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——キィィ……ゴォォォン……。
「——ここが水深500mに位置する『Ocean Spiral』の第一階層、深海ゴンドラの発着エリア……。活動するための酸素も十分供給されてる……」
「うへぇ……潜水艦の中って想像以上に息が詰まるな……」
俺達は目的となる施設『Ocean Spiral』へと辿り着いた。施設内は床を除いた全てが三重張りの強化ガラス構造に、シーリング構造を挟み、さらにその上に再び三重の強化ガラスと万全を期した建築となっている。
見上げた海中はこの世の物は思えないとても美しい空間だった。
大海を漂う海洋生物が見え、大海を渡る魚群も見える。乱雑に配置したようにしか見えない岩礁は、海の蠢きに適応したことで自然の強さを輝かせる形状をしている。
まさに天然の巨大水族館だ。ここに居住区を持てるとなれば、海底都市は楽園と呼べるかもしれない。過去の人達がここを人類の開拓地と呼称するのも頷ける。
「目的地は海底4000m以上に沈んだ『Blue Garden(ブルー・ガーデン)』と呼称される施設になります。OS班は深海ゴンドラを使い、最深部にある海底資源の発掘基地『Earth Factory(アース・ファクトリー)』を経由することで目的の施設へと行きます」
バイジュウの通達に皆が頷く。
「道中、深海観測のモニタリング拠点もありますので情報収集を怠らず、かつ迅速に目指します。各自、最新の注意を払ってください」
『了解』と皆の声が反響する。
昨晩の陣形に配置すると、エミはゴンドラの配電を確認して施設が今も生きていることを把握。ゴンドラ内部を確認して、安全確保と稼働できることをハンドサインで伝えてると、一斉に乗り込んで更なる深度へと突き進む。
…………話は少し巻き戻る。
…………
……
「待たせたな。これより『Ocean Spiral』の本格調査を開始する」
深夜2時、陽が昇るよりも前に招集を掛けられる。各自、仮眠や武器などの準備万端の状態だ。マリルの声に即座に全員応じて横一列に並んで待機する。
「潜水艦の手配が終えて、既に海岸から150m離れたところで待機している。操縦員は……本当にバイジュウで問題ないんだな」
「大丈夫です。自動化が進んで19年前の規格より遥かに操舵しやすくなっています。ヘリの操縦よりも簡単かと……」
「大した自信だ。では準備していたエージェントは撤退させて、ログハウス内で待機へと努めさせておく。ハインリッヒ達も既に海上へと向かい、残存するマーメイドの殲滅を尽力しているため速やかな作戦行動のを頼むぞ」
各自渡されたタブレットの画面に配布されたデータを確認する。表示されたのは二つの簡略化された画像。片方は『2030』と、もう片方は『2037』と表記された二つの『Ocean Spiral』の建築構造が照らし合わされる。
「ご覧の通り、目標となる施設の見取り図だ。外界からスキャンして確認したが、廃棄されたことで当時の建造とは異なる部分がいくつかある。最大の違いは本来水深0m〜500m内にあるはずの『Blue Garden』が倒壊して、最深部にまで沈没していることだ。潜水艦を使って直に向かいたいところだが……」
タブレットの画面に情報が追記される。最深部にある『Blue Garden』の補足情報だ。外殻にはまるで守るように、先日以上の数を誇るマーメイドが目視するのも難しいほど施設を覆っている。
「ご覧の通りだ。魚雷をブチ込んでもいいが、それで施設が破壊されて異質物を調査できなくなったら元も子もない。そこでOS班には水深500mの深海ゴンドラ発着エリアか、水深2500mに位置する深海港から潜入して内部から確認を行い目的地に辿りつけるか確認してほしい」
「でしたら第一優先は500m地点のエリアからが望ましいです。深海にマーメイドが多く存在する以上、水深が浅いほど危険度は下がります。いくら情報を集めても潜水艦の安全を保証できなければ、帰還する可能性は薄まり探索の意味がなくなるので……」
間髪入れずにバイジュウはマリルと応対する。
「もちろん安全が確保できない、施設が止まっていてゴンドラを起動できない、気温・湿度・酸素濃度・疫病など、どれか一つでも条件が合致できなければ第二優先として2500mの深海港に向かい、同条件下を確認して……となりますが。警戒しないといけないのはマーメイドだけでなく、もしかしたら人員が『生存』している可能性もあり、その場合は交流ができるかどうか……」
