魔女兵器 〜Another Real〜   作:かにみそスープ

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第22節 〜覆う黒雲、悪意の影〜

「あつい……あついッ!!」

 

 ガブリエルの慈雨が降り注ぐ中、それでも消えるどころか一層燃え盛る炎にニャルラトホテプは焼き尽くされていく。

 

 今まで傷らしい傷など一切追わなかったというのに、ハインリッヒがファビオラの『炎』を媒体とした錬金術で全身を燃やしたというのに、それでも無傷だったニャルラトホテプがたかがミカエルの『パーペチュアル・フレイム』の一閃を受けただけで悶え苦しんでいるのか。

 

 それを切りつけた本人であるミカエルと、手助けをしたアレンとセラエノ以外は理由など知る由もない。ハインリッヒですら目を疑う光景に足を止めて、その光景を静観してしまうほどに、ニャルラトホテプへ与えた一撃は異様でしかなかった。

 

「ありえない……! ミカエル……貴様、どうやってあのクトゥグアを手懐けやがったァ!!」

 

「総督の研究記録は君も知っているだろう。ただそれだけさ」

 

 総督の研究記録——。それはデックスの中でもごく限られた人物が知ることができる物。ラファエル達が『モントン遺伝子開発会社』が見つけた記録であり、その内容についてはニャルラトホテプだってウリエル通すことで知ってはいた。

 

 だが、それで納得できるはずがない。ニャルラトホテプはその『クトゥグア』という存在を嫌というほど知っている。

 この宇宙の果てから宇宙の時間、挙句には宇宙という概念をすべて括ったとしても、魂が刻みに刻むこむほどに敵対する存在。ニャルラトホテプが唯一感情らしい感情を剥き出しにするのが『クトゥグア』という存在なのだ。

 

 しかし、だからといってクトゥグアが人間に協力的かと言われればそうでもない。

 例えそれが仇なすニャルラトホテプが相手することを伝えられたとしても、自身の『炎』を一部でも分け与えることなんて決してない。クトゥグアはそれほどまでに人間には無関心であり、同時に巨大な存在でもあるのだから。

 

 ならば、どうやってミカエルはクトゥグアの『炎』を宿し、尚且つ手懐けたというのか——。

 

 あまりにも不明瞭だ。ミカエルという存在が、ニャルラトホテプには測りきれない。何をどう考えてクトゥグアが人間に手を貸したというのか。

 

 

 

 ——それほどまでの何かをミカエルは持っているというのか。

 

 

 

「何故……何故……!?」

 

「生憎と私はリアリストだ。秘密という物は秘密だからこそ価値がある。その疑問に答える理由などありはしない」

 

 

 

 ——この俺が人間如きに手玉に取られる?

 ——この俺が人間如きに容易く倒される?

 ——この俺が人間如きに予想を超えられる?

 

 

 

「んなこと…………」

 

 

 

 ニャルラトホテプの中で感情が爆発した。

 正体不明、言語化不可能な嵐のように荒れ、灼熱のような昂る。今にも衝動だけで身体中の神経が切れかかりそうになる中、それをニャルラトホテプに『笑み』として溢した。

 

 

 

「楽しいじゃないかッ! 気に入ったッ! ミカエルッ!! お前は俺にとって! 僕にとって! 我にとって! 最高の存在だッ! ヴィラクスなんか糞つまらない女と比べたら天と地ほどに!!」

 

「私にとって、君は最低の存在だよ」

 

 あまりにも対照的な二人の情緒。

 ミカエルは心底無頓着でありながらも、その根元に確かにある『決意』を滾らせて炎の刃をニャルラトホテプへ突きつける。

 ニャルラトホテプは心底狂瀾しながらも、その根本は確かにない『感情』を潜ませてミカエルの刃を見つめ続ける。

 

 沈黙の刹那は永遠にも見えた中——。

 ニャルラトホテプは不敵に笑うと、炎を纏った触手を束ねて今にもミカエルを突き刺そうと構えると——。

 

「だが楽しみは取っておくよ! 少し分が悪いからなっ!」

 

 トカゲの尻尾切りのように纏わりついた『炎』を脱皮して掻い潜り、今までの身体を置き去りにしてニャルラトホテプの一部が爆散して空へと逃げた。

 

「「「「「えっ!!?」」」」」

 

「なんと」

 

 ここで『逃走』を選ぶことにセラエノさえも含んだ皆が驚愕するが、それでも予想外も予想外だ。

 全員反応が僅かに遅れてしまい、ニャルラトホテプの爆散をただ見守るしかなく、気がついた時にはある程度拡散した状態となって四方八方に逃走を始めてしまっていた。

 

