『エスタージュ(S-tage)』(「セカンドステージ;役者と監督のその後」) 作:坂村因
スタジオ撮影初日が終わった後の夜凪家の夜。
蒸し暑い空気の中、布団に寝転がった夜凪は目を瞑っていた。
「きょうはエアコンの日にしよう」
ルイの声だった。熱気で寝付けないらしい。
夜凪は家の中でいちばんのハイテク機器であるエアコン(←ギャラで安いのを購入しました)を操作し、お休みタイマーを使ってクーラーをオンにした。
熱と湿気が徐々に消え、清涼な空気が部屋を満たし始めた。
(うん、これで眠れる)
タオルケットを身体に掛け直し、夜凪は目を閉じた。
環さんの演説、恰好よかった。「鬼」が悪いイメージじゃない感じになっていたのも良かった。
そういえば「なんとかの鬼」という言い方は、どちらかと言えば褒め言葉だ。
皐月ちゃんの芝居は、すごく引き込まれた。
私のように作品に感情移入しやすいタイプの人はたくさんいる。
そういうタイプの視聴者は、みんな引き込まれる。
あの芝居なら、そうなる…。
皐月ちゃんの真波のイメージが鮮やかだった。
明瞭で、しっかりと固まったイメージで、真波が表現されていた。
雪ちゃんが書いた脚本の真波は、鎌倉で3人で作った真波のイメージに近かった。
皐月ちゃん、きっちり「3人で作った真波」に合わせてきた。
私も自分の真波をイメージしやすい。
皐月ちゃんのおかげで私の真波が、より鮮明になった気がする。
これは助かる。
環さんも、これは助かる、と思ったはず。
鎌倉で合宿した甲斐があった…。
(あれ?)
布団の上の夜凪は目を、ばちっと開けた。(←寝付けないパターンです)
鎌倉での合宿に環さんは付き合ってくれた。築100年の家の準備とか、いろいろ親切にしてくれた。
まあ、環さんは親切な人なんだけど…。
あの合宿の成果の恩恵をいちばん受けるのは環さんじゃないのか?
役作りが上手くいく。良いイメージが出来上がる。それらは作品に反映される。
作品の成功は、主演の環さんが最重視するところ。
(あっ、環さん、言ってたわ…)
浜辺での会話で「甘く見られてるなぁ、私も」と言っていた。
黒山さんや私の狙いを見抜いた上での合宿への協力。
自信の塊のような発言だった。
そんなふうに言えるだけの実力を実際に持っている人だ。
(でも…)
皐月ちゃんを見て、私が役作りを頑張れば頑張るほど、環さんにとってはありがたい。
事実、出来上がったイメージの延長上に環さんはすごく恰好いい「真波」を作り上げた。
その「真波」が、そのまま雪ちゃんの脚本の「真波」になった。
(さすが主演だわ。「役者が一枚上」ってこういう時に使う言葉だわ)
環さんは主演としての責任と役割の重さをしっかりと受け止めている。
スタジオ撮影が厳しくなることを他の役者さんたちに伝え、準備を呼びかけた。
その意思表明として大迫力の演説もした。
…凄い人だ。尊敬出来る役者だ。
そして演説の結果、真美さんの演技指導という破格のご褒美を獲得した…。
つかみを盤石にすることは、作品の成功に大きく関わる。
(さすが主演だわ…)
真美さんの演技指導は相変わらず強烈だった。撮影の手順は増えているのに、撮影に要する時間は予定より短くなった。
役者がスムーズに芝居をこなすと、撮影も驚くほどスムーズに進む。
明日、私もスタジオ撮影がある。
1話目、2話目の人たちと違って、私が真美さんの演技指導を受けることになるかどうかは判らない。
ただ、可能性はある。
もし、受けることになったら、自分もただ納得してそのテイクを終えるのだろうか?
何とかして立ち向かう術はないものか…。
現場にいる人の中で、おそらく私にしか見えない真美さんの立体映像。
空間を埋め尽くす無数の旋律。
真美さんの調律により完璧な形を維持しながら動いていく旋律の集合体。
どれほどの人間離れした能力を結集させれば、あんな現象を起こせるのか。
音楽について勉強した。
18世紀には既にヨハン・セバスティアン・バッハによってあの現象について語られた記録がある。
現代の研究者によって書かれた学術論文もある。
でも、どうしても信じられない。
本当に人間にあんなことが出来るのだろうか?
