴倉が演じる安田と中里が演じる須藤は正面を向いている。

安田と須藤には台詞も動きもそれなりにあり、表情も変化する。

真波に対しての反応は極めて薄く、声を掛けたりもしない。

 

「カット! 中里、昨日の話ですよ、のジェスチャーは廊下を蹴るような足の動きから開始だ」

 

「カット。蹴る動きは、ボールを軽く蹴るくらい、だ。その歩幅で安田の視界に顔を入れる」

 

「カット。柴倉さん、鼻を鳴らす時の呼吸、つまらない、ではなく、どうでもいい、にもっと寄せられますか」

 

指示の声は皐月には飛ばない。

細かい動きや歩様の変化から伝わる心情の1つ1つを、皐月の後ろ姿は正確に語りかけてくる。

 

 

 

環は、犬井の指示の傾向を確認していた。

草見の脚本を使っていた頃は、真波の技法について妥協することは珍しくなかった。

いちいち完璧な物を要求していては時間が足りなくなることが明白だったからだ。

完璧な物として視聴者に届ける技法を最初から「限定」していた。

その技法についてはこだわりを捨てず、30テイクになると真美による演技指導が入るシステムだった。

 

今はほぼすべてに完璧かそれに近いレベルを要求している。

この調子だと、「30テイクの真美投入」を1日に数回は発動させることもやむなし、と考えているかもしれない。

犬井にとっても多用は避けたいところだろうが、真美の演技指導が入ることで間違いなく品質は向上するからだ。

 

 

柊雪作「キネマのうた」第1章の抜粋。

 

都心の騒音を避けるために、各映画会社は郊外に撮影所を作り始めた。

昭和11年、文代と真波が暮らす鎌倉の地に、松菊大船撮影所が建設された。

真波はそれが映画関連の施設であることに気づき、強い興味を持った。

サイレントが作られる現場を観察しようと考える真波。

しかし、松菊大船撮影所ではサイレントは1本も作られていなかった。

真波は初めてトーキーがどういう意味でどういう物なのかを知った。

母道子の悪口だと自分が考えていたトーキーという単語は、悪口でもなんでもなかった。

松菊大船撮影所は、新しい形式の映画である「トーキー(音声映画)」を制作するための専用施設だった。

 

 

 

環は、淡々と芝居をこなしていく皐月を見て、

「しかし、さつきには驚かされるねえ…」

と呟いた。

 

「今の窓の外をチラ見するところ、足が止まりそうで止まらないんだよ。私より上手い」

「立ち止まっちゃう、と一瞬思ったわ。あの動きだけで、窓の外に何を見たんだ? と気になってしまう」

 

「雪ちゃん、窓の外は見せてくれないんだよな」

「顔さえ見せてくれないのよ。テレビの前の人は、真波がどんな思いで歩いているのかを想像するしかない」

 

13テイク目が終わり、V確認が始まった。

環と夜凪は、その様子を現場最奥部最上段の席から眺めていた。

 

「このテイクがOKだったら行くか」

「鬼って言葉、使うのやめにしない? 揉め事になったら嫌だわ」

 

「ならないさ。景ちゃんは私が信用出来ないかい?」

「信用してるわ。…でもやっぱりちょっと怖いのよ(鬼じゃなくて神にしない?)」

 

犬井が「OK」と声を張った。

環は、「さあ」と気合いを零しながら立ち上がった。

そして、スタジオ内の様々な物音をかき消すべく(ぱーんっ)と手を叩く音を大きく響かせた。

 

 

「主演の環蓮だっ! 話を聞いて欲しいっ!」

 

 

すぐ隣にいた夜凪は、環の声の大きさに反応して耳を手で押さえた。

環は大声で言葉を続けていく。

 

「キネマのうたは、ものすごい作品になる! 理由がわかるか?」

 

「その理由の1つ目っ!」

 

「そこにいる2人の監督は鬼だっ!」

 

ここで、環はあえて一呼吸入れる。

役者陣は分かっていても、制作陣には「何事だ?」と考える時間を与えなければならない。

 

「私はこれほど厳しい撮影現場を見たことがないっ!」

 

「犬井監督と柊監督は、何故こんなにも厳しい指示を出すのかっ!」

 

「決まっているっ! 良い作品を撮りたいからだっ!」

 

