『エスタージュ(S-tage)』(「セカンドステージ;役者と監督のその後」)   作:坂村因

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第60話 「キネマのうた(8)」

 

夜凪の自宅、深夜。

雪から借りた3冊を繰り返し繰り返し読む夜凪。

 

この本が恋愛映画やドラマと違うところは顔が見えない点だ。

良いところ、と言い換えてもいい。

顔が見えている創作物から感情を取り込む時に、女性の顔も男性の顔も一緒に取り込んでしまう。

撮影で演じる際に「あの女性が好きな人とは違う相手だ」という事態になる。

 

千世子を思い浮かべてOKテイクになったのは、あれが自分の感情だからだ。

 

たとえ恋愛感情ではなくても、自分の感情というのはそれだけで威力が高い。

つまり、現実に自分が恋愛を経験してしまうのがいちばん良い。

真波が恋愛未経験という部分は問題ない。

そんなものは恋愛を知らない頃の自分を思い出せばいいだけだ。

 

…だが、相手がいない。

 

恋愛というのは、両想いにせよ片想いにせよ1人では出来ない。

 

「難しいわ…」

 

そう声に出してみた夜凪だが、何が難しいのかすら分からない。

夜凪は、自分を「恋愛音痴」だとは思っていない。

自身の思考回路の中に、恋愛を担当するパーツが見当たらないだけだ。

幼い弟と妹を養ってきた自分にとって、「恋愛」という現象は自分とは無関係な世界で起こることだった。

 

(「自分が恋愛をする」という感覚を知らないだけであって、恋愛感情が理解出来ない訳じゃない)

 

実際、自分は恋愛映画に感情移入して涙を流してしまうことがある。

ただし、それはどこまでいっても「他人の感情」だ。

 

…そして、この3冊。

 

この心を引っかいてくる爪のような物も他人の感情だ。

この本を書いた人の感情。

物語も無い。この女性の顔も見えない。相手の男性の顔も見えない。

ひたすら剥き出しの「気持ち」をぶつけてくるだけのこの3冊。

短歌の力。

良い短歌は、予想以上に心に響く。

 

(小説を読んでみよう…)

 

夜凪は、これまでずっと「小説」という存在を遠ざけてきた。

物語があって、出来事に因果があって、登場人物の背景が書いてあって、それでいて登場人物の顔は見えない。

…それが、小説。

 

翌日、夜凪は立ち読み自由を謳っている全国チェーンの古本屋に出向いた。

恋愛小説コーナーに置いてある作品を手に取り、数冊に目を通した。

 

(どれもこれも、恐ろしいほどつまらない!)

 

何故主人公が「自分はこういう人間ですよ」という自己紹介のような説明を語るのか。

何故相手となる人物は、あざとい「魅力」を主人公に見せつけてくるのか。

内容も設定も薄っぺらい。

あの3冊の短歌にあったような強い「力」が、欠片も無い。

 

(昔のエライ作家さんが書いた小説ならもっとちゃんとしているかもしれない)

 

国語の教科書に名前が出てくるような作家の本を手に取って読んでみた。

薄っぺらくもなく、くだらなくもない。

でも、恋愛小説じゃない…。

文学の上に「恋愛」が風味付けとして乗っているだけで、恋愛が主体じゃない。

 

そしてやはり、あの3冊の短歌にあったような「力」が無い。

 

夜凪は、ここまですべての小説を3分の1も読み進めないうちに、本棚に戻していた。

もっと読みたいという気持ちが生まれてくれない。

 

そして、ある1冊の小説にぐいぐいと引き込まれ、気づくと半分近くまで読み進めていた。

値段を確認すると、なんと100円(安い!)。

 

「ルイ、レイ、おうちに帰りましょう」

 

この二人には古本屋は退屈な場所だったらしく、二人ともホッとした表情を見せた。

夜凪が100円で買った小説は「春琴抄」。

最後まで読もうと思えた唯一の本。

 

帰宅し、寝転がって「春琴抄」を読み終えた夜凪は、固まって動けなくなってしまった。

仕方がないので、もう一度「春琴抄」を最初から読んでみた。

二度目の読了後でも固まって動けなくなったので、夜凪は三度目の読書を開始した。

 