私の感覚のその先にあの領域があるのだろうか?
そうは思えない…。
あんなのは超能力やSFの世界の話としか思えない。
目の当たりにして体験したというのに、…現実の出来事とは思えない。
バッハが大げさに言っただけじゃないのか。
学者は希望的推測としてそれっぽい言葉を並べたかっただけじゃないのか。
ヒトの身体には映像の送信機も受信機も付いていない。
なにがG線上のアリアだ。
弦の上で歌って見せてほしい。
そうしたら信じてもいい。
…私は実際に強い吐き気に襲われた。
ビデオ30巻の真美さんは別に怖くなかった。
音量ゼロで鑑賞したから?
(真美さん。まだ20代で、若くて綺麗だったわ)
怖いというのとは違うか。
受け入れがたいだけ。
夜凪にはずっと試そうかどうしようか迷っていたことがあった。
飲み込むには大きすぎる相手。クラスメイトを真似していた時のような気軽さでは試せない。
夜凪は目を閉じる。
1000種の映像を追いかける。
果てしなく続く映像の数々をどこまでも追いかける…。
柊雪作「キネマのうた」第2章の抜粋。
文代の手前、見ているだけを貫いていた真波は「いつかは説得しなければならない」と考えていた。
観察し、研究し、発想しているうちに、やはり自分には役者の道しかない、と心を決めた。
文代からは「気性が激しいのを隠すために、動作や言葉遣いは淑女に徹しなさい」と言われていた。
そういう振る舞いが板につき、可憐な佇まいが似合うようになった真波は、15歳になっていた。
社員ではないのに撮影所に出入りする人間は、真波以外にもたくさんいた。
伝統芸能の役者から映画俳優に転身を考えている若者たちだ。18歳になるまでは歩合制で映画に関わる。18歳になったら撮影所の正社員となり給与をもらう身となって俳優業を続ける。
そういう手順が一般的だった。
既に社員になっている大人たちは全国から俳優になるために集まってきた者たちだ。松菊映画会社本社に比べると数は少なかった。
中には、わざわざ撮影所を選んで入社した者もいた。トーキーが主流の映画業界で、都心の騒音は厄介だ。
いずれ大きく伸びるのは撮影所のほうだ、という考えの持ち主だ。
真波も同じ考えを持っていた。
理屈から考えても未来が明るいのは撮影所に決まっている。なので、「本社に栄転が決まった」等と喜ぶ役者がいると内心で「馬鹿な人」と思っていた。
映画に出て活躍して本社を目指す、と公言している者には近づかなかった。
志が違う。
もう1つ、真波には強く感じる「映画界の未来」があった。
当時、一線で活躍していた役者はほぼすべて伝統芸能寄りだった。感情表現も動作も表情も「どーん」という感じで表現される演じ方だ。
当時の常識であり、映画というのはそのような芝居で行われるのが当たり前だった。
真波は、普通の顔で普通の声で普通の口調で伝わる芝居こそ未来の主流になると読んでいた。
この2つの本心を真波は隠した。明らかにこの2つにおいて自分と同じ志を持つ者以外には、そういう話を聞かせなかった。
真波の武器は「観察眼」と「発想力」のみ。伝統芸能寄りの芝居はどうやっても下手くそになってしまう。武器は2つ。志も2つ。
それだけしか持たない自分が、いつか映画界を席巻する日が必ず来る。
真波は、燃え盛る炎のような激しく熱い野心を胸に秘めていた。
見た目にはおしとやかで可憐な少女だ。
その熱い志に賛同する者とは積極的に関わった。
まだ映画出演の経験のない真波は、賛同者に助言を与えることで静かに勢力を広げていった。
助言をもらった者は皆、真波の底力を知っていた。このまだ若い少女にリーダーの素質を感じていた。
真波と近い年齢の伝統芸能組の少女たちは、真波のことをいちばん格下と見做していた。
マキコや恵子はもちろん、「自分は芝居が下手だ」とよく泣くたか子さえ真波を下に置いていた。
真波は同世代のそんな少女たちに負けるつもりなど微塵も無かった。
スタジオ撮影2日目。
演技指導を提案した真美は、いちばん早いくらいにスタジオ入りしておこうと考えていた。
通路を進み、撮影現場に着くと、制作スタッフが既に数名いるのが見えた。