「我々役者陣は、その思いに応えなければならないっ! 両監督が納得する見事な芝居を見せなければならないっ!」

 

「半端な芝居じゃ、鬼は納得しないっ!」

 

「みんなの決意は私が知っているっ! 見事な芝居をもって納得を勝ち取るっ! みんなそう考えてるだろう! それが私たち出演者の総意だろうっ! これが理由の2つ目だっ!」

 

環は、(総意だろう、は言い過ぎだ)、と心の中で呟く。

出演者の大部分に自分の考えを伝え、意思確認はしてある。

だが全員というわけではない。

環は、(総意だ、と言い切ったわけじゃないから許せ)、と思いながら次の言葉に移る。

 

「すごい作品になる。すごいクオリティになる。両監督はそういう物を作ろうとしているっ!」

 

「2人の恐ろしいまでの執着を見れば判るだろう! まさに鬼だ! そして我々はその執念に応えるんだ!」

 

「素晴らしい作品が出来上がるっ!」

 

「間違いなく素晴らしいドラマに仕上がるっ! …拍手まだだっ!」

 

一角から生まれていた拍手を環は制した。

 

「良い物を作れば、それで成功か? 作るだけで良いのかっ!」

 

「視聴者に届けなければならない。良い物がそこにあるだけじゃ駄目だっ! 視聴者を引っ張り込まなきゃ駄目だっ!」

 

「そのためにはどうすればいい?」

 

「視聴者の心をこじ開ければいいのかっ! 強引に引っ張り込めばいいのか?」

 

「キネマのうたは見る者の心をこじ開ける作品か?」

 

 

「違うだろうっ!」

 

 

「この作品にはつかみが無いっ! 強引に届ける仕掛けは用意されていないっ!」

 

「つかみが欲しいっ!」

 

「制作陣が用意しないなら我々役者が作るしかないっ。このキネマのうたに相応しいつかみをっ!」

 

「じっくりだっ! このドラマはじっくりと味わう作品だっ! じっくり見ろと我々が視聴者に教えるんだっ!」

 

「それを序盤にっ! 早い段階でっ! 1話目2話目でっ! 視聴者に教えなければならない。それがこのドラマのつかみだっ!」

 

環は、(意図せずダジャレになってしまった。誰も気づきませんように)、と心の中でクスッと笑う。

静かな口調で心の隙間に浸み込ませる語り方をすれば、人の心を引っ張り込める。

キネマのうたにはそういうやり方が合っている。

内容は静かながら、「他のドラマとなにか違うぞ、この作品」、そんな雰囲気を見る者に刷り込ませたら勝ちだ。

今日、自分や夜凪が、皐月の芝居を見て感じたように…。

 

「静かに心に浸み込ませれば、十分に伝わるっ。こじ開ける必要など無いっ! じっくりっ! 静かに! 分からせるんだっ! このドラマの良さを」

 

「私っ、主演の環蓮が登場するのは中盤からだ。最初の数話を務める役者は肝に銘じて欲しいっ! 自分たちがつかみを作るのだ、と」

 

「両監督には釈迦に説法かもしれませんが、それでも言っておきたかった。この作品は、味わい方を視聴者に教えなきゃならないタイプの作品です。そういうドラマです」

 

 

「以上っ! 環蓮でしたっ!」

 

 

スタジオ内に拍手の音が鳴った。激しい拍手ではないが、しっかりと皆が手を叩いてる空気を、環は突っ立ったまま無言で受け止めた。

手を挙げて応えることもしなかった。

黙って堂々と立っていることが自分なりの応えだ、と環は思った。

 

拍手が収まり、ドサリと座り込む環。

 

「お疲れ様。犬井さんも雪ちゃんも拍手してた」

「…良かった。確認する余裕が無かったよ」

 

「私は信用してたわ(鬼、鬼が案外良かったわ)」

「そうかい…。ありがとう」

 

ゆっくり息を吐く環の目に、犬井に近づく真美の姿が映った。

犬井と真美が話し合っている。

2~3分が経った。

まだ話し合いは続いている。

 

やがて犬井が動いた。マイクを手にした。

 

「監督の私、犬井から皆さんに報告します。1話目44シーン、2話目45シーン、計89シーンの全員分の芝居について、薬師寺さんによる演技指導が入ります。なお、鳴野については既に指導済みにつき、薬師寺さんの演技指導は入りません」

 

