『エスタージュ(S-tage)』(「セカンドステージ;役者と監督のその後」)   作:坂村因

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第62話 「キネマのうた(10)」

9月。

学校の授業が終わり、夜凪は電車で渋谷へと向かう。

直行しないと間に合わないと考えて、急いで到着したMHK撮影スタジオ。

 

(「天守の照準」の撮影が延びてるわ…)

 

スタジオの広さは約200坪。

30メートル強×20メートル強のこのスタジオには、一度に多数のセットは組めない。

小さいセットなら3つ、大きいセットなら1つ。

24のセット枠のうち、8枠から12枠に増やして貰えた「キネマのうた」だが、やはり放送中の「天守の照準」が優先されてしまう。

 

茨城県に作られた巨大なオープンセットでの撮影は完了したらしく、残りはスタジオ撮影だけとのこと。

 

(でっかいのよ、いちいち…)

 

渋谷の撮影スタジオでもかなり立派なセットを組むことが可能だ。

屋内セット、屋外セット、自然の景色、昼、夜、雨、晴れ。

そして、「天守の照準」のセットは広さ目一杯の大きく豪華な物だ。

これを組むと、他のセットは組めなくなる。

撤収に時間も掛かる。

「DU-106スタジオ」は生放送用には使用されないとはいえ、大河ドラマ以外のセットも忙しく組まれる場所だ。

 

「キネマのうた」では、8枠しか貰えなかった頃から枠を塞いでいる素材を「用済みセット」として破棄出来るように集中的な撮影を駆使してきた。

今後もそういう遣り繰りを工夫しないと新しいセットは用意出来ない。

 

(なんか不公平だわ…)

 

茨城のオープンステーションには、別途に撮影スタジオも設置されている。

全部そっちで済ませれば双方とも効率が良いのに、と夜凪は思う。

 

ようやく「天守の照準」のこの日の撮影が終わり、豪華セットが撤収された。

そして「キネマのうた」の大船撮影所の大部屋のセットが迅速に組み立てられた。

 

この日は5話、7話、9話の撮影がある。

天球メンバーがモブとして参加するシーンだ。

 

 

 

柊雪作「キネマのうた」第10章の抜粋。

 

園風座では頻繁に会議が開かれた。

駆け抜けるように過ごしてきたこの10年余り。

隆盛の極みにあった頃からの環境の変化が大きく、その落差が座員の士気に影響を与えていた。

 

彩方が倒産した。

会社を再建するにあたって、彩方は映画製作事業から撤退し、配給や芸能事業を主戦場に変えた。

各映画会社は、競争することより協力することで総製作本数を維持することに努めた。

11億人以上をカウントしていた観客動員数は半分以下となっていたが、映画の総製作本数は7割ラインに踏みとどまっていた。

 

関係者の多くは「テレビに負けて、客が減った」という見解を持っていた。

だが、真波の見解は違っていた。

真波は、常に人々を観察していた。

隆盛時の世間に流れていた「違和感を伴う空気」の存在に気づいていた。

新しく公開される映画が週に10本あり、それらを「見に行くのが当たり前」という「空気」だ。

 

…そんな空気は異常だ。

 

大衆はある種の感覚の麻痺に陥っていた。

隆盛の後半期は特に顕著であり、感覚の麻痺は大きな泡のように膨れ上がっていた。

それがはじけて、人々の感覚が正常に戻った。

 

テレビに負けたのではない。

テレビとの勝負が始まった、と言うのが正しい。

 

園風座の会議は、情報を持ち合うことで戦局の把握を共有するための場となった。

真波は、座員たちの気持ちが暗い物にならないように声を掛け続けた。

 

 

 

夜凪は天球メンバーを見つけて駆け寄った。

出演者11名と阿良也の計12名。

夜凪はまず長である阿良也に声を掛けた。

 

「みんな落ち着いてるのね。緊張とかも無いように見える」

「俺がそんな弱気を許すと思うかい? 天球は常にビビったりしないんだ。それより、夜凪。俺たちの舞台の脚本を書いてくれるのは夜凪の会社の人だよね。この現場にも来ていると聞いたので挨拶をしたいです」

 

(うわわ…)

 

逃げる暇も話題を逸らす隙も貰えずに、一気に本丸に攻め込まれた。

しかも、雪ちゃんの話はこれっぽっちも頭になかった(相手、環さんじゃないし…)。

 

…どうしよう?

