魔女兵器 〜Another Real〜   作:かにみそスープ

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第11節 〜潮汐〜

 エミ達と共同で作った夜食作りは充実した物となった。皆が満足するために鍋物として豆腐、白菜、豚肉問わずとりあえずと言わんばかりに冷蔵庫にある鍋に合う食材は全て皆の胃の中に収納された。

 

 訓練に明け暮れるエミとヴィラに炊事が可能なのかと一瞬思ったが、よく考えればマサダの孤児院で姉貴分をやっていたんだ。そういう面では不安に思うことはないだろう。

 

 ——「料理はね、大体煮込めば何とかなるのよ」

 ——「そうだな。レーションよりは遥かにマシだ」

 

 ……なんて言った時は一転して不安に襲われたが、実食したら問題なかったので気にしないでおこう。

 

 夜食は俺が担当して、宣言通りおにぎりと本当に簡単なものだ。

 中身は鮭フレーク、おかか、青梗菜、ツナマヨ、ネギトロと豆乳シャーベットに負けないラインナップだ。そして市販の沢庵、だし巻き卵、梅干しを副えて栄養バランスもいい。

 

 各自好きなだけ取っていった後は、作戦ごとの班に振り分けられた部屋で話し合うことになった。

 

 作戦本部班は情報処理担当として愛衣、補佐としてベアトリーチェが配備。

 海上班は指揮担当としてマリル、戦闘特化要員としてイルカ、情報処理兼戦闘要員としてハインリッヒが配備。

 

「はむはむっ…………。んっ……いいですか皆さん。作戦の想定ですと屋内である以上、遠距離武器や範囲系の武器は非常に危険です。ブルー・オブ・ブルーをする恐れもあります。くれぐれも小銃や手榴弾の使用は控えてください」

 

 そして残る『Ocean Spiral』……略称『OS班』はバイジュウを中心とした他全員となった。人数が人数なのでそのままリビングで作戦会議を行われる。

 メンバーはバイジュウ、エミリオ、ヴィラ、アニー、ソヤ、俺。そして護衛対象のシンチェン、ハイイーの二人だ。二人は作戦とは深く関われないので、今もボードゲームに遊び呆けてもらっている。

 

 ……人数が多く感じるが、護衛対象が二人もいることも考えるとむしろ最低限とも言える。

 

「同士討ちしないためにも現場指揮はどうするの、隊長さん?」

 

 エミは試す様にバイジュウに問う。

 ……俺とアニーはバイジュウとは面識があるから不安はないし、ソヤも「レンさんが信頼するなら信頼しますわ」というが、エミとヴィラが傭兵上がりなうえに今日が初対面だ。

 二人からすれば自分たちを差し置いて、隊長として就任されるバイジュウの実力も気になるところだろう。

 

「安心してください。そのために、作戦中は屋内捜索用の陣形を考案しました。こちらをご覧ください」

 

 そう言ってバイジュウはタブレットを操作して、画面共有させたリビングの大型スクリーンへと映す。

 表示されたのは図形だ。点が合計五つあり、それを線で結ぼうとすると十字形になるよう配置されている。

 

「我々はインペリアルクロスという陣形で戦います。私を中心として、実戦経験が一番多いエミリオが前に立ち、左右をアニーとソヤが固める。 レンさんは私の後ろに立つ。 ヴィラはレンさん達の護衛を頼みます。そうすればシンチェンとハイイーがいても安心して探索できます」

 

 ……どこかで見たことあるというか、これゲームのチュートリアルでよくあるやつだよね!?

 

「レンちゃん、この陣形をゲームでよく見てるから不安?」

 

 あっ、はい。

 …………当然のようにエミに心を読まれてるな。

 

「安心して♪ 確かにこれは最高の布陣ではないけど、陣形の役割分担は単純にして明快だから、今回みたいに即急の部隊でもすぐに熟せるのよ」

 

「それに前衛という一番負担が大きいところを場慣れしたエミが……。本来の陣形にはない『護衛』という役割を私に任せてる」

 

「これを躊躇なく出せる辺り元は軍人関係者だったんだろうな」とヴィラはバイジュウに向けて言う。

 その視線は南哲さん(俺が女の子初心者の時にあった筋肉モリモリの男性)がマリルに向けてる時と似ている……。恐らくヴィラなりの敬意と信頼の表明なのだろう。

 

「この布陣は、最強でも最硬でもありませんが、現状私達にとっての最良とはなります。作戦開始前までに基本的なコンビネーション及びハンドサインは必修し、モールス信号などの方法については各自余裕を持っていたらで大丈夫です」

