魔女兵器 〜Another Real〜   作:かにみそスープ

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第24節 〜誰がために〜

「はい、ラファエル。りんご剥いたから口開けなさい」

 

「くっ……私がニュクス相手にこんな無様を晒すなんて……」

 

 サモントンの騒動から数日後。バイジュウやエミリオの時みたいに、いつぞやにお世話になった新豊州の病院にてアニー、ニュクス、俺の三人はラファエルの見舞いに来ていた。

 

 ベッドで横たわるラファエルの顔色は非常に悪い。入院患者用の服も、その顔色も相まって死装束みたいだ。無事であると分かっていても見ていて不安になってしまうほどに。

 

「なによ、このブサイクな剥き方。無理にウサギに切る必要もないわよ」

 

「悪かったわね、慣れてなくて」

 

 ニュクスとラファエルはいつも通りの喧嘩腰みたいな会話で日常感があるが、実際に患ったラファエルの症状は深刻だ。

 

 愛衣は「命の別状はないから安心して」と言っていたが、異形となって暴走状態した後遺症として手足がほとんど機能しなくなってしまった。

 そのせいで今のラファエルは頭部以外は動かすことができず、その手足もラファエルお得意の回復魔法で治せる範囲ではないという。理由は筋肉が致命的に老人以上に落ちているというだけで、怪我ではないかららしい。

 

 とはいっても手足が治らないわけではない。

 順調にこのまま回復していき、然るべき段階に入ったら回復魔法で神経を適度に刺激してリハビリを重ねれば、普段なら年数単位で掛かるリハビリも半年ぐらいで完了するとのこと。

 

 …………まあ、その間は『治癒石』や回復魔法は一切頼れないわけだが、普通に考えたら外傷を一瞬で治せるラファエルの魔法に今まで頼りすぎていたんだ。人の傷なんて、心身ともに時の流れと共に消える物だというのに。その理を今まで無視してきた。

 だから『OS事件』や今回のサモントン騒動……通称『SD事件』では常に回復魔法に頼った付けが今ここで精算されているんだ。

 

「凛ちゃん、仲良く入院生活ですね」

 

「懐かしいよ、そのあだ名。まあ、しばらく睡眠生活できるのは私にとって幸せなことよ」

 

 それは同室で入院中モリスやセレサも例外ではない。

 モリスは身体を酷使するために摂取していた薬物中毒の治療のために。セレサはニャルラトホテプによって砕け散った右半身の治療のために。

 

 モリスは軽症で今は多少の幼児返りをしており、このまま安静にしていれば数週間で元に戻るとのこと。

 むしろセレサの方はラファエルより深刻だ。右半身の粉砕骨折なんて全治としては半年。そこからリハビリとかも含めれば一年も掛かり、しかも以前のように運動できるか怪しいという。実質的な戦闘能力の減少は組織運営する『ローゼンクロイツ』にとっては痛手であろう。

 

「……ヴィラクスはまだ寝ていると」

 

 そして、その『ローゼンクロイツ』の最高組織——セレサも所属する『位階十席』の一人であるヴィラクスも同室で入院中だ。こちらも命に別状はなく、セレサと違って骨折などはないが、酷く疲労で昏睡状態となっている。

 

 しかも愛衣曰くただ寝てるわけではなく、脳波は長期間もレム睡眠の状態を指しており、とどのつまり長い『夢』を見ているとのこと。

 

 それはニャルラトホテプによる影響なのか、魔導書の影響なのか、それとも何か別の因果なのか。それ自体は分からない。

 分からないが分からないなりに最低限の対処はしており、ヴィラクスの側には護身用としてミカエルが使用した武器である『パーペチュアル・フレイム』を置いてある。ミカエル曰く「これはニャルラトホテプ専用の特攻武器だ。当たれば誰が使おうとひとたまりもない」と断言するほど強力らしく、恐らくヴィラクスは大丈夫ではあるはずだ。

 

「……まあ、何であれ……」

 

 ——全員無事で良かった、なんて言えない。だってウリエルは犠牲になってしまったのだから。

 

 それに理由はどうあれ、元々は『方舟基地』での実験の最中にガブリエルが魔導書を持ち出した罪もある。それに加担したアレンもセラエノもそうだ。その三人は仲良くSIDの施設にて拘束され、現在は事情聴取をされて事の細かい経緯やアレンには『天命の矛』などのあれこれを聞き出そうとしている。

 