 

やっぱり阿良也君は独特のペースで一気にしゃべり切る人だわ(以前からちょっと気になってたわ)。

 

ダメだ。現実逃避してる場合じゃない。

でもいきなり過ぎて何も思いつかない…。

 

「……。阿良也君。私はみんなと…少し、はしゃぎ合ったりしたい気分なんだけど…」

「ああ、そういう気分は分かるね。はしゃいでいいよ」

 

結局、夜凪は何の策も無く思ったままのことを言った。

どうやらそれが功を奏したようだ。

 

夜凪は七生に近づき、

「七生さん。七生さんとこんなところで会うなんて奇遇だわ」

と、自分でも何を言っているのか分からないようなことを言った。

 

七生は振り返り、真面目な顔で、

「奇遇ではないでしょ。今日はこういう予定だし」

と答えた。

 

「そうだけど、なんかないの? わー、とか。すごいー、とか言わないの?」

「言わないけど思ってはいるよ。凄いスタジオだ(景、変なスイッチ入ってる? そんなキャラじゃないだろ)」

 

七生の隣にいた千鶴が、

「想像を遥かに超えたゴージャス空間ですよね」

と感想を述べた。

 

「DU-106スタジオ」は特別と言える。

民放局では考えられないMHKならではの異次元のハイテク密集地だ。

最先端を追う速度に5年くらいの開きがある。

MHKには、日本のテレビ局の5年先の姿が実装されている。

 

「夜凪。そろそろいいよね。連れてって欲しいんだけど」

「……!」

 

夜凪は雪のほうを指差して、

「でも雪ちゃん。今はあんな感じよ」

と応じた。

 

「あー、あの人なのか。ずいぶん忙しそうにしてるね。手がすくまで待つ必要があるね」

「それは無理だと思うわ(←小細工が不要な内容なのでスムーズに言葉が出ます)」

 

「ずっとあの調子なの? 撮影の間、あの忙しさが続くの?」

「雪ちゃんは、ずっとあんな感じで動くわ」

 

「それは大変そうだな。スタッフの中でもいちばん忙しく見える。激務だね」

「うん」

 

阿良也が「今日の挨拶は諦める」と呟き、この話題は終わった。

実際、雪は全セクションをちょこちょこと動き回らなければならない忙しい人だ。

 

 

 

柊雪作「キネマのうた」第10章の抜粋。

 

テレビに負けた、という話であればもっと早い段階で映画人口は減っていたはずだ。

映画の隆盛期の始まりとテレビの一般家庭への普及は、タイミングとしてはほぼ同じだ。

映画側に有利な「異常な偏り」が蔓延っていただけだ。

何かのきっかけがあれば異常が正され、映画とテレビの競争は本来の形になっていたはずだ。

何時きっかけが発生しても不思議ではない状況が、10年も続いた。

そしてそのきっかけがついに現れた。

 

…1964年10月の東京五輪。

 

過去最高の出場国数となった東京五輪は、世界から「最高級のオリンピック」と評価される豪華な大会となった。

日本としても、東京五輪を「急速な復興を遂げた新日本のシンボル」とするため、莫大な予算を計上した大規模国家プロジェクトとなった。

開催期間の15日間、人々はテレビに釘付けとなった。

特に、女子バレーボールの試合。

「東洋の魔女」と呼ばれる日本チームの圧倒的な強さに日本国民は熱狂した。

全戦全勝の日本が、同じく全勝のソビエト連邦との決戦を迎えた日、すべての大衆がテレビの前にいたと言っても言い過ぎではない。

 

たった15日間の祭典。

 

何者かが大衆にかけていた魔法が解けるには、それで十分だった。

それまで、「映画を見るために外出するのは当たり前のこと」と感じていた人々が、「なんで自分は時間が空けば映画を見に行くという日々を過ごしていたんだろう」と疑問を抱いた。