 

 バイジュウは再びタブレットを操作して、各自が持っている端末にデータが送られてきた。

 内容は先ほどの取り決めを画像や動画で再現したものだ。中身は真面目そのものなのだが、こういうのを見ると薬物依存のループみたいにネタ用に改変されたものを思い出すのが現代ネット民のしょうもない性を感じる。

 

 そして資料を眺めていて俺はふと気づいた。

 

「……俺は何をすれば?」

 

 俺に送られてきたデータにはハンドサインやモールス信号などの意思疎通方法しか載っていない。コンビネーションのコの字さえ見当たらない。

 

 ……これじゃ俺が攻撃に参加できないんですが。

 

「レンさんは今回『護衛』となる対象ですから、コンビネーションに関われません。自衛はできるので、子供達を守ることに尽力してください」

 

「自衛だけ?」

 

「だけです。そして『動かない』という役割は重要なのです。私も中央にいるため基本は動かないようにしますが、数次第では止むを得ず出るしかないこともあります。そうなると陣形の中心は誰が支えるのか、それがレンさんです」

 

 ……それでも男の子として女の子に守られるのは不甲斐なさを感じてしまう。元々はアニーと一緒に守り守られるためにSIDに所属したのだから尚更だ。自分だけお姫様だなんて嫌だ。

 いざとなったら——、と思ったら彼女は不意に俺を抱きしめてきた。

 

「……無理だけはしないください。本当に『いざ』という時は子供達共々逃げてください。……私はもう大切なものを失いたくないんです、この身に変えても……」

 

 悲痛な声で彼女は訴えた。

 脳裏を過るのはスノークイーン基地での惨劇だ。バイジュウはそこで様々な物を失くした。

 時間、仲間、家族、——そして親友。どれか一つでも再び失ってしまうのは想像するだけで心が裂けそうになる。

 

「……それは俺も同じだよ。七年戦争で両親は行方不明になって俺は孤独だった……。だけど今はアニーがいる、マリルもいる、バイジュウもいる、みんな大切なんだ……! 俺だってみんなを守りたいんだ……。そ、その……と、友達として……」

 

 途中で熱くなりすぎて、最後は気恥ずかしくなってしまう。どうして俺はこう肝心なとこでヘタレるのか……。

 だけどバイジュウは笑っていた。悲痛な雰囲気なんてもうない、彼女は心の底から笑ってくれている。

 

「やっぱり男の子ですね……。まるで告白みたいでしたよ?」

 

「あ、あはははっ……。お、俺は女だから……」

 

 気恥ずかしさが抜けないし、「告白」という言葉に俺は顔が沸騰したように真っ赤になる。

 

「……いいのか、エミ。作戦準備とはいえ気が抜けすぎてないか?」

 

「あれがレンちゃんだからいいの♪ 肩肘張っちゃうとダメダメなんだから自然体が一番」

 

「そうですわ♪ レンさんはピュアなままが一番ですの♪」

 

「うんうん♪ ヘタレだからこそレンちゃんなんだからっ!」

 

 内緒話するなら聞こえないように言えよっ!! もっと恥ずかしくなるだろっ!?

 

「ところでお前の武器や能力は何だ? 司令塔であるお前が中心になる以上は把握しないと戦闘に支障をきたす」

 

 ヴィラの何気ない質問にバイジュウは「そうでしたね」と軽く相槌を打って、リュックサックから漁り始める。

 収納スペースは細かく駒分けされているようで、大荷物であるはずなのにバイジュウは難なく折りたたみ式の銃器を取り出した。

 

「マーメイドには銃火器は効かないんだろ? 武器としては心許なくないか?」

 

「ふふっ。これは『銃』ではなく——」

 

 バイジュウは自慢げな顔を浮かべると、銃は展開されて全容を見せる。

 引き金がある。銃身は……わからない。あるにはあるが、同時に刀身でもあるのだ。剣と銃が一体化しており、これを俺はゲームで見たことがある。主にシリーズ8作目の大人気ゲームで。

 

 最後に「じゃん」とバイジュウは刃先を狙い撃つように構えて、俺達に武器を見せつけた。

 

「銃——、いや、剣——、違う。これは……『銃剣』!?」

 

 俺よりも早く目を輝かせて驚くヴィラ。子供のように燥ぐ妹分を見て、エミは優しい表情を浮かべて「いつまでも変わらないだから」と慈しんでいた。

 

「はい、ハインリッヒさんから教授した錬金術を現代科学で再現しようと思ったものです。登録名称は『知性(ラプラス)』と名付けてます。……再現性の問題と戦闘スタイルから二刀流になるんですけどね」

