セカンドステージ (役者と監督のその後)   作:坂村因

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第61話 「キネマのうた(9)」

スタジオ大黒天。

夜凪はオフィスチェアーの背凭れに頬杖を突いて、パソコンをいじっている黒山と雪を眺めていた。

 

「雪ちゃん。私、激ムズだと思っていた真美の役作りのヒントを掴んだわ」

 

黒山と雪は身体を、ピクッ、とさせてキーボードを触る手をとめた。

ほぼ同時に二人とも夜凪のほうに椅子ごと振り向いた。

 

「その物語はこれまでに映画・ドラマ・舞台で数多く題材とされてきた。それだけ魅力的な物語ってことね」

 

「なんの物語ですか?」

 

「夜凪。人が駆け引きをする時は、悪巧みを考えてる時が多いって知ってるか?」

 

「悪巧みとは人聞きが悪いわ。私は真面目に役作りの話をしているのに…」

 

夜凪の表情には「悪巧み」に近い雰囲気が滲んでおり、それは黒山と雪の目にも明らかだった。

 

「悪巧みじゃないにしても、裏がある顔になってるぞ、お前」

 

「けいちゃん。いたずらに引っ張るのは感心しないです。なんの物語が言ってください」

 

「それは三味線の先生の物語よっ!」

 

この夜凪の言葉で、黒山と雪はこちらに背を向けてパソコン画面に戻ってしまった。

夜凪には、作品名を言い当ててほしい、という思いがあった。

当然、読んだことがない、というのは論外だった。

 

やがて黒山が口を開き、黒山と雪の二人の会話が始まった。

 

「合ってるとは言えるな。サディストだし」

「墨字さん、なんの物語か分かったんですか?」

 

「春琴抄だろ。春琴のキャラは豹変後の真美に近い」

「春琴抄、読みましたよ、私。…ちょっと考えさせてください」

 

夜凪は、(お、…お!)と喜び、自分が会話に混じれない流れをなんとかしなければ、と考えを巡らせる。

だが、黒山と雪の二人だけの会話が続く。

 

「世間ズレしたサディストという雰囲気はハマりそうですね」

「それに加え盲目だ。母を苛める真美は一時的に視野が狭い」

 

「愛する者を苛める、という根っこが同じなのは強みです」

「上手く抽出できれば、の話だがな。かなり良い物を見つけてきたと俺は思う」

 

 

「けいちゃん。役作りに目途がついたら一度見せてください」

 

 

夜凪は、「わかりました」、と返事をしながら思う。

自分は、ただ「すごいよね」「ずーんと来たよ」という感じのおしゃべりがしたかった。

 

 

 

柊雪作「キネマのうた」第9章の抜粋。

 

多くの映画館が「食卓」をロングラン上映にすることを決めた。

人気が高く、客足が衰えない。

10回以上見に来る客もざらだった。

それまで「永遠の少女」と呼ばれてきた薬師寺真波が、初めて既婚者を演じたことも話題の1つだった。

何より、やはり作品の面白さが強く、多くの客が「笑って、泣いて、笑って、応援して、泣いて、笑って、感動する」というループを何度も味わいたがっていた。

 

松菊本社に戻った坂田は女優探しを始めた。

真波の代わりとなる女優ではない。

坂田の選定基準は、観客に好感を持たれる美貌を持ち、そこそこに高い実力がある女優。

 

…坂田は、石上嶋子という女優を選んだ。

 

ほとんど実績がなく、真波の演技力には遠く及ばないとはいえ実力もしっかりしていた。

坂田は映画「佐伝の日」を製作し、端役として石上を起用した。

石上を鍛えるためだった。

そして自分自身を鍛えるためだった。

監督としての考えを役者に伝え、演技の意味を解説し、難しい演技については丁寧に根気強く出来るようになるまで自分が役者を指導する。

 

役者の力量に助けられるのではなく「自分の力」で映画を作る。

 

その第一弾となる「佐伝の日」は、なんとか映画の形にするのが精一杯という出来となり、エンターテインメント云々以前の未熟な作品となった。

興行的にも失敗に終わった。

坂田は改めて自身の監督としての「偏り」を思い知った。

ただ、「佐伝の日」を作り上げたことは大きな前進であり、坂田は手応えを感じていた。

 

次に坂田が作ったのは「きまぐれな人々」という映画だった。

彩方映画会社の製作だ。

松菊系列以外で坂田が監督を務めるのは初めてのことだ。

 

土居を手放したことで技巧派監督が不在となってしまった彩方の指南役という形だった。

坂田は「坂田組」の面々を連れず、単身で彩方に乗り込んだ。

撮影現場には多くの制作陣が勉強のために集まった。

 

