『エスタージュ(S-tage)』(「セカンドステージ;役者と監督のその後」)   作:坂村因

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第55話 「キネマのうた(3)」

スタジオ大黒天。

本来ならこの日8話目の撮影があったはずの夜凪は、のんびりとテレビモニタの前に座っていた。

そして、リモコンを頻繁に操作していた。

しばらくその場でゴロリと横になり、また上体を起こしてリモコンを操作する。

夜凪はその行動を繰り返していた。

 

「雪ちゃん!」

 

PC室から出てきた雪の姿を発見した夜凪は小さく叫んだ。

人差し指はテレビモニタを指していた。

 

「うん」

 

雪はコーヒーを入れるためにキッチンへ向かおうとした。

 

「雪ちゃん! …雪さん!」

 

仕方なく立ち止まる雪。

またテレビモニタを指差す夜凪は、真剣な目で「ん!」と何かを訴えていた。

 

「うん。文句のつけようのない見事な芝居です」

「本当かしら?(ちゃんと鬼になってる?)」

 

「んー、そうですねえ。やっぱり文句が入る隙は見つかりません…。頬の変化が特に良い」

「わかった。もっと研究してみるわ(じっくり見るわ)」

 

 

 

PC室に戻った雪は、コーヒーを机に置いた。

台本を開き、細かい部分の修正をメモ用紙に記してページに挟んだ。

この作業はまだ1周目で、12話までしか進んでいなかった。時間が掛かる作業だった。

 

「墨字さん、なんでこっちに逃げているんですか(脚本をなんとなく読んでるだけですよね)」

「あっちにいると夜凪がうるさいからだ」

 

「……。うるさいなんて言い方やめてあげてください」

「あいつ。俺に、真美さんの勝ちよね? …と訊いてきたんだぞ」

 

「……。聞こえてましたよ。なんで答えてあげないんですか?」

「ちょっと待ってろ、と答えておいた。その後、こっちに来た」

 

夜凪は、雪が持ち帰った昨日の映像を繰り返し見ている。

本人は研究しているつもりらしい。

だが、たまに「はあぁ…」とか「ふーぅ」とか、喜びをそのまま吐息にしたような声を漏らす。

顔色は喜色でぱんぱんに染められ、目の輝きは宝箱の宝石を映し込んだようなキラキラを放っている。

しばらく目を閉じて顔全体をふにゃーっと溶けさせたりしている。

 

「答えるために戻ってあげてください。可哀想じゃないですか」

「どう答えていいかわからん」

 

「けいちゃんの勝ち、でいいでしょう。その言葉を待っているんですから」

「柊の作業、特に急ぎの物じゃないよな。代わりに言ってきてくれていいんだぞ」

 

雪は、本心では自分が夜凪に勝利判定を出して思いきり喜ばせたいと思っている。でも、そういうことは黒山の役目ではないかと少し遠慮している。

 

「私が訊かれたら、答えてもいいですよ。でも、そもそも墨字さんが適役です」

「柊は、なんて答える気だ?」

 

「けいちゃんの勝ち。そう答えるに決まってるでしょう」

「真美は現役の役者の中でいちばん上手いと言えるレベルだぞ。特に演技の正確さにおいてはぶっちぎりだろう」

 

「演技の正確さなら、もしかして真美さんは歴代トップかもしれませんね」

「なら、なおさらだろ。そんなのに勝ったと思わせていいのか?」

 

「いいんです。墨字さんはあの戦いの複雑さを知らないんですよ」

「……。」

 

雪はコピー用紙に図解入りの説明を書き始めた。

 

真美さん(素) → けいちゃん(29歳の真美さん)

真美さん(15歳の真波) → けいちゃん(29歳くらいに見える真美さんが演じる29歳の真波)(失敗)

真美さん(15歳の真波) → けいちゃん(15歳くらいに見える真美さんが演じる15歳の真波)

けいちゃん(15歳の真美さんが演じる15歳の真波が演じる15歳の真波) → 真美さん(素)

けいちゃん(15歳の真美さんが演じる15歳の真波が演じる薬師寺真波に似た誰かが演じる薬師寺真波の芝居) → 真美さん(素)(15歳の真美さんが演じる15歳の真波が演じる薬師寺真波に似た誰かが演じる薬師寺真波の芝居をするけいちゃんが作った新しい真波の技法の確認)

 

「……。」

「さあ、わかりますか?」

 