犬井と雪の姿もあった。
(制作スタッフはさすがに早いですね)
5~6人が固まって話をしている。
真美の目には、何かのトラブルに対応しているように見えた。
話し合っている人たちはそういう表情をしていた。
真美に気づいたスタッフに(挨拶は要らない)と手でジェスチャーを送り、人が集まっているところへと歩いていった。
夜凪に寄り添って座る雪がいた。
雪は小さな声で心配そうに夜凪に声を掛けていた。
(夜凪さんの本番はずっと後ですよね…。それに体調が優れないのなら仮眠室に行かせたほうがよいでしょう)
真美は、夜凪のことをよく知らない。
自分と同じく立体音感を駆使する役者だと気づいてはいる。
メソッド演技を得意としていることは知らない。
真美は小声で、
「これはメソッドで深く入り込んでいる状態かしら?」
と、予想を口にした。
雪が真美の言葉に答えた。
こういうことは過去にもあった。
会社の同僚でもある雪は、こういった夜凪の異変を何度も見ている。
今回のは今までで最大級に入り込んでいる。
真美は、(別に危険な状態という話ではないわよねえ)、と思う。
ただ、本番に差し障りがあるようだと、夜凪本人も監督も他の人たちも困るだろう。
「本番で困るほどでしたら私が呼び戻しますよ」
その言葉に雪が「呼び戻す方法があるんですか」と訊いてきた。
真美は「いくつか有ります」とさらりと答える。
真美はかなり特殊な幼少期を過ごした人間だ。
皐月に対して「実際の自分とは全然違う」と言った理由もそのあたりにある。
子役時代の真美の周囲には有能な大人がたくさんいた。
その中の1人が真美の「立体音感」に気づいた。
昭和37年12月、真美が5歳の時、世間では「M響事件」が騒がれた。
ヘルベルト・フォン・カラヤンとレナード・バーンスタインの両巨匠に師事した小澤征爾が、日本国内で楽団員からボイコットされた事件だ。
小澤が「以後、日本国内では活動しない」と表明したことで、日本が失うことになるその「才能」がどれほどのものかを悔やむ声も大きかった。
そんな事件でもない限り、「この子は立体音感の持ち主だ」と言い出す人はいない。
研究論文が少ないのは、持ち主を探すのが極めて困難だからだ。
本人に自覚はない。
音楽界にいる人間については、それが生まれ持った脳の性質の産物なのか訓練で身につけた後天的な物なのか区別がつかない。
真美のように明らかに先天的な持ち主だと発覚する例はほぼ無い。
幼い真美は、脳科学と音楽の両方の研究所に何度も足を運ぶことになる。
さらに真美はアウトプットの面でも異様な能力を見せていた。
つまり、感覚で捉えた映像を形にして出力する能力だ。
こちらの能力は、音楽だけではなく、映像、建築、絵画、空間デザイン等、応用範囲が広くて有用性も高かった。
真美は、そういった方面での研究対象としても様々な施設に足を運ぶことになった。
そして、なんの因果か、「真波の技法」以上に研究成果の高い素材は世界のどこにも存在しなかった。
再現が困難と言われる真波の技法。
肉体で形状を再現し、真美の試験結果を解析するのに必要な多くの「付随情報」がある。
悲しみは表現されているか? 微妙な動きの面白さは出ているか? 確認するためのそんな判断材料が豊富にあった。
しかも、「真波の技法」には数えきれないほどの大量の「在庫」があった。
真美は自分が役者だとは思っていなかった。
もしかすると還暦を過ぎる現在に至るまで、自分が役者だったことなど一度も無かったのかもしれない。
他の役者が人生をかけて、魂を削って生み出す「芝居」を、真美は才能だけで遥か高みの「芝居」を描いてしまう。
連盟や協会の役職要請をすべて断るのはそれが理由だと言える。
…ただ、自分の能力を半強制的に発揮させられる場が「芝居」だったというだけだ。
無論、一社会人として自分が身を置く業界のことは真剣に考える。
自分が役に立てる局面では労力を買って出る。
偉大な母が多くの貢献を残した「芝居」の世界を守り、育てたい気持ちもある。
しかし、やはりそれは「役者」としてのスタンスから発揮される思いではない、と真美は思う。
