魔女兵器 〜Another Real〜   作:かにみそスープ

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第12節 〜氷消瓦解〜

 暗闇の世界が晴れた時、そこはバイジュウにとって見覚えのある景色が目に入った。

 

 下も右も左も果てにあるのは青い海の世界。上を見上げればビル群などの建造物が一切ない海のように綺麗な青天が広大に広がっている。周囲には白衣の科学者からカジュアルな服装を纏う人達が往来しており、そこでは各々の生活や研究を充実させてる光景があった。

 

 そこは『OS事件』の中心地となる『Ocean Spiral』と呼ばれる場所で間違いなかった。平穏な雰囲気からして、今見ている記憶は『七年戦争』が起きる前の実験施設として使われた当時の物だろう。であれば、時期としては記憶の持ち主であるミルクが『被検体』として『Ocean Spiral』に来た頃であるのだから、音声データの内容からして2024年の春頃ということになる。

 

 南極での事件が2018年に起きたのだから、つまりは6年後の出来事だ。その6年間の間、ミルクは気を失っていたということになる。19年間も眠り姫をしていたバイジュウが比べるのは大概だが、ミルクは割と寝坊助だと若干呆れそうになってしまいそうだ。

 

 だが、気になるのは南極での事件のあと『残したデータ』はどうなったかという点だ。

 バイジュウはマリルから南極で起きた事件は事細かくすべて伝え聞いており、スノークイーン基地での記録は定期的に初期化されてバイジュウ以外の痕跡を極力残さないようにしていたと言っていた。それはSIDが事件後に調査したことからも明白であり、手掛かりになりそうな物は何もないと言っていた。

 

 ミルクのことだから、きっと何らかの手段でその『残したデータ』を保管してるに違いない。そうバイジュウが考えた時、その答えは意図も容易く『Ocean Spiral』にいる科学者が口にしてくれた。

 

「しかし『被検体』が体内に隠してたデータチップ……今更こんなアナログな手段で取っておくか? Cloudとかのインターネット上のデータベースで保存すりゃいいのに……」

 

「それだけ極秘だってことだろう。見てみろ、解析しようとしたら何重ものセキュリティがあるんだ。虱潰しでやろうにも、物理キーでの認証もあってこちらじゃ逆立ちしても対応できん」

 

「これどうするんだ? 『被検体』に関することは全部報告しろという命令はあるけど……」

 

「……とりあえず資金元である『華雲宮城』にあるという『フリーメイソン』の支部に報告と共有をするしかないだろう。マスターデータをあちらに送りたいが……『フリーメイソン』の支部が分からない以上、配送することできんしな。『stardust』の衛星を使って送信するしかないか」

 

 科学者はため息をついて「なんでこんな面倒なことをしなければならないんだ」と愚痴を吐きながらも手早く作業を進めていく。その作業こそがバイジュウにとっては光明だ。行く当てもない、手掛かりもないミルクの痕跡を追うために必要な物を確かに残してくれているのだから。

 

『……いえ、でも衛星『Stardust』は海に落ちてしまった……。デブリを回収しても、物理破壊されていてデータの解析することはできない……』

 

 だとすればミルクの残したデータは『華雲宮城』にある『フリーメイソン』という組織のどこかにあるということになる。バイジュウの父親が所属していた『フリーメイソン』へと。

 

 何の因果だろうか。ミルクの過去を求めていたら、今度は父の過去にも触れそうになるなんて。それだけ自分の運命や出で立ちは特殊だというのだろうか。

 バイジュウは父親が残した『特殊能力を持っているバイジュウは……必ずあの連中の標的になる』となる言葉を思い出し、同時にセラエノと接触したことで自身が思ってしまった『人類の歴史』という物はニャルラトホテプみたいな地球外生命体——つまりは『宇宙人』と呼ばれる存在によって侵されている予測さえも思い出してしまう。

 

 覚悟しておいたほうがいいだろう。きっと父親が所属していた組織は並大抵の闇では測ることもできない悪意や狂気が満ちているに違いないと。何せ『OS事件』そのものを引き起こした遠因が『フリーメイソン』の言伝があったからだ。