 

「だが映画が負けたわけではない! 争いが正しい形になっただけだ!」

 

真波は、業界の人間たちを鼓舞し続けた。

企業の垣根を超えて、優秀な人材を適切な場所に配置して映画を作る。

良い物を作れば、人々に受け入れられる。

この流れを助けるため、真波も園風座も方々に出張した。

 

真波は娘の真美にも期待していた。

父と母の才能をどれくらい受け継いでくれているか。

真波の仕事場には、幼い真美を膝に乗せる文代の姿が常に見られた。

 

真美は撮影所の隅っこで、文代に見守られながら芝居の真似事をしていた。

小さい身体はのんびりとしか動いてくれない。

姿勢を作ろうとしたら転んでしまう。

 

真波は、目を細めて真美を見つめた。

可愛らしい、と思った。

転んでも笑顔で立ち上がって再挑戦する様が健気だ。

作れっこない姿勢を丁寧に追いかける姿が素晴らしい。

 

家庭に入らないという信念を固持する真波だが、我が子が可愛くないわけがなかった。

 

ただ、母としてではなく一映画人として接するように心掛けた。

そういう目で見た真美は、父と母の才能をちょうど半分ずつ持ち合わせている子供だった。

どちらかを全部受け継いだほうが才能としては価値が高い。

半分ずつというのは中途半端だ。

 

真美が5歳を過ぎた頃から、真波は認識を改め始めた。

何度も繰り返し動きを覚えようとする部分は自分に似た箇所だ。

幾つもの動きが組み合わさった細かい所作を好んで調べようとする感覚は早川に似た箇所だ。

そしてそれはどちらも半分より大きい物に思えた。

 

一発勝負の舞台演劇のようには捉えていない。

芝居を、何度もやり直しが利く物として認識している。

これは映画の芝居の考え方だ。

自分はNGなど見せていないと言うのに。

 

この子は芝居が大好きだ。

だから本質に気づける。

あと、母である自分のことも当然大好きなようだ。

芝居と母親が大好き、というところは自分に似たんだろう、と真波は思った。

 

真波は多忙だった。

他の役者たちは作品を絞って芝居の質を高める努力をしてくれている。

その質の向上に寄与するために、真波は隆盛期以上に多くの映画を掛け持ちした。

主演でなくても構わない。

自分の主演作は年に数本で良い。

 

また、真波は5歳の真美を自分と共演させた。

 

まだ、未完成だ。

人様に見せられるような芝居ではない。

酷い芝居だ。

だが、周囲の者も驚いている。

これほどに正しく芝居の言葉を発せられる子役を見たことがあるか?

ないだろう?

伝統芸能の舞台子役から引っ張って来られた子供とはまるで異質の存在だ。

正しく映画の芝居をしようとする日本で最初の子役だ。

 

映画を見る目に長けた客なら間違いなく分かる。

それだけで映像に乗せる価値がある。

 

 

 

天球メンバーがモブを務めるシーンの撮影が始まった。

夜凪は、新名夏と阿笠みみと日尾和葉との絡みだ。

 

「マキコさんは正確な芝居が得意のようですね。良いことです」

「……。役を貰ったら態度が変わったねえ、あんた。以前は他人を褒めなかった」

 

「カット。新名さん、嫌味を抑えてください。日尾さん、腕組み以外で繋いでください。横山さん、背伸びはもっとだらしない感じで」

 

夜凪は、(よし、ここで鎧を脱ぐ)と決断する。

 

雪ちゃん、横山さんに細かい指示を出した。

モブに出す指示としては異例。

でも、雪ちゃんと犬井さんは勉強会で天球の実力を見ている。

いたしかたなし!

(もうちょっと…)

腕組みじゃ駄目なのか。

厳しいな。

手持ち無沙汰の繋ぎって異様に難しいよね。

(脱げたかな。多分脱げた)

千世子ちゃんは羅刹女でとてもスムーズに切り替えてた。

私もあれくらいスムーズに切り替えられるようになりたい。

(完全に脱げた!)