(どうしよう。誰かに話したくてたまらないわ。この気持ち…)

 

三度目を読み終えた夜凪はそんなふうに思った。

 

あの小説を読んでいそうな人…、大人の人じゃないと多分読んでない。

夜凪は環に電話を掛けてみたが、「読んでない」という返事だった。

 

そうだ。雪ちゃんなら…。

 

(……。あぃ…)

「……。(ピッ)」(←無言で電話を切りました)

 

雪ちゃん、寝てた。起こしちゃった。ごめんなさい…。

 

そうだ。あの人なら起きてるし、あの小説も多分読んでる!

 

(はい)

「アリサさん。夜凪です。アリサさんは春琴抄って読みました?」

 

(読んだわよ)

「ど、どう思われましたか?」

 

(胸にずーんと来たわね。かなりショックを受けたのを覚えてるわ)

「そう。そうなんですよ。私もずーんと来たんです!」

 

(景…)

「は、はい!」

 

(読書感想会をするつもりなら、私にはそんな時間は無いわよ)

「ち、違います。ずーん、が知りたかったんです。言葉で表すなら、ずーん、だなあ、と。答えてくれてありがとうございます。お手数をお掛けしました」

 

夜凪は礼を述べて電話を切った。

寝てはいなくても、アリサも雪と同じく多忙な人間だ。

 

高校の国語教師は、学校が夏休みだから駄目。

天球メンバーは若いから駄目。

黒山は「良かれと思ってあえて嘘を教えるタイプ」だから駄目。

 

結局、時間の経過に解決を委ねるしかなかった。

この心の中のぐるぐるが治まってくれるのを待つしかないか…、と夜凪は思った。

 

 

 

環は「キネマのうた」の台本を一から見直していた。

丁寧に、慎重に、様々な角度から1つ1つの演技を見つめ直していた。

途中、夜凪から「春琴抄を読んだことがあるか?」という電話が掛かってきた。

夜凪のテンションから察するに、よほどインパクトのある小説なのだろう。

 

(なおさら今は読めないなあ。後で必ず読んでみるから。今は許せ、景ちゃん)

 

環が担当する真波には恰好いいシーンが多い。

はっきりと、ここが見せ場の1つ、と判る場面がいくつもある。

オンエアーでは、音楽や演出の効果も付けられて盛り上がることになるだろう。

 

(だが、私、女優環蓮が勝負をかけるべきシーンはここだっ!)

 

38話目の真波が頬を赤らめるシーン。

大仰な劇伴もなく、さらりと流されることになる何ということのない1コマ。

 

(真波が頬を赤らめるシーンなんて他にもたくさんある。でもそれらは劇中劇での芝居であり、プライベートで真波が頬を赤らめるのは唯一この箇所しかない)

 

劇中劇での表現とは別物にしなければならない。

台本には書かれていないが、ここはそうするべきだ。

 

…環のこの判断は正しい。

 

この4秒間の芝居に、どれだけの時間と工夫を注ぎ込んでも惜しくない。

 

特別な1コマを見抜く眼力、そこに多くの労力を割こうとする決断力と覚悟。

環の役者としての実力の高さを裏付ける非凡な解釈と言える。

 

(普通ならさらりと流されるであろう4秒間を、視聴者の心を鷲掴みにする4秒間へと変えてみせるっ!)

 

その後も環の作業は続く。

自分が演じるすべての場面について、上乗せ出来る物があれば可能なだけ上乗せしよう、と台本の余白に文字を書き加えていく。

 

 

 

柊雪作「キネマのうた」第8章の抜粋。

 

土居は、園風座の話し合いの場に顔を出すようになる。

座員たちは多くの意見を交換する。議論する。

 

この日は、座員の1人が「見てきたばかりの歌舞伎の新作はこんな感じだった。あの素晴らしさを映像に活かすにはどうすればよいか」というお題を提示した。

土居は、新派の先鋭である園風座が歌舞伎を否定していない事実に驚かされた。

他にも、「映像論」「演技論」「芝居論」等の高度な会話が当たり前のように飛び交う。

役者とは、かくも深い考えと覚悟をもって「芝居」に取り組む人種だ、と土居は思い知らされた。

 

