夜凪は自分の撮影が無い日に環に電話を掛けた。
環もこの日は撮影がないはずだった。
(今? 天球だけど)
「私も行くわ」
雪の周辺の誤解を解かなければならない。
認識の齟齬を正さなければならない。
ただし、環は手強い。
気を引き締めて臨まないと、雪のようにコロコロと自分も環に転がされてしまう。
(名前が雪だからコロコロ転がされて大きな玉にされるんだわ。そのうち雪ダルマにされるのよ)
夜凪は、ギリッ、と険しい表情を作った。
移動中の電車の車内だった。
自分が思いついたことに自分で笑ってしまうことほど恰好悪いことはない。
(雪ダルマなんてなんにも可笑しくない!)
電車内でくだらないことを思いつくのは危険だ、などと考えつつ、夜凪は笑いそうになる吐息を噛み殺した。
劇団天球に到着する。
気を引き締めて、気を引き締めて、と夜凪は自分に言い聞かせる。
稽古場に入ると、七生がつかつかと歩み寄ってきた。
「景! あんたねえ。履歴書に役名を書けばいいって言ってたでしょ」
「……。言ったわ」
「環さんが、良くない事だからやっちゃ駄目って教えてくれたぞ」
「そ、それは…」
「景ちゃん、おいで。そのへんの認識がどうなっているのか、私はずっと前から景ちゃんと話してみたかったんだ」
こちらに背を向けて胡坐をかいた環が、顔だけを夜凪に向けて、先輩臭がたっぷりと含まれた声を出した。
…まずいわ。お説教が始まりそうな雰囲気だわ。
なんのっ!
先手を打ってこちらから説教を仕掛ける!
それくらいの気概で!
絶対に気圧されちゃダメだ。
環の正面に座った夜凪は、負けじと自分も胡坐に構えた。
この局面では先手必勝を期す!
そういう戦いに持ち込む。
「環さんにお話があります。よく聞いてください」
「ん? いいよ。何だい?」
「雪ちゃんは多忙です。脚本を書く時間はありません。本人も引き受けたつもりはないと言っています」
「そうだね。正式に引き受けてもらうのはまだ先の話だね」
「なので環さんは、雪ちゃんが引き受けた前提で動いてはいけません」
「引き受けて貰えたら、自由に動いていいってことだね?」
「雪ちゃんには時間がないと言っているのよ。雪ちゃんはキネマのうたで過密な毎日を過ごしているのよ。これ以上忙しくさせたら駄目だわ!」
「時間は私が作るっ!」
「……。ど、どうやって?」
「それを景ちゃんが知る必要はない。お話は終わりかい?」
夜凪は、次に続ける言葉を見つけられない。
苦しい展開。
だが、夜凪は自分のところでややこしいことは食い止めると決意したばかりだ。
早々とその決意をへし折られてしまうわけにはいかない。
「雪ちゃんは雪ダルマなんかじゃないっ!」
「いいや、雪ちゃんは雪ダルマだっ!」
夜凪は手詰まりとなった。
訳の分からないことを叫んでしまった上に即答されてしまった。
環は、何を言われても即答する腹積もりだった。
そして、今になって(何だよ、雪ダルマって。めちゃくちゃ巧い例えじゃん)などと思っていた。
「七生さん、なんで笑ってるの。七生さんにも言うことがあるわ!」
夜凪は別の「ややこしいこと」を思い出した。
環から逃げる形にはなるが、一旦話題を変えて、態勢を立て直そうと考えた。
「七生さん、雪ちゃんは監督ではないわ」
「へ? いや、知ってるけど」
「でも柊監督と言っていた」
「柊監督だろ。他になんて呼べばいいんだ?」
夜凪は「そうか、勉強会でそう呼んでたからか」と納得しそうになった。
しかし矛盾点に気づく。
「大河の監督って言ったわ。あの若さで凄い、と」
「言ったよ。でも監督は犬井さんだろ。知ってるよ」
「それは変よ。無理があるわ。七生さんの言い方はそんな感じではなかった!」
「あのね、景。言いたかないけど言いたくなるよ。あの現場を見れば…」
「……。な、何を言いたくなるの?」
「犬井さんって監督の仕事してなくね? 実は監督じゃないんじゃね? ただの真波の技法のチェック役じゃね?」
「……。それは…」
それは現場ではタブーだった。
制作スタッフたちも役者たちも暗黙の了解として、触れないようにしていることだ。
たしかに実質的に監督の仕事をしているのは雪であり、犬井は真波の技法のチェック役と言えた。
冗談でこっそり「犬井監督」を「監督犬井」と呼称をひっくり返す者もいた。
それまでたんに「犬井さん」と言っていたのにわざわざ「監督の犬井さん」と言う者もいた。
だが、犬井本人の耳には入らないように最大限の注意をしていた。
その点について現場は一枚岩となっていた。
七生はあの日、雪のことを「キネマのうたの監督」と認識していて、発言もそういう意図だった。
だが、環からの入れ知恵があった。
なので準備が出来ていた。
夜凪から「私も行くわ」と電話を受けた環は、「脚本のことで揉める展開」を予想していた。
環と天球メンバーは、雪に脚本を書いてもらうことについて利害が一致していた。
