セカンドステージ (役者と監督のその後)   作:坂村因

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第67話 「キネマのうた(15)」

まだOKが出ない「都の哀歌」の芝居が続いていた。

カメラは回っておらず、環以外の出演者は休憩している。

環が、1人でやらせて欲しい、と言い出したのでこういう状況になった。

 

まず技法を並べる

きっちりと表現するためには演技の輪郭を明確に伝える必要がある

そうすると一連の動きから滑らかさが消える

 

何度やってもそうなる

 

しばらく黙々と所作を繰り返していた環は、

「両立させるコツとか、何かあるかな? 私は家でこの芝居を繰り返し練習してきたし、今も繰り返してるけど進歩が見えないんだ」

と、犬井と雪に尋ねた。

 

 

…そして環は見てしまった。

 

 

自分の言葉を聞いた犬井と雪が、この世の終わりのような顔になった瞬間を。

 

一瞬ではあったが、絶望感で色を失った表情が、たしかに見えた…。

 

「何かありますか? 私はあまり詳しくないので」

「そうだなあ。んー」

 

動揺を隠しつつそんな会話をする2人。

 

うわあ

あんな表情をさせてしまったぞ

すごい顔だった

不意を突かれた時の「本音」の顔だった

マズイ…

完全に絶望の顔だった

 

環は、2人が見せた表情について考える。

 

初日に大演説をした自分。

「キネマのうた」はすごい作品になる、と言い切った。

鬼みたいな監督2人がそうするつもりだから、そうなる、と指摘した。

役者陣には制作陣の思いに応える準備がある、と宣言した。

主演だから、自分が皆の代表として、宣言した。

 

こちらにはその覚悟があるので、妥協せずに貫いて欲しい。

 

そのリクエストに応えて進めてくれた。

クオリティを維持してここまで持ってきてくれた。

他の出演者もそれぞれの役目を果たしてくれた。

 

まさかね

言い出しっぺの私が躓くとは思わないよね

そりゃあびっくりするよ

不意を突かれるよ

 

絶望するよ

 

文句なしにパーフェクトだったさつき

NGを重ねながらも演じ切ったという景ちゃん

 

私のところでその流れが台無しになる…

 

「け、景ちゃんの映像が見たい! 見せてもらえますか!」

「…! はい。用意します!」

 

環の要求に、雪がすぐ返事をした。

 

環は、犬井がキョロキョロしたことに気づいていた。

あれは真美を探す動きだ。

真美は今日もスタジオ入りしているが、今この場にはいない。

それは、役者としての環の技量を真美が信頼している証拠とも言える。

 

そして、犬井にとって「30テイクの真美」はこういう時の頼みの綱になっている。

 

とは言え!

 

とは言え、38話に渡って自分の芝居をずっと世話してもらう訳にはいかない。

別に私のプライドの問題じゃない。

それで作品が良くなるならプライドなんて幾らでも引っ込める。

でも、これはそういう話じゃない。

現実問題として、出演者の中で飛びぬけて出番の多い自分の芝居に付きっ切りになってもらうのは物理的に無理という話だ。

 

…夜凪の芝居の映像が用意された。

 

環は、ギッ、と目を鋭くして映像を見つめる。

11話目のシーンを演じる夜凪の芝居。

 

余裕?

景ちゃん、この芝居でまだ余裕がある?

 

「けいちゃんの余裕は演技です。実際は必死でした!」

 

…環の表情を見て察するものがあった雪はそう声を掛ける。

 

演技…

そういえばそういうシーンだった

坂田に対し、撮影所代表として圧巻の芝居を見せつけるシーンだ…

 

景ちゃん、私が今やってる芝居より難しい芝居を演じてる

ものすごく上手に演じてる

そこに演技で「余裕」を上乗せしたのか

 

こんな難しい芝居をこんな上手に演じて

さらに上乗せ…

 

環の脳裏に、オーディションの時の夜凪から感じた「予感」がよぎる。

うっすらと、しかしねっとりと、自分にまとわりついてきたあの時の予感…。

 

 

 

 

景ちゃんは、私と違って特別な才能を持った役者だ。

 

 

 

 

私と違って…。

 

「環っ! お前は大丈夫だっ!」

 

突然の犬井の大声だったが、環の身体は固まったまま動かなかった。

ピクリという小さな動きすら無かった。

 

「俺はお前がどんな女優か知っている。その俺が大丈夫と言ってるんだ!」

 