 

 技術の未熟さを恥じてるみたいだ。バイジュウの左手には先ほどの銃剣とはデザインが似てるものの、肝心の銃の機構は存在せず純粋な刃として機能している。

 

「ラプラスか……。……私もそういうカッコイイ武器あるわよ♪」

 

 今度はイタズラを思いついた子供みたいな表情を浮かべたエミは自分の人差し指の爪で、親指の腹を切った。

 切れ味は抜群らしく、すぐに指を伝って血が滴り始める。

 

「ちょっ!?」

 

 俺が驚いたのも束の間、流血は縫うように形を整え始め、最終的には女性が持つにはかなり大振りで柄には髑髏の装飾した大剣へと変化する。指の血は最初から無かったかのように傷は塞がっていた。

 

「『アズライール』……私の武器であり能力。私の能力は『自分から流れ出た血を瞬時に硬化させる』という物だけど基本は不良品でね。盾とかには使えるけど、アズライール以外は能力を使った直後に蒸発するから武器としては一切使えないの」

 

「硬化した血が蒸発するということは、血は特定以上の熱を持っているのですか?」

 

「そうね。硬度に関わらず使った数秒後に蒸発する。熱量は測ったことないけど、鉄鋼より硬くなった血がすぐに消えるんだし相当じゃない?」

 

「でしたら、お一つ伺いたいことが……」

 

 二人は内緒話をするように真面目なトーンで話し始める。

 

「……いいね。使い捨てならではの方法ね♪」

 

「ええ。エミリオさんとは戦術研究でも良き話し相手になりそうです」

 

「さん付けしなくていいよ。親しい人は『エミ』って呼ぶから、気軽にそう呼んで♪」

 

「えっと……。それでは、エミ………………さんっ」

 

 いきなりの愛称呼びをバイジュウは言われるがままにしてみるが、愛称だけの擬かしさから顔を赤くしてしまう。

 

「ご、ごめんなさい……。こういうのは慣れてなくて……」

 

 両手の人差し指を突き合いながら、ますます顔を紅潮させるバイジュウ。

 ……正直意外な一面が見れて、恥ずかしそうにする彼女を見るだけでこちらも恥ずかしくなる。

 

「……さっき思ったけど、やっぱり素直で可愛い子じゃない♪」

 

 ……可愛い子って言ってるけど、エミとバイジュウ同い年なんだけどなぁ……。

 

「……気になってはいたのですが、どうして『アズライール』なんですか? 確かにマサダはユダヤ教ひいては旧約聖書などに精通する宗教法人なのは知っていますが……エミさん自身は信仰心とか、ないですよね?」

 

「立場的にはあると言わないといけないんだけどねぇ……。実際はハロウィン、クリスマス、バレンタインなんでもござれの信仰心なのよね……」

 

 かなり身も蓋もないことを言ったな。

 確かに新豊州は科学的な思考と政策をしてるから宗教に拘りがなく色々とやるが、それをマサダ出身のエミが言っていいのか? パパラッチがいたら炎上確定だぞ?

 

「じゃあ、どうしてアズライールという名前に?」

 

 バイジュウの再度の質問に、エミリオは「待っていた」と言わんばかりの極上の笑顔を見せる。同時に背筋が凍りつくような視線も発生し、振り返ると殺意が篭ったヴィラの瞳が。

 

 ……「我、例ヱ親愛成ル者デモ、ヴァルハラ二送ル也」と言っている気がする。

 

「うふふふ……♪ ここだけの話、ヴィラがね——」

 

「そこで掘り返すなぁぁあああああああ!!!」

 

 ……もしかしなくても『戦女神様』が久し振りに覚醒したとか?

 

「うっ、うふ、あはは、あは! あはくすぐったいぃ! やめてよヴィラぁ!」

 

「いいや! 今日という今日はエミでも止めないっ! いつもいつも……っ!」

 

「言わないぃ……もう言わないからぁあ〜! あっははっ!」

 

 涙目寸前のヴィラの表情とは打って変わって、かなり本気の体制でエミに羽交い締めを繰り出している。

 エミも笑い泣きをして「ギブッギブッ」と言っているが、とても諦めた表情をしておらず、終いには自力でその拘束を抜け出した。

 

「で、でもヴィラぁ……そこまで焦ると自白してるような物よ〜〜?」

 

 息を整えながらエミリオは戦女神様を煽り立てる。そしたら再びヴィラは顔を赤くして絞め殺す勢いで渾身の力を入れるが、エミリオは余裕綽々に拘束から抜け出してスカートの埃を落としていた。