「わざと判りにくく書いてるだろ」

「いいえ。昨日、真美さんの話を聞いた上で、正しく理解したことを正しく記述しました」

 

「……。」

「師匠…。メソッドの研究者のあなたが判らないなんて言わせませんよ」

 

「まあ、一応この図解の意味はわかったよ。たしかに夜凪の勝ちだ。拾ったような勝ちだが、勝ちは勝ちだ(手順は真美のほうが正しいのに。結果的に夜凪の勝ちか)」

「では言ってあげてください。お前の勝ちだ、と」

 

 

 

柊雪作「キネマのうた」第3章の抜粋。

 

松菊映画作品「其処に始まりし」の企画が立ち上がり、大船撮影所で制作されることが決まった。

真波はこの映画を自分のデビュー作品にしようと考えた。

戦時下にあった日本において、映画の主流は「士気高揚」に繋がる物となり、人気を獲得する作品はいずれもその流れを踏襲していた。

 

くだらない。

 

人々が求める物に合致しているから「人気作」になっていると勘違いしている者のなんと多いことか。「民意」や「士気」といったプロバガンダが、大衆が求めている物に合致しているわけがない。街を歩く人々を見れば判る。彼らが本当に求めている物が何なのか。

 

「其処に始まりし」は、時代の主流を大きく外したラブストーリー作品だった。

 

企画段階で難航した作品であり、制作費用も大きく削られた。だが、小規模作品になってしまうことになんら問題は無い。この映画こそ大衆を攫う大人気作品となる。

 

物語の中心になるのは「恋愛」。そして広義の「愛」へと話は及ぶ。

 

世の人々は大切な物と「別れること」、「離れ離れになること」、そして「失うこと」に心を擦り切らせている。「其処に始まりし」はそんな人々の心に響く。心を潤わせる。心を照らす。

 

真波には恋愛をした経験が無かった。

 

男性に手を握らせたことも無い。誰かを好きになったことも無い。好きになろうと考えたことすら無い。

自分に好意を寄せてくる男性はことごとく拒絶してきた。

結婚すると女は家に入らなければならない。それでは役者を続けられない。だから、自分は絶対に色事には近づかない。真波はその信念を非常に堅固な状態で抱いていた。

 

それでラブストーリーのヒロインを演じられるのか?

 

真波には自信があった。恋愛をする人を観察した経験が何度もあった。それで自分には十分だった。

 

 

 

「……。これは…嫌だな。うん、嫌だ(言いたくない)」(←まだ図解を見ています)

「……! わかりました! 私が言ってきます!」

 

PC室を出た雪は広間へとそーっと進み、忍び足で夜凪に近づいた。

まだテレビモニタを真剣な眼差しで見つめている夜凪。

その横顔の頬は上気しているようにも見えるし、ただ喜びを隠しきれてないだけにも見える。

 

「けいちゃんっ!」

「うわっ(びっくりした)」

 

雪は背後から夜凪に抱きついた。

 

「けいちゃん、私に何か訊きたいことない?」

「私に、うわ、と言わせるとはさすが雪ちゃんと思うわ(自分で自分の声に驚いたわ)」

 

「この映像、凄いね。奇跡だよ。けいちゃんだから撮れた映像だよ」

「……。すごい芝居だったとは自分でも思う」

 

「ほら、なにか訊くことない?」

「メソッド演技のたびに足のツボを押さえればいいの?(痛いわ、あれ。他に方法はないのかしら?)」

 

「アリサさんはゆっくり戻してもらったそうよ。やり方は他にもあるよ。それより質問があるはずでしょう」

「痛くない方法もあるなら良かった…」

 

「この勝負、けいちゃんの勝ちよ!(←我慢の限界が来ました)」

「……。勝負…。」

 

「真美さんとの演技バトルで勝ったのはけいちゃんと言っています」

「そ、そうかしら」

 

「墨字さんも勝利判定を下した。けいちゃんの勝ちなの」

「……。勝ち…(勝ち?)」

 

夜凪は振り向き、腕を伸ばして雪を一旦引き剥がした。

雪は、夜凪の表情が「もう隠さなくてもいい嬉しさ」に満ちているのに気づいた。

 

「喜んでいいのよ、けいちゃん」

「う、うん…」

 

 

 

柊雪作「キネマのうた」第3章の抜粋。

 

ヒロイン役を誰が務めるのかという争いが発生していた。年頃が合う候補は、マキコ、恵子、たか子、そして真波。マキコ、恵子、たか子の3人の争いは露骨だった。長く、醜く、争いは続いた。3人のうち誰がヒロイン役を射止めるかが撮影所内での話題となっていた。