もう芸術のみを追う機会はないと考えていた坂田にとって、ご褒美のような不思議な気分を味わうことになった。

クラシック音楽を多数使用してストーリーに絡ませる「きまぐれな人々」。

画面を構築させるための演技の配置も極めて技巧的。

 

坂田はこの仕事を「楽しい」と感じながら務めた。

土居をめぐる一連の騒動に対する義理を果たすための仕事とはいえ、坂田にとっては嬉しい体験だった。

無論、エンターテインメントの要素も組み込んだ。

技巧を駆使してエンターテインメントを作るにはどういう工夫が必要かを、坂田は彩方制作陣に教えた。

 

「きまぐれな人々」はけっこうなヒット作となり、興行的にも成功を収めた。

 

 

 

環は、自宅でぼーっとしていた。

まだ、「キネマのうた」に対する集中力は途切れてはいなかった。

でも、ぼーっとしていた。

集中力が完全に途切れてしまう前に手を打たなければならない。

環は自己管理の中でもこういったコントロールが抜群に巧かった。

 

…つまり、私は自分になにかしらのご褒美を与えなければならない。

 

上手にガス抜きをし、集中力を継続させるための活力を充電する必要がある。

そのために向かう先はやはり「スタジオ大黒天」だった。

環は居心地がいいからと何度も何度も遊びに行っている。

こっそりスペアキーも作っている。

無断でスペアキーを作る(←犯罪行為なので真似しないでください)くらいの「茶目っ気」が許される程度には、みんなと仲良しになっている。

 

スタジオ大黒天に着いた環は、音を立てずに鍵穴にスペアキーを差し込んだ。

音を立てずに鍵を回し、音を立てずにドアを開けて中に入り、音を立てずにドアを閉めた。

 

(ぱっと見、誰もいない…)

 

環はそろりそろりと部屋を進む。

PC室のドアの横の壁に張り付き、聞き耳を立てる。

何も物音は聞こえない。

 

そーっとドアを開けて、PC室内を覗く。

 

黒山と雪がパソコンに向かっている。

二人ともヘッドホンを装着して、それぞれの作業に励んでいる。

 

環はゆっくりと室内を進み、黒山の作業を背後から観察した。

映像編集ソフトを使って、なんだかいろいろ動かしていた。

 

次に、雪の作業を背後から観察した。

雪は「キネマのうた」のスケジュール表と思われる紙に文字を書き込んでいた。

 

私が編成部から渡された物と内容が違う…。

独自にこんな物を作っているのか。

 

環は自分のバッグからコピー用紙を4枚取り出した。

そして、雪の机からスケジュール表を掠め取り、代わりに4枚のコピー用紙をバンと置いた。

 

びっくりして目を丸くして口をぽかんと開いて、環を見上げる雪の顔。

ヘッドホンを外し、同じ表情で再び環の顔を見つめる雪。

 

(うむ。とてもいい顔だ。雪ちゃん、素晴らしい表情だ)

 

環は無言で、ビシッ、と机の上を指差した。

指差した先にあるのは4枚のコピー用紙。

そこには「銀河鉄道の夜の後半」に関するメモがびっしりと記されている。

乱雑ではあるが、大事なことも細かいことも漏らさずにしっかりと記述されている。

 

雪は、さっさっさっ、と4枚のコピー用紙に目を通した。

書かれている内容が何であるかを確認し終え、その4枚を手に取った。

環のほうに振り返り、ぷるぷる、と震える手で紙束を返そうとした。

 

「ぷるぷるじゃないよ、雪ちゃん。それは大切な資料だよ」

「…要らない…です。私…」

 

「雪ちゃん。このスケジュール表は編成部に提出する物だね。私から渡しておいてあげる」

「あ…」

 

「まあ、聞いてくれ。私の壮大なプランを」

 

環は、自分が「キネマのうた」の撮影において大幅な時間短縮を成し遂げる自信があると告げた。

制作勢の負担は相当減ることになる。

なにしろ38話に渡ってメインを演じる主演女優がさくさくOKテイクを連発するのだから、そうなるに決まっている。

つまり、雪の負担も小さくなり、銀河鉄道の夜の脚本を書く余裕が生まれる。

環蓮の舞台初公演は大成功となる。

 

「か、書いておきますから。脚本とまでいかなくても…。書ける限りのことを、合間合間に、ちみちみ書き進めておきますから…。今は環さんにはキネマのうたに集中してほしいです」

「よかろう。私、環蓮は真波役で素晴らしい芝居を披露することを約束する」

 

「それと、その…」

「大丈夫。スケジュール表は勝手に渡したりしないよ。このことは誰にも言わないし、この紙も雪ちゃんに返す」

 