あとは、カチンコの前のカウントダウンを待つのみ。

「3」が聞こえたら瞬間的に鎧を着る。

間に合わなかったらごめんなさい。

 

カウントダウンが始まった。「3」「2」は発声と手振り。「1」「0」は発声無しの手振りのみ。

「0」の手振りでカチンコが鳴らされる。

カチンコの音を聞いた夜凪は芝居を開始した。

 

「マキコさんは正確な芝居が得意のようですね。良いことです」

「……。役を貰ったら態度が変わったねえ、あんた。以前は他人を褒めなかった」

 

「私は表現を褒められるんだろ? 良いこととは言われないけど…」

 

「カット。新名さん、台詞の後に安堵が見えました。完全に消してください」

「はい!」

 

夜凪は、感触を掴みつつある自身の感覚を確認した。

切り替えは完全に成功した。

それはこのシーンの「間」が長めだからだ。

テンポよく進む撮影に対応出来るほどのスムーズさにはなっていない。

 

…これは良い練習になる。

 

撮影終了後、夜凪は七生と会話していた。

その会話の内容にはおかしな情報が含まれていた。

 

「柊監督、すげえ厳しいな」

「……。うん、厳しい」

 

「あの人、私より年下だろ。すげえわ(大河の監督とか…)」

「雪ちゃんはねえ、なんて言えばいいかしら…」

 

どうすればいいの、これ。

七生さん、雪ちゃんを監督だと勘違いしてる。

というか、雪ちゃんがなんであそこに座っているのか私も理由を知らないわ。

今更だけど、雪ちゃんは監督ではない…よね?

私、間違ってないよね…。

うん、間違ってないわ。

 

「雪ちゃんは、犬井監督の、…監督の犬井さんの秘密兵器です」

 

七生は「ほお、それはそれで凄い」と感心した旨を呟いた。

夜凪は、「雪ちゃんの周囲はややこしい」、と思った。

 

 

 

柊雪作「キネマのうた」第10章の抜粋。

 

真波は、8歳になった真美を「尋常ではない」と考えた。

自分の姿勢を保てるくらいに手足が伸びた8歳の子供。

嬉しそうに映画のワンシーンを演じてみせる真美。

 

(何故その芝居が出来る?)

 

3秒ほどの間に13の演技が詰まっている所作を真美は描いてみせる。

1つ1つは拙いとはいえ、きっちり13個の演技が収まっている。

 

真美は、「褒めてほしい」という表情は見せない。

ただ、「やった、出来た!」という喜びの表情があるだけだ。

そして、真美の芝居のオリジナルである真波のことを褒めてもらいたがる。

周囲の者が「真波の芝居は素晴らしい」と言うと、嬉しい顔を見せる。

周囲の者が「真波は綺麗だ」と言うと、瞳の光が輝くほどに嬉しい顔を見せる。

 

…私のお母ちゃんはすごい!

 

そういう自慢をしたがり、自分自身を褒めてもらおうとは考えていない。

母親の真似をするのが大好きで、1つの所作が出来るようになったら別の所作に挑戦する。

その挑戦を続けていくペースが恐ろしく速い。

 

母を見上げる真美の瞳は、「私のお母ちゃんは世界一綺麗で、世界一凄い」と語りかけてくる。

母として自分も娘を称えてあげなければ、と真波は思う。

だが、どうやって褒めていいのかが分からない。

どういう言葉を使えば、正しく評価した上での褒め言葉になのるか?