「あー、ざわつかないで。撮り直しはシーン31の1テイクのみです。そこから撮影を再開します。以後は先に言ったように、薬師寺さんの演技指導を受ける流れで進めます。1話目、2話目のみです」

 

環は、(ざわつくな、というほうが無理だろ)と思う。

はっきり言えば、全49話を真美の演技指導付きで進めるのがいちばんクオリティが高くなる。

真波の技法に関しては生き字引だ。

悔しいが、自分も真美の演技指導を受けたほうが、より品質の高い芝居が出来る。

だが、そんなことを頼んでも受けてもらえるはずがない。

週刊誌には悪いように書かれるし、本人の負担も大きい。

 

それが、1話目、2話目のみとはいえ実現する。

 

(私か? 私の演説に、そんなに共感してもらえたのか?)

 

つかみの難しさについて考え込んでいた環にとって、こんな破格の展開はない。

そしてシーン31の撮り直しが始まった。

真美による演技指導は「じわじわ心に浸み込む感じ」を押さえた内容だった。

環は、皐月が見せていた芝居がまさに同種の物であることに気づいた。

 

(分かってたんだ、真美さんは。さつきの演技がやたら凄かったわけだ)

 

こういう静かなドラマに合った演じ方をさつきに教えていた。

それを全員分やってくれる。

 

(いやいや、泣いてないよ)

 

頬を伝って顎から床に、ポタッ、ポタッ、と落ちる雫を見つめながらそう思う。

ちょっと感情が揺さぶられただけ。

それに涙腺がたまたま反応しただけ。

 

夜凪からハンカチを渡されると、環は肩を揺らしながら泣き始めた。

環の低く抑え込まれた嗚咽は、けっこう長く続いた。

 

夜凪は、演技指導を行う真美の姿を見つめていた。

 

 

 

柊雪作「キネマのうた」第1章の抜粋。

 

真波はトーキーの魅力が何処にあるのかすぐに気づいた。

自分がサイレントに感じていた面白さとなんら違いは無かった。

結局は、登場人物の仕草や表情が物語に合わせて「どーん」と表現される部分に面白さがある。

声があってもそれは同じ。

 

真波は1人でこっそり練習した。驚くほど下手だと自分で思った。

撮影所で役者を観察し、それを真似る。失敗する。失敗の理由を考える。何度繰り返しても思い通りにいかない。

オマケだと思っていた発声が、自分の芝居の足を引っ張っているのが分かった。

迫力のある仕草や表情なども再現出来なかった。

 

生来、真波は気性が激しかった。

 

観察してコツを盗んだつもりでも自分の芝居には反映されない。

苛立ちが募り、観察眼もどんどん鋭くなっていった。

そして、「あの役者さん、あそこでこうすればいいのに」といった粗探しに喜びを覚えた。

 

文代は撮影所に入り浸っているらしい真波を心配していた。

やがて隠れてこそこそするのをやめ、堂々と家の中で練習するようになった真波に、文代は苦言を呈した。

「おばあちゃん。こんな面白い物、やめられるわけないでしょう」

文代はその言葉に身震いするほどの迫力を感じた。

娘はトーキーに殺されたと言っても、母を殺したのはトーキーではないと返ってくるだけだった。

 

文代が松菊大船撮影所を訪れる日がやってきた。

真波が来ても相手にしないように、芝居を教えたりしないように、とお願いするためだ。

だが、文代の予想と違い、真波の存在はあまり認知されていなかった。

たまにウロチョロしている子供。会話した者もいないし、誰かが芝居を教えた事実もない。

真波は観察し、真似をするだけ。それだけの子供だった。

 

ある日、真波は粗探しの成果を須藤に話してみた。須藤には真波の指摘が理が通った代物に思えた。

須藤は「観察眼が優れている」と真波を褒めた。

喜んだ真波はその後、須藤に助言を与え続けた。その内容が子供が言う事と馬鹿に出来る物ではなく、時には「何処からそんな発想が出てくる?」と驚かされるほどだった。

 

撮影現場を間近で見ることを許されるようになった真波は、ひたすら観察に励んだ。

真似をして芝居を練習しても上手くいかないことは分かっていたので、見ることだけに集中した。

 

