『エスタージュ(S-tage)』(「セカンドステージ;役者と監督のその後」) 作:坂村因
映画「傾いている道」のシーンの撮影が続いていた。
「OKです」
その声を聞いた夜凪は、(楽しいけど、苦しい)、と思った。
待機中の役者たちがいる席に戻り、座って息を吐く。
ぽんぽん、と軽く叩くような要領でタオルで顔の汗を取る。
夜凪は、「夜凪の真波」が見せるべき表現に苦しんでいた。
真波は、坂田の注文に次々と応えてなお「在庫はビクともしない」という余裕を持っていなければならない。
現実の夜凪は、NGを繰り返してようやく芝居を成立させている。
まず、このギャップがどうしようもない現実として夜凪を悩ませる。
真波は、練習量の多さで1つ1つの演技を固めた人だ。
それらの演技は単品でも「表現」としての性能が高い。
しかも、「部品」としての機能も高く、他の部分と手を繋ぐための腕まで備わっている。
よく練られている。
まるで、分子と分子が結合して化合物を作るような発展性と変化力がある。
現状、意図的に作った「余裕」を演技に混ぜ込んでお芝居をしている。
理想は、本当に余裕がある状態でお芝居をすること。
「おつかれ。夜凪さんはすごいねえ。今の感じで良いと思うよ」
話し掛けてきたのは加賀。
夜凪は、隣に座っているのが加賀だと気づいていなかった。
いつ隣に人が座ったのかすら気づかなかった。
「いえ。既にいっぱいいっぱいですよ、私…」
「まだ余力があるように見えるんだけどなあ」
「……。」
そうか。
作り物の「余裕」でも、見る人からすればそう感じるのか。
私が薬師寺真波ほどの実力者である必要はない。
芝居の中で、そのように見えるだけでいい。
作り物の「余裕」を絞り出す力さえ尽きてしまった時が、私の本当の限界だ。
あ。
このタイミング…。
私が一番キツイところに差し掛かっていることが判った上で、わざわざ声を掛けてくれたんだ。
「ありがとうございます。なんとかやり切ってみせます」
加賀は、「うん」とだけ言って席を立った。
ベテランからの助言として「今のままでいい」と教えてくれた。
実際は、自分が芝居をする様子はすごくキツイように見えているんだろうなあ、と夜凪は思う。
でも、今のままでいい。
このまま踏ん張れば、「真波」を演じ切れる…。
柊雪作「キネマのうた」第14章の抜粋。
屋外ロケ。
街中を大学生の女友達3人組がおしゃべりしながら歩くシーン。
真美はリハーサルの場にスポーツウェア姿で現れた。
ノーメイクで髪型も適当なまま。
共演する他の女優たちは、服装もメイクも本番用の物に仕上げて臨んでいる。
監督から何か言われる前に真美は、
「テストからはちゃんと整えられますので大丈夫です」
と、そんな言い回しを使った。
これは、道場破りにおいてあらかじめ決められている手順だ。
真美は、リハーサルはスポーツウェア着用でこなすようにと真波から言われている。
つまり、あえて衣装やメイクに頼らずに芝居をすることで「力量」を見せつける狙い。
どうせ、このリハーサルは時間が掛かる。
簡単には終わらない。
簡単に終わるようでは、真美の芝居は失敗ということになる。
リハーサル開始。
3人は他愛もないことをしゃべりながら繁華街を歩く。
身長は問題ない。目線の高さはほぼ変わらない。
普通の体格の大学生で通る。
真美の身長は12歳としては高めの157センチ。
ちょうど日本女性の大人の平均身長くらいだ。
監督がパン、と手を叩いた。
演技終了。
監督は3人の方に歩いてきて、真美以外の2人にあれこれ説明を始めた。
真美は、後ろ歩きで、すっ、とその場から距離を取り、やや離れた場所に立った。
スポーツウェアの上着のポケットに両手を突っ込んで、監督の話が終わるのを待つ。
…このあたりのさじ加減が難しい。
生意気に見られても弱気に見られても駄目。
ほんの少し強気に見える態度、…それが道場破りで真美に要求される振舞だ。
女優の1人は、ちゃかちゃかした手足の動きで愛らしく見えるような歩き方をしていたらしい。
監督から「普通の歩き方は出来ないか。しゃべり方も」と言われていた。
女優は「えー、可愛いのは駄目なんですかぁ」と答えた。
…真美は思う。
監督に対して随分気安い態度だなあ
もしかして2人とも女優じゃないのかな
役者が本業ではない人気タレントがドラマに抜擢されてるだけ?