環は動かない。

環の身体の上で動きを見せているのは、ポトリポトリと続け様に滴っている涙だけだ。

 

「お前と夜凪の違いは、作品との相性だ!」

 

夜凪…

犬井さん、景ちゃんを呼び捨てにした

呼び捨てにすることで私と並べた

私に気を遣ってる

私は気を遣わせている…

 

「意識を巧く分散させる技術はお前の長所だ。大きな武器だ。それが今回は裏目に出る。それだけだ!」

 

雪は黙っていた。

犬井に任せるしかないと判断した。

 

「バランサーを兼ねるお前は同時に複数の情報を的確に捉える。すごい技術だ。誇っていい。薬師寺真波もそういうタイプの女優だった!」

 

そう

私も同じように考えてた

 

「だが、薬師寺真波のような唯一無二の女優に、簡単になれると思うんじゃねえ!」

 

「…!」

 

環は顔を上げた。

壊れた水栓のように止まらない涙を伝わせながら、犬井の顔を見た。

 

「薬師寺真波は他の追随を許さない実力を持ち、さらに周囲に広く目を配らせる役者だ。比べりゃ、お前も夜凪もひよっこだ」

 

「だ…、でも…」

 

「夜凪のような一点突破型の集中力タイプの方が、瞬間的には大きな力を出す」

 

「……。」

 

「芝居に関して言えば、一時的に夜凪はその域に届く。それだけのことだ」

 

「出来ないよ、私…。景ちゃんみたいに出来ないよ…」

 

「出来るっ! さっきからそう言ってる。お前には出来るっ!」

 

雪は、自分の中の複雑な心情が顔に出ないように気をつけながら考える。

 

雪は知っている。

夜凪の凄さを。

以前から知っていた…。

 

なので、ベテランや実力派の役者たちが夜凪によって心をへし折られる光景を今後何度も見ることになるだろうな、という予測を抱いてはいた。

ただ、その光景を今この場では見たくない。

 

「…。雪ちゃん。何度も私に…、キネマのうたに集中してほしいって…。言ってたね。…ごめんね…」

 

環の涙がさらに少し勢いを増した。

名指しで話を振られた雪は、隠しているつもりの自分の心情が環に伝わってしまったのかもしれない、と思う。

 

「なあ、環。別に難しい話じゃないんだ。泣きながらでいいから、俺の話をしっかりと聞いてくれ」

 

犬井は、優しい口調で語り始めた。

 

「お前も夜凪も鳴乃も、薬師寺真波みたいになる必要はない。なろうとしてもなれないからな。俺が、よし、俺はフランシス・コッポラみたいな監督になろう、と考えて、コッポラみたいになれるか? なれないよな」

 

「役者は、その人みたいになるんじゃない。その人を演じるんだ。薬師寺真波役を与えられたら、薬師寺真波を演じる。当たり前のことだ。どうだ、俺は当たり前のことしか言ってないだろう」

 

「演じる対象が薬師寺真波だったらどうすればいいか。芝居をしている真波だ。そう見えるように、お前は真波を演じればいい。真波の芝居は難しいが、お前は稽古の積み重ねでそれを演じられるようになった。本番では、そのことだけを考えればいい」

 

「どうだ、難しい話じゃないだろう。ただ、演じるだけだ。稽古で出来ていたことを本番で出すだけだ。演じることだけに意識を向ける。何々型とか何々タイプとか関係ねえ。ただ、演じる。演じることに意識を向ける。環蓮の実力なら、それで届く」

 

真美は、スタジオの上の方の席に座っていた。

そこから、この監督と役者のやりとりを眺めていた。

自分の出る幕ではないと考え、真美は黙ってただ眺めていた。

 

犬井の言葉は続く。

 

「基本は真波の技法を明瞭に表現する演じ方でいい。俺の目から見て1つ1つは合格ラインだ」

 

「柊さんから出される、滑らかに、に対しても演じ方を変えなくていい。より丁寧に、より正確に、を意識していれば自然とクリア出来る」

 

環は、

「…はい。ありがとうございます」

と、言葉を返した。

まだ、涙は止まっていなかった。

 

犬井は環の表情を確認する。

環はまだ気持ちが混濁している…。

犬井の目にはそう見える。

 

「環! やれるか? 今日はもう休むか? 別に休んでもいいんだぞ」

「……。休みません。やります…」

 

「やれるんだな? 無理だと俺が判断したら俺がとめる。いいな?」

「…はい」

 

「じゃあリハーサルからやるぞ。準備は出来てるか?」

「はい」

 