文代は「真波は誰かから芝居を教わっている」と確信していた。

大人である文代は映画に関する知識を持っていた。一線で活躍する役者に求められる物がどういう物なのかも心得ていた。

自分に向かって「こんな面白い物、やめられるわけないでしょう」と言った時に醸した迫力は、それ無しでは説明がつかなかった。

真波は生来の気性の激しさを文代に見せたことが無かった。

行儀が良く、言葉遣いも乱れておらず、芝居の練習もしなくなった。

普通の子供、むしろ大人しい子供。

文代は、「見るだけ」という真波に撮影所通いをやめさせる言葉に思い当たらなかった。

自分で何度も撮影所に足を運び、色々な人たちの話を聞いても「真波は見ているだけ」という事実を裏付ける言葉しか聞けなかった。

見るだけでは役者にはなれない。役者にならないのなら安定した真っ当な人生を選べる。

これが文代の理屈だった。

 

そしてついに問い詰めることにした。

文代は「あの日、自分に見せた言動は誰かから教わった芝居だろう?」と何度も何度も問答を繰り返した。

当の真波がその日のことを忘れているので、話は噛み合わない。

根掘り葉掘り聞かれ、答えるうちにその日の出来事を思い出した真波は文代に謝った。

苛々していたこと。粗探しといった意地悪いことで喜んでいたこと。自分はそういう性分を持ち合わせていること。

すべて文代に打ち明け、疑いは晴れた。

 

真波は気兼ねせずに撮影所通いを出来るようになった。

そして、自分が芝居だと思っていた「大仰な動作」「激しい感情表現」「起伏に富んだ表情」以外にも芝居があることを知った。

あんなに他愛ない言葉が、見る者にとっては「芝居」に見える。

あの日の自分は普通の表情だった。普通の口調だった。普通の言葉遣いだった。

それを「芝居」として成立させる効果的な方法があるのではないか?

真波はその考えに没頭した。

撮影所での観察はその答えを探すことが目的となった。

 

 

 

…真美の演技指導を見つめ、夜凪は考えていた。

 

(分かってはいたけど、凄すぎる…)

 

これではすべて真美に任せれば良いという話になってしまう。

夜凪はビデオ30巻を研究し、真美の映像の形の凄まじさを思い知らされている。

 

他の役者はああいう方式で納得するのだろうか?

自分はどうだろう。

自分もおそらく納得する。

 

積み重ねてきた量が違う…。

回数を重ねたい。練習をしたい。

簡単には納得しない自分でありたい…。

 

               第53話「キネマのうた(1)」/おわり




以上が、私なりのアクタージュ「scene176」となります。

副題が「キネマのうた(1)」になっています。
「キネマのうた編」がいよいよクライマックスということではなく、雪が書いた脚本の内容を紹介する部分があるので、この副題にしました。
「キネマのうた(2)」「キネマのうた(3)」と続いていきますが、それが終わったら「キネマのうた編」が終わり、ということではありません。

第二黄金時代と呼ばれた約10年間の映画ブームを支えた人物。
その半生記。
私にはどうやっても面白い想像が出来ませんでした。
私は第24話「理念」において、夜凪に「キネマのうたって、どこが面白いの?」と言わせました。
あれ、私の本音です。

苦しんだ私が見つけた一条の光。
それはコミックスに載っているキャラ紹介。

柊雪(20)
12月25日生まれ A型 156cm 映画制作 映像作家
●好物
水炊き、納豆やオクラなどネバネバしたもの。デザート全般。
●嫌いなもの
ブロッコリー、中身のない会話をする男
●特技
クレーム処理、適度なスルー
●好きな映画
「ジョゼと虎と魚たち」「(500)日のサマー」「ブルーバレンタイン」割とリアリスト。

この組み合わせしか無いと思いました。
雪の好みなら、壮大でもなんでもない人物を面白く表現できる!
というわけで雪に書いてもらったわけです。
そして雪がどんな物を書いたのか、抜粋という形で紹介していきます。
本文の中に混じり込む形で、読みにくいかもしれませんが、脚本だけを一気に載せるのも味気ないので。
関連の深そうなところとリンクさせつつ「キネマのうた」を語っていきます。
雪に書かせた「リアル志向」だと、タイトルの「キネマのうた」が物悲しく奥深い感じに変わるので、私としては気に入ってます。

夜凪の活躍が少ないですが、ちゃんと見せ場は用意しています。
かっこいい景ちゃんを書きたいです。
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