もう1人の女優は、歩き方もしゃべり方もぎこちなかったらしい。
こちらは「何がダメだったか分かりません」と監督に反発していた。
真美は、土居をちらりと見た。
土居は、(まだ自分の出番じゃない)、を意味する腕組みのまま。
「テスト、いきまーす」
スタッフが進行を告げた。
真美は、(失敗か)、と思いつつ、
「遠山監督。テスト本番無しでしたよね。私は本番から衣装とメイクをしてきます。我が儘言って申し訳ありません」
と頭を下げる。
テスト開始。
1回目のテストの後、カメラマンが首を横に振った。
監督が再び2人に説明をする。
真美は、後ろ歩きで遠ざかって、インポケットで待機。
横目で見た土居は腕組みのままだ。
「本番、いきまーす」
この声を聞いた真美は、簡易フィッティングルームに急ぐ。
服を着替えてメイクを始める。
自分でメイクをするのも道場破りの手順の1つ。
専門のメイクさんに頼むと派手目に塗られる上に「役柄」に合っていないことがある。
下手すれば、専門家でもなんでもない人がメイク係だったりする。
結局自分でやった方が出来が良くなるし、所要時間も短く済む。
エキスパートと適材適所がまだ十分に機能していないテレビ業界。
大きく肥大中のテレビ業界は、まだそんな混迷の中にある。
MHK放送センター。
環は、(さあ、ついにこの日が来たか)、と気合いのノリも良くスタジオ入りした。
環の出番が中心となる「キネマのうた」の撮影が始まる。
その初っ端がいきなり「都の哀歌」のシーン。
スケジュール管理に難儀する「都の哀歌」は、必要な役者が揃っている時に一気に進められる。
放送順とは異なり、まずこの大物作品のシーンが環の出番となった。
環は、「我ながらやりすぎだろう」と思えるくらい稽古を積んできた。
スタジオ内を歩く足の踏み込みも自然と力強くなる。
(私の「銀時計」にシビれるがいい)
歩きながら御機嫌にそんなことを考える環だが、この日の撮影にそのシーンが含まれないことくらいちゃんと知っている。
尾道の家のセットではなく、東京の息子の家のセットが使われる撮影だ。
リハーサルが開始されてしばらく経って、
「環っ! 真面目にやれっ!」
「すみませんっ!」
犬井からお叱りの声が飛んできた。
え?
今、リハーサルだよね…
そりゃニヤニヤしてた私は不真面目に見えたかもしれないけど
リハーサルってこういうもんだよね
全体の流れを見るもんだよ
なんで私、叱られたの?
…環は理解する。
そうか。
「私の真波」が演じる「玲子」は、ほぼ台詞が無い。
だから、すこーしだけニヤついた顔を晒してしまったわけだが。
台詞が無くても玲子の芝居が最重要であり、カメラも玲子をメインに追う。
つまりっ!
犬井さんは私の「玲子」の仕上がり具合を見たいんだ。
リハーサルから見たがるということは私の仕上がりを不安視してるんだ。
なるほどね。
環は準備万端だ。
2人の鬼を納得させて、さらに「その上」を披露してびっくりさせる準備まである。
上手い芝居を見せて人を驚かせるのが好きな役者だった真波。
実に「真波」らしいではないか。
リハーサルの2回目が始まった。
「環さん。もう少しちゃんと演じてもらえますか」
今度は雪からの駄目出し。
おや?
今、私は相当ちゃんと芝居をしたぞ
なぜそんな言葉が出てくる…
リハーサル3回目。
「環さん。もっとしっかりやって下さい。お願いします」
いやいや
ほぼ本番並みにしっかり演じたよ?
なにこれ…
なるほど、そうか
そうか、そうか、そうか
雪ちゃん、あんたそう来るか…
江戸の敵を長崎で討つつもりだっ!