土居は思う。

自分の芸術をただ追いかけるより、役者たちの底力を借りたほうが映画は良くなる。

…明白だ。

自分が得意とするバランス感覚や構成力は、細部に渡り役者の力を引き上げる方向にも使える。

だからこそ「自分の力が必要だ」と大船撮影所に自分は連れてこられた。

 

…真波が立ち上がり、「はい、皆様」と演説の準備を始めた。

 

「いつも言ってるように、私は宝仙先生が理想の映画監督だと思っています」

 

座員は静かに聞いている。

真波は言葉を続ける。

 

「海外で大きな賞をいくつも獲り、評価も高く、日本国内の賞は例年総なめ。宝仙先生は自他ともに認める飛び抜けた存在でしょう」

 

真波は、やや寂しそうな声音で、

「だが、それでいいのか? いいはずがない…」

と口にし、そして次に力強く大きく声を張った。

 

 

「今年こそ、園風座が宝仙の首を獲るっ!」

 

 

座員からは拍手とともに「よっ、座長!」といった声があがった。

演説を終えた真波はゆっくりと土居のほうへ歩いてきた。

 

「今年の一番を獲る映画は食卓です。そのためには土居先生のお力が必要です」

「わ、私に出来ることなら喜んで力を貸したい!」

 

「宜しくお願い致します。我々も目一杯力を尽くします」

「はいっ! はい…」

 

土居は泣きそうになるのを堪えながら懸命に返事をした。

 

現場では「食卓」の撮影が再開された。

もちろん一からの撮り直しだった。

撮影の進行には独特のスタイルが採用された。

監督はもちろん、役者も、カメラマンも、補助スタッフも、自由に発言して撮影を中断させても構わない、という風変わりな方式だった。

 

真波からは全方位に声が飛んだ。

他の役者やカメラマンも遠慮なく声を上げて撮影を中断させた。

この一丸となった空気の中で土居が出来ることは何か?

決まっている。

必要な情報を必要な場所に必要な分量だけ正確に配置する技巧の手腕を揮うことだ。

土居も遠慮なく大きな声を出した。

 

「薬師寺! つまらなさそうな表情で目だけは希望に光らせるんだ。空気を明るくするくらい強く!」

「はいっ!」

 

土居は、我ながら難しすぎる注文だと思った。

だが真波なら演じ切ってくれると信じた。

 

土居は、当初「食卓」を「離婚の危機にある夫婦の悲哀の物語」に仕上げるつもりでいた。

だが、自分以外はこれが「コミカルな希望の物語」だと知っていた。

真波と何度も仕事をしている坂田もそのことに気づいていた。

だからこそ抗議をするほどに慌てた。

 

(坂田先生が選ばれなかった理由は、おそらく融通の利かなさが理由だろう)

 

「食卓」はエンターテインメントの結晶のような映画だ。

ただ、背景のスケールの小ささと動きの少なさを抱える内容であるため、細部で勝負するしかない。

細部を精緻にコントロールすることは自分の十八番だ。

この活力溢れる現場で、この素晴らしい作品の完成に向けて、自分は十分な戦力となっている。

 

 

 

「キネマのうた」のスタジオ撮影現場。

夜凪は3話目の撮影に臨んでいた。

 

「春琴抄」のぐるぐるは時間をかけて沈静化するまで待たねばならなかった。

そして夜凪は、短歌から受ける印象が変わってしまったことに気づいた。

心を引っかかれる感覚が強くなった。

 

感覚の正体は「恋に恋する感覚」「恋をしてみたいという願望」から来る「もどかしさ」とでも言えばいいのだろうか?