 

真波は自分がヒロイン役になる前提で動いていた。自分の初出演にして初主演、おそらく今後の役者人生において大きな位置付けとなる映画だ。出演者は厳選しなければならない。自分と同じ方向に志を持つ者で固めなければならない。その者たちが実力で役を勝ち取れるように、可能な限り助言をしたほうが良い。

 

稽古場では、マキコ、恵子、たか子の3人が「恋する乙女」の芝居をアピールしていた。

一方の真波は、見る者に「貴女は本当にその男性を好いているのか?」と疑問を抱かせるような芝居を披露し続けた。

 

やがて、監督の大島を始め、多くの者が気づいた。

 

真波が芝居の中でごくたまにしか使わない「頬を紅潮させた顔」の甘酸っぱさ。

男性を突き放すような口調の後の「一瞬の悲痛な表情」の裏にある本気の駆け引きの迫力と切なさ。

真剣に男を陥落させることを考えている「恋愛中の女」の綱渡りのような余裕のない必死さ。

 

比べると、マキコ、恵子、たか子の3人の芝居はあざとい。伝統芸能寄りの表現は、嘘臭さが鼻につく。

これは、ヒロイン役の本命は真波かもしれない、と予想する者が現れ始めた。

 

 

 

夜凪がこの日撮影するはずだったシーンの話になった。

雪が書いた「其処に始まりし」はラブストーリーだ。

草見の脚本にあった「茜色の空」は青春友情物で、爽やかな内容の物語だった。

 

「茜色の空より其処に始まりしのほうが私には演じやすい!」

 

夜凪は自信あり気に言い切った。

少女時代の真波には恋愛経験がない。誰かを好きになったこともない。

 

「まさに私なのよ!(ぴったりの役だわ)」

「真波は観察から解決法を見つけるんだけど、けいちゃんはどうするの?」

 

「大丈夫だと思う(観察したことないけど)」

 

PC室から戻ってきた黒山が、

「高校の友人で恋愛してる奴とかいるだろ」

と助言した。

 

「いるにはいるんたけど。真波には合わないわ」

 

雪が、

「片思いもしたことないの?」

と普通に疑問に感じたことを尋ねた。

 

「あるはずがないわ。片思いするなんて真波じゃない。好きになったことすらないのが真波の強みよ」

 

「力説するところか、それ」

 

「私も人のことは言えないけど。そこに自信を持つのは違うと思う」

 

夜凪はなんだか恋愛音痴と言われたような気がして、少し悔しいと思った。

 

 

 

柊雪作「キネマのうた」第3章の抜粋。

 

審判の日がやってきた。実際にフィルムを回して、監督の眼前で行われる一度きりの撮影テスト。オーディションに相当する工程だ。

一人ずつ、自分で選んだ作中のシーンを演じる。

 

真波が選んだのは「裁縫中の須美(ヒロインの名前)が髪を切ることを決意する」というシーン。

 

撮影テストでの真波の芝居の途中で、監督の大島が「ああっ!」と叫んだ。撮影本番ではないので叫び声が録音されても問題はない。

 

真波が演じる須美が、カツラの髪を裁縫鋏で本当に切ってしまった。

 

このシーンは座っている須美が畳に手を突いて俯くシーン、実際に髪に鋏を入れるシーン、それらが別撮りとなるはずの物だった。

別撮りには観客の意識が一旦途切れるというデメリットがある。一発撮り(編集作業でフィルムを繋がないで済む撮り方。一気撮りのこと)にしかない臨場感が消えるという欠点がある。

観客にすれば、「本当に髪を切ってしまうのか?」から「ああ、本当に切ってしまった」までを目を離す間もなく見せつけられることになる。

 

これが決め手となり、真波はヒロイン役を勝ち取った。

 

 

 

夜凪は、消えそうな小さい声で語り始める。

 

「……るわ」

「……?」

「聞こえなかったぞ」

 

「デートならしたことが…あるわ」

「…デート」

「恋愛の話として言ってるのなら続けていいぞ」

 

「街を二人で歩いたわ。その後お店で食事をしたのよ」

「私ともしてるね、それくらいなら」

「俺は芝居の助言をしたんだよ」

 