「逃がすかぁッ!!」

 

 すぐさまミカエルは追撃するが、手慣れていない剣技では届かない。爆散した一部を炎上させて斬りつけることはできるがそれまでだ。

 爆散したニャルラトホテプの破片は数多くあり、その中でも『本体』とも言える『核』は一つしかない。その他はすべてただの肉片でしかなく、それをミカエルが斬ったところで何の意味も為さないのだ。

 

「アイスティーナっ! ハインリッヒっ!!」

 

「言われなくても分かっている!!」

 

 モリスの指示よりも早く、アイスティーナとハインリッヒの二人はニャルラトホテプの攻撃を仕掛けるが手数が足りない。

 アイスティーナは鎖鎌で空間を覆い、縫い物をするように確実に屠り、ハインリッヒはその超人的なフィジカルと万能無敵の錬金術で対処するが、それでも散らばった肉片は数千という単位なのだ。力の限りを尽くそうとするが、それほどの数では捌くのには限度がある。

 

「俺達も追うぞ、セラエノ!!」

 

「あいあいさー」

 

 アレンとセラエノも同様だ。むしろセラエノの戦闘能力は皆無。アレンもハインリッヒという精鋭に比べたら貧弱と、どれほど尽力しようと追いつくわけがない。

 

「セラエノ! どれが本体かは分かるか!?」

 

「…………アレだな」

 

 ならばとアレンは一点集中で対処しようとセラエノに聞くと、彼女はしばらくして指をある方向へと向けた。それは想定外の方向へと向いており、アレンは指先を追って上へと首を傾けた。

 

 遥か上空の彼方——。そこには他の部位と同じ大きさ、同じ色合い、同じ艶ではありながらも、たしかに他のとは違い『脈動』するという唯一の違いが微かに判別できる部位があった。

 

 いわば『核』というべき存在——。

 アレンの攻撃はすでに届かない領域。その手に持つ『ディクタートル』や、ニャルラトホテプが爆散した際に吐き出された『ジーガークランツ』とレンの『流星丸』ではどれも力不足だ。

 

 

 

 ——このままでは逃げられてしまう。

 

 そんな焦燥感がアレンの中で溢れる中——。

 

 

 

 

「でぇえええええいっ!!」

 

 

 

 突如として上空から黒髪の少女が流星のように駆けてきた。

 流星はその髪色に施された赤色のメッシュカラーも混じり、黒と赤の螺旋を描きながらニャルラトホテプの『核』へと迫り、勢いと共に棒状の金属を渾身の力で叩き落とした。

 

「くぁああああっ!?」

 

 ニャルラトホテプの絶叫が木霊して地べたに這いつくばる。爆散した際にあらゆる部位は切り離していたせいで無防備状態だ。少女の一撃でも、今のニャルラトホテプにとっては痛手であり、叩きつけられた『核』は陸地に上がった魚のように痛みにのたうつ。

 

「……やっと来たか。ラファエルのお気に入りが」

 

 少女の正体を見間違える者はこの場においているはずがない。その身姿は紛れもなくレンであり、若干能天気が入った気が抜けた年頃の瞳が証となる。

 

 その瞳から来る緊張感のなさは折り紙付きであり、レン本人も多少の間を置いて息を整えると「ねぇ!」と一つ呼びかけると——。

 

「つい勢いでこれ叩いちゃったけど大丈夫!? なんか変なギミックとか発狂パターンみたいなの起きないよね!?」

 

 なんて誰も気にしない事を心配してレンは狼狽える。

 その内心はニャルラトホテプ自体の見た目が、レン的には『某ファンタジーゲームの12作目に出てくるエレメントみたい』と思っており、下手に手を出したりすると何かしらの面倒な反撃を危惧しているという本人的な大真面目な物だ。

 それに対してミカエルは「大丈夫。問題なし」とキッパリ言うと、レンは「なら良かった」と安心して胸を撫で下ろし、今度はミカエルをジッと見つめて言う。

 

「えっと、どちら様でしょうか?」

 

「ミカエル・デックスだ。今はそれだけでいいだろう」

 

 ミカエルは呆れるような物言いながらもどこか親しげに、しかし説明が面倒だと言わんばかりに会話をキッパリ切ってニャルラトホテプの『核』を見つめる。

 

「終わりだ。この一閃さえ払えれば、お前は完全に焼失する」

 