 

『被検体』として入ったミルクの他に、ハイイーの情報が入っていた思考制御型の異質物こと『剛積水晶』と事件を起こした直接の原因となった『魔導書』をここに招き入れたのはその『フリーメイソン』という組織なのだから。

 

 だが同時にここから少々退屈な時間になることをバイジュウは予期していた。

 何せ音声データから詳細はある程度把握しており、『七年戦争』が起こるまでこんな平穏な日々が何年か続くのだ。もちろん平和であることが第一なのだが、事の顛末とミルクの最後を未だ知れていないバイジュウからすれば逸って仕方ない。記憶の世界では早送りなんてものはなく、ミルクが気を失わない以上は一緒にのんびりと待ち続けるしかないのだ。

 

 もちろんここでの出来事が現実世界になれば、数時間程度の出来事でしかない。記憶の潜入者の安全も考慮して、記憶の世界で見たものは強制的に忘れられるように処置されるとのことだが、生憎とバイジュウは『絶対記憶能力』を持っていて、それでも忘却することは不可能だと思われる。

 

 つまり、バイジュウはここで実際に何年も待ち続けなければならない。ただ一人ぼっちで寂しく、忘れることできずにただただ待ち続ける。『七年戦争』が起きるまでの数年間を。『Ocean Spiral』の悲劇が始まるその時を、ただ何もせずに待ち続ける。

 

 

 

 ——ミルクだって私には測りきれないほどの孤独を抱えて、今も『門』の奥にいるんだ。これくらいは大丈夫だ。

 

 

 

 バイジュウはひたすらに待ち続けた。先のミルクとの奇跡みたいに、バイジュウと話し合うことができる人はここにはいない。バイジュウはただ往来する人々の動きや会話、あるいは研究結果などをただ眺めながら待ち続けた。

 おかげで『異質物』のルーツというものについての新たな知見と、当時の価値観なども知ることもできた。黎明期ということもあり、そもそも『異質物』の力を既存のエネルギー機関に流用あるいは変換して『Ocean Spiral』の資源として対応させるのか、もしくは『異質物』専用のエネルギー機関を一から製作して特許を獲得して『Ocean Spiral』の運営としての資金源にするか。

 

 故に少々面白い意見もここにはあった。

 科学者の会話の中で第五学園都市こと『新豊州』の電力エネルギー問題をどうするかという話題が出てきたのだ。今では問題を解消としているが、新豊州の『XK級異質物』である『イージス』はその難攻不落の安全を維持するために膨大な電力を必要とする。黎明期にはそれを解決するための術がなく、様々な議論が繰り広げられていた。

 

 それは他の学園都市も同じだ。

 各々が所有することなった『XK級異質物』の問題についても話に出てくる。維持もそうだが危険性についても話し合い、特にマサダブルクが持つXK級異質物である『ファントムフォース』の脅威性と、華雲宮城が持つ『皇天后土』というXK級異質物の特異性と、同じくXK級異質物であるサモントンの『ガーデン・オブ・エデン』の重要性については重点に話していた。

 

 まだまだ学園都市の基礎さえ怪しい時代なのだから無理はないだろう。むしろそんな手探りの状態で異質物の実験施設として『Ocean Spiral』を建設したのは、学園都市の計画が破綻したときの最終的なサブプランという一面もあるのだろう。ここは『黒糸病』が蔓延する地上とは隔離された世界。人類にとって一つの希望として示されていた場所でもあるのだから。慎重に話し合うのは当然とも言える。

 

 

 

 それでも数年間という時間は長すぎた。バイジュウは未来の住人であり、その問答の行きつく結果自体は文献に乗っていて、それとは何ら差がない結論が耳に入るだけ。答案用紙に正解を書き写しているような心境にも近く、面白み自体は半減もいいところだった。

 

