魔女兵器 〜Another Real〜   作:かにみそスープ

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第6節 〜枕冷衾寒〜

 一方その頃、バイジュウはファビオラの案内の下、新豊州にある『播磨脳研』へと既に来ていた。彼女の眼前には協力の了承を得て深い眠りにつきヴィラクスがベッドの上で眠っており、バイジュウはそのすぐ横のベッドで機材を自身の身に取り付けながらファビオラの話を聞いていた。

 

「じゃあ、今一度説明しておくわ。記憶の世界では、基本的に互いに干渉することはできない。どうでもいい細部の記憶……例えば枝毛の本数とか、看板の内容とかは観測者の記憶を基に再構成する。つまりは観測者と潜入者の掛け合わせた都合のいい記憶の再現。決して当時の記憶をそっくりそのまま映す物じゃない」

 

「まあ当事者の貴方とミルクの記憶の合併なら、相応の高い再現度を誇る記憶だろうけど」とファビオラは付け足し、バイジュウの準備を手伝う。

 SIDは現在多忙で人手で足りない状態だ。こうしてファビオラが直々に説明と準備をしなければならないほどに、サモントンの傷跡は深く刻み込まれており、現に常駐するSIDの監視スタッフは人数削減の影響もあって普段より交代の回数が少なく疲労の色が漏れ出てしまうほどだ。

 

「なるほど……。基本的に互いに干渉できないということは条件さえ満たせば可能ということですか?」

 

「レン以外じゃあ無理ってこと」

 

「ああ、そういう」とバイジュウはどこか落胆した雰囲気を見せて、準備を終えてベッドへと横になる。

 その気持ちはファビオラには痛いほど分かる。自分だって守るべき存在であるスクルドの命を落としてしまった。やり直せるならやり直したいし、何なら無かったことにできるなら無かったことにもしたい。そんなことは『夢』で何回も見てきたし、何回も行おうとした。

 

 それでも夢は『夢』だ。

 人の夢という物は儚いもので、そうである限りは決して叶うことはない。それでも魅てしまうから夢という物は甘美なのだ。それには意味などないというのに。

 

「それでは……行ってきます」

 

「良い夢を……とは言えないか」

 

 だからこそ人という物は強くあろうとする。夢を『夢』で終わらせないために。夢を現実にするための手段を求め、あの日起きた『20年前の南極』の真相とミルクのその後を知るために。

 

 決意を胸に。覚悟を心に刻み込む。

 バイジュウの手には潜入用の睡眠薬があり、摂取すれば数秒で眠りにつく強力な物だ。これを用いてヴィラクスの夢を介してミルクの記憶へと潜入する。

 

 バイジュウは飲み込んだ。その手にある睡眠薬と共に、その胸と心に踊る不安をすべてを。

 

 

 

 ——少女は今一度、自分と親友が死んだ地獄へと向かう。

 

 

 

 …………

 ……

 

 

 

『……こんなにも色々と強い記憶があったなんて……。特にレンさんのは……』

 

 無事にバイジュウは『20年前の南極』の記憶に潜入することができた。だが、その記憶に到達するまでの最中にヴィラクスが保有する他の記憶をいくつかバイジュウは覗き見た。

 

 バイジュウは『絶対記憶能力』を持っており、一度覚えたことは忘れることはない。忘れることができない。

 だから少しでも覗き見てしまった以上、バイジュウは知ってしまう。ヴィラクスの中には様々な記憶があったことを。その記憶のほとんどはヴィラクスと関係ない『赤の他人』が持つということを。

 きっとそれは歴代の『魔導書』に触れた人物達の記憶だろう。愛する人と過ごした日々もあれば、争いで人を殺めてしまった惨劇、自身が狂うまでの細やかな過程を刻み込んだ記憶があった。記憶の中では感情が入り混じり、一瞬自分が自分じゃなくなるような感覚をバイジュウは覚えてしまった。

 

 幸いにも目にした記憶自体が少ないから良かったものの、バイジュウは改めてヴィラクスの『記憶共有』という能力の恐ろしさを感じてしまう。

『魔導書』に触れさえすれば、それが誰であろうとヴィラクスに共有される。それはつまりヴィラクス自身のアイデンティティをすり潰す残酷な一面もある。共有された記憶が多ければ多いほどにヴィラクスは『自分』という存在を曖昧にしてしまい、流れ込んだ記憶と自分を繋いで『別の自分』を創造してしまう危険性がある。