「…ありがとうございます」

「礼を言うのはこちらのほうです。雪ちゃん。ゆっくりでいいから銀河鉄道の夜の後半、お願いします」

 

そして環は颯爽とスタジオ大黒天から自宅へと帰っていった。

黒山が環の存在に気づいたのは、環がPC室を出る時だった。

 

 

 

柊雪作「キネマのうた」第9章の抜粋。

 

土居の映画でヒット作を連発する大船撮影所。

監督としても人間としても成長していた土居は、「食卓」以降も1位の座を守り続けた。

後に宝仙の代表作となり、世界各国の映画界に「激震」と言えるほどの影響を与えることになる「雇われ小隊」に対しても、国内では僅差で競り勝った。

早川の脚本は相変わらず出来が良く、園風座と土居を助けた。

ただ、筆の遅さはなかなか克服出来ず、真波との「知恵袋2つ体制」は続いた。

 

二人で脚本の作業を進めている時、唐突に早川は真波へのプロポーズの言葉を口にした。

早川は、真波が役者として大事にしていることを如何に自分が理解しているかを述べた。

家庭に入らず、片手間で女優業に臨む人間ではないことも理解していると強調した。

真波はそれがプロポーズであることになかなか気づけなかった。

早川の口から「僕と結婚してほしい」という言葉が出てきてようやく理解した。

その場では真波は、

「考えておきます」

とだけ返事した。

 

町を歩きながら、真波は早川からのプロポーズについて考えていた。

 

…受けるのも悪くないかもしれない。

 

まず、自分の仕事に理解を示しているのが大きい。

結婚しても、結婚前と変わらず自分が仕事を出来るように気を配ってくれるだろう。

大根の時の4人の女優のことも頭をよぎった。

体裁として既婚者であることは無意味ではない。

 

(受けてみようか)

 

真波はこれまでにただの一度も恋愛をしたことがない。

口説かれたことはあっても、プロポーズされたのは初めてだ。

プロポーズというのは、実際にされてみるとこんなふわふわした気持ちになるのだな、と真波は思った。

 

歩きながら様々な事を考えた末、早川からのプロポーズを受けよう、と真波は気持ちを決めた。

 

…子供が産まれたらどうするか。

 

(子供が産まれたら、鎌倉から文代を呼び寄せればいいか…)

 

この時真波は、瞬間的に自分の頬が火のような熱に包まれたことに気づいた。

通りには自分のファンたちの目もある。

真波は、赤らんだ頬を抑えつけようとした。

しかし、真波の演技力をもってしても、赤らんだ頬を完全に抑え込むことは無理だった。

 

 

 

自宅に戻った夜凪は、うつ伏せに寝転がって真美の役作りについて考えていた。

なんだかぐちゃぐちゃな物しか想像出来なくなっている自分に困っていた。

 

(でも、先のことを考えても平気な強さが必要になる時がそのうち来るわ)

 

夜凪には、まだ真波役の芝居が残っていた。

この時期に真美の役作りを考えるのは悪手にも思えた。

 

…しかしっ!

 

他の役作りのことを考えても今の役作りが壊れないくらいに1つ1つの強度を保てれば問題ない。

環を見ていると、自分にはそういう強さが足りないと思ってしまう。

環は、いろんな寄り道をしているようで、やる時はきっちりやる。

 

今、作れている真波の「役」の強度を上げなければ!

 

スマホが鳴った。

雪からだった。

 

(けいちゃん。環さんが銀河鉄道の話を始めたら、逃げて…)

「……。よくわからないけど、銀河鉄道の話が始まったら話題を逸らせばいいのね」

 

そんなやりとりをして通話を終えた。

 

(一体何をしているの、環さん…。しかし、たしかに、あの人は強い!)

 

夜凪は、真波の芝居のおさらいをした。

回数を重ねることの重要さはわかっていた。

いたずらに深く吸着させるのではなく、着脱が便利な頑丈な鎧のようになるまで繰り返す。

自分にはそういう部分で強化する課題がいくらでもある、と夜凪は思う。

 

 

 

柊雪作「キネマのうた」第9章の抜粋。

 

坂田の次の映画は「佐伝の旬かな」という作品に決まった。

主演には石上。

芸術を軸にしたエンターテインメント。

 

石上にとっては試練の作品となる。

前回は端役での出演だった。

登場シーンは少ないのに、撮影時間は長かった。

あまりにも緻密に計算された演技の組み合わせに対し、坂田の説明を聞いて丁寧な指導を受けて、それでも必死についていくのがやっとだった。

 

…あれを主演でやるのか。

 

石上は腹を括った。

これを経験すれば今後の女優人生でどんなことにも耐えられる気がする、とまで思っていた。

坂田組の役者たちも石上をサポートすべく気合いを入れていた。

 