様々な方面で学術的な見識や理論に接してきた真美は、当然芝居についても論理的解釈の知識を多く持っている。
メソッド演技に深く沈んだ者を呼び戻すには、その人の日常に関わる部分に大きな刺激を与えるのがもっとも効果的だ。
薬物等で身を滅ぼした者は、周囲に知識を持つ関係者がいなかった不運な例だ。
(アリサちゃんの時も私が呼び戻した。相当に重篤な状態だった。その後のアリサちゃんの決断は残念だったけれど、よほど恐ろしい体験だったのでしょう…)
「けいちゃん、いったい誰になっているんだろう…」
その雪の言葉に、真美は考えた。
「キネマのうた」においてメソッド演技の有効な活用法はない。
仮に、薬師寺真波になっているのだとして、過去の映画を見るだけで「最大級」に至るものだろうか。
「これは、…もしかして夜凪さんは私になっているのでしょうか?」
あのビデオ30巻の1000種なら、ここまで深く入れるかもしれない。
「カメラ、回してください。監督お二人は無言で願います。私が指示を出します」
「夜凪さん、聞こえますか! 3話目シーン21です! 私が15歳の真波を指導します!」
夜凪はゆっくりと立ち上がり、真美の前へと歩いてきた。
(目の光が弱いですね。でも雪さんが声を掛けても反応しなかったのに、彼女は立ち上がって歩いてきました)
「真波をよく知る私が本物の真波の姿を15歳の形で描きます。よくご覧になってください」
真美は、3話目シーン21を演じて見せる。
台詞はないが、無表情から明るい表情に変化し、細かい身体の動きも多い難しい演技だ。
真美が見せたのは、本物の真波の姿を15歳に逆算した物。
15歳時の真波は映画に出演していない。
この世の誰も見たことがない物を描くには逆算で作るしかない。
夜凪は、演技を行おうとせず、(もう1回)を意味する人差し指を立てて見せた。
真美は、(いいでしょう。何度でもお見せします)と、もう一度同じ演技を見せた。
夜凪はずっと音のない奇妙な空間にふわふわと漂っている心地だった。
撮影に行かなければ、という思いが意識に流れるのを感じ、スタジオまでやってきた。
何も聞こえなかった。
自分は何かを待っていること以外は分からなかった。
自分に声を掛ける者がいた。
どこかで見たことのある人の気がする…。
立ち上がって、歩いた。
声を掛けてくるが何を言っているのかは分からない。
旋律が舞い落ちてくる感覚があった。
…この感じ。
どんどん数を増やし密度を上げる旋律の舞い。
若くて綺麗な女性が芝居をしている…。
調律された旋律が周囲を埋め尽くした。
美しい光景だ。
けど芝居がくっきりと見えない。
…もう一度見せて。
あ、また芝居が始まった。
若くて綺麗な女性の動きは、真波に似ている。
それなら出来る。
手の動きはこう。胸の前で左右の手の高さが入れ替わって、右手だけ向きが変わる。
表情は、静かな始まりから無に至り、喜びへと変わり、最後は楽しさが弾ける。
上手く出来ない。
私にはすぐに出来るはずなのに…。
…もう一度見せて。
人が入れ替わった。
今度の子は15歳くらい。
この子も真波に見える。
身体の線が明確だ。旋律がきれいに並びきったんだ。
よく見える。
手の動きも、表情も真波だ。
今度はきっちりと出来る。
私はすぐに出来るんだから、出来ないはずがない。
でもこの子に教えなければ…。
本物の真波はこう演じるんだと、見せてあげないと。
芝居は誰かに見せる物だから。
手の動きはこう。
表情はやや艶っぽくこう。無の奥に燃える思いがあるの。
嬉しいよ。だって監督に認めてもらえたから。
楽しみに決まってる。自分の芝居をやっと見せられる日が来るんだから。
薬師寺真波は…。
楽しい時はこういう顔で芝居をする子なの。
これが役をもらった日の薬師寺真波の笑顔の芝居…。
あなたも映画を見にきてね。
きっと。
真美は二度目の指導の後、夜凪がへろへろの芝居を見せたことに驚いた。
目の光も戻ってないし、表情もまともに作れていなかった。
そして再び立てられた人差し指。
(何度でもお見せしましょう)
真美は演じながら、夜凪の高密度な映像を捉えた。
見てるだけの夜凪の姿。