 

 それはきっと怖くて堪らないことだろう——。

 

 ヴィラクスはバイジュウと違って『絶対記憶能力』は存在しない。故に時間さえあれば、記憶を時の忘れ物にすることはできる。

 しかしそれでも潜在的に多くの記憶を背負っているヴィラクスはどれほど精神力が強いのか——。

 

 そしてバイジュウは改めてヴィラクスに感謝する。

『絶対記憶能力』で他と比べて確実に内容が多い自分の記憶と、そんな自分の我儘でミルクの記憶も背負って、今この瞬間を実現させてくれている状況に感謝をする。

 

『レンさんが見た……あの『赤い記憶』はいったい……』

 

 だがそれとは別に気になる記憶がバイジュウには一つあった。

 それはレンの記憶だ。レンの行方はバイジュウでも少し気になっている節があり、レンの特異な能力や過去に曖昧な部分があるのもあって何かあるんだということ自体は予測していた。

 

 しかしバイジュウが見たのは、レンの明るい性格からは想像もできない地獄の光景だった。

 

 あんな事件や災害があったなんてバイジュウは知らない。どこの記録にも載っていない情報がレンから流れ込んできて、バイジュウは『地獄』の記憶は一体どこで起きたのかを考えてしまう。

 

 しかしその答えなど出るはずがない。何故ならその地獄こそ、レンが女性になってしまうキッカケとなった出来事でもあるのだから。記憶を一見しただけで、それが『なかったことにされた』という事実に気づけるはずなどないのだ。

 

『……でもそれはそれとしてもレンさんは何というか……プレイガールというべきか……。なんか結構特殊な……というかアレって男性の……』

 

 それはそれとしてバイジュウにはレンの記憶で気になる部分があった。何やらやたら煩悩を擽る記憶も多かった気がする、ということがバイジュウに引っ掛かっていた。

 

 レンの記憶には、何故かやたら裸とかボディラインや服装が目立つ記憶が多く存在していた。お風呂場で自分の姿に釘付けになる様や、メイド服を着て自撮りする姿など結構多岐に渡る。

 中でも印象的だったのは、本来女性にはついているはずがないアレが下半身にある記憶だ。レンは女性だというのに、何故あんな物がぶら下がっていたのか。しかもまあアレなことなのか。バイジュウは初めて見る男性のそういう事情に思い出すだけで耳まで真っ赤になりそうになってしまう。

 

 にしてはその記憶だけやたら鮮明に焼き付いてしまったのが、バイジュウにとって何とも言えない心境を抱かせる。

 

 それだけ人の記憶というのは刺激的な物を鮮明に覚えやすいのか、ヴィラクスがムッツリスケベで無意識に強く記憶しているのか、バイジュウ自身がそういう物を好んで覚えようとしたのか。その真意は誰にも分からない。

 

『……私ってそんな子だっけ?』

 

 自分でも知らぬ一面があるかもしれない、と考えたらバイジュウは頬が緩むのを感じた。

 もしもミルクに再開できたなら、多少恥ずかしくて聞いてみたい。「私ってヤラシイ事を考えそうに見える?」とか何とか。

 

 ミルクはいったいどんな風に返してくれるだろうか。

 飲み物でも溢しながら笑い転げたり、呆然として驚くのか、それともミルクもそういう事情に耐性がなくて顔を赤くしてしまうのか。どれもバイジュウにとって新鮮な物であり、想像するだけで嬉しくて涙が溢れてしまいそうになる。

 

 

 

 ——それを現実にするためには。

 

 

 

「Recode、バイジュウ」

 

 

 

 ——今一度20年前の記憶で何があったのかを知らないといけない。

 

 バイジュウは眼前に広がる光景を認識する。

 そこは始まりの始まり。20年前の自分が深海から『未知の生物』を観測して報告しようと戻ろうとしている場面だ。

 こうして見てみると、20年前のバイジュウと今のバイジュウでは結構細部が違うことが分かる。我ながら結構ムカつく顔をしているというべきか、お高く纏まっているというか、とにかく自分自身から見ても近寄り難い気骨と自信、そして誇りに満ち溢れた佇まいをしていて思わず「うわぁ」と成人が若かりし頃、特に中学生ぐらいを思い出すかのような悶絶という溜息を溢す。年齢的には差はないというのに。