「……私でも驚くほどの聡明さだな。そこまで既に考慮してるとは、レンも見習え」
「え? どうして生存者がいると警戒する必要あるの?」
「……海底都市というが、実際は現代社会より隔離された施設だ。そこで自給自足ができて『文明』が年数単位で成立すれば、それはもう独立した『国』なんだ。様々な人種が現代でも争いを起こすんだ、海底都市という『国』に選民思想が根付いていた場合……我々を『敵』として定める可能性も十分にある」
選民思想、という言葉を聞いてマサダブルクの人種差別を思い出す。
確かにあそこも外城と内城で成立している社会が違う……。内城は平和で現代社会を築かれており、外城は一歩でも踏み出せばテロリストが潜む地雷源である。
同じ国民なのに宗教思想が違うだけで争うんだ……。それだったら確かに他国民で、考えが違うともなれば…………おかしくはないのかもしれない。
でも、青臭いけど納得はしたくない。
今いる俺たちは全員違う人種どころか、生まれた時代さえ違うのに仲間としている……。じゃあ、手を取り合うのも可能なんじゃないかと小さな希望を持ってしまう。
「とはいってもドールは人間を襲うんだ。マーメイドも同じように人間を襲って文明が崩壊してる可能性もまた十分にある。残酷かもしれないが、その場合は気負いする必要はない」
だけど、今はそんなことを考えてる暇はない。大事なのは今ある自分の役目を果たすことだ。
俺の役割はOS班でシンチェンとハイイーの守って、班全体を観察して周りの状況を常に把握すること。
そして……OS班全員で無事に帰還すること。
こうして俺達OS班は潜水艦へと搭乗して『Ocean Spiral』へ向かうことになる。
……
…………
エミのハンドサインで安全を取ると、俺たちは水深1500mに位置する『深海生物モニタリング拠点』へと潜入する。
エミとヴィラは小銃を構えて常に警戒を続け、バイジュウも神経を研ぎ澄まして辺りを観察する。アニーとソヤもそれぞれの得物を手に室内の物陰を見て、見落としがないかの確認を怠らない。
俺も……………。
「たいくつぅ〜」
「ひまですぅ〜」
「はいはい、次はこのアーカイブしたアニメでも見ようか」
——緊張感持ちたいけど、この子連れ出勤では無理だっ! 持つにしても別の緊張感しか持てないっ!
現在、俺の背中にはおんぶ紐で赤ちゃんモードであるハイイーと、左手には背負われるハイイーを羨ましそうに指を咥えて見てるシンチェンがいる。
自衛隊の救助活動に使われる頑丈なおんぶ紐だから、大人でも重心が偏りが生まれずに移動できるものの、それでも幼女一人分の体重をずっと背負い続けるのはキツい、とにかくキツイ。背筋が強制的に伸ばされるのもそうだが、それによる肩や首の凝り、そして足裏に乗る重さが普段より何倍もくる。
いきなり二児の子を持つことになるなんて……。
ええいっ、これを毎日熟す全国のシングルマザーorファーザーは化物かっ!?
「レンちゃんママ〜。休憩しよっか〜」
「た、助かるぅ……!!」
アニーの緩い言葉に心底救われて、俺はハイイーを下ろした途端に膝から崩れ落ちて前屈みに倒れた。
ほんとぉ……ほんとぉキツイぃ……っ!
「尻だけあげて横になるな、だらしがなさすぎる」
ヴィラは室内の廃材を使って入り口に簡素なバリケードを積み上げていき、最後にはあの10トンある戦鎚を支えにして、こちらへと戻ってきた。
「警戒はアタシがしておく」
そう言ってヴィラは入り口を見ながら、小銃や持ってきた物資の確認をし始める。
「それではレンお母様、2人の面倒はわたくしが見ますので、暫しのお休みを」
ソヤからの有難い言葉に甘えて、俺は冷たい鉄の壁に背を預けてこの施設で唯一海中が見れるガラス細工の天窓を見上げる。
…………ここまでの情報を整理しよう。
まずここまでにくる間、施設内にドールやマーメイドの出現は見られなかった。そして水深1000mにある『深海音波モニタリング拠点』と、水深700mにある『スーパーバラストボール』という施設全体を支える制御拠点へと脚を踏み入れたが、特に新しい情報が見当たらず。
続いてゴンドラのコースター内で確認できるインフラの運搬状況を確認したが、驚くべきことに全インフラは未だ顕在だということがわかった。
つまり電気・水・酸素……さらに二酸化炭素の排出管理から、この施設の目的である海底資源の発掘なども全て稼働したままだ。
ここの『文明』は生きている——。そう結論付けることができた。
「ふんふふ〜ん♪ ……すごいね〜〜! 見たことない海中生物がいっぱいあるよ♪」
