『エスタージュ(S-tage)』(「セカンドステージ;役者と監督のその後」)   作:坂村因

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第58話 「キネマのうた(6)」

スタジオ大黒天。

雪は、「賢治が作った銀河鉄道の夜」と「巌が作った銀河鉄道の夜」の違いを強調した。

巌は、舞台演劇用に原作を大きく改変していた。

そして巌版「銀河鉄道の夜」は素晴らしい内容だった。

 

「どちらも素晴らしいんです。そして別物なんです」

「うん、そこまではなんとかわかった…」

 

巌は、原作の「ジョバンニとカムパネルラの根っこが同じ」という設定を変えた。

主役の二人にキャラクターの違いがあったほうが観客は楽しい。

そういう考えのもと、ジョバンニの人物像から「自己犠牲の精神」が大幅に削られた。

結果、「純真さの塊」といった見事な「ジョバンニ」が作られた。

 

一方、カムパネルラの人物像からは「本当の幸いを追求する者」という成分が減らされた。

自己の幸せばかりを追いかけていてはいけない、というカムパネルラの思いは無かったことにされた。

結果、「自己犠牲の精神」を最優先するというミステリアスな「カムパネルラ」が作られた。

 

 

「つまり、あのカムパネルラも偽物なのね…」

 

 

ふわふわした物をふわふわしたままにしておけず、はっきりした物として捉えたがる夜凪のこの姿勢に、雪は苦しんだ。

 

「偽物という言い方をやめて、巌先生流のカムパネルラ、と言いましょう」

「ジョバンニも?」

 

「偽物のジョバンニと言ったことは撤回します。どちらも本物です。賢治のジョバンニ、巌先生流のジョバンニという言い方でいきましょう」

 

環はこのやりとりを辛抱強く聞いていた。

焦ってはいけない。

このまま話が続けば、必ず「後半」の話題に発展するはず…。

 

「つまり、私が宮沢賢治の銀河鉄道の夜を読んで、私なりの解釈を賢治のジョバンニとカムパネルラに与えればいいんだわ」

「そう。それっ! さすが、けいちゃんは頭が良い。私が言ったことや墨字さんから聞いたことは参考意見でいいんです。けいちゃんがよほど変てこな解釈をするようなら指摘しますが、けいちゃんなら大丈夫です!」

 

そして、雪と夜凪は「良かった、良かった。解決、解決」とそれぞれの席に戻っていった。

 

「……。」

 

(良くねーよ…)

 

環は、「ここまでか…」と肩を落とした。

雪は解説のために「後半」に少し触れようとしていた。

だが、「前半」だけで人物の解釈の問題は解決してしまった。

今から蒸し返すのは不自然だし、多忙な雪の作業を邪魔することに繋がりかねない。

 

(誰か話を広げてくれ。誰でもいい…。今ので終わりでいいのか? まだ気になる部分があったりしないのか?)

 

「ジョバンニは最後、牧師として死ぬんですよ…」

 

他ならぬ雪の呟きだった。

 

(雪ちゃん!)

 

「なんだ、その突飛な展開は。牧師? なんでそうなる?」

 

(墨字くん!)

 

「うるさいわ。勉強に集中しづらいわ」

 

(……。景ちゃん…)

 

PC室内には一瞬の静寂が戻った。

この静寂があと数秒も続けば「ジ・エンド」だと環は思った。

 

環は祈った。

なんとか途切れないでくれ、と。

自分が何か「起爆剤」を投げれば、上手く再開させられるかもしれない。

思いつけ、思いついてくれ、私の頭。

何か効果的な起爆剤を…。

 

 

 

柊雪作「キネマのうた」第6章の抜粋。

 

映画と伝統芸能の住み分けが完了してからしばらくの日々が過ぎた頃、日本の文化活動に対するGHQの制限が解除された。

検閲が無くなり、自由な内容で映画を作れるようになった。

時代劇や戦争映画も製作され始めた。

 

「都の哀歌」の大ヒット以降も、坂田の作品は好評だった。

後続の坂田の映画では、観客を楽しませられるかどうかは真波の芝居に依存する形になった。

坂田の後続作品は「都の哀歌」のように「たまたま大衆に受ける内容」にはなっておらず、アート路線を追求する物だったからだ。

芸術成分のみで構成された映画はやはり魅力に乏しく、真波は自身の判断でエンターテインメントの部分を補った。

 