 

《パスワードを音声入力してください》

 

「Keshi0415-Z」

 

『こんな仏頂面なんだ、私……』

 

 あまりの自分の表情の固まりっぷりにバイジュウはドン引きしてしまう。

 現在バイジュウは透明人間のように20年前の記憶を彷徨いており、その記憶にいる20年前の自分には認知されておらず、互いに触れることや話し合うと言った干渉は一切できない。故に自分自身の真正面でバイジュウが変顔をしたとしても、何の反応も返してくれずにただ氷のような冷たい表情で扉の前で立ち続けるのを見守るだけだ。

 

 けど自分を観察するのはここまでだ。自分のことは自分が分かっている以上、観察すべきは別の人物なのだから。

 バイジュウは過去の自分から視線を外し、二重防護扉に備え付けされている観察窓にいる何人かのうちの1人に釘付けになる。

 

『ミルク……』

 

 その人物の名は『ミルク』だ。本名は『思仪』であるが、本人が「『ミルク』の方が可愛いからそっちで呼んで」と言われてるからバイジュウはそう呼ぶことにしている。

 髪色は褐色。セミロングの髪を乱雑に纏めて上げており、その服装には女子力なんて微塵も感じない『生存』という文字が達筆でプリントされたシャツとショートパンツで過去の自分を優しく見守っている。

 

《認証完了。6桁のパスワードを入力してください》

 

 そうだ。ここでイタズラ的なテストで変更されたパスワードを解除するんだ、ということをバイジュウは思い出す。

 バイジュウが『特別顧問』として所属していた『タスクフォース』では、作戦経験など一切ない自分を試すために色々と小手試しをしていた。いくら『天才』だと称されても、たかが小娘に部隊の誰よりも権限があり指揮権も与えられたとなれば不平、不満は持たれるのはしょうがない。

 

 故にバイジュウは証明してきた。自分の知恵を、自分の実力を。タスクフォースにいつも示してきたのだ。

 だけどミルクだけはバイジュウには甘い。観察窓の向こうで戯けた顔をしながらも、視線でヒントを伝えようとしてくれている。

 

 それを見てバイジュウは頬が緩んでしまう。例え記憶の中であろうとも、ミルクの顔だけは澱むことも霞むことも変わることもない。

 そこにいるだけで自分にとって太陽のように眩しくて、陽だまりのように温かい心地よさを届けてくれる。それがバイジュウにとってどれだけ懐かしさと嬉しさと切なさが込み上げてくるのか。それは言葉で表すことは決してできない。

 

『そうだったね……。ここのパスワードは——』

 

「『124155』」

 

 過去の自分と共に言うパスワード。それはミルクとの大事な思い出の一つ。

 その音声を認識して二重防護扉は開かれる。その先はタスクフォースの面々が驚いた顔で固まり、ミルクは髪を整えながら誇らしげに微笑を浮かべていた。

 

「ふふふっ、さすがバイジュウちゃん……」

 

 と言いながらも、その手には紙幣が何枚か握られており、タスクフォースの仲間達と賭け事をしてたことが伺える。ミルクだけ嬉しさを顔にしてるところからして、どうやら彼女一人の一人勝ちのようだ。

 こういう美味しいところはサラッと頂いていく一面もあったなぁ、とバイジュウは何度目かも分からぬ懐かしさを感じながら、過去の自分が「んっ」と清らかに喉を鳴らして調査報告を始めることに耳を傾ける。

 

「予想通り、確かに『アレ』は超深海層に存在しています。私は数時間前に『アレ』と近距離接触を行い、液体サンプルを採集することに成功しました」

 

「…………えっ?」

 

 その言葉にミルクを含んだタスクフォースの全員が騒ぐのを止めた。

 過去のバイジュウが言う『アレ』とは今では分かる。セラエノの言う通りなら『古のもの』という存在だ。地球上のあらゆる生命体の基礎とも推測されているが、その実態が何も解明されていないからこうして調査に赴いている。それも失敗に終わり、結局は何の情報もないままこの部隊は『死』という形で解散してしまうことになってしまうが。

 

 だからバイジュウは一度聞いた。SIDで情報収集のためにアレン、ガブリエル共々に軟禁状態としているセラエノに『古のもの』について。

 