 

 ……よく考えたら怪力娘であるヴィラの拘束を軽々抜けるエミリオってすごいな。

 

「戦闘訓練さえ続ければ、こういう単純な力勝負なら相手の力を逆利用したりで覆せるわよ。女性である以上はどうしても筋力の差は出るから私達みたいな軍人は覚えないと逆にダメだし」

 

 また当然のように心読むよなぁ……。エミリオは配慮できるからズケズケと人の心を土足で踏み荒らすことはないから気にはしないけど。

 

「レンちゃんも覚えといて損はないよ。だってこんなに可愛いんだから、もし街中でオジサマとかに拐われたら……ね♪」

 

 ……前言撤回。その言葉は男にとって悲しみを背負うしかない。

 

「他に聞きたいことはある?」

 

「いえ、大変参考になりました。マサダの『神の使者』の実態……とても面白いものでした」

 

「その通り名は背中がむず痒くなるかなぁ……。私そういうのガラじゃないのよ」

 

 砂嵐を真っ二つにしたら『神の使者』と呼ばれても仕方ない。その砂嵐が災害を引き起こすものなら尚更だ。だからこそ栄誉を讃えてマサダの宗教教育の首席顧問として身を置いてるんだし。

 

 ……その一件で俺がマスコット扱いされてることを考えたら立場が雲泥の差だなっ!?

 

「ヴィラさんはどうなんですか?」

 

「ア、アタシにそういう恥ずかしい渾名はないっ! 決してないっ!」

 

「武器の話なんですけど……」

 

 バイジュウからの冷静なツッコミに、ヴィラは少し頬を染めながらも安心してホッと一息つく。

 さっきから自爆してるな、戦女神様。

 

「そっちで良かった……。アタシは並外れた怪力ぐらいだぞ。それを活かした超質量の鈍器があるぐらいだ」

 

 そう言ってリビングの隅に置かれている獲物を指差した。

 ハンマー、どう見てもハンマー、圧倒的にハンマー。正確には『戦鎚(ウォーハンマー)』だけど認識に問題はない。

 長さとしてはヴィラより一頭身分ぐらいは小さく、鎚頭は片方が純金属の塊で構成されている。もう片方は航空機などに見られるホイール状に組まれた羽みたいな物がついている。あれって何て言うんだっけ?

 

「登録名『重打タービン』……。マサダ陸軍研究所の最新型だっていうけど特殊な機構が使い物にならない以上、本当に見た目だけが豪華な鈍器さ」

 

 そうだ、タービンだ。確かガスとか水蒸気とか、何でもいいから気体の圧力で回すことでエネルギーを生み出す機械だったはず。

 …………でもエネルギーを生み出す機能が備わってるからこその『タービン』だよな? それなのに特殊な機構を使わないってどういうことだ?

 

「何キロですか?」

 

「10トン」

 

 10キロかぁ……。米袋程度——ってトン!?

 つまりは『10000キロ』!? 大型トラックと同じっ!?

 

「そんなの鼻が長い海賊ぐらいでしか見たことないぞ!?」

 

 ヴィラは軽々と持ち上げて振り回すが、その動作は柄以外が全部風船とかじゃないと納得できん。もしくはありったけの夢を詰め込んでるか。

 

「知らんっ。そんなことはアタシの管轄外だ」

 

「………………はふほほぉ」

 

 だし巻き玉子を口に入れながらバイジュウは戦鎚を触れて確かめている。流石に10トンを誇る戦鎚を持ち上げるヴィラを見て驚いているのか、額には冷や汗が見える。

 

「ヴィラさん、どれくらい使ってますか?」

 

「性能実験として二回触ったきりだ。そんなの持っても銃撃戦じゃ役に立たないからな」

 

 一理ある。銃は剣より強しともいう。

 魔女と言っても素体は人間なのだから、ただ力が強いだけの能力は適材適所が限られている。そして尚更場所を選ぶ戦鎚なんて使う場所なんて限られている。

 

「通りで機構の部分が綺麗なわけですね……」

 

「何度も言うが使わないからな。戦力としては組みにくいと思うが、その分格闘訓練や銃撃戦もこなしてるから安心してくれ」

 

「それは最初から全面的に信頼してます。となると……」

 

 バイジュウは顎に手を添えて思考に耽る。頭の中であらゆる状況をシュミレートしてるようだ。指差しや視線で武器を意識しては頭を捻り、指で空に丸や縦棒を引いたかと思うと、再び視線を武器に戻して納得した表情を見せた。

 

「十分に把握できました。作戦の行動内で足りない物資がありますが、それは後でマリルさんと相談してきます」

 