「よしっ! やろうか!」

「はい。やります」

 

犬井はずっと環の目を見ていた。

そして、目に灯がともった、と感じた。

まだ弱々しくはあるが、目の光が戻りつつある。

環の気持ちは浮上しようとしている。

 

犬井はセットの真ん前の位置に立った。

座って待っている共演者の方を見た。

 

「では、リハーサルからやります。待機していた役者も入って下さい」

 

犬井は進行を告げた。

セットの上に出演者たちが入っていった。

 

 

 

リハーサルが始まり、雪は全体を見ていた。

必然的に目に入る環の動きには何の問題も無い。

あくまでリハーサル段階では問題が無いという意味。

 

「テストに入ります。カメラ、お願いします」

 

雪の判断でテストに移行することになった。

現場でこういう判断を雪が下すことは珍しくなくなっていた。

いつも通りの進行だ。

 

カメラマンから、

「環さんのメイク以外、問題無しです」

と、報告された。

 

犬井と雪の目から見ても、テストの芝居に問題は無かった。

 

環のメイクの直しが行われた。

涙は既に止まっていた。

 

「本番いきます」

 

これも雪の声。カチンコを鳴らすのも雪の役目だ。

犬井は、「全員」の技法をチェックするための厳しい目つきになっている。

雪は、「全体」を見るための厳しい目をセット上に向けた。

 

共演者たちの台詞は多い。

でも、台詞の練習は何百回もやっているはずだ。

今さら本番でそれが十数回増えることを負担に感じる役者はここには多分いない。

求められる芝居の難しさもまるで違う。

 

環の芝居は、…やはり、ぎこちない。

 

「カット。もう一度お願いします」

 

雪は、具体的な指示の言葉を使わなかった。

映像を確認するまでもない。

今のはNGテイクだ。

 

「カット。もう一度お願いします…」

 

撮影現場には、雪の同じ言葉が何度も投げ掛けられる。

 

そして、やり直しから数えて本番の12回目となるテイク。

 

「カット! そのまま少々お待ちくださいっ!」

 

今のは良かった。

雪はそう判断して映像のチェックに入る。

犬井も映像を覗き込む。

 

うん。やはり良い。

これはOKテイクにしても大丈夫なレベル…。

この難しい芝居を淀みなく演じ切れるのは流石の実力者。

環さんはすごい役者さんだ。

大河の主演に選ばれるに相応しい役者による一流の芝居だ。

 

でも…、と雪は思う。

 

(けいちゃんの完成度には届いていない…)

 

この判断は難しい。

どうする…?

 

カットの声の後の環の様子を雪は観察していた。

気力が途切れていない表情だった。

このテイクがNGだったとしても次のテイクに行く準備が出来ていた。

 

今の芝居には本人も手応えがあったはず。

その芝居にNGが出されるのはキツイだろう、と雪は思う。

実際、これでOKテイクに出来る。

そんな芝居だった。

 

雪は小声で犬井に話し掛けた。

 

「私はこれでOKテイクにして良いと思っていますが…」

「分かるよ。夜凪さんの域には届いてない…」

 

犬井は即答だった。

犬井もきっちりと理解している。

 

そう。

この判断は難しい…。

 

 

 

柊雪作「キネマのうた」第15章の抜粋。

 

土居は多忙だった。

58歳になる土居は、自分が培ってきた物を後発の者に伝えたい、という気持ちが強くなっていた。

 

真美の道場破りに付き添っている状況で、大船撮影所の新作映画の監督は務められない。

そちらは後輩の前島という演出家に監督を任せている。

園風座の撮影現場をずっと見てきた前島は、真波の理念の厳しさも難しさも理解している上に、演出家としても筋が良い。

同時進行で撮影されている今の大船撮影所の映画を経験することは、前島にとって成長の良い機会になる。

 

土居は、大枠となる演出方針を決め、撮影が進む度に内容をチェックしていた。

具体的な演技指導は、現場にいる前島が行う。

そして、前島から出される個々の質問に答え、土居自身の考えも伝えた。

そのための時間は、どうしても必要不可欠だった。

 

真美の芝居に関しては、厄介な指示は不要だった。

土居は、真美が真波の演技を相当数表現出来ることを知っていた。

真波の演技の中で具体的にどういう物が使えるかを教えるだけで良かった。

真美自身がある程度は組み立ててしまうので、真美の理解や判断が追いつかない部分を土居が補った。

 