 ……とはいってもアレンは黙秘をしており、セラエノはアレンについては「私もよく知らないまま付いてるだけだ」と供述して進展なんてないのだが。

 

「しかしラファエル、思ってた以上に元気だよね。入院患者とは思えないくらいに……何か良いことでもあった?」

 

「そりゃあるわよ。筋肉諸共、肉という肉が極限に落ちて体重20キロ減よ。乙女として喜ぶべきことでしょ」

 

「いや、そこまで落ちたら逆にダメでしょ……」

 

 なんて気の抜けた乙女トークを繰り広げるアニーとラファエル。体重管理は重要だけど、それ以上に大切なのは体調管理なんだけどな……。

 ヴィラは見た目から分かるが、アニーだって野球をやってたことで見た目以上に筋肉がある。しかもSIDでのエージェント訓練も毎日熟してるからお尻周りというか、下半身のハリが俺でも分かるくらいに発達している。

 

 それでアニーは普通の女子よりも体重が重めなのだが、それでもスレンダーボディと健康体を維持している。そこのところは俺もラファエルも見習ったほうがいい。

 

「それに……レンが私を見つけてくれたしね」

 

「ふーん、レンちゃんにねぇ」

 

「…………ちょっとくらい何か反応しなさいよ、レン」

 

「……………………あっ、俺っ!?」

 

 あまりにも自然に『レン』と呼ぶから反応できなかったぞ!? 普段からこの毒舌緑色お嬢様は『女装癖』や『馬鹿』としか呼ばないから、突然にレンと呼ばれても自分の名前として認識できなくて耳を通り過ぎとぞ!?

 

「いや〜〜……。その……慣れないな。名前で呼ばれるの。あと違和感が……」

 

「そう? ラファエルって割とレンちゃんを名前で呼ぶ気が……あれ? でもそれって……あっ、そっか!」

 

「そ、それは今はいいでしょう!?」と慌てふためくラファエル。

 だが残念。そこまで含みを持った言い方をされれば、俺はその理由について何となく察しがつく。しばらくはそのネタでラファエルを揶揄うとしよう。

 

「慣れないならいつも通り呼ばせてもらうわよ、女装癖」

 

「すごい落ち着くのが、それはそれで嫌だな……」

 

「わがまま言わない」

 

 まあ、ラファエルが元気ならそれでいいか。頭部しか動かせないなんて暇で仕方ないだろうに……。

 ラファエルの音楽性に合うかは別問題だけど、今度見舞いに来る時は俺が保有している高崎さんのCDとか持ってこようかな?

 

「思ったんだけどね……。なんでレンは……女装癖は私を助けてくれたの?」

 

「え? それ聞くこと? 友達だから助けたいと思わない?」

 

「……自分で言うのも難だし、自覚してるなら直せと言われそうだけど、私って口がキツいでしょう?」

 

「別に口臭ならキツくないぞ?」

 

「口臭のことじゃないわよ。ほら、アンタも思ってるでしょ。ラファエルは毒舌だ〜〜とか、ラファエルは言葉に配慮とか遠慮がないな〜〜とか」

 

「でもそれがラファエルなりのスキンシップでしょ? 犬や猫の甘噛みみたいな」

 

「この私を犬猫と同じ扱い!?」と驚くラファエル。普段から家畜扱いされるんだから、そのお返しと思って頂こう。本人も自覚してるみたいだし。

 

「……なんであれ、そんな感じよ。私が言いたいことは。……自分でもちょっとどうかと思うくらいには私なんて付き合うのが難儀な存在だと思うのに……なんで助けてくれたのかなって」

 

 まあ正直に言えばラファエルの口の悪さなんて一年間も付き合っていると、その真意ぐらい分かってくるし……。意味さえ分かれば別に傷つくことはないし、もうラファエルの個性なんだから逆に言われないと不安になる。キレッキレの罵倒文句がないと落ち着かない。

 

 ……とか何とか言っても納得してくれないのも目に見えてる。そんなことも分かるくらいには俺とラファエルの付き合いは長い。もちろん、アニーとだってもそうだ。俺たちの間では嘘や建前も当然として、本音なんてものも通じない。知りたいのはもっと深層心理とかにある真実の言葉なんだ。

 

 だから考え込んでしまう。

 なんでラファエルを助けたのか——。その根底にある物が何なのかを考えてしまう。

 

「そりゃ——」

 

 けれど答えはすぐに出た。難しい理由なんて何もない。友達なんだから…………それは第一の前提として存在している。だがそれだけじゃない。

 