 

春琴と佐助の間には本物の愛があった。

恋に恋するといった軽い物ではなく、狂おしいほどに深い本物の愛情だ。

 

春琴の顔も佐助の顔も夜凪は知らない。

短歌において剥き出しの気持ちをぶつける女性の顔もぶつけられる男性の顔も知らない。

 

短歌に散りばめられた言葉の欠片は、本物の恋愛感情から生まれた物だ。

 

…たんなる言葉の欠片であることがポイントだ。

 

自分は春琴と佐助の愛から、ずーんと心を圧し潰すほどのインパクトを感じた。

その「ずーん」を、言葉の欠片に結び付けたい自分がいる。

結び付けることで、明確な言葉として「ずーんと来る愛」を綴ってほしいと願う自分がいる。

 

だが言葉にはなってくれない。

もどかしい。

願う気持ちの強さだけがいたずらに膨らんでしまい、どうにも出来ない。

 

夜凪は、自分に恋愛の経験がないから「恋に恋する感覚」までしか届かないのだろう、と考えた。

それにしても、身がふるえるほどの感覚の強さよ…。

恋がしたいという想いは、こんなにも心を揺らす物…。

 

この日の3話目の撮影において、夜凪は「抑えつけないと飛び出していきそうな感情」を抱えながら演じた。

表情に出してはいけない場面になると、難しさは跳ね上がった。

滲み出てしまう…、と必死に感情を殺さなければならなかった。

 

「カット。けいちゃん、今日の演技はすごく良いです。恋する乙女そのものです」

「ありがとうございます」

 

Vチェックをする場に他のスタッフも集まってきた。

みんなが口々に、「画面越しでも伝わる」「絶妙だ」「表情の輝きが昨日までと全然違う」と絶賛した。

夜凪は「お願い」を申し出た。

既に撮った3話目と8話目の撮り直しだ。

真波の芝居を追う撮影は、夜凪1人の別撮りだ。

それほど大きな我儘にはならない。

ただ、8話目に関しては使うセットが違うので日を改めなければならなかった。

 

「昨日の分は1発で決めてみせます。8話目も、セットの順番が来たらその日の朝一ですぐ終わらせます。お願いします」

 

少々のざわめきが起こった。

 

「今後の其処に始まりしの撮影も短いテイク数で決めてみせます。お願いします」

 

フィルムを繋げる時代と違い、撮り直しの再編集はそれほど大変ではない。

夜凪の申し出は許可されることになった。

 

さっそく昨日の3話目の撮り直しが行われた。

1発で決めると豪語した夜凪にプレッシャーはなかった。

 

…夜凪の姿は美しかった。

 

迷いなく演じられることで、夜凪の美貌が際立つという嬉しい副産物があった。

昨日は大きく時間を食った演技を、夜凪はすべて1発で決めた。

 

 

 

柊雪作「キネマのうた」第8章の抜粋。

 

「食卓」は、興行成績2位の宝仙の力作「黒髪譚」を大きく引き離しての1位を獲得した。

「黒髪譚」には真波も出演していた。

真波にとっては当然「食卓」の1位が嬉しかった。

 

早川による次の脚本は既に完成していた。

ただ、脚本の完成を真波がかなり手伝わねばならなかった。

早川には才能があり、時代に合った良作を書く力がある。

それは間違いない。

とはいえ、最近まで素人だった早川には「筆が遅い」という弱点があった。

 

「食卓」の出来を見る限り、早川は心の機微を捉えるのが上手い書き手と言えた。

これまで多くの人間を観察してきた真波は、早川が自分と同様の観察を続けてきた人間だと確信していた。

真波と早川はそれぞれ「人間とは?」という意見を出しながら、脚本の構築を進めた。

知恵袋が2つになることで、早川はなんとか原稿を書き終えられた。

 

大船撮影所で製作される次の映画も土居と早川のコンビに決まった。

 

坂田は松菊本社と契約し、映画を製作していた。

大船撮影所に自分の居場所が無くなることを予見していた坂田にとっては無難な選択だった。

坂田は、自分の二番煎じと言われていた土居に負けるつもりはまるでなかった。

自分を追い抜くどころか追いつくことさえ無理だと考えていた。

自分が戦う相手は宝仙のみ。

そう思っていた。

 

自分が「食卓」の監督を務めていれば、「日本国内では宝仙の上をいく」という目標は達せられていた。

 