つまり夜凪が到着した時には、環・天球サイドの迎撃態勢は既に整っていた。
履歴書の話も「出鼻をくじく」作戦の一環に過ぎず、その話題で夜凪を追求するつもりは最初から無かった。
心の中に空虚で寂しげな風が吹く状態の夜凪は、ゆっくりと稽古場の中央に進んだ。
そして、「キネマのうた」の3話目の芝居を披露した。
周囲から拍手が起こった。
「環さん。ちゃんと芝居に集中しないと駄目なのよ」
「うん」
このやりとりの後、夜凪は駆け足で劇団天球を飛び出した。
…今日のところは引き分けね(←最後に良い芝居を見せたことで夜凪の中ではそういう扱いになっています)。
次はちゃんと勝とう、と決意を固めつつ、夜凪は駅の方へと歩いて行った。
柊雪作「キネマのうた」第11章の抜粋。
映画業界では、「この凋落は需要と供給のバランス調整に失敗した結果」という意見も多かった。
観客動員数の推移を見れば、1960年前後から下降が始まったことになる。
つまり、「年間547本は作り過ぎだった」という考え方だ。
この考え方と「テレビに負けた」という考え方で議論された。
園風座は「今の数字が正常であり、映画人は作品の質の向上に専念するべきだ」という意見を発信し続けた。
真波は隆盛期からずっと人々を観察し続けてきた。
数字だけを追っていては駄目だ。
惰性で映画館に出向く人がいなくなった現状を受け止め、純粋に作品の魅力で勝負する体制を築かなければ、映画は世間から見捨てられてしまう。
自宅に戻った真波は、真美から話し掛けられた。
「お母ちゃん。私は東京五輪は大きく嬉しかった」
真波は合点する。
真美は先刻まで行われていた大人同士の話し合いの場にいた。
俳優連盟の役員たちを交えた話し合いでは、「東京五輪」という単語が頻繁に使われた。
8歳の子供が、自分なりの意見を述べようとしているわけだ。
真美が使う「大きく」は強調の意だ。
「どういうところが嬉しかったか?」
「私が頑張れたところです」
…不思議なことを言う。
五輪の時の真美は7歳。
各種競技のルールも見所も知らない。
せいぜい人々が大騒ぎしている雰囲気を味わうくらいしか出来ないはず。
「真美は東京五輪で何を頑張った?」
「バレーボール!」
真美は、答えた後に真波の背後上方に視線を向けた。
虫でも飛んでいるのか、と真波は振り返ったが背後には何もいなかった。
正面に顔を戻すと、真美がバレーボールのレシーブの姿勢を作っていた。
…なるほど。
頑張ったというのは、選手の動きを研究したという意味か。
真波は、自分が一流の運動選手の動きの真似をしたことがない事実に気づいた。
オリンピックは超人たちの祭典だ。
どの競技にも、普通の人には到底出来ない動きを見せる選手が出てくる。
「バレーボールの他には何を頑張った?」
そう言われた真美は、綺麗な直立姿勢を作り、肩の少し上の高さで両腕を大きく開いた。
体操…、床運動か?
「これはまだ私、出来ないの。出来るようになったらお母ちゃんに見せる」
「そうか。それは楽しみだな」
床運動の動きなど出来るわけがない。
この子は自分が出来ないことを理解している。
ただ、その理由を「自分がまだ子供だから」だと考えている。
「真美は運動選手になりたいか?」
何気なく言ったその言葉に、真美は表情を曇らせた。
真波に駆け寄ってきて抱きついてきた。
「私はお母ちゃんみたいな女優になりたい!」
泣きそうな顔で真波を見上げる真美。
真波は「そうか」と言いながら、娘の頭を優しく撫でてやった。
スタジオ大黒天。
北瀬母子が訪れており、黒山による由衣のレッスンが行われていた。
「出来る気がしない…」
由衣は「弱気」と受け取られそうなことでも口にするように心掛けていた。
挑戦しているのは「カキツバタ」。
由衣は、3人で俳優連盟に出向いた後も自分1人で何度も足を運んでいた。
一通り鑑賞してからは、実際に「キネマのうた」で使う物に絞って研究していた。
まずはこれらを頭に叩き込まねばならない。
目途が付いたら、最後にもう一度全巻を鑑賞するつもりでいた。
…だが、「カキツバタ」が出来ない。
撮影では、他の演技以上に「カキツバタ」を上手に見せなければならない。
作品の狙いの上ではそういう特別な代物だ。
黒山は、丁寧に指導した。
撮影自体に失敗が無いことは分かっている。
現場には真美がいるからだ。
真美の指導が入れば、由衣の演技は軽々と合格ラインに届く物になる。
だが、由衣は自力で何とかしようとしている。
この心意気を尊重したい。
「俺にも、他人の映像作品を見て自分には作れる気がしないと思わされることがある」
「どういう工夫を考えますか?」
「映像作品の場合は、作り方が分からない、と同義になる。部分的でいいから作り方を発見する。全体に到達するまでにかなりの時間が掛かる。しかもそこからが本番だ。1つ1つの作り方に対して、どういう発想をすればこの作り方に至るのかというセンスの領域に踏み込む」