問題は、真美の仕事の多さだった。

内容は、単発のドラマと映画が主だ。

真波は、真美に連続ドラマの掛け持ちはさせなかった。

 

ロケ撮影やスタジオ撮影に動き回る真美に、土居は必ず付いていった。

そんな感じで、前島と真美に関わる土居は多忙だった。

 

今のテレビ業界を「GHQの制限が解かれた直後の日本映画業界に似ている」と表現した真波の言葉に、土居は感心した。

さらに、「テレビ業界には宝仙に相当する存在がいない」と指摘したことに感服させられた。

 

早い段階からテレビ対映画の図式を見据えていた真波は、競う相手であるテレビ業界の状況を詳しく正確に把握していた。

 

かつての映画界は、成長するための栄養をたっぷりと与えられ、制御不能な速度で伸びていった。

そして今のテレビ界は同様の「制御不能」の道を辿っている。

映画の時と比較して、動く企業や人の数も、回っている資金の額も、テレビの方が規模が大きい。

その分、制御不能の度合いも高い。

 

映画には、宝仙が作る流れがあり、かろうじて「方向」は定まっていた。

テレビにはその方向の指針がない。

 

 

 

映画「フィーリング・エリア」で、中学2年生の14歳の女の子を演じる真美。

ほぼ主役級の登場人物だ。

そんな責任ある配役を任された。

そのスタジオ撮影の2日目となる現場。

 

真美は、真波のように「生来の激しい気性」なんてものは持ち合わせていない。

感情の起伏自体は大きいが、それが「怒り」に代表されるような激しい代物になることは少ない。

 

なので、この現場に対して、

(ちょっと苦手だなあ)

と感じていた。

 

15歳~18歳と思われる脇役の共演者の女優たちが、なんだか妙に「ガラの悪い人たち」だったからだ。

楽屋での言葉遣いや態度が悪い。

マネージャーには命令口調。

 

真美は別に、怖い、と思っている訳ではない。

揉め事が起こったら面倒だ、と思っている訳でもない。

どこかで一度きつく叱りつけたほうがいいのかなあ、等と考えている。

そして、そういう行為が苦手だと感じている。

 

この日は真美が演じる女の子の母親役の女優が初めてスタジオ入りする。

ガラの悪い女優たちは、全員がその40歳くらいの女優のもとに挨拶へと向かった。

主役級の真美を差し置いて、その女優は個室の楽屋を与えられていた。

 

真美は挨拶に行かなかった。

園風座では、そもそも挨拶が軽視されている事情も少なからずある。

そして、「役者同士なら絶対に譲るな」と真波から言われている。

この場合、役が自分より下の女優に対して「わざわざ挨拶に出向く」という選択は間違っている、という話になる。

譲るな、というのはそういう意味だ。

 

(お母ちゃん。私、これも苦手だ…)

 

いっそあの40歳くらいの女優が主役であってくれたなら、堂々と挨拶に行けるのに、と真美は思う。

 

リハーサルが始まり、真美はいつものように深紅のスポーツウェア姿でそれに臨んだ。

事前に土居から演技についての説明を受けていた。

それほど難しい芝居ではない。

 

「そう言えば、1人挨拶に来てないわねえ」

 

真美の耳にそんな声が届いた。

当然、声の主は40歳くらいの女優。

椅子に座って出番を待っているその女優は、独り言風にそんなことを言ってきた。

 

真美は、多少白々しいくらいでいい、と思いつつ、

「あ。そういえば!」

と大きめの声を出した。

 

リハーサルの動きは、真美のこの発声により寸断された。

 

「1人、私に挨拶していない」

 

真美は、女優の方を向いてはっきりと告げた。

わざわざ、仁王立ち、インポケットの姿勢を作ってから発言した。

 

心の中では、無理があるなあ、苦手だなあ、と真美は思っていた。

 

               第67話「キネマのうた(15)」/おわり




以上が、私なりのアクタージュ「scene190」となります。

今回は「環回」です。
いつかこのシーンを書くことになるだろうなあ、と思っていた部分を書くことになりました。
私は環のキャラをかなり気に入ってます。
原作アクタージュに登場した時に、味のあるキャラがきたあ、と嬉しく思ったのを覚えています。

なので、「心をへし折られて終わり」となるキャラにはしたくありません。

今後もきっちりと環を魅力ある人物として書き続けるためにも、この苦難にぶつからせます。
回避はしません。
オーディション終了後に環が夜凪を煽った「心情」をちゃんと拾いたい、という思いが私にはあります。

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