 遺言など聞く耳を持たない——。

 そう言うようにミカエルは近づいて『パーペチュアル・フレイム』でニャルラトホテプの『核』を切り裂いた。

 

「がっ……ぐぁっ……! くそがっ……! ヴィラクスはどこだ……っ! 今こそ俺に奉仕すべき時だろうがっ!」

 

『生憎とヴィラクスはお前の支配から逃れてるぞ。執念じみた精神力と決意で『ドール』さえも解除してな』

 

 レンの胸元からマリルの声が響く。切り裂かれた影響で燃え続けるニャルラトホテプに一抹の希望に縋ることさえ許さぬように。

 

「どこまでもつまらん女めっ……! なら……っ!」

 

『おっと。あの鳥なら『ドール』がいなくなったことで、レッドアラートが対処している。お前のところには誰も来ることはない』

 

「くっ……!」

 

『さらに言うなら、お前が生み出した化け物もSIDが対処している。今この場においてお前の味方になる者は誰一人いない』

 

 ニャルラトホテプの『核』にある爛れた一つの瞳が周囲を見回す。

 地を這いつくばるニャルラトホテプを中心に、ミカエル達のサモントン組とアレンとセラエノ、それにレンが逃さないように取り囲んで見下ろしていた。

 

 今にも燃え尽きそうなニャルラトホテプに最大限の注意を払い、最後の瞬間をその目に捉えるために。

 

「ふふっ……! ははっ……! あはははは!!」

 

「何がおかしいんだ、畜生が」

 

 ミカエルの辛辣な言葉にニャルラトホテプは笑みを止めることはない。むしろ一層に、壊れたカラクリのようにカラカラと笑い続け、一頻り笑い終えると心の底から諦念に満ちた声で告げる。

 

「負けだ負けだ。俺の負けだ。ミカエル……お前がクトゥグアの炎を操れる理由は皆目検討もつかないが……それは次なる存在に任せるとしよう」

 

「次なる存在、だと?」

 

 ミカエルの疑問にニャルラトホテプは「ああ」と返す。

 

「我ら高次な生命体は一度死のうと、人の意思が『ニャルラトホテプ』を刻み続ける限り、何度でも『あの方』が誕生させてくれる。記憶と記録、両方を携えてな」

 

 つまりは『死者蘇生』——。

 一度死んだ者を蘇らせる禁忌——。

 

 それをニャルラトホテプは最も容易くできると言わんばかりの口振りにここにいる皆が戦慄を隠せない。

 

 同時にミカエルとレンは気づく。

 前者は聡明な知識を持って。後者は自身が経験しているからこそ気づく。

 

 

 

 ——奇しくもそれは、レンがベアトリーチェを復活させた時と似ている。

 

 アニーやハインリッヒ、そしてギンが『因果の狭間』に閉じ込められた時とは違う。止まった時間が動き出したバイジュウとも違う。

 

 完全なる死者蘇生を成した——。

 それは現状としてベアトリーチェだけなのだ。

 

 

 

 それは——。もしかしたら——。

 レンと、ニャルラトホテプがいう『あの方』の能力が——。

 

 

 

「いや、それさえもさせない」

 

 突如として響くアレンの声——。

 その両手には『ディクタートル』と、ニャルラトホテプが霧散したと同時に解放されて回収されていた『ジーガークランツ』——。

 

 それら二つが『黄金』の光を発してニャルラトホテプの核を蝕みながら突き刺したのだ。

 

「『ディクタートル』——。そして『ジーガークランツ』——。これらは元々オーガスタの武器だ。『黄金守護』なんて物は副産物に過ぎない」

 

「な、にがっ……言いたいっ……?」

 

「黄金守護はあくまでこの武器達が個々に持つ特性に過ぎない。二つ合わさる事で、オーガスタ本来の『能力』を間接的に俺が起こすことができる」

 

 オーガスタ本来の能力——。それを聞いてレンはある出来事を思い出していた。

 そもそも自分とオーガスタはどうして次元を超えて出会えたのか。ヴェルサイユ宮殿に保管されていた『インペリアル・イースター・エッグ』を悪戯に触ったせいとも言えるが、実際は異世界にいるオーガスタが『ある儀式』をしていたことも一つの要因だ。

 

 それは——。

 

 …………

 ……

 

『召喚獣たるもの、まずは忠誠を誓う相手に真名を伝える! この世の基本的な常識だろうが!』

 

 ……

 …………

 

「『召喚術』という名の『次元転移』だ。お前をどこでもない場所へとこれらは導いてくれる。……誰もいない寂しくて、悲しくて、退屈で孤独な世界にな」

 