夜凪が少しだけ勇気を出して言いたかったのは、千世子と出掛けた時の話だった。

プリクラショップに行ったり、スタバでコーヒーフラペチーノを楽しんだり…。

夜凪の中で、あれはちょっぴり特別なお出掛けだ。

恋愛そのものとは違うが、恋愛っぽい何かに近い気がする、と夜凪は思う。

そんな大切な思い出の1つだ。

夜凪はそういうことを主張したかった。

 

 

 

柊雪作「キネマのうた」第3章の抜粋。

 

何かに押されたように、背中にあったはずの髪の束が手元に落ちてきて、真波は左手で容易く髪を掴み、右手に持つ鋏を入れておさげを切断した。

真波は左肩を小さく押し上げる動きを使った。だが左肩を押し上げても、背面のおさげが前面に落ちて来たりはしない。大島から「どうやったのか?」と訊かれた真波は「押し上げるように左肩を使っただけです」と嘘を吐いた。

撮影テスト後、大島は自身がカツラを被り、左肩を使って再現しようと試みた。左肩を使っても、頭を斜めに振っても、首を鋭く捻っても、真波が見せたおさげの動きは再現出来なかった。

 

人前で真波が見せた「真波の技法」の第1号だった。

 

国内映画の製作総本数がかなり減っていたとはいえ、「其処に始まりし」は年間興行で第2位を記録した。

低予算の小規模作品が、並み居る大作映画をぶち抜いての第2位、…これは大変な快挙と言えた。

 

 

 

スタジオ撮影3日目となるはずだったこの日、撮影はお休みになった。

役者のスケジュール調整が合わなかった。

身体が空いている役者の分だけでも撮影する意味はあるのだが、犬井は「休み」にした。

以前は、大河ドラマに出演する役者は13カ月間の拘束を余儀なくされた。放送開始の前の年の9月から翌年10月までの間、出演者は他の大きな仕事を入れることは事実上不可能だった。

その頃は「役者のスケジュール調整で苦労する」などという事態は発生しなかった。

 

しかし、テレビ業界全般の不調のあおりで、各芸能プロダクションは13カ月間の拘束に対応出来なくなった。

その状況を受け、近年の大河ドラマのスケジュールは大きく変更された。

前の年の5月から翌年11月までの18カ月間が撮影期間に当てられ、「スタジオを使えるのは1日16時間まで」という上限が撤廃され24時間使用可能になった。

大河ドラマに出演する役者たちは、より長くなった撮影期間の中で、他の仕事を組み合わせる自由を与えられたことになる。

 

 

 

翌日、夜凪の8話目の撮影。

何気ない表情の中に、ちょっとだけ恋心が垣間見える場面。

 

「カット。けいちゃん、垣間見える表情が違う。もっと抑えて」

 

(イルザだと激しい恋心なのね。正解はアン王女だわ)

 

次のテイクで夜凪は、オードリー・ヘップバーンの気品を見事に表情の中に埋めた。

 

「カット。表情に変化が無かったわ。さっきの顔で抑えてみてください」

 

テイク14以降、夜凪の持ちネタが尽きる。

自分なりに恋心を表現する、という苦しい展開となる。

 

(考えてもいなかった事態になった。全部違うなんてことが有り得るの?)

 

苦し紛れに、「千世子はちょっぴり特別」、という感情を引っ張り出す夜凪。

ここで雪から、「カット。惜しい。その好きを思い出から取り出す感じで。気持ちの中に沈むんじゃなくて気持ちに浸る感じ」、とボキャブラリー全開の必死の指示が入る。

 

テイク15。

お姫様抱っこをされた時の気分に浸る感覚を表情に埋める夜凪。

 

「カット」

 

犬井と雪によりV確認が行われ、ようやくOKテイクとなる。

夜凪は、「次の8話目の撮影までは時間がある。このままだとマズイ」、と考える。

 

この日は、夜凪にとっては課題が残る撮影となった。

 

               第55話「キネマのうた(3)」/おわり




以上が、私なりのアクタージュ「scene178」となります。

自分で図解を書いてみて驚きました。
正しく書くと、たしかに夜凪と真美のシーンは図解のようになるんです。
わかりづらい…。

夜凪にラブストーリーをやらせてみたいという思いがありました。
書いてみたら、案の定苦しい展開となりました。

でも役者を続けていく上で避けて通れない道です。
誰かと「コイバナ」でもすればいいんじゃないですかね、夜凪。
天球メンバーでもいいし。
環さんでもいいし。
話を聞くだけでもだいぶ違います。
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