 

 …………

 ……

 

『『古のもの』——。それは地球上の人類が誕生する以前に、宇宙で発生した物質的な生命体だ。私や■■……おっとここではシンチェンか。まあそれらの概念的な存在とは違い、確かに存在していてそれが地球に飛来した存在。地球の生命体の基礎となり、都市の建設……今でいう『アトランティス』や『レムリア』などのオカルトに深く関わった存在でもある』

 

『なるほど……。貴重な情報ですね……』

 

『…………ここまで話してカツ丼はないのか? 事情聴取には定番と聞くが?』

 

『……残念ながら出来ないんです。取り調べの最中に食事提供するのは誘導行為と扱われて違法になってしまうので……』

 

『ガビーン』

 

 ……

 …………

 

 

 まあそれ以上は何も口にしなくなった。無表情ながらもショックが大きかったようで「プンスカプンプン」と口にしながら、その後のSIDが事情聴取では黙秘権を行使して沈黙を貫く遠因にもなってしまい、今でもセラエノから何も聞き出せない状況にもなっている。

 

 だがそれでも『古のもの』についてある程度知ることができた。

 推測通りに地球上の生命の基礎ということ。俗に言う『原始生命体』というわけだ。

 

 しかしそれでは根底の部分が覆ってしまう。原始生命体とは科学的には細胞レベルの存在だと言われてきた。それが独自の進化や変化をすることでミドリムシなどの単細胞生物が生まれ、海の生物へと変わり、やがてそれは陸へと上がって恐竜時代を経て縄文から今にかけての人間社会が生まれた。

 

 だがバイジュウが目にした『古のもの』は単細胞生物ではなかった。確かに意思と肉体を持ってバイジュウのことを見ており、確かに液体サンプル手にしたのだからミクロ的な存在な訳がない。

 

 それなのに『生命の基礎』というのはどういうことなのか。元々この南極での調査なんて『存在しない』ことを前提に来たのだから、ここにいる誰もが答えなんて知るわけがない。それは現在のバイジュウだって同様だ。

 

 

 

 ——もしかしたらミルクの記憶に手掛かりがあるかもしれない。

 

 

 

 色々な事情がバイジュウに重くのしかかる。

 ミルクのその後を知り、ミルクの救出方法を知り、バイジュウを19年間も保護していた『誰か』の真意を知り、深海にいた『古のもの』について知る。

 

 現実世界でも問題は山積みだというのに、こちらでも問題は多く抱えている。しかしここでは誰の力も借りることはできない。自分一人の力で何とかしなければならない。

 

 それでも、ちょっと心が重くなる。覚悟していたとはいえ、重い物は結局は重い。誰か少しでも支えてくれないかな、とバイジュウは甘えたくなってしまう。

 

「バイジュウちゃん」

 

 そんな時にミルクが声をかけてくれた。バイジュウの心境を察したように優しくもお茶らけた言葉で。

 

『ミルク——』

 

「そんな固いこと言わずに、ほら笑って〜〜〜〜ッ!!」

 

 だから思わず甘えてしまおうと身を寄せようとした時、ミルクはバイジュウの身体を擦り抜けてバイジュウの後ろにいる人物の右腕を抱きしめた。

 

 それは間違いなくバイジュウだ。ここは記憶の世界なのだから、今ここにいるミルクは当然記憶にいる『過去のバイジュウ』へとスキンシップを図る。

 ミルクはバイジュウに頬をすり寄せる。仏頂面で愛想なしのバイジュウを頬を緩ませる。何でもないよくある二人の日常的風景だ。

 

 それだけだというのに、ミルクにとってそれは当然だというのに、過去の人物だというのに、焼き餅を焼いてしまう醜い自分がいることに気づいてしまう。

 

 今ここにいるミルクの中に『私』はいない。いるのは『バイジュウ』という存在であり『私』ではない。ファビオラが予め言っていた通り『私』は記憶を覗くただの観測者でしかないのだ。

 

 

 

 ——辛いな。触れ合いたいな。

 

 

 

 少女は透ける手でミルクの髪を撫でる。

 その手に感触も温かさは伝わりはしない。あるのはただ虚空だけ。

 

 続く、続く。地獄までの道筋はまだ続く。

 バイジュウとミルクの記憶はまだまだこれからなのだ。


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