アニーは端末を操作して上部にあるスクリーンへと表示させる。
…………残念ながら俺には魚の区別が付かない。見分けられるのはマグロ、クジラ、チョウチンアンコウといった明らかに見た目が違うやつぐらいだ。見たことないと言われても、俺には全部見覚えがあるような魚類としか判断できない。
「こっちもすごいわよ……。深海には石油がまだまだ眠ってるし、それどころかメタンハイドレートさえ、この施設なら環境条件を変えずに採取できる……! CO2排出問題は異質物で解決してるから、使用する熱エネルギーとしては価値が薄いけど、これが異質物黎明期に発見していれば……世界のエネルギー事情は大幅な改善が見込めたわね……」
……わからないから調べてみたいが、肝心の端末は現在シンチェンとハイイーが仲良くアニメを見ていて手元にないので断念する。
とりあえずエミが興奮してるし、相当すごいんだろうなぁとは思っておく。
「…………っ」
そしてこんな未知っぽい発見の多くがあるのにも関わらず、学者気質であるバイジュウは一切反応を示さずに、自分が調査している端末の前で目を見開いて固まっていた。
「バイジュウ、何か見つかったのか?」
「…………っ。ここは深海1500m……なのに、南極でもないのに……『アレ』がいるわけがない……」
何やら譫言を言っている。声が小さくて俺には聞き取れない。
気になってバイジュウがいる端末の前に行き、俺は画面を覗き込んだ。
画面全てを覆う巨大な目玉が映っていた。あくまで「目玉」と呼べるだけで、見方によっては不透明なクラゲにも見える。
バイジュウは「目玉」を拡大させて、瞳孔という滝つぼのような黒く深い大穴を念入りに確認する。
こうしてみると……巨大なサンゴ礁みたいだな。
こんな大きい生物が海底にいるのは分かったけど、見た感じは別にクジラと大差はないんじゃないのか?
「…………ない、これ以上ない……」
そう言って彼女は端末に苛立ちをぶつけるように、画面を消して背を向けた。振り向いた時には、隊長として冷静沈着なバイジュウの表情が見える。
「皆さん、異質物に関する情報はありましたか?」
「いや〜……。深海生物の情報はあるけど、異質物に関するのはないかなぁ……」
「私の方も特には……。海底資源は無尽蔵にあるから、維持に支障が起きなければこの施設は1世紀はまず運用に困らないことくらいね」
収穫は薄いようだ。
これ以上手に入るものはないと判断して、俺達は再びゴンドラへ搭乗して水深2500mに存在する深海港へと向かう。
とはいっても港は港だ。それ以上でもそれ以下でもない。安全を確認して、潜水艦内部のデータを調査したが最後の計測記録が2030年を示している以外は真新しい情報はなかった。
……やはり七年戦争を境にここで何かがあったんだ。だけどここは戦争とは無縁の海底都市。直接の被害は合わないし、ゴンドラで見た限りではインフラも十二分に自給自足できている。協力してくれた国家が崩壊したとしても、間接的被害は受けにくいはず。ならばどうしてここは2030年で計測を終えたのか……。
疑問は水深と共に深まるばかり。
そして俺達は最深部である『Earth Factory』へと辿り着く。だがここにも何もない。未だに海底資源の採掘は稼働し続けており、プログラムは与えられた使命のままに溶解や加工を続けている。
ここまで深海に近づくと、ガラス細工の天井や壁はマーメイドの姿が見え、水槽にいる魚を観察するようにこちらを見守って来ている。そして通り道の先には…………目的地となる『Blue Garden』の球体施設が見えた。
……まるでマーメイドは歓迎しているようだった。俺達がいるところはレッドカーペットみたいなもので、俺たち招待客が来場するのも待っているような。
嫌な予感は当然ある。だけど進むしか俺達に出来る行動はない。
「ある日〜」
「海の中〜」
「サメさんを〜」
「調理した〜」
「フカヒレじゃねぇかっ!!」
「出てきた食材は〜」
「黒い卵だった〜」
「キャビアだっ!?」
空気が読めないのか、あえて読まないのか。シンチェンとハイイーは仲良く歌を歌ってピクニック気分全開だった。
……今はこのぶち壊しの空気がありがたい。歌を頻繁に歌っていることもあって、もうハイイーの言葉の拙さはどこにも見えない。結局は何だったのか…………。今では謎に包まれている。
「ママも歌おう〜」
「ママって呼ぶなっ! 背中から下ろすぞっ!」
「レンちゃん……育児放棄するのっ!?」
「言い方ァ!!」
アニーはマリル並みのわざとらしいリアクションしてきた。やっぱマリルに似てきたよな?
