セカンドステージ (役者と監督のその後)   作:坂村因

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第4話 「調律」

 

広島県尾道。

黒山は石畳の階段を下り、そして民家の並ぶ通りを歩いた。

(これが東京の景色だっていうのか? 外国人だから日本の細かい部分に通じていない、と解釈すれば筋が通ってしまいそうで怖いな)

瓦屋根の古い一軒家の前で立ち止まる。

(恐ろしいほどに映像が美しい映画だった。あの作品の主役はベルリン。他のどの都市でもない、ベルリンでしか成立しない世界観だった。…あの歌手、ベルリンでのみ独特の輝きを放つ歌手がやたら恰好良かった…)

「難題だな…」

黒山の映画作りは、作品に不可欠な人を探すところから始まる。人と都市が入れ替わっただけで、手に負えないほどの価値観の軋轢が生まれてしまう。

カラスの羽音に気づいた黒山の目に、電柱と宙に離れるカラスの姿が映った。

「……。」

黒山は再び歩き出した。

 

 

 

真美と皐月が向かい合って座っている…。

現場は、調律師が調整したような空気に包まれている。

その空気は、中心にいる真美と皐月へと向かう「音階の精密さ」を保っている。

つまり、12テイク目が今から始まる。

この新品の五線譜のような空気は、二人の演技の開始とともに弾け飛び、その容貌を剥き出す。

夜凪は右手で口元を強く押さえた。

 

「あと1~2回ってところですかね」

「そうね。あと2回でしょうね」

 

監督と真美のやりとり。

夜凪にはその意味するところが瞬時には理解できない。そんなことより今は皐月ちゃんの演技だ。

 

テイク12。

始まってすぐに高密度な存在感を伴った演技の衝突。スゴい。真美さんも凄いけど皐月ちゃんも凄い。

そしてやはり襲ってくる嘔吐の感覚。夜凪は懸命に耐えつつ、意識を二人に向ける。しっかりと演技を見なければならない。

 

「それは他に選ぶ道がなかった女性たちですよ。あなたはそうではないでしょう」

「嫌だ! 私は女優になるの!」

 

このテイク12はほぼ完璧と思われた。だがOKにはならなかった。

 

そして13テイク目でOKが出た。

 

現場に、(良い感じだった)(うん、いいねえ)といった周囲の人々の騒めく雰囲気が戻った。

緊張と興奮がまだ完全には抜けきれないまま皐月は視線を周辺に向けた。

皐月と夜凪の目が合った。

 

右手で口を押えていた夜凪は左手でグッと親指を立てる形を作って見せ、それに皐月が気づいてくれたことを確認すると、現場に背を向けた。

走って女子トイレへと向かう。

 

 

 

トイレの対面の壁に背を預けて立っていた環が、

「あー…」

と呟いた。

環の視界の中で、目が充血して赤くなった夜凪がトイレの中へと飛び込んでいった。

2分ほど経って夜凪がトイレから廊下へと出てきた。

「おー…」

 

(フッ、吐かなかったわ)(←以前ゲロ女と言われたのが軽くトラウマ)

 

息を乱しながらも得意げな顔つきの夜凪だった。

 

 

 

夜凪は環に並んで壁際に立ち、

「皐月ちゃん、とても良い演技だった」

そう言った。

「それは嬉しい報告だ、うん」

「うん…」

 

「それで、君のそれはどうするんだい? 景ちゃん」

「な、慣れる……」

拳を握り、顔を環に向ける夜凪。

 

「無理だよ。無理な理由がちゃんとある」

「……?」

 

「より正確に言うなら、今のままじゃ無理だし、この先どんどん無理になっていく…」

環も夜凪のほうへ顔を向けた。

目が合う二人。

「……。環さんにもあったのね? こういうことが」

「いや、私にはそんな経験ないよ(悔しいけどね)」

環は言葉を続けた。

「急ぎでなんとか対策しなくちゃならない。私がアドバイスするにしても、墨字くんの考えもあるだろうし…」

 

その言葉を受けて、夜凪はスマホを取り出した。

 

操作して、(むっ)と一度唸って、また操作して、

「あ、雪ちゃん? 黒山さんスマホ繋がらないんだけど、……うん。……うん」

 

「黒山さん、広島だって」

 

「あ、うん。環さん。……そう」

 

(景ちゃんは通話口を手で押さえない人か…、ふふっ)

 

環は夜凪のスマホをひょいと奪い取り、

「環です。今からそちらに伺って大丈夫ですか? 緊急事態です」

会話を終え通話を切った後、環は「ほい」と言ってスマホを夜凪に返した。

 

「え、まだ皐月ちゃんの撮影が残ってる…」

「そう、さつきの撮影が残ってる。今日だけじゃなく、明日も明後日もその次も」

 

 

 

スタジオ大黒天。

「おー、墨字くん、オシャレなところに住んでるねえ(家賃も高そうだ)」

夜凪と環を出迎えた柊雪は、

「けいちゃん、なにかやらかした?」

不安そうに尋ねた。

「えと」と言いながら夜凪は環のほうを見た。

「うん、君はなにもやらかしてないよ」

とりあえず安堵の息を漏らす雪。

そして雪の口から現状が説明される。民宿に連絡を入れたが黒山は外出中で、伝言を頼んで返信待ち、とのこと。

 

「しかたない。やれることだけ先にやっておくか」

 

環の指示で、テレビモニタの正面に座る夜凪と雪。

床上のクッションに座る雪、ソファーに座り雪の背後に陣取る夜凪。

夜凪の手は雪の肩に乗せられ、顎は雪の頭の真上。それが環が指定した二人の姿勢。

 

映像素材入りのディスクを何枚か手に持った環は、

「じゃあ、まず何故景ちゃんが吐いてしまうか教えよう」

そう二人に告げた。

 

                第4話「調律」/おわり




以上が、私なりのアクタージュ「scene127」となります。

少々強引かつお節介に見える環ですが、もちろんすべて自分のため、あるいは作品のためにしていることです。
まだ夜凪を「脅威」と感じていない環にとって、夜凪の手助けをすることは至極当然の行為です。
私は今回の副題を「調律」としました。
そして撮影現場を貫くこの「調律」という要素は、今後どんどん色濃くなっていきます。
「キネマのうた」は薬師寺真波の物語です。
参加するベテランの俳優たちは理解しています。薬師寺真波の功績を称えるために必要不可欠な足並みの揃え方を。
そのための企画であり、脚本であり、監督の方針であり、だからこそ「キネマのうた」という大河ドラマは業界から薬師寺真波に贈る「勲章」のようなものでなければなりません。
もちろん、同時に大河ドラマに相応しい作品としてのクオリティが維持されなければなりません。
草見修司が「一度は断った」理由もそのあたりにあります。

そもそも「歴史上の人物の一代記」として作られることの多い大河ドラマの題材として極めて異質なのです。
大河ドラマは「ドラマ」なので「ドキュメンタリー」にするわけにもいきません。
「アクタージュ」というフィクション内の設定、つまり劇中劇だからこそ「キネマのうた」は制作可能なドラマなのです。
現実ではありえない話です。
せっかくそんな異質な物を用意してくれたわけですから、私としてはその異質性をとことん活かしたいと考えています。
夜凪の成長に、黒山の覚悟に、がっちりと反映させるつもりです。
そう考えるとこの「大河ドラマ編」は実に興味をそそられるエピソードです。
続きを書くのが楽しみです。

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