 こんなにいても足りない物があるのか……。

 

「我々OS班の第一優先すべき目的は施設内の情報収集です。あくまでも異質物の処理については可能であればの行うものとなりますので、深追いは禁物となります。以上で作戦通達を終えますが、何かありますか?」

 

 周りを見回すが特に誰も意見はないようだ。当然俺も伝えたい意見はもうない。先の自衛について全力で取り組むだけだ。

 

「それでは作戦開始まで陣形の動きやハンドサイン諸々の把握をお願いします」

 

 そう言ってバイジュウはタブレットを置き、足早にリビングから出ようとする。

 

「どこに行くの、バイジュウ?」

 

「少しだけ自室に戻ります。今のうちに纏めたい情報があるので……」

 

 先程エミ達の武器を見て考え込んだり、足りない物資があるとか言っていたし、それの整理だろうか。

 バイジュウのことを見送り、俺も自分ですべきことを再確認をする。

 とりあえずは添付された資料の内容を覚えよう。小腹が空いていることもあり、俺はおにぎりを口に含みながら資料を眺め始めた。

 

 

 …………

 ……

 

 

 月明かりのみが彼女の部屋を照らす。水槽のような淡い煌めきは、見る物全てに靄がかかったようだ。

 そんな中でも少女の目に入る物全てが鮮明に映る。皺が目立つ絵文字の抱き枕、カバーが擦り切れた物理学の本、指の脂が染み込んだSFホラー小説、そして……『育成』に関する本。

 実態を知った時は思わず笑ってしまったが、少女にとってすべて大切な思い出だ。忘れることは絶対にない。

 

 白い手を机上に滑らせ、目的の端末を見つけた少女はデータを入力し始める。レンの予想は正しく、少女は先程のデータを一定のテンポで次々と入れていく。

 ものの数分で入力を終えると、蒸しばむ空気が篭るの感じて部屋の窓を開けた。

 

 肌寒い潮の夜風が彼女の身体を横切る。身震いすることはない、彼女は生まれつきの特異体質で体温が変化することがないのだ。潮の風は彼女にとって、夜に吹いても変わらず海の匂いだけを感じさせる。

 

 それでも少女は温度を感知できる。

 寒さとは何か、暑さとは何か…………少女は知っている。

 

 少女は自分の手をぼんやりと見つめた。

 

 

 …………

 ……

 

 ——《こ、これ、俺の番号ッ!》

 ——《べ、別にやましい事を考えてるとかではなくて、その……》

 ——《……ごめん! 拭かせてくださいッ!!》

 

 ……

 …………

 

 

 今でも鮮明に思い出せる。

 色付きリップクリームで、少女の手のひらに書かれた数字の文字列。

 不器用な男の子みたいに勇気を振り絞って連絡したいと告白した女の子……いや、レンのことを。

 

 思い出は積み重ねるものだ。少女は自分の口元に手を触れる。

 

 レンが作ったおにぎりは美味しかった。

 レンが作った卵の味は少し薄味だった。

 レンは相変わらず不器用で優しかった。

 

 どんな些細なことでも彼女には大切な思い出となり、空白の心を満たしていく。思い出は氷結の夢に光を差してくれた。

 

 思い出は広がるものだ。少女は目を瞑り振り返る。

 

 アニー達と一緒に料理の手伝いをした。

 バーベーキューで皆と食事を共にした。

 バーベーキューの後は皆と色々遊んだ。

 

 こんな些細なことでも彼女には大切な思い出となり、哀傷の心を癒していく。思い出は氷結の夢に暖かさを伝えてくれた。

 

 思い出は深まるものだ。少女は胸の鼓動に耳を澄ます。

 

 エミリオの手は大きくてしなやかだった。

 ヴィラの能力は本物で逞しく力強かった。

 ハイイーの頬辺は赤子みたいに温かった。

 

 それが些細なことでも彼女には大切な思い出となり、悲愁の心を包んでくれる。思い出は氷結の夢に温もりを届けてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが…………。

 氷結の夢は、未だ覚めることはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと気になって少女は手元に散乱するパズルピースを見た。形状からして白一色の無地だ。少女の懐かしさを感じ、ピースを埋め始める。

 

 滞ることなく進んで完成間近。

 そこで少女の手は止まる。

 ピースがこれ以上、手元に存在しない。

 どこに無くしたのかと箱を漁るが出てはこない。

 

 パズルは埋まらないまま月夜だけが流れる。

 月光は潮のように、パズルの上で影を満ち引きする。

 

 最後のピースはどこにもない——。どこにも。


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