「あたしの場合は本番がありませんね。時間を掛ければ可能な領域どまり」
「そうだな。真美の感覚を捉える必要がないのが大きい。必ずカキツバタは出来る」
「はい」
由衣にとって、「カキツバタ」のフレーム外の不規則な動きは捉えようのない珍妙さの重なりの産物だった。
…主要な5つの動きを後回しにしよう。
技法の「本体」となる5つの動きではなく、間にある意味の薄い動きから覚える。
時間を掛けてもいいなら、そのうち必ず全体が組み上がってくれる。
「小さく上がって、踵はそのまま…」
由衣はしゃべりながらカキツバタの脇役部分に取り掛かった。
いつか雪に言われた「弘法大師の話はきれいさっぱり忘れて、何も考えずに動きだけを正確にやってみてください」という話は、真美を演じる上での「肝」だ。
だから、しゃべりながら練習する。
カキツバタは「演技の狙い」が明瞭だ。
明瞭なだけに、「何も考えずに」が難しい。
「出来た! やった!」
それは全体の中のごく一部に過ぎない動きの再現。
しゃべりながらの練習だと「出来た! やった!」くらいしか由衣には言うことが思いつかない。
でも、よく考えるとこれは小さいながら確実な前進なのではないか。
思いついて口にするのではなく、普通に喜んでいいのではないか?
そう考えた途端、由衣は嬉しい気持ちの波に飲み込まれた。
由衣は、黒山と香の顔を交互に見た。
そして口を開いた。
「やりました。あたし、出来ました!」
黒山も香も優しく頷いてくれた。
柊雪作「キネマのうた」第11章の抜粋。
真美は文代と一緒に映画館に行く機会が多かった。
文代は真波が出演している映画が上映されている映画館を見つけると、そこに真美を連れていった。
真美は「都の哀歌」をとても気に入り、上映期間中には何度も自分を連れていくよう文代にねだった。
5歳の自分が出ている映画を見た時にはがっかりした。
母は素晴らしい芝居を見せているのに、自分は酷い芝居を見せていた。
真美は、「今日の自分から見て昨日の自分は駄目だ」、という考え方をする子供だった。
3年前の自分は目を覆いたくなる酷さだった。
そして、1つの事実に気づいた。
五輪選手の真似は、ずいぶん前の出来事にも関わらず「駄目」とは思わない。
上手く真似が出来ていると認識している「レシーブの動き」についても同様だ。
真美はその理由を文代に尋ねた。
文代は少し考えて、
「とても難しいからじゃないかしら。レシーブは真美が想像するよりずっと難しいんですよ」
と答えた。
真美は、その回答にすごく納得してしまう自分に気づいた。
何がどうなっているのか判らないほどに難しい物は、いつまでもそのことが気になる。
レシーブについても、真似には成功していても実際に自分がボールを受けたらボールを明後日の方向に弾いてしまう想像がついてしまう。
「おばあちゃんはいいことを言う」
「そうかい?」
「おばあちゃんは、質問に答えるのがとても上手です」
「そうかねえ?」
真美は自分がずっと抱えている難題について文代に聞いてみることにした。
「お母ちゃんのしゃべりは大きく難しい。私に出来るようになりますか?」
真美にとって、芝居で使う真波の口調は恐ろしく難しい代物だった。
動きよりもしゃべりのほうが難しい、とずっと思っていた。
自分の声音をコントロールすることは難しい。
喉は、手や足のように自由に動いてくれない。
「真波の母親の道子が難しいしゃべりを得意としていました。真波をそれを見て育ったからしゃべりが上手い。真美も真波のしゃべりを見て育っているから出来るようになるでしょうね」
「そうかあ…。おばあちゃんはいいことを言う」
真美が使用する「いいことを言う」は何かの芝居で使われた台詞の流用であり、真美は使い方を正しく理解出来ていない。
真美の普段の言葉には、こういった「台詞の流用」が数多く混じっていた。
「芝居とはしゃべることとみつけたり」
「ふ、ふふ…」
文代は、真波が「真美の芝居の評価」に対して慎重に接していることを知っていた。
なので、「芝居では動きもしゃべりもどちらも大切です」などと言わず、ただ笑って話を流した。
第63話「キネマのうた(11)」/おわり
以上が、私なりのアクタージュ「scene186」となります。
自分で書いてみて驚いたのですが、真波と真美のやりとりが予想以上に微笑ましいです。
この8歳の真美は皐月が担当します。
おそらくすごい完成度で「真美」を演じ切ります。
かなり可愛くなりそうです。
由衣は大変ですね。
脚本家(雪)からの要求がとても高い役です。
まあ、本番までには何とかしてくれると思います。
そしてまた環がイタズラな感じになってしまいました。
健気に雪を守ろうとする夜凪は、環には勝てないのでしょうか。
そろそろ誰かが環にがっつりと説教をくらわせないとマズイ気がします。