また、真波は坂田作品に出演する際には「玲子」の役名で通した。

「玲子」の役名を固定させることは坂田の提案だった。

真波は同じ役名を続けて使うことに難色を示したが、坂田の「こだわり」に押し切られた。

 

真波にとって、宝仙通の映画に出演することは楽しい仕事だった。

 

宝仙は、エンターテインメントを前面に押し出すタイプの監督だ。

法外な費用が投入された宝仙作品は、物語のスケールも大きく、理想的なエンターテインメントと言える。

映画でなければ味わえない凄みと醍醐味が、見る者を陶酔させる。

登場人物の視点に巧妙なトリックを仕掛けた映画「天界の糸」で、ヴェネツィア国際映画祭のグランプリを獲得した宝仙という男。

 

宝仙こそ、映画の何たるかを知り尽くした監督だった。

 

宝仙は女優薬師寺真波の大ファンであり、ある日の現場で自分が用意した真波のプロマイド写真に本人の直筆サインを求めてきた。

真波は快く応じ、宝仙宛てのサインを書いた。

その光景を見ていた出演者やスタッフたちは、後日真波にサインをねだった。

多くのファンに囲まれてしまい、サインをねだられたことは何度もあった真波だが、現場の人間にねだられるのは珍しい体験だった。

 

 

 

そうか。ここは景ちゃんに話を振ればいいんだ。

会話を中断させた本人にしゃべらせれば、他の2人もしゃべりやすくなる。

そのパターンなら、静寂が挟まったほうがいいか?

長すぎると蒸し返した感じが強くなるし、短すぎると唐突感が強くなる。

よし、15秒だ。

15秒間、再開されなかったら私が景ちゃんに話掛ける。

理想は15秒の間に誰かがしゃべることだ。

 

…15秒が過ぎた。

 

誰もしゃべらなかった。

理想にはならなかったが、環は予定通り口を開いた。

 

「…景ちゃん」

「はい」

 

「……。牧師ってどうやったらなれるの? 勝手に名乗っていいの?」

「わかりませんね…」

 

「…そう。まあ、後で自分で調べるか」

「はい」

 

環、渾身の芝居。

今の流れで、雪が夜凪に教えようとしないはずがない。

 

環はもちろん正解を知っている。

牧師と勝手に名乗った者は多くいる。

中にはちゃんと教会の教師の資格を持つ者もいる。

だが、正式に「牧師」と呼ばれるのは、任命されて特定の教会に所属する者に限られる。

これは、そこそこの難問だ。

環は、ちょうど夜凪にわからないくらいの適度な難問をぶつけたわけだ。

 

「環さん。調べたら私にも教えてください(考えたことなかったです)」

 

環は、雪のこの言葉を聞いて小賢しく立ち回るのを諦めた。

日を改めたほうがいい、と判断した。

 

 

 

柊雪作「キネマのうた」第6章の抜粋。

 

坂田は、不動の1位を走る宝仙の背中を追った。

ヴェネツィア国際映画祭から後、米国アカデミー賞、英国アカデミー賞、ベルリン国際映画祭と海外で高く評価され、日本国内の主要な賞を総なめにしていく宝仙。

 

宝仙の背中は遠かった。

 

ただ、「国内での評価は僅差だ」と坂田は感じていた。

そして、業界内での注目度は自分が上だと確信していた。

坂田のうるさすぎる注文に真波が次々と応えていくため、坂田の映画には「真波の技法」がみっしりと詰まっていた。

芸術にこだわる自分だからこそ真波の演技の真髄をこんなにも引っ張り出せていると信じていた。

以前、真波から指摘された「足りない一味」の重要性も理解していた。

 

自分が思い描く芸術を優先したい。

 

「足りない一味」に着手するのは、「芸術」をとことんやり切った後でいい。

坂田はそう考えていた。

 

真波は、坂田の映画で披露した演技の数々について方々で質問を受けた。

それらの質問に対しては、丁寧な口調で「教えられません」と答えていた。

真波が演技について教えるのは園風座の座員と坂田組の人間のみ。

自分の演技は、仲間たちと共有する貴重な財産だった。

 

 

 

「雪ちゃん。牧師になるとして、死ぬのはなんで?(死人が多いわ)」

「老衰ですよ。ジョバンニは天寿を全うするんです」

 

(景ちゃああんっ!)