 俺は約束したんだ、ガブリエルに。今まで独りぼっちで、誰にもなれないラファエルの側にいてほしいと。ずっといてほしいと。

 

 だから決めた。俺自身で決めたんだ。

 最後までラファエルの側にいることを——。

 

 そんなことを思いながら、どうやって言葉にしようと悩みながら視線を皆に合わせると、どうしたことか各々面白い顔をしていた。

 

 アニーは鳩が豆鉄砲を食ったように目を見開き、ニュクスは驚いて梅干しを口にしたような唇を突き出し、ラファエルは珍しく顔を真っ赤にして黙ってしまい、モリスとセレサはニマニマと艶のある笑いを浮かべて見つめてくる。

 

「……何故にこのような空気に?」

 

「…………えっとレンちゃん。気がついてないから言うんだけど……途中から口に出してたよ、思ってたこと」

 

「…………どの辺から?」

 

「最後までラファエルの側にいること、あたりから」

 

 …………よし、一度深呼吸しよう。そして叫ぼう。

 

「ぁぁあああああああああ!!!!!!! 恥ずかしいっ!! むちゃくちゃ恥ずかしいこと言ったぁぁああああああ!!!!」

 

「こっちのセリフよ、馬鹿っ!! あんな大胆に……っ!! もっとこう……シチュエーションとか雰囲気というか……告白するのにも……」

 

「ラファエル、落ち着きなさい。レンちゃんのことだから友達として言ってるに決まっているでしょう。それに女の子よ? ……まあ恋愛観なんて人それぞれだけど」

 

「あんたは知らないようだから言うけどね! こいつ男だから!」

 

「はいはい、そうね。レンちゃんは確かに男っぽいところあるわよね〜〜」

 

「真面目に聞けっ!」

 

「いやぁ……いいよね、凛ちゃん。ああいう関係も」

 

「そうねぇ〜〜。若さ溢れるというか、青臭いというか」

 

 ……まあ、結局はどんな傷跡を抱えてもいつも通りの日常へと戻ることができたのだから良しということにしよう。

 

「……で、レンちゃん。実際のところはどうなの? この際だからラファエルのことが好きなのかどうか聞きたいな〜〜♡」

 

「猫撫で声でマリルみたいな凶悪なこと聞くなよ!? ますますマリルに似てきてないか、アニー!?」

 

「男なら逃げない。小声で私だけに言うだけでもいいから」

 

「えっと……その……す、好きというか……何というか……一緒にいて落ち着きはする……」

 

「……思ってた以上に小っ恥ずかしいこと口にしたね」

 

 …………でも事態は急速な変化を迎えている。

 逃げ出したニャルラトホテプ……アイツがいる限り、また同じことが起きる可能性は十二分に高いのだから。何としてでもこちらから動いて今度こそニャルラトホテプを倒さなければならない。

 

 順調に強くなっていても、まだ俺は弱い——。

 もっともっと強くなって、今度は誰も傷つかないように強くなりたい——。

 

「ちょっと2人ともっ! 私に内緒でなに話してるの!?」

 

「「な、なんでもないですっ!! はいっ!!」」

 

 ……まあ、それを考えるのはまた後でいいだろう。今はこの守りきれた平穏と、求めた世界をただただ充実するとしよう。

 

 それが——父さんと母さんに向けられる俺なりの親孝行だから。

 今日も俺は元気です、って——。

 

 

 

 …………

 ……

 

 

 

「さて……これが今回の『SD事件』における損害のまとめか」

 

 一方その頃、SID本部にて——。

 そこにはマリル、ミカエルの二人が話し合っていた。音声だけではあるがレッドアラートを貸し与えたマサダのパトリオットもおり、レン達は違う重苦しい空気を漂わせながら端末へと指を走らせる。

 

「……サモントン全土の27%が壊滅か。農作用の土地も大規模な被害にあっている。27%の内、農地は17%、都市部は8%、デックスの所有地2%か……」

 

『都市の3%はレッドアラートの被害だ。これについては心から謝罪しよう。もっと出力を制御できるように技術部と話し合うとする』

 

「気にするな。レッドアラートがなければ『ドール』やあの鳥…て『シャンタク鳥』によってサモントンの被害はより大きくなっていた」

 

『心遣い感謝するよ』とパトリオットはミカエルに告げるが、当のミカエルは何の表情も変えることなく、ただ事実を受け入れるだけ。自国の事であるはずなのに何の関心も抱いてない有様にマリルは疑問が募る。