「わたくしとはお遊びだったのですの……!? こんなにも可愛い子達を見放すなんて……!!」
「ソヤも乗るなっ!」
「……ヴィラ奥様、お隣のレンという奥様……実はですね、かくかく……」
「しかじか…………あら本当ですの? ……エミ。思うんだが、これアタシのキャラじゃないだろ」
「あら、いいじゃない♪ レンちゃんママというか、私たちがママ友してるところ想像できる? 今のうちに昼ドラ雰囲気でも楽しんだもん勝ちだって♪」
エミとヴィラも小芝居に参加してきた。
「…………私は何ポジになればいいですか?」
「バイジュウは乗らなくていい」
「そうですか……」
ガッカリしなくていいんだ、バイジュウ。君だけは正気でいてくれ。じゃないと本当に空気が崩壊する。
俺達は何とも言えない空気で『Blue Garden』内の調査を開始した。
…………今思えば、この空気は最後の余韻だった。これから目撃する惨劇に備えて休憩地点。言うなればボス前のセーブポイント。
俺達は想像もつかなかった。
『Blue Garden』内で起こったことなんて……。
異臭がする。視界が真っ赤に染まる。
そこにあるのは醜悪の極みだった。
何が『Blue Garden』(青の庭)だ。誰かがここを楽園と呼んだ。だけど実際はどうだ? ……此処こそが地獄の最果てだ。
飛び広がる血痕の数々。連なった死体の数々。干からびた白骨体もあれば、四肢がない男性の死体、衣服が乱れて重なる二人の男女の死体、見せしめのように磔にされた女性、細切れとなった肉塊…………この世の『死』が詰まっていた。
「何も見えないよ〜、レンちゃ〜ん」
「レンお姉ちゃん、見えないよぉ……」
俺は知らぬ間にシンチェンの目を塞いでいた。気がつけばヴィラもハイイーの目を塞いでくれている。
「子供には酷だな……」
「ありがとう、ヴィラ……」
「お前にも言ってるんだ馬鹿。嫌なら目を瞑れ、アタシはお前を守るために側にいるんだ」
「子供ならヴィラもそうだろ……」
「アタシ達は慣れてる。軍人って、そういうもんだ」
ヴィラはそう言いながら、ハイイーに応急処置用の包帯を目隠しとして巻いた。その流れでシンチェンの前にも行き、一言「悪いな」と言って同様にシンチェンの目も塞いだ。
「これで大丈夫だ……。エミからの合図はどうだ?」
急かされて俺は周りの惨劇から目を逸らして、エミリオの手に集中する。ハンドサインはあった。「安全確認・集合」と指示をくれる。
指示に従って俺達はエミリオの所に集合し、集合した場所の前にある自動ドアを見る。そこには『Control room』……つまりは、この施設の管制室と記載されたプレートがあった。
「バイジュウ、開けられる? ここはカードキーか20桁の暗証番号が必要なんだけど……」
「………………道中にそれらしきヒントはありませんでした。しかし20桁のパスワードを一通り行うのはあまりにも……」
俺も思い返すが検討はない。それは皆も同じ雰囲気だ。シンチェンもこの状況では電波受信はせずに、ただ大人しくしてるだけ。
「——じゃあ、アタシに任せとけっ」
突如ヴィラは鉄製の扉に正拳突きをお見舞いした。
ドォン!! と会心の一撃が響く。砲弾が撃たれたのかと錯覚するほど豪快な音だ。一撃で掴みどころができるほど扉は歪み、それを取っ手にしてヴィラは強引に管制室のドアをこじ開けた。
…………うそぉ?
「ナイス♪ 流石は私のヴィラね♪」
技を超えた純粋な強さ、それがパワーだってBクラスのサングラスが言ってたな……。こういう時は力任せもありなんだなぁ。
とにかくヴィラが強行突破してくれたことで、管制室へと俺達は侵入する。バリケードになりそうな廃棄機材は見当たらないので、ヴィラは再び拳一つで扉自体の噛み合わせを悪くして簡単な力では開かないように変化させた。
暴力で解決するって……。こういう時にはいいなぁ……。
室内には今までの惨状はなく清潔な空間だ。目の前には一台の端末と、そのすぐ近くで倒れる痩せ細った男性の姿と…………模型のように展示される鉱石が一つ。
その鉱石は……初めてシンチェンと会った時にいたリーベルステラ号の古代隕石と酷似していた。
「……もう、事切れてる」
エミは端末の前にいた男性を壁の端に寄せて祈りを捧げた。その一連の動作は精錬で、彼女が『神の使者』と呼ばれる存在であることを改めて実感する。
一方、バイジュウは既に端末の操作を始めており、何があったかを把握しようと忙しなくキーボードを叩き続ける。
やがて一つの気になるデータが見つかったようで、彼女は静かに呟いた。
「音声データ…………ファイル名は『CoC』?」