 もちろん有意義な時間もあった。ここはミルクの記憶の世界だが、正確にはヴィラクスを介したミルクの記憶であり『Ocean Spiral』の中を少しは散策することができたのだ。何せ『OS事件』で発生した変異型ドールこと『マーメイド』は元々はここの住人であり、それらは『魔導書』に関わったことで変質したのだ。ヴィラクスの記憶である以上『魔導書』を介しているのなら覗くことができる。

 

 他愛もなく実りもない世話話もあれば、人種に縛られずに惹かれあう男女の恋話もあれば、無知ゆえに純粋で発想が豊かな夢話もあった。ここにはそれだけの住人と、それに応じた営みがあり、確かにここは『楽園』に恥じない環境でもあったのだ。

 

 もちろん言葉にするには難しく、バイジュウも赤面してしまうような出来事も見えてしまった時もあったが、そこは貞淑で節度のあるバイジュウだ。

 興味本位で数秒だけ観察してしまうと、我に返って聞こえるはずもない謝罪と共に脱兎の如く逃げ出した。きっとミルクが知ったら、腹を抱えて笑うくらいには我ながら間抜けな逃げ方をしたとバイジュウは二重の意味で恥ずかしくなってしまう。

 

 中には胸糞が悪くなるような時間もあった。

 事故とはいえ実験で半身を火傷痕にされ、皆から避けられるような視線に合う科学者の一人を見た。陰湿な虐めや暴行を影で受ける住民を何人か見た。自身の悪性を抑えきれず、他人の財産を盗む輩もいた。

 

 

 ここには確かに小さな国としての繁栄があったのだ。

 良い意味でも悪い意味でも、ここでは確かに人々の繁栄が海中という未知の世界で芽生えていたのだ。

 

 

 

 そして——その時間の先に終着点が見えてきた。小さな国が終焉へと向かう始まりでもある。

 

 

 

 2030年となった。それは『七年戦争』が始まる時期だ。

 地上との連絡が突如として途絶えて『Ocean Spiral』は脱出不可能な閉鎖空間となった。幸いというべきか、悲劇の引き金というべきか、ここでは自給自足の環境となるように施設を充実させていたこともあり生活リソースは循環できるようになっており、食料も酸素も水も電気も資源もすべて『Ocean Spiral』の施設だけで賄うことができた。

 

 それが『Ocean Spiral』での悲劇を招くことになった。自給自足ができる以上は地上に頼る必要はない、今からここは独立した国になると誰かが口にしたのだ。

 

 そこからはなし崩し的に色んなことが加速的に起きた。

 地位や立場の確立。それに反発するレジスタンス。革命は遂げられずに無残に散り、上位階級の弾圧がより強くなり、日に日に収める税という名の資源の押収が増加していった。

 

 そんなことをしていれば人々の悪意は増加して当然だ。

 やがて人々は何としても反旗を翻すための力を欲し始め、それが『魔導書』を求めるのは必然ともいえる。どこかの名もなき、それこそどこにでもいるようなごく普通の一人の女性が『魔導書』を見つけた。

 

 彼女は日が経つにつれて『魔導書』の魔力に順応して、その力を圧制を強いる上位階級への反逆として利用した。『魔導書』の力は選ばれた者だけが利用できるものではなく、解読さえできれば誰でも使用できる普遍的な力となって様々な人々に力を与えていった。

 

 それがバイジュウにとって、どんな風に見えたのか。

 何でもない人間が根本から変わっていく姿は悍ましさしかなかった。力に魅入られるとか、踊らされるとかそういう類ではない。力と一体化していき、少しずつ人間的な一面が削ぎ落されて『何か』に変化していくのは、生物的な嫌悪感が膨らんで仕方がない。そんなのが鼠算的に膨らんでいき、

 

 時が過ぎれば『魔導書』に魅入られた信者達は同胞を増やそうと、ある手段に出た。それは人間であれば嫌悪感を抱いて仕方がない一方的な搾取。男女が身体を交わって、堕落の道へと歩ませようとする悪鬼のような手段を開始したのだ。

 