 

 そしてそれは——。もう一人ここにいない人物にも言えたことだった。

 

「……しかし何故こんな事態にデックス総督は顔を出さない。並ぶ力を持つとはいえ、ミカエルがいるのは些か他国に対する無礼ではないか?」

 

「祖父は忙しい身でね。今は第一学園都市の『華雲宮城』で研究に必要な資料を集めているんだ」

 

「資料? ……『モントン遺伝子開発会社』での記録にあった『占星術師』のことか?」

 

「そう。祖父はそこで彼女と会っている。『観星台』というところでね。君たちも聞いたことはあるだろう」

 

 ——『観星台』という単語はマリルの脳裏を貫いた。

 

 確かにその言葉は聞き覚えがある。『OS事件』の際に回収した『柔積水晶』から解読できた内容にあった一部だ。

 場所も不明。画像から建材を特定しようにも不明と謎だらけだった情報の一つだ。一応は『観星台』そのものは、古来中国より存在している物であり、それを辿ってマリルは華雲宮城にSIDの調査員も派遣してこともあるが、そういう情報など微塵もなかったと記述されていることを覚えている。

 

 

 

 ——だというのに、ミカエルとデックス総督は『観星台』について知っている? 

 ——しかも、こちらがその情報を予め知っていたかのような口振り。

 

 

 

「……ミカエル。お前はどこまで知ってるんだ? それにあの『パーペチュアル・フレイム』という武器……異質物武器にしては許容できる力を遥かに超えている。お前は一体……」

 

 マリルからの問い——。

 それに対してミカエルは、あらゆる男女を堕とす蠱惑的で妖艶な笑みを浮かべて告げる。

 

「——すべては神のみぞ知る。それが天使長からの啓示さ」

 

 

 

 …………

 ……

 

 

 

 一週間後——。新豊州の某病院にて——。

 ヴィラクスの目が覚めたということで面会することになった。

 

 ただちょっと面会については特殊なことになっている。ヴィラクスは個室に移動していて、今回の面会に限ってはバイジュウと俺だけにしてほしいとヴィラクス本人からの申し出があったとマリルが言っていた。

 

 いったいどんな話があるのか。そう言うことをバイジュウと共に話し合いながらも、予め伝えられた病室へと顔を出した。

 

「元気か、ヴィラクス? これバイジュウと一緒に選んだ見舞品なんだけど……」

 

「私からは本を何冊か。レンさんから腰痛防止のクッションです」

 

 我ながらセンスがないよな……品というかなんというか……。

 でも役立たないよりかはマシだと考えておこう。ヴィラクスも自然な笑みを見せて「ありがとうございます」と言ってくれてるし。

 

「ですが……それよりも大事なことがあります。まずはそれをあなた達に伝えなければなりません」

 

「私とレンさんにですか?」

 

 急を要する言い方。どうやらそれほど重要な話なようだ。

 だけど何故バイジュウと俺だけなのか。そこには何かしら意味があるということは理解しているが……果たしていったいどんな内容なのか。

 

「……以前、私が話した『記憶共有』の能力は覚えていますか?」

 

 言われなくても覚えている。俺が男の時にしてた秘事や、女の子になってから興味を持って観察してしまったこととか……そりゃもう枕で顔を埋めたいくらい恥ずかしい記憶を赤裸々にされましたとも。

 

「『SD事件』から私は長く眠っていましたが……その間に一つの夢として、ある人物の『記憶』を見ていました。この『魔導書』に触れたことのある過去の人物の誰かの記憶を……」

 

 ある人物の夢——?

 魔導書に触れたことのある過去の人物の誰か——?

 

 それは経緯的に『OS事件』にいた誰かということになる。

 だとすれば、あの音声データを残してくれたドルフィンという人物の記憶だろうか? それともドルフィンが言っていた魔導書を手に入れたことで救世主となった女性だろうか?