撮影は、坂田の説明と指導が全出演者に及び、非常に進捗が遅い物となった。

坂田は監督としてこれほどの労力を割いたことが無かった。

坂田も必死だった。

真波と早川の結婚の知らせを聞いた時も、「オメデトウ」と簡略な電報を打つのみに留めた。

とにかく撮影に時間が掛かる。

 

これまでに国内外で多くの賞を受けた。

日本を代表する監督の1人と言われる地位まで登った。

だが、この映画を完成させないことには胸を張れなかった。

映画ファンに対しても、坂田組に対しても、松菊に対しても、薬師寺真波に対しても…。

 

真波に坂田の訃報が届いたのは、雨が降る日だった。

2年近くの時間を費やした「佐伝の旬かな」が完成したことは知らされていた。

上映前の死だった。

死因は癌。

坂田はまだ50代だった。

 

葬儀には多くの人が集まった。

真波は人目が無くなった深夜に、坂田邸を訪れた。

自分に坂田を見送る資格があるのか、と真波は悩んだ。

だが、やはり別れの言葉を告げたかった。

 

坂田は生涯を独身で過ごし、家族はいなかった。

棺の間には坂田組の人間と石上だけがいた。

真波は、彼らにお辞儀をして棺の前に座らせてもらった。

 

「坂田先生、お世話になりました」

 

手を突き頭を下げた。

真波は数分間その姿勢を維持した。

別れの言葉を告げ、真波は雨の中を帰っていった。

 

「佐伝の旬かな」の上映が始まり、真波は早川を家に残して1人で映画館に行った。

相変わらずの「坂田調」だった。

町並の美しさ。

人々の細やかな動き。

真波は頬に涙を伝わらせつつ、ぷっ、と笑った。

正面ピン撮りが連続で交互に使われていた。

正座する二人が会話をするだけのシーン。

それが何故か声を発した側の人のピン撮り。

それを延々と繰り返す。

この構図は17歳の自分と坂田で作った物だ。

 

(カメラを少し引くだけで、一発撮りが出来るじゃないですか)

 

しかし、カメラは二人同時には捉えず、必ずしゃべる側の正面ピン撮り。

映画館内にも、くすくす、と笑いが起こっていた。

 

(あの構図をこんな使い方にするなんて…)

 

作品全体に流れる「ものすごく控え目なコミカル」は坂田の技巧あってこそだ。

真波は、素晴らしいエンターテインメント映画だと思った。

 

坂田のせいで自分の武器のほとんどが世に晒されてしまった。

坂田のせいで自分で場面を組み立てる苦労を背負わされた。

坂田のせいで芸術と狂気が紙一重だと知った。

坂田のせいで他の女優から大根で叩いてもらえない存在になった。

 

真波は、涙なんて流れるにまかせ、映画の画面を見つめ続けた。

坂田の最後の作品を、しっかりと見つめ続けた。

 

坂田の死は、日本映画界の節目とも言えた。

第二黄金時代の終焉だった。

宝仙の新作がヒットしても、映画人口は減るばかりだった。

年間総製作本数も落ち込んだ。

 

松菊本社は、石上を看板に据え、石上はその屋台骨を逞しく支え続けた。

大船撮影所は、費用の掛からない映画作りに絞る方針に切り替えた。

真波も園風座も土居も早川も、映画界を支える力としてまだまだ頑張らなければならなかった。

 

               第61話「キネマのうた(9)」/おわり




以上が、私なりのアクタージュ「scene184」となります。

環がとてもイタズラな感じになってしまいました。
でも、ああやって雪と遊んだことで活力を取り戻し、撮影現場での芝居が良い物になります。
結果的に、雪の仕事を助けることになります。
「茶目っ気」は許してあげてください。

「佐伝の旬かな」は実在の物としては「秋刀魚の味」に相当します。
なお、イワシは英語で「サーディン(sardine)」と言い、「秋刀魚の味」の作中名を「佐伝の旬かな」にしました。
私の小細工などはどうでもいいとして、「秋刀魚の味」はとても面白い映画です。
名高い小津映画とはどんなものだと代表作の「東京物語」を見て退屈に感じた人も、「秋刀魚の味」なら楽しめると思います。
若き日の岩下志麻の美貌にしびれてみてください。

「銀河鉄道の夜」の続きについては、いずれがっつり書きます。
阿良也が「俺は続きが見たいのに! カムパネルラは死んだけどジョバンニは生きている。勝手に終わらせるな」と言っていたあの「続き」に該当します。
阿良也の期待を裏切らない物になるよう頑張って書きます。
いずれ、ですけど。

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