しかし、真波は自分ではなく土居を選んだ。

理由は、自分の芸術への執着の強さだろう。

坂田はエンターテインメント作品を作る方法に気づいており、その自信も持っていた。

ただ、それは芸術の追及に区切りがついた後にする仕事だった。

この自分の姿勢が真波に嫌われた。

 

17歳の真波に向かって「映画が芸術であって何が悪いか!」と吐いたことが悔やまれた。

今の坂田は「映画は芸術ではない」と知っていた。

監督が芸術を志向するのは構わない。

それをそのまま「映画」という形で表現したら、出来上がった「映画」は芸術でもなんでもない。

ただのガラクタだ。

だから自分は低い評価に甘んじていた。

「都の哀歌」以前に幾つかの映画がそこそこヒットした。

あれは役者の質の低さに妥協した結果、たまたま見れる「映画」になっていただけではないか?

「都の哀歌」のヒットは完全に真波の力だ。

それ以降の作品でも真波が勝手に押し込んでくるエンターテインメントに助けられていただけではないか?

 

真波は17歳にして映画の本質を理解していた。

それを自分に教えてみせた。

 

…「映画が芸術であって何が悪いか」

 

さぞ真波を失望させたことだろう。

だが、自分はこういう人間だ。

坂田孝志はそういう人間であり、芸術を諦めたら坂田孝志では無くなってしまう。

 

坂田は次回作はエンターテインメントにすると決意した。

芸術を志向する男には、芸術を武器にした戦い方がある。

芸術を軸にした映画でも、見事なエンターテインメント作品になることを証明してみせる。

 

坂田にはもう野心は無かった。

映画監督として、「自分の力」でまともな映画を作らなければならない。

その思いだけだった。

 

 

 

雪は自作の「スケジュール調整案」に修正を加えていた。

この調整案は犬井にも見せないし、現場で使用することもない。

犬井や局の編成部が毎月作成するスケジュール表の効率の悪さに我慢が出来ず、作ってしまった。

自分が「効率」に目が届くのは、脚本と台本の制作をした当人であるということ以外に理由はない。

本来なら、優秀な人たちが作成した出来の良いスケジュール表の欠点を見つけられるはずがない。

雪はこの調整案を厳重に隠している。

誰かがうっかりこんな物を現場に持っていったりすれば大変なことになる。

 

夜凪が「其処に始まりし」に関わる撮影時間の短縮を宣言し、どうもその通りに運びそうだということで調整案を修正していた。

 

「雪ちゃん。今日の演技、駄目出しが聞きたいわ(厳しいモードで)」

「……。そうですねえ…」

 

「やっぱりある?」

「無かったです。容姿の雰囲気まで変わることは初めて知りました。勉強になりました。良いお芝居、ありがとうございました」

 

夜凪は満足そうな顔を見せてから、ててて、とPC室から走り去った。

完全に去ったことを確認してから、雪は作業を再開させた。

 

               第60話「キネマのうた(8)」/おわり




以上が、私なりのアクタージュ「scene183」となります。

春琴は夜凪にやらせてみたいキャラですねえ。
かなり強烈なキャラクターです。
春琴は盲目なので、夜凪は視界がゼロになるカラーコンタクトを装着しそうな気がします。
それでも抜群の芝居をしそうなのが夜凪の凄みです。

もし「春琴抄」をこの作品内で扱うなら、夜凪には「佐助役」が誰なのかも教えずにやらせてみたいです。
佐助を演じる役者さんが誰なのか知ってしまったら、佐助の顔がわかっちゃいますからね。

雪が書いた「キネマのうた」の紹介もだいぶ進みました。
第二黄金時代も終わりを迎えつつあります。
そういう時期にまで来てしまいました。

夜凪は「恋したい」という気持ちを膨らます技術を手に入れたら、今後もラブストーリーに対応できそうです。
実際に恋させるわけにはいきませんし…。
だって、相手は誰だ、という話になっちゃいますよ。
既存のキャラクターに夜凪に相応しい相手はいませんし(私の個人的な見解です)。
新キャラクターを出すのも突飛ですし。

雪はどうしましょうかね。
本人もちょっと焦ってますし、良い相手がいればいいんですが。
こちらも難しそうです。
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