 吐き気を催した。バイジュウが過去に見たのは、まだ愛があった。異性同士であれ、同性同士であればそこには必ずどんな形であれば愛があった。真っ当な愛もあれば、歪な愛、背徳的な愛と様々だ。

 

 だがそこにあったのは獣が肉を貪るような猟奇的な意味合いのほうが大きかった。

 子孫を反映するという形で何度も何度も一方的にその命を宿し、生まれてくる子供は人間とは似ても似つかない形相をした怪物となって育ち、また育った子供は『魔導書』に魅入られていない無垢なる人々を虐殺していった。

 

 音声データで詳細を知っていたとはいえ、実際に目の当たりにするとその惨さが際立って仕方がない。ここまで人間という存在の醜悪さを見せつけられることになるなんて。

 

 そして数年が経ち『Ocean Spiral』は血みどろに塗れた地獄へと変貌した。

 バイジュウ達が来た時のように、通路は血痕が入り乱れ、白骨化した死体やらが散乱する光景となった。蠅などの害虫が沸かないのは、ここが海中にある施設でそれらが生息するには厳しい環境だからだろう。

 

 だけど、そうなると少しだけバイジュウの中で疑問を一つだけあった。

『OS事件』の時に居住区や研究施設となっていた球体型フロアである『BLUE GARDEN』は海中の奥深くへと落下していたはず。だが今現在の状況では海上と面した状態のままであり、バイジュウ達が来た時とは大きく異なっている。

 

 まさか衛星『STARDUST』が落下したことによる海流の変化とでもいうのか? いや、その程度で落ちるなら『七年戦争』を切っ掛けに落ちるのが普通だ。その可能性はないだろう。

 

 

 

 だとしたら別の要因があるに違いない。それこそバイジュウ達が敵対した『異形』が出てきたような——。 

 

 

 

 そう考えた時、世界に躍動が奔るのをバイジュウは感じた。

 

 

 

『なに……この嫌な感覚……』

 

 

 

 まるで足元の氷が砕けたような不安定感が世界に轟く。世界そのものが荒波へと変わり、世界を蹂躙しようとするような異質感。それをバイジュウは肌身で感じた。

 次の瞬間、それが勘違いではないと告げるように施設のアラート音が響いた。ノイズだらけの音で、一部は機能してないからほんの小さな音。耳を澄まさなければ決して気づけないほど極小の音をバイジュウは聞き取った。

 

 その音の意味をバイジュウは知っている。

 記憶の探索中に科学者の誰かが言っていた。施設のアラート音にはいくつか種類が存在しており、バイジュウが聞き取ったのは『保管中の異質物に問題が発生した』というアラートだ。

 

 現在ここには三つの異質物が存在している。そのうち一つである『魔導書』は既にその管理から離れており、そのうち一つである『剛積水晶』はバイジュウ達が来た時もケースの中で鎮座していた。

 となれば該当する異質物は一つしかない。それはここに運び込まれた『被検体』ことミルクの身体だ。脳波が機能している以外には遺体同然の彼女の身体に『何かしらの問題が発生した』ということをアラートは教えてくれている。

 

『ミルク……。いったいなにが……!?』

 

 そうと知ってしまえば、バイジュウは迷うことなく動き出した。『Ocean Spiral』の行く末は既に知っている。だけどミルクの行く末はまだ知らない。

 

 だから想像するしかなかった。ミルクがどういう終わりを迎えてしまったのか。『被検体』は施設の崩壊と共に、荒波に飲まれて大海に沈んでしまったのか。もしくは未だこの施設のどこかで眠っているのか。あるいはバイジュウが見知らぬ誰かにスノークイーン基地で19年間も保護されたように、超常的な何かを利用して誰かが介入してミルクを保護したのか。いくつかバイジュウの中で夢想してしまう。

 

 

 

 ——だから、その結末だけは認めたくなかった。

 ——今目の前で起きている現実にバイジュウは目を背けたくなった。

 

 

 

『……そ、ん……なっ……!?』

 

「っ……ぁぁ……aaa……!」

 

