『エスタージュ(S-tage)』(「セカンドステージ;役者と監督のその後」) 作:坂村因
劇団天球。
環はいつまでも進まない「新劇団」の話を進展させるためにやってきた。
メモのコピーを全員に配って読ませた。
(これでどうだ!)
読み終えた劇団員たちから次々に言葉が発せられた。
「蠍の火! これ、入れちゃうの?」
「百ぺん灼いてもに、←トリガー ←トリガー ←トリガー、って3つも矢印が入ってるぞ(←環なりに、ココが重要、と強調したものです)」
「後半がスカスカだねえ。大雑把にしか書かれてない…」
皆の感想を聞いていた環は、
「私はこれを面白いと思った。阿良也君はどうだい?」
と、自信たっぷりに阿良也に訊いた。
「いいですね。ラストシーンが特にいい。環蓮一座の銀河鉄道の夜はこれでいきましょう」
「そうか、良かった(環蓮一座ってなんだよ。もっと恰好いい名前にするぞ、私は)」
「ジョバンニは俺がやります」
「阿良也君は演出家だね、今回は。ジョバンニをやるのは私」
「良かった。ずっと知りたかったんだ。あの後のこと…。ジョバンニは俺がやります」
「巌先生の跡を継いだんでしょ。演出家の経験を積もう」
「いや。この求道者のようなジョバンニに挑戦してみたい。俺がやります」
「我儘言うな。環蓮一座(?)は私の劇団だよ。主演は私だ! 君は演出家!」
天球メンバーは、今後は阿良也には役者兼演出家として頑張ってもらいたいと考えていた。
演出家の経験を積む、というのは大いに賛同したい意見だ。
柊雪作「キネマのうた」第7章の抜粋。
土居敏夫という優秀な映画監督がいた。
彩方映画会社と契約しており、技巧派の監督として期待されていた。
3本の映画を作り、いずれもヒットしなかった。
土居は松菊映画会社の嘱託監督として契約したいと打診し、松菊から断られた過去を持っていた。
契約を断る際、松菊の社長は「坂田孝志は2人要らない」という痛烈な皮肉を土居に告げた。
松菊にとって坂田は最大戦力となる映画監督だ。
園風座のメンバーの高い演技力をきっちりと使いこなせるのは坂田だけだった。
園風座の長である薬師寺真波の実力を最大限にまで引き出せる監督は坂田だけだった。
土居には、園風座メンバーも真波も使いこなす自信があった。
だが、同じタイプの監督は2人要らないと言われてしまっては引き下がるしかなかった。
たしかによく似たタイプの監督だった。
さらに言えば、土居は自分が監督として目指すべき人物は坂田である、と考えていた。
彩方映画会社と契約して仕事をしても、そこには肝心の薬師寺真波と園風座がいなかった。
彩方にも魅力的な役者はたくさんいた。
演技派は少なく、個性派俳優として人柄や雰囲気で勝負するタイプの役者が多かった。
彩方が主軸としている方向性であり、土居の立ち位置は演技派俳優の育成の域に留まっていた。
そんな土居のもとに真波が訪ねてきた。
真波の話は、ありていに言えば「引き抜き」だった。
彩方との契約に対する違約金は全額自分が支払う。
そして大船撮影所と契約して欲しい。
そこまでするほど自分たちは土居の力を必要としている。
彩方の社長との交渉はすんなりと運んだ。
ただ、彩方は土居への違約金としてかなりの高額を提示した。
彩方にとっては、大した活躍を見せない土居をお払い箱にするのに抵抗はなかった。
最後の一儲けとして「特約事項」を強弁し、本来の違約金の倍額近くまで数字を膨らませた。
「吹っ掛けましたね」
真波は怒るでもなく淡々とそう言い、違約金を支払った。
彩方は、この先けっこうな期間に及ぶ「土居をめぐる争い」において劣勢に立たされることになる。
数度に渡って土居との再契約を申し出る彩方を、真波はすべて撥ねつけた。
真波の了承がないことには、大船撮影所としても土居の放出は困難だった。
大船撮影所と契約を交わした土居は、園風座の新作となる「食卓」の監督を任された。
さらに大船撮影所は、今後の早川脚本による園風座の出演作品のすべてに関し、監督を土居で固定する方針を明らかにした。
この事に対し、坂田は松菊本社社長を引き連れて抗議した。
しかし、真波は万事において筋を通していた。
早川が脚本を担当する映画の監督は土居が務めることを、事前に坂田は了承していた。
坂田にすれば、早川なんて男はその名を聞いたことすらなく、土居については自分の「二番煎じ」と揶揄される監督という認識だった。
わざわざ自分の了解を得る必要のない話であり、強いて言うなら世間で比較対象の名に挙がる土居を使うことへの配慮と解釈した。