 

「お爺さんのジョバンニは想像しにくいわ」

「大丈夫ですよ。最後の最後は少年に戻りますから…」

 

「どういうこと?」

「ジョバンニは教職者として生きる道を選びますが、それは答え探しです。もう一度あの銀河鉄道に乗る日が来ると確信してるんです」

 

「柊。それちょっと面白いな。聞かせろよ」

 

環は、そーっとPC室の隅っこへと移動する。

そしてメモを取る準備。

 

「だから、ラストは銀河鉄道の列車内でジョバンニはカムパネルラと再会するんですよ。他の結末なんて有り得ないでしょう」

 

「はしょりすぎだ」

 

「途中はどうなってるの?(ちゃんと聞きたいわ)」

 

(頑張れ! 頑張るのだ、二人とも!)

 

雪による「銀河鉄道の夜」の後半の推測。

ジョバンニはカムパネルラという親友を失ったことで、「自分の幸い」が大きく減じてしまった現実を知る。

そして、「自己犠牲の精神」が「自分の幸い」を満たす物であることにジョバンニはすがる。

すがる以外の選択肢が無かった。

カムパネルラの死は、すがらなければ自己を保てないほどの喪失だった。

ジョバンニは、教職者の道を歩み始めた。

心の中にはいつも「自分の幸いだけを考えていては、本当の幸いの意味に辿り着けない」というカムパネルラから託されたバトンがあった。

 

「まずは自分を救うための選択です。みんなの幸いのためになる行動をとることで自分の心の傷の治療をします」

 

「意外としっかりした出だしだな」

 

「そこからどうやってもう一度あの銀河鉄道に乗るの?」

 

ひっそりメモを取っていた環は、(そうだ。どうやって乗るんだ? 早く教えろ)と思っている自分に気づいた。

そしてそれは、雪が話す「銀河鉄道の夜の続き」が面白いことの証拠でもあった。

 

 

 

柊雪作「キネマのうた」第6章の抜粋。

 

真波は、早川文男という脚本家志望の男に出会う。

早川は、自分のこの自信作を是非とも薬師寺真波に演じてもらいたい、と申し出た。

ただ、早川には業界に伝手らしきものを持っていなかった。

一ファンとしての立場から、真波のもとに原稿の紙束を持ち込んできた。

 

「テーマは人間の幸福」

「夫婦と家族の物語」

「倦怠期にあり離婚の危機を抱える家族なのに何故か食卓の光景の雰囲気が明るい」

「人間臭いユーモア」

「離婚問題に向き合おうとせず何のアクションも起こさない逃げ腰の夫婦」

「するりするりと離婚の危機を回避し、5年の歳月をかけて元鞘に収まる展開」

 

見る者は、夫婦の人間らしい弱さに、ハラハラさせられる。

夫も妻も、1人ずつ見れば魅力的な人間なので、この夫婦の幸福を応援したくなる気持ちが生まれる。

 

「面白い。話も深い。貴方は人の引き付け方をよく理解した上で脚本を書いていらっしゃる」

「ありがとうございます。お褒めの言葉、恐縮に存じます。ただこの物語の真価は共感を得られることで初めて発揮されるんです。その共感が難しい…」

 

「それで私の演技力に目をつけましたか。でも私だけではどうにも出来ない。作品の世界観を絶妙にコントロールする有能な演出家が不可欠です。もちろん5年の歳月に起こる出来事はきっちり配置しなければなりません。その上で、細かいコントロールを駆使するのはたしかに難しい」

「僕のような名も無い者の脚本では、坂田先生に断られるでしょうか?」

 

真波は1つの決断をする。

 

その決断が、坂田にとって悔やんでも悔やみきれない大きな打撃となる。

 

               第58話「キネマのうた(6)」/おわり




以上が、私なりのアクタージュ「scene181」となります。

雪は真波の18歳から21歳の4年間を脚本から削除しました。
敗戦直後の「面白さの欠片もないエピソード」を入れるのが嫌だったこと。
真波を演じる役者が、夜凪担当から年数を空けずに突如として環担当に変わる不自然さが嫌だったこと。
雪にとって、「4年間の空白」を挟むことはその両方を解決する一石二鳥の選択でした。

なので環が担当する真波はこのように実に大人っぽい雰囲気に描かれています。
いろいろな方面に気が回る有能さも出ています。
とにかく自分の判断で、自分のためだけではなく多くの者にとって「良い方向」に物事を導こうとします。

恰好いいです。

銀河鉄道の夜のほうは、環の今後に影響しそうな話ですね。
なお、前回も今回も「環」と「雪が書いた脚本内の真波」をかなりリンクさせています。
起こっている出来事自体にはなんの関連性もありませんが。
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