ふふっ
リハーサル4回目。
環は、鬼2人を納得させる予定だった本番仕様の芝居を披露した。
「出来るじゃねーか。最初から手を抜かずに見せてくれよ。こっちはリハで流れを確認したいんだ。真面目にやれって、そういう意味で言ったんだぞ」
「はい。すみません」
犬井と雪が相談していた。
「次、本番でいいんでしょうか」
「どうだろ。テスト本番で映像確認した方が良いかもしれん…」
「私は今のリハならもう本番でいいと思いました」
「俺は環をよく知ってるからなあ。どうも気合いが入ってない」
そんな相談だ。
「次、本番で大丈夫です。私はいけます」
環は強気に発言した。
そう。
犬井は分かっていない。
環は十分に気合いを入れて臨んでいた。
というわけで本番の撮影となった。
他の出演者たちは大量の台詞を並べていく。
リハーサルでは「うめぇ」と思いながら眺めていた環だが、今はそんな余裕は無い。
飛び交う台詞に合わせて細かく表情を変える。
視線を動かす。
用意していた「その上」を引っ張り出すしか無かった。
それは極めて高い完成度に到達した「真波の技法」を隙間なく連結した素晴らしい芝居。
「カット! 環さん。もっとスムーズに繋げられませんか」
「……。はい」
2テイク目。
環は1テイク目を、ギアを上げ過ぎたことで過剰なメリハリが生じてしまった、と分析した。
なので、繋ぎ目の滑らかさを重視して演じた。
「カット。環、演技が弱くなった。なんで1テイク目より悪くなるんだ?」
「……。」
いや、だって…
雪ちゃんのリクエストに応えたらこうなるよ
犬井さんが希望する1つ1つの技法がしっかり演じられている芝居にはならない…
「…。すみません」
3テイク目。
環は真ん中あたりを探る。
犬井と雪の要求に同時に応えるポイントを…。
「カット! 環さん。ぎこちないです」
「環。演技が弱いままだ」
「待ったああっ! お二人さん!」
環は大きな声を出した。
「え」
しかし、環の目に映ったのは、自分の大声に対して素で「え」と目を丸くする犬井と雪の表情だった。
「え?」
こっちの「え?」は環の声。
環は、犬井と雪が無茶なことを言っていると指摘するつもりだった。
だが二人の表情を見る限り、どうやら本気で戸惑っている。
何がどうなっているのか、この撮影現場は…。
「失礼。えーと、私、環蓮はきっちりと求められた芝居に応えるつもりです。つもりではありますが、主演の芝居はずっとこんな調子で進行するのでしょうか?」
本来言うつもりだったことを放棄した環は、代わりとなる良い言葉を思いつけなかった。
なので、そのまんま今知りたいことを訊いた。
つまり、この厳しい現場は何なのか、ということだ。
「えと、主演だからとかではなくて、…たとえば、そう。…正面ピン撮りの撮影はもっとずっと厳しかったですよ」
「それは景ちゃんの撮影?」
「夜凪さんの技法連発シーンもずっとキツイ内容だった。夜凪さんは全部やり切ったぞ」
「なるほど。わかりました」
環は思う。
景ちゃんの裏切り者
と。
景ちゃん…
私を置いていかないと誓ったあの握手は偽物だったのかい?(←環が一方的に手を握っただけです)
しかし、私は主演
いいだろう
見せてやろう、その底力を
たとえ100回NGを出しても最後には必ずOKの2文字をもぎ取ってみせよう
「承知しました。やり切ってみせます。4テイク目、お願いします」
柊雪作「キネマのうた」第14章の抜粋。
真美の衣装はオレンジ色の襟無しブラウス、ベージュに花柄刺繍の入ったミニスカート、焦げ茶色のパンプス。
すべて園風座にあった物を持ってきた。
メイクは、アイラインだけやや強気に引いた。
チークやルージュは薄くあっさりまとめた。
手鏡で幾つかの角度から自分の顔を見て、(これで良し。表情でこれを19歳にする)、とチェックを終える。
…所要時間4分。
こんな作業は本番前に皆で揃ってやるものだ。
リハーサル前に多くの時間を消費して行うのは、効率が悪い上に他の役者に迷惑だ。
真美は、カッ、カッ、と軽妙な足音を鳴らしてカメラ前へと戻った。
暢気に座ってジュースを飲んでいた共演者2人は、「え、早い」、と呟きながら急いでカメラ前に向かった。
そして、専属のメイクを呼んで10分掛けて外見を整えた。
迅速に本番の撮影へと移る。
繁華街の使用には時間制限があり、その大事な時間を2人の女優がメイクで30分以上潰している。
カチンコの音とともに真美は視線を遠くに向けた。
そして、何かに気づいたように並んで歩く2人に顔を向けた。
視線を下げ真ん前の路面を見て、台詞を口にする。
そしてそのまま微笑。
真顔になって再び2人に顔を向ける。
「カット!」
カメラマンが「駄目ですね」と呟いた。
監督が映像をチェックし始め、2人の女優を呼んだ。