 

 …………いや、そんなことなら俺たちを呼ぶ必要はない。マリルに伝えとけばいいだけだ。ならば俺たちが呼ばれる理由がある人物の『記憶』を見たということになる。

 

「……その『記憶』には、ある基地での戦闘が写っていました。記憶の持ち主はその手に銃を握り、最後まで親友のために戦い……その命が尽き果てるまでの間に、本来の目的を果たすために基地の奥まで行きました」

 

「本来の役目?」

 

「ええ」とヴィラクスは頷いて話を続ける。

 

「記憶の持ち主の目的は『ある生物の調査報告』——。しかし、目的を遂行した時にはすでに『ドール』に囲まれていて……最後には言葉にするにも恐ろしい無惨な姿となって死に絶えました」

 

 言葉にするのにも恐ろしい無惨な姿——。そして『魔導書』に触れたという人物——。

 その二つの言葉を繋ぎ合わせ、そこで俺は『OS事件』での音声データにあったある発言を思い出す。

 

 

 

 …………

 ……

 

『異質物研究として最初に運搬されたのは一つの魔導書と、一人の被験体だった。被験体の心臓は既に止まっていて、顔もグシャグシャで見るに堪えない姿だったのは今でも覚えている。遺体の身体は時が止まったように綺麗だったのが被験体にとって幸いだったのか……。そんな状態なのに被験体の脳波は微弱な信号を出しつけていたんだ……。まるで『魂』が叫ぶように……』

 

 ……

 …………

 

 

 

「……待って」

 

 そこでバイジュウはあることに気づいたかのように震えた声で言う。いや、言葉を何とかして吐き出したと言った方が正しいだろう。それほどまでにその声は重苦しく霞んでいた。

 

「その『基地』とは——。まさか——」

 

「ええ。ご想像の通り……南極での『スノークイーン基地』のことです」

 

 南極——。スノークイーン基地——。

 それはバイジュウにとって何があっても忘れることができない氷結の記憶だ。

 19年前——いや今から数えれば20年前の悲劇にとってバイジュウは長い長い眠りについて現世に帰ってきたのだ。ありとあらゆる物を置き去りにしてしまって。時の忘れ物として手放してしまって。

 

 その記憶はバイジュウにとってはトラウマでもあり、俺たちSIDですら滅多に言ってはいけないと口を固くしている。だからそれが関係者以外の耳に入ることなんて基本ない。南極での騒動は伝えてはいても、その詳細やバイジュウの過去までは口外してはいない。

 

 だというのにヴィラクスはそれを口にした。その『記憶』からバイジュウの過去を断片的に知ったのだ。

 それはつまり——。ヴィラクスの見た『記憶』の持ち主は『20年前のスノークイーン基地にいた誰か』の記憶に他ならない。

 

 ——『南極』の『スノークイーン基地』での惨劇。

 ——それによって死に絶えた人物。

 

「そして記憶は続きます……。長い時を超えて、その記憶の主はある光景を刹那の夢のように見ました」

 

「刹那の夢……」

 

「ええ。そこにはバイジュウさん……あなたがいました。あなたを助けようと守ろうと、儚い夢でも構わないとある少女の身体を借りて異形の存在へと立ち向かいました」

 

「その少女って……」

 

「はい。そこにいるレンさんです」

 

「ならば——。その記憶の持ち主という人物は——」

 

「はい——。その記憶は間違いなく——」

 

 言われなくても答えは分かってしまった。

 南極での騒動を知る人物。基地に訪れた理由を遂行しようとした者。それと関わりがあるのが俺と……いや、バイジュウと俺だから呼ばれたこと。

 

 

 

 

 

 そこに当てはまる人物の記憶なんて——。

 一人しかいないじゃないか——。

 

 

 

 

 

「バイジュウさんの親友——。『ミルク』さんの記憶でした」




 いつものくぅ疲w を言って、シリアスな雰囲気も長くなりましたがこれにて第五章【失楽園】は完結です。
 
 ニャルラトホテプは逃げられ、多大なダメージを負うSID。何も得ることがないまま、傷ついただけかと思いきやヴィラクスから告げられるミルクの記憶。
 果たしてそれはいったいどんな内容なのか。そしてそれはどのように物語に影響するのか。それは今後のお楽しみです。

 というわけで次回の更新は11月1日からとなります。
 閑話も挟まずにちょっと長く取りますが、リアルというか、お絵描きの勉強やR-18SS第二弾を並行して進めるとなるとどうしても時間が必要になりまして……本当にごめんなさい。

 ではここで筆を一度置かせて頂きます。
 まだまだ世知辛い世の中ですが、皆さんも今後も健康で元気で過ごしてくださいませ。

 次は前後編のサモントン編と比べ、箸休め的な短い章となりますので15節ぐらいになります。
 また視点の都合上、次章ではレンちゃんの出番が非常に少なめになります。つまり次章は主人公が一時的に交代するわけですね。

 それでは次回、第六章【狂気山脈】にてまたお会いましょう。
 

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