ここまではっきり伝えてくるのは珍しい。
目が開いたのなら、よくご覧なさい。
本物の真波は15歳の時、こういう姿をしていたはずです。
実演を終えた真美は、立っている夜凪を見つめた。
目の光が戻っている。
立っているだけで、周辺の調律が見える。
…どんな「演技」を見せてくれるのかしら。
夜凪は静かに動きを開始させた。
始まり方が静かすぎる。真波はそういう感じではない。
手の動きの遊びが大きい。そこはきっちりコントロールするところ。
無表情が作れていない。わずかに滲み出る感情が、次の表情を予測させてしまう。
嬉しそうな顔…。隠し切れなかった感情の正体はこれか。
…あっ。
真波が今から笑顔を見せる…。
笑顔が、こんな愉快そうな顔が…。
15歳の真波が、あの映画が大好きな人が、こんな顔を見せるのは…。
…役をもらったのね。
眩しいほどの楽しさが伝わってくる。
辺りに光の粒を撒き散らしてるような光景。
なんて綺麗な姿。
…これは、芝居をする薬師寺真波だ。
もし、15歳の時に映画に出演する機会があったなら…。
自分が見せたような本物の真波のままであるはずがない。
芝居をするということは、自分以外の誰かを演じることだ。
(最初は夜凪さんも真波のままだった。立っている時はそうだった)
演技を始めたら、別人になった。
薬師寺真波が見せる薬師寺真波に似た別人の芝居だ。
(あれが、「キネマのうた」で夜凪さんがイメージする真波なのでしょう)
…絶対にその数が増えることがないはずの「真波の技法」が1つ増えた。
役者「薬師寺真波」の新しい技法だ。
自分のように形だけで高みを描く芝居じゃない。
本物の役者による重厚な訓練の末の「芝居」だ。
(私が見たことがない真波の技法は存在しないんですよ。初めて見せられたからには、真波の技法が1つ増えたと言うしかないでしょう)
美しい芝居だった。真波は15歳の時に、こんな美しい芝居をする子だったんだ…。
カメラは回っていたが、3話目シーン21には使えない。
衣装も立ち位置も違う。
「犬井さん、先ほどの夜凪さんの映像、記念にいただけますか?」
「いいですよ。俺もこれはもらっておきます」
雪が「私もいただけると嬉しいです…」とポソリと声を出した。
「では、夜凪さんを戻しましょう。多分、足です」
真美は、またぼーっとした状態に戻ってしまった夜凪の両膝下に親指をあてがう。
雪から夜凪のことを色々聞くと、日常のこともわかる。
ただ、真美は夜凪の足を見て、妙に鍛えられていると感じた。
駄目だったら次の手を試せばいいだけ…。
真美は思いきり痛くなるように膝下外側のツボを捩じりながら、グリリ、と押した。
夜凪の絶叫がスタジオに響いた。
「夜凪さん。足を痛めたら大変ですよ! とても困ったことになりますよ!」
「足はダメよ。新聞配達が出来なくなるわ(困るわ)」
「はい、おしまい」
夜凪は、この日の撮影を無事に終えた。
むしろ、いつもより調子がいいくらいに感じた。
なんだか、慣れるために散々練習してきた立体映像の扱いが飛躍的に上手になっている気がした。
頭の中に作る映像の形が、不思議なくらいくっきり見えた。
第54話「キネマのうた(2)」/おわり
以上が、私なりのアクタージュ「scene177」となります。
原作のアクタージュには「act-age」という表記が付随していました。
私はあれについて「そのままact+ageかな。それとも捻りを1つ入れてact+stageかな?」と考えたことがありました。
多分、後者が正解だと思うんですよ。「age」だとニュアンス的に浮くんですよ。
あるいはそんな深読みをするのは私の考え過ぎで、原作者的にはただ「アクタージュ」というフランス語っぽい音の響きの良さを重視して作った単語かもしれませんが。
やっぱり夜凪を書くのは楽しいです。
やっと大きく活躍する場を書けました。
かっこいいです。
夜凪はとてもいいものです。
「キネマのうた編」ではこれまでに足りなかった部分を補うような細かな活躍しか書けませんでした。
積み重ねた努力は本物です。
夜凪は今後どんどん強い役者になっていくことでしょう。