「なんだとっ……!?」

 

 何故だか、アレンの言葉はレンにとって思い出したくない地獄を思い浮かべた。

 

 ——誰もいない寂しくて、悲しくて、退屈で孤独な世界。

 

 それはあの日見た地獄と重なって仕方がない。灼熱地獄と化した新豊州。その世界にもしも続きがあるとすれば、きっとそれは地獄を渡り歩くだけの心が打ち砕かれる光景に違いないとレンは感じてしまう。

 

 それをアレンは身に味わった声色で言う。だからレンは直感的に確信してしまう。

 

 

 

 ——その世界は、どこかにあったに違いない世界の話だと。

 

 

 

「そうすればお前は死なない。ただ別の世界に独りぼっちで取り残されだけだ。何の感情も抱けない…………お前が一番嫌うであろう世界にな」

 

「なっ……!?」

 

 そこで本当の意味でニャルラトホテプは焦りを見せた。『核』だけで表情を伺えるのは爛れた瞳と声しかないというのに、それだけで確信できるほどの焦燥感をニャルラトホテプは見せたのだ。

 

 それは次元転移されることに焦っているのではない。次元転移されることで、ニャルラトホテプ自身がどういう反応を示すことをまるで知っているアレンに驚愕と焦燥が入り混じっているのだ。

 

 

 

 ——何故こいつは俺の『根底』を知っている?

 ——セラエノが教えたでも言うのか?

 

 

 

 ニャルラトホテプは視線を泳がしてセラエノを見る。

 セラエノの表情は誰にも測ることはできない。いつも通りの無愛想な無表情。それはニャルラトホテプでも知っているいつものセラエノであり、その表情には『何かを伝えた』というどこか得意気な感じを匂わせる雰囲気はどこにもない。

 

 

 

 ——では何故アレンはニャルラトホテプを知っている?

 

 

 

 セラエノは嘘をつくことはできない。それはセラエノを知るニャルラトホテプと同等の生命体なら皆が知る共通認識だ。セラエノはそういう存在として現界しており、その在り方を変えることは決してできない。そういう生命体としてセラエノもニャルラトホテプもヨグ=ソトースも『五維介質』も存在している。そこに例外などない。起きてはいけないのだ。

 

 だからセラエノは嘘をつかない。決してセラエノはアレンにニャルラトホテプの在り方を一から十まで教えていない。

 

 

 

 ——だとすれば何故?

 

 

 

「これで終わりだ。次元の彼方に送って——」

 

「————■■=■■■■!!!!」

 

 ニャルラトホテプは叫ぶ。全身全霊の力を持って、空気を歪ませるような不快な音を世界に轟かせる。

 それは世界を侵す猛毒なる『情報』の塊だ。忽ちに世界が凍りついたように空気が澄んで、ニャルラホテプの叫びはどこまでも響いていく。何かに助けを乞うようにどこまで。

 

「なんだ、この声……!」

 

「この不快な声は……っ!」

 

 レンとアレンは共にその不快な音に耳を塞ぐ。他の皆も同様ではあるが、その二人だけが他とは違う反応を見せたことにニャルラトホテプは確信を得た。

 二人はニャルラトホテプの『音』を『声』と認識した。それをニャルラトホテプはどういう意味を持つのか。その二人の根底にある物を理解したのだ。

 

「……そういうことかぁ。お前は……お前らはそういう存在だったのか」

 

 ニャルラトホテプは笑みを溢すような愉快でご機嫌な声を出す。何も知らぬ無知なる者を嘲笑い、今後のことを夢想できる逸材があることが新たな混乱の引き金になることを期待しながら。

 

「今更どんな抵抗をしようと……っ!!」

 

『おいっ! そっちにあの化け物が向かっていったぞ!』

 

「なんだとっ!?」

 

 突如としてミカエルの無線にギンの声が届く。

 あの化け物とはSIDが相手にしていたイブ=ツトゥルに他ならない。ミカエルが「仕留め損なったのか?」と口にすると、ギンは否定して『仕留めること自体はできた』と口にして話を続ける。

 

『儂が死に体にしたからまともな抵抗もできるはずがないというのに……! 血も少ないのだから、仮に妨害するにしても指先を止めるくらいの小さなことくらいしかできんというのに……』

 

「小さなことくらい……っ!?」

 

 そこでミカエルは気づいてニャルラトホテプを改めて見直した。今のニャルラホテプは『核』だけとなり、その『小さな』物に値する存在となっているからだ。

 