松菊本社には、大船撮影所の今後の予定について「園風座をメインに映画を製作する」と伝えてあった。
松菊本社にすれば、「そんなの例年のことだろう」という話であり、わざわざ親会社に報告してくる意図がわからないような当たり前の「予定」だった。
映画製作に関する権利は大船撮影所が所持しており、親会社と言えど口出しする権限は無かった。
抗議をするまでに発展した最大の理由は、「食卓」の内容にあった。
真波は、「今後はずっと土居で映画を撮る」等とは一言も言っていない。
だが、そうなる未来が目に見えていた。
「食卓」の内容には、それほどの力を感じさせる雰囲気があった。
間違いなく「傑作」となる内容だった。
なんとか阿良也が演出家で、主演は環という方向に話は落ち着いた。
天球にすれば、環の劇団の話は相当にありがたく、低調から脱するきっかけとなる希望の光であり、 阿良也の我儘が通るほうが変だった。
問題は環のメモだ。
大まかな内容のみで、具体的な出来事が書かれていない。
何より、台本を作る上でもっとも重要な要素となる演者の「台詞」の記述が無い。
七生が、
「環さん。これ、台詞等の細かい構想は出来てるんですか?」
と、当然の質問を投げてきた。
「これはっ! ……。実は、私が書いた物ではない…」
「いや、それはいいんですけど、書いた人は細かい部分まで作成済みなのか訊いてるんです」
「他の作家に頼むのは無理だし。著作権があるからね。そもそもこんなのは信頼出来る人以外に見せられないし…。盗まれるんだよ、こういう良企画は…」
「……? 書いた人がどこまで進めてくれているのかを訊いてるんですよ」
「これは、私がこっそり無断でパクった。書いた人の了承は得ていない…」
天球メンバーから「そういうのがいちばん駄目なんだ。それくらい理解してるだろ!」と一斉に責められる環。
その言葉の雨の勢いに環は打ちのめされる。
「違う! その人は友人なんだ。気安い関係なんだ。ちょっと順番が前後しただけで…」
「だったら順番を正してきてください。手続きは大事です」
「うん、まあ。そのうち、そういう手続きが必要になるんだろうなあ、とは思ったりしたよ?」
「いや、なんで、そのうち、なんですか。歯切れの悪い言い方しますね、環さん」
環は考える。
雪は「キネマのうた」を抱えていて、傍から見ててわかるくらい多忙だ。
友人のノリで「雪ちゃん。銀河鉄道の夜の台本書いて」等とお願いしたら、すごく嫌な顔をされそうだ(当然、無理です、と断られるだろうし)。
床に手を突いて真剣に「雪先生。どうか台本を書いてください。お願いします」と言ったところで、「多忙」を理由に引き受けてもらえないことに変わりはない。
(雪ちゃんが多忙じゃなくなればいいんだ)
環の頭脳は、そんな根本的根源的な解決法を探り当てた。
つまり、自分が雪の負担を減らせばいい。
主演である自分が「ワンテイクの環」と呼ばれるほどの活躍を見せて、スムーズに撮影を進行させればいい。
あるいは「監督要らずの環」でもいい。
総撮影時間に占める割合がいちばん大きい自分がさくさくOKテイクを連発すれば、制作陣の負担は驚くほど軽くなる。
(晩年の真波、難しいいぃ、とか言ってる場合じゃない)
私は環蓮だ。
やる時はやる女だ。
「みんな! 朗報を待て!」
環は活力に満ちていた。
「キネマのうた」の真波の芝居を完璧な物に仕上げる。
NGなんて出させやしない。
環は「さっそく取り掛かる」と言葉を残し、劇団天球の稽古場を後にした。
柊雪作「キネマのうた」第7章の抜粋。
土居を監督に据えての「食卓」の撮影が始まった。
薬師寺真波と園風座を自分の映画に使える。
土居にとっては夢のような環境だった。
この映画が興行的な成功を収めたら違約金は真波に返そう、と土居は考えていた。
真波は違約金を返してもらおうなどとは考えていなかった。
自分が勝手に支払った金だ。
代わりに、土居と早川のコンビで良作を連発してもらう腹積もりだった。
日本の映画業界が盛り上がるためには、優秀な監督や優良な映画は幾らあっても困らない。
真波は、常に映画業界全体を見据えていた。
そのために自分が出来ることなら可能な限り尽力しようと心に決めていた。
もともと金銭に執着しない真波にとって、損得の基準は業界の発展に向けられるべき物だった。
撮影は難航した。
監督の指示を平気で無視する真波の芝居は、土居にとって許しがたい代物だった。
これが自分が使いたがっていた薬師寺真波か?