 

 異質物を管理する一室に入ると、そこにはバイジュウは目を疑う光景があった。

 スノークイーン基地でのバイジュウと同じように、培養液に漬け込まれていたミルクがその器を割って外に這い出てきたのだ。

 

 それだけならまだいい。ミルクが目を覚ましたというのなら、それでいい。無事に目覚めたというのなら。

 

 だが現実はそうではなかった。今目の前にいるミルクは、形だけがミルクであってミルクでない。瞳は赤く充血して、瞳孔は光を差す隙もない白一色。這いずり出てくる手は人間のそれではなく、水分でも多く含んだのかスポンジのようにブヨブヨだ。

 

 あまりにもミルクらしからぬ姿を見て、バイジュウは確信してしまった。彼女は『ドール』に成り果ててしまったのだ。

 『魔導書』の魔力に飲み込まれて理性も身体も精神も全部狂気に溶かされた哀れな囚人。いや咎人でもいうべきか。本来人が求めてはいけない、あるいは宿してはいけない力を持ってしまったのだから。

 

 それが今、彼女の身体を作り替えようとしている。『ドール』ではあるが、同時に『ドール』以上の存在。超常へと今まさに再誕しようと蛹のような状態が今なのだ。

 

 そしてミルクは生まれ変わる。人から化け物へ。人間では理解してはいけない超常へと。

 しかしバイジュウは聡明でどこまでも現実的な一面を持つ賢い子だ。その『理解してはいけない超常』をバイジュウは理解してしまった。それがどういう意味を持つかも。

 

 

 

 ミルクの身体が少しずつ『アメーバ状』となっていく。うめき声も少しずつ変声していき、やがては『テケリ・リ』と人間の耳には不快な音だけが響き渡る。

 

 それは『OS事件』で対峙した『異形』に他ならない。ミルクを媒体にして、この『異形』はこの『Ocean Spiral』に降臨してしまったのだ。

 

 

 

 だとすれば——ミルクの身体は既に——。

 ならば——ミルクの精神は既に——。

 

 

 

 バイジュウは理解した。どうして『影』がバイジュウの前に現れたかを。

  

 それはミルクが僅かに残した『本能』みたいな物だっただろう。こんな姿を、こんな結末を誰かに見られたくない、特にバイジュウだけには見られたくないという思いの片鱗が発現して。それが記憶の中で形となったもの。それが『影』だったんだ。

 

 だから『影』はバイジュウを攻撃しなかったのだ。記憶の住人であるミルク自身を殺すことができれば、そこで記憶の再生は終わって強制的に観測者を追い出すことができるから。

 

 そんな状態でも『影』は——ミルクの本能はバイジュウを傷つけずに守ろうとしようとしてくれたのだ。

 それを『モルガン』は理解してくれたのだ。時として機械は感情に任されず、残酷なまで客観的な事実を教えてくれる。ミルクを助けたい一心で気持ちが流行って感情任せになってた自分と違って『モルガン』はその役割を全うして真実へと到達したというのに。

 

 だというのに自分はそれを悟ることもできずに、ただ過去のミルクに見栄でも張るように手助けをして、本当の今ここにいるミルクの思いなんか見向きせずに切り伏せてしまった。

 

 

 

『うっ……ぁぁぁぁぁあああああ…………っ!!』

 

 

 

 自分はミルクの何もかもを守れなかった。

 身体も、本能も、その思いさえも。自分の手で『殺してしまった』のだから——。

 

 私が求めていたのは、今のミルクじゃなくて『過去のミルク』——。

 自分の中で居座り続ける都合のいい幻想だけが、自分が求めていたものだと知って、そんな醜くて情けない自分にバイジュウはただ心が壊れてるような感覚で泣き叫ぶしかなかった。そんな物のためにミルクを殺してしまった。

 

 

 

 もうミルクには帰るべき身体がない。そんなものは自分達の手で殺してしまったのだから——。

 

 

 

 ——そこで記憶は終わる。もう観測すべき記憶などないのだから。


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