真美は、椅子に座ってその光景を眺めた。
画面を見ながら懸命に説明をする監督。
画面をじーっと見つめる女優2人。
(なぜ役者が画面で確認するんだろう)
しばらく経って監督が真美の元にやってきた。
もう少しぎこちなく演じて欲しいという耳を疑うような要求だった。
他の2人の芝居の稚拙さが目立ってしまうのが困る、とのこと。
ここで、土居の出番となった。
土居は、記録として映像が残ってしまうのにそんな要求を呑めるはずがない、と譲らなかった。
そして、
「私が指導してみましょうか」
土居は、そんな有難い申し出をした。
宝仙の連勝をとめた監督。
坂田亡き今、国内随一の技巧を操る名監督である土居の演技指導。
有り難くないはずがない。
しかし、遠山監督はその申し出を断った。
真美は、
(あー、監督さん意地張っちゃったなあ。もったいない)
と思った。
その後の本番はNGが続いた。
そのうち女優は泣き出してしまった。
この2人の女性は美人だからという理由で女優業を始めた。
本当はアイドル志望だが、アイドル界は超激戦地であり半端な者が入れる余地など無かった。
そんな消去法由来の女優。
非道い現場だった。
まともな映像が撮れたのかどうか真美には分からなかった。
本番以外での口数を少なくし、(どうか火の粉が降りかかりませんように)、と祈りながら過ごした。
真美は思う。
テレビ関連でも、もっとちゃんとした役者と共演する機会もあるはず。
真波がまず「19歳の大学生」を選んだのは、おそらく共演者のことを知っていたからだろう。
道場破りの雰囲気に慣れるために、手軽に勝てる場を用意してくれたわけだ。
その後、真美の予想通り「本物の役者」と共演する仕事が入り始める。
真美は、時に土居から演技の助言を貰いながら、色んな撮影現場を渡り歩いていく。
真波が用意した真美用スケジュールはかなり過密だった。
スタジオ大黒天。
北瀬母子が来ていた。
何度も通っているため、由衣も香もかなり馴染んでしまっていった。
香は、テレビの前でリラックスしてルイとレイと遊んだりするようになった。
由衣は、口調や態度から緊張や固さが抜けていた。
「あああ。強者感が出ないー。出ないー。どうすんだ、これ。強者かぁん!」
由衣のこの言葉に、黒山は困っていた。
芝居について「上手く出来てる」と褒めたら、この発作のような反応が始まってしまった。
「柊ー! ちょっと来てくれー!」
由衣は雪に懐いており、慕っているので、こういう場合は雪の出番となる。
「はーい」
PC室から声が聞こえた。
そして、
「なんでしょう?」
と、お気楽な感じで登場した雪。
「柊監督! あたしは柊監督を信じていた! 今でも信じていますっ!」
「は、はい」
「あたしの強者感はいつ現れるでしょうか?」
「あー…」
由衣の言う「強者感」とは、真美が道場破りをする際に放つオーラを指している。
雪は、真美を演じる芝居が完成したら自然とオーラも生まれるはず、と由衣に説明していた。
由衣は真面目なので、真美を演じる芝居の稽古を重ねて重ねて重ねまくった。
雪の目から見て、その完成度も練度も合格点だった。
なのに、オーラが生まれない…。
由衣はメソッド演技法に向いていない性格をしている。
なので、その人物に成りきって迫力を出すという夜凪のような真似は出来ない。
「あたしはこのまま真美の芝居を練習し続けたほうがいいと思ってるんです。でも、そろそろ出てきて欲しいなー、あたしのオーラ…。と、少し悩んでいる訳です。少しだけですよ。ほんと少しだけ…」
雪は心の中で頭を抱える。
はっきり言って、打開策が何も思いつかない…。
第66話「キネマのうた(14)」/おわり
以上が、私なりのアクタージュ「scene189」となります。
環については許してあげてください。
ずっと自分の出番を心待ちにしていたんです。
準備も万端で、早く「キネマのうた」の主演として芝居がしたかったんです。
なので少々舞い上がっています。
撮影現場の空気に馴染んだら、その高い実力を発揮してくれるはずです(たぶん)。
夜凪は、きっちりと「夜凪の真波」を演じ切ったようです。
かなり厳しい撮影だったはずなのに、さすが景ちゃん。
真美の道場破りの話はもう少し続きます。
この頃のテレビ業界は本当にカオスだったんですよね。
なまじコンテンツとしてのポテンシャルが高いので、関係者たちは濁流に巻き込まれている状態でした。
とにかく勢いが凄かったわけです。
冷静さを失ったテレビ関係者の酷いエピソードも残ってますね…。
そしてこの「キネマのうた」は「このままではテレビ業界は駄目になる」という思いから企画が始まっています。
なんだか、皮肉です…。
そして由衣の悩みは難しいですね。
雪はどんな手を打つんでしょう。