「——おい、こいつの『魂』はどこだ?」

 

 そしてそれは的中した。ミカエルがニャルラトホテプを目に入れた時、そこには真新しい小さな血痕だけが付着した肉塊が転がっていただけだった。

 ニャルラトホテプの意識も魂もそこにはない。それを確信したミカエルはどこにいるのかと探そうとする時、その憎たらしい声は届いた。

 

『ははは! こっちだ、こっち!』

 

 声は上空から響いてきた。一同はニャルラトホテプを仰ぎ見る。そこには血が率先して魂を引き上げ、霧のように消えて逃げようとする忌々しいニャルラホトテプの姿があった。

 

『肉体ならいくらでも次元の彼方にでも送っておけ。ゴミ出しの手間が省けて助かるよ』

 

「……逃げるな。……逃げるな、この卑怯者がぁ!」

 

 その動向でレンは察した。ニャルラトホテプはすべてを置いて逃げるのだと。

 ウリエルの犠牲も、ヴィラクスを貶めたことも、その全てを自分は何食わぬ顔で放り出して恥丸出しの同然で、今この場で敵対する自分たちの前で堂々と逃げ果せる気だと。

 

「邪魔だっ、こいつ……!!」

 

 すぐさまレンは追撃をしようとするが、ニャルラトホテプとの間に巨体の残骸が阻んでレンの攻撃を止める。

 

 それは肉壁だ。イブ=ツトゥルの肉壁が決死の献身で止めているのだ。

 そしてイブ=ツトゥルだけでない。イブ=ツトゥルの身体からどこからともなく現れる化け物も死に体同然の身体で、ハインリッヒやアイスティーナといった他の皆の攻撃を押しとどめてくれる。

 

『よくやった、イブ=ツトゥル……。そのしもべである『ナインゴート』……』

 

「ふざけんな……っ!」

 

 レンの攻撃はそれ以上動きはしない。押しても引いても、爛れた肉壁となって攻撃を押し留めるイブ=ツトゥルの残骸がレンを離すことはない。懸命に押し留め、どこかに逃げようと霧のように消えていくニャルラトホテプのために尽くしてくれている。

 

 だというのに、こいつは——。ニャルラトホテプは——。

 いくら化け物であろうとここまで尽くした化け物を、さも当然のように犠牲にして逃げるというのか。

 

 自分だけが助かるために、その全てを切り捨てていくというのか——。

 

「……人間は手足を失ったら戻らないんだっ! お前みたいに自由に動くこともできないんだっ! だというのにお前はここから去るというのかっ! 何もしないままっ! 何も成せないままっ! お前の従者を全部犠牲にしてっ! 逃げるというのかっ!?」

 

『生きてるだけ偉いんだろう? 儲けもんだろう? 人間という者は。人間という社会は。それと一緒で、俺が生きて戻るだけで意味があるんだよ。生きてるだけで、意味は成すんだよ。それで十分じゃないか』

 

 ニャルラトホテプはレンの言い分を馬鹿にして笑う。

 それがレンの逆鱗に触れた。あまりにもウリエルと真逆の最後を成そうとしているから。

 

 

 

「貴様ァァアア!! 逃げるなァァアアアア!!」

 

 

 

 レンの中でウリエルの姿はチラつく。彼が最後にレンに託した言葉が脳裏に浮かびながら、自分が招いた結果を最後に精算して、最後までヴィラクスを思った独りぼっちで消えたウリエルの姿を。

 

 …………

 ……

 

『……一つ言っておくよ。ニャルラトホテプは一筋縄じゃいかないし、諦めも性根も悪い。一度逃したら、それは新しい戦いの……新しい犠牲者が出るってことだ』

 

『もうヴィラクスみたいな犠牲者はごめんだ。必ず……今ここで、ニャルラトホテプを倒すんだ』

 

 ……

 …………

 

「ウリエルを騙しっ! ヴィラクスを誑かしっ! サモントンを傷つけっ! ラファエルを貶めたというのにっ!! お前が犯した罪を何一つ精算させずに逃げるなァァアアアア!!」

 

 

 

 最後の最後まで自分を捨てて、ヴィラクスやサモントンを守り通そうとしたウリエルとは真逆の逃亡——。

 

 それは今の今まで、サモントンを巻き込んだ戦いに何の因果の決着も付けないということであり、レンにとってはこの荒んだ戦いは半ば『意味がない』と告げられたも同然の仕打ちだった。

 

 

 

「ァ……。ゥッ……。ァァアアアアアアア!!」


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