ただの我が強い女優ではないか。
そんな思いから、土居と真波は衝突を繰り返した。
土居は、坂田に追いつき追い抜こうという野心を抱いていた。
自分と坂田の差は環境だけだ、とずっと思っていた。
それが理想の環境を手にしたはずなのに上手く事が運ばない。
土居はついに怒りの言葉を真波にぶつけた。
「役者が監督の指示に従わなければ映画が作れないではないか!」
真波はその言葉に対し「申し訳ありません」と丁寧に詫びた。
そして、詫びたばかりで恐縮ですが、と言葉を続けた。
「宝仙先生の指示になら私は従います。失礼ですが、土居先生の指示は従えない物が多い。理由がお分かりですか?」
土居は、これは「監督としての格」といったくだらない話ではないと感じた。
だが、訊かれた理由に対する正答らしいものに思い当たらない。
「良ければ、お話を詳しく伺いたい」
真波は、宝仙と土居の違い、さらに宝仙と坂田の違いに言及した。
宝仙は、映画をアートではなくエンターテインメントとして解釈していること。
そのために必要な勉強量が半端ではないこと。
常に周囲に目を配り、周囲を正確に把握していること。
その例として真波は話を1つ土居に披露した。
この「食卓」と掛け持ちで真波が出演している宝仙作品での現場での話だ。
宝仙は現場に300本の大根を持ち込んだ。
見せ場だから多めに用意した、と宝仙は言った。
その大根が何のためのものかを真波は知っていた。
自分が演じる人物が4人の女性から次々に大根で頭を殴られるシーンがある。
大根は勢いよくパカンと割れ、真波はコミカルなリアクションで4回の殴打を受ける。
ただ、何故300本も必要なのか、についてはまるで理由に見当がつかなかった。
撮影が始まると、4人の女性は誰も真波の頭を大根で殴ることが出来なかった。
4人とも真波より年上で、女優としても一流の人たちだ。
遠慮なく思いきり殴ってください、と真波がお願いしても上手くいかなかった。
殴っても大根の割れ方が中途半端。
そもそも割れない場合すら発生する。
4人の女優は真波からあまりに多くのことを学んでしまっていた。
直接教わったわけではない。
真波が出演する映画を何度も見て、研究して、学んだ。
そして、真波の演技力に、女優としての考え方と姿勢に、その生き様に惚れこんでしまった。
4人は既婚者で、子供もいた。
真波の「片手間で女優は出来ない」という考え方に共鳴し、家庭と両立させている自分たちの甘さを嘆いていた。
真波は、これは宝仙によるイタズラか何かだと思い、皆に問い詰めたがそんな事実は無かった。
本当に殴れない状況だった。
必死になった真波は大根の1本で宝仙の頭を思いきり殴った。
世界の巨人である宝仙を自分のような小娘が大根で殴った、どうだ、何てことはないだろう、と説得した。
だが、4人にとっては「真波なら宝仙を大根で殴っても許される」と感想を述べた。
結局、OKテイクとなった時、300本あった大根は残り6本となっていた。
宝仙は「200本くらいで何とかなる」と考えていたので、多めの「保険」が功を奏した。
この話を聞かされた土居は困惑した。
宝仙が役者陣の気持ちまで把握した上で現場を仕切っていることは理解できた。
だから、なんだというのか。
「食卓」の撮影が再開された。
真波の話を聞かされたばかりの土居だったが、指示を無視して余計なアクションを混ぜる芝居にカットの声を掛けた。
「まだ理解出来ませんか?」
「理解できない。そのような妙な動きを入れられると画面が濁る」
「このほうが観客が楽しめるからです。映画を芸術だと考えるのはおやめなさい」
「それでは私が監督として表現したい物を殺すことになる」
「では芸術ではなく総合芸術だと考えると良い。芸術要素を入れる余地は幾らでもある。ただ役者は見る者を楽しませるためだけに存在する。そのことをよく理解した上で作品を仕上げてください」
「役者は見る者を楽しませるためだけに存在する、というのは貴女の理屈だ。私は自分の映画に不純物を混ぜたくない。役者は映画を構成するピースであるべきだ。そのために監督の指示に従うべきだ」
「それで観客が楽しめなくても、私に指示に従え、と?」
「そうだ。役者はそうあるべきだ」
「見る者を楽しませなくてなにが役者かっ!」
土居はこの言葉に女優薬師寺真波の信念を見る。
そして「食卓」という作品の解釈を根底から見直すことを決意する。
「キネマのうた」スタジオ撮影現場。
3話目の撮影が本格的に始まり、夜凪は苦境に立たされていた。
ラブストーリーに関わる部分で、芝居の出来が一段落ちてしまう。
必然、テイク数も伸びていく。
雪とともにスタジオ大黒天で繰り返した練習のおかげで何とか凌げてはいる。
だが、やはり芝居の質を押し上げたい。
(もっと上手く演じたい!)
上手く演じられるようになったら「撮り直し」のお願いをしてみよう、と夜凪は考える。
第59話「キネマのうた(7)」/おわり
以上が、私なりのアクタージュ「scene182」となります。
黒澤明が用意した大根300本はその数でも足りませんでした。
他の女優はどうしても杉村春子を大根で殴ることが出来ない。
300本を使い切った後、近所の畑を訪ねて回り、泥付きの大根で何とか凌いだそうです。
環は、やる気に火がついたようですね。
もう大丈夫でしょう。
ただ、ずっと感じていたのですが環って風船みたいな人なんですよ。
それでいて選択は間違えない。
よほど強力な「運命を司る星」のもとに生まれついたんでしょう。
羨ましい…。
夜凪は苦戦中です。
可愛くかっこいい景ちゃんをちゃんと復活させる予定なので、しばしお待ちを。