 

真波は、監督や他の制作スタッフたちに「真美の芝居を褒めるのは待って欲しい。褒めるのなら、どのような言葉を掛けるつもりなのか、まず自分の耳に入れて欲しい」と頼んだ。

迂闊な褒め方は出来ない。

子供の無邪気さを通り越している芝居に対して、普通に子供を褒めるような言葉では駄目だ。

 

真波は、「よく出来ました」「うまく出来ています」といった最低限の褒め言葉のみで対応した。

具体的に「何がどのように良かったのか」という褒め方はしなかった。

何を言っても「間違い」になりそうに思えた。

そう思うしかないほどの才能だった。

 

それが8歳の真美が見せていた才能の姿だった。

 

 

 

スタジオ大黒天。

夜凪は雪に詰め寄った。

 

「雪ちゃんは監督ではありません。そうです、と言ってください」

「……。そうです」

 

「良かったわ。どうなることかと心配したわ」

「けいちゃん。出来れば順序だてて話してください」

 

「七生さんが柊監督って言ったのよ。すごい! 厳しい! と褒めるの」

「柊監督という言い方が問題なわけですね(厳しい? 褒める?)」

 

「だって監督に見えるわ。雪ちゃんはなんであそこに座ってるの?」

「わかりません…」

 

「……。環さんと銀河鉄道の話をしてはいけない理由は何?」

「厄介なことに巻き込まれそうな気配から逃げたいんです」

 

「厄介なこととは?」

「続きを書くらしいです。環さんには脚本は書けないと言ってあるので、自分が書く物が具体的に何なのかは自分でもわかりません」

 

「阿良也君は、雪ちゃんのことを、俺たちの舞台の脚本を書いてくれる人と言ったわ」

「デマですね。私は続きを、ちみちみ、書くと言っただけです。訂正しておいて頂けるとありがたいです」

 

雪の周囲がややこしいのは、雪の態度にも問題がある、と夜凪は思う。

しかし、多忙な雪を責めるようなことを言うべきではないと夜凪は知っている。

ややこしいことが雪に災いをもたらす前に自分のところで食い止めよう、と夜凪は決意する。

 

 

               第62話「キネマのうた(10)」/おわり




以上が、私なりのアクタージュ「scene185」となります。

原作アクタージュでは「キネマのうた」の設定は、「撮影所時代の日本映画界を支えた大女優である薬師寺真波の半生記」となっています。
大雑把に捉えるなら、これは「1962年に42歳の若さで映画界から去り、その後ずっと鎌倉で隠遁生活を送った原節子(95歳没)の半生記」に該当します。
当然、第二黄金時代(←撮影所時代に合致します)に多くの作品で組んだ小津安二郎が準主役級で登場することになります。
1963年の小津(60歳没)の通夜に姿を見せたのを最後に、原節子が表舞台に姿を見せることは一切無くなりました。

原作者は「キネマのうた」の内容をどうする予定だったのでしょうね。
「原節子の半生記」では、大河ドラマは作れません。
「キネマのうた」の内容には詳しく触れずに(「デスアイランド編」がそうでした)、芝居シーンを幾つか入れながら「役者とは」「監督とは」という論調にするつもりだったんでしょうか?

私が雪に書かせた「キネマのうた」の脚本で、坂田の死とともに第二黄金時代が終わりました。
ここで一度、雪バージョン「キネマのうた」に登場する実在のモデルを整理しておきます。

■人物
薬師寺真波……原節子 + 杉村春子
坂田孝志……小津安二郎
柳田直人……笠智衆
石上嶋子……岩下志麻
土居敏夫……成瀬巳喜男
早川文男……林芙美子(←女性です。雪の脚本内で性別を変えられました)
宝仙通……黒澤明

■映画
「都の哀歌」……「東京物語」
「佐伝の日」……「秋日和」
「きまぐれな人々」……「小早川家の秋」(←フランス公開のタイトルは「最後のきまぐれ」)
「佐伝の旬かな」……「秋刀魚の味」
「食卓」……「めし」
「天界の糸」……「羅生門」
「黒髪譚」……「赤ひげ」
「雇われ小隊」……「七人の侍」

■団体
松菊……松竹
彩方……東宝
園風座……文学座



夜凪は切り替えの練習をしています。
原作アクタージュ[scene104.起爆剤」で黒山が「百城、お前は起爆剤だ。しばらく夜凪の一歩先を歩いてもらうぞ」と言っていた通り、やはり夜凪は一歩遅れているんです。
切り替えをマスターした頃には、千世子は新しい武器を手にしているかもしれません。

千世子、書きたいですね。
しばらく書いてないので千世子成分が不足していますよ、私。
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