歴史上に置いて、科学技術とそれに伴うことで地球は丸いということが証明されたことは皆が知っていることだろう。かのマゼランが世界一周の渡航を終えたことで、昔からあった地球球体説は実証され、1961年には世界で初めての有人宇宙飛行が成功し、実証だけでなく視覚的な資料的な意味でも地球は球体であることも証明された。これは『地球は青かった』という名言と共に有名であろう。実際は『空は非常に暗かった。一方、地球は青みがかっていた』というらしいが……。
だが、俺は今その逆である『地球平坦説』を目の当たりにしたのではないかと確信してしまう衝撃の光景を見てしまう。
夢の世界の果てには何もない。崩れ去っていく世界の果てにあるのは、滝のように崩れ落ちていく大地の欠片が奈落に向かって音もなく落ちていく。ただただ『虚無』という奈落の底に落ちていく。
そんな光景を見て、俺は本当の意味で背筋が凍るというものを知った。
あまりの衝撃にあらゆる筋肉が骨と密接に絡み合ってしまい、動かすことができない。呼吸も忘れ、瞬きも忘れ、ただただ唖然とするしかなかった。
『なんと……このような……』
『……そういう、ことか』
その光景に言葉を漏らしたのは、フレイムとノーデンスだけだ。
ノーデンスは驚愕の意味を込めながら。フレイムは何かに納得したように。
『そりゃ……セラエノも中立と役目を放棄してでも動くしかないか』
続け様にフレイムは意味深な事を呟く。今の俺には意味として何も理解できない。
セラエノが中立と役目を放棄する? そもそも何の中立だというんだ? 今の彼女はアレン共々にSIDが管理する施設のどこかで保護という名の拘束状態になっているが、事情聴取には一切答えてくれない。
彼女の立ち位置は些か不明瞭だというのに、そのセラエノが中立と役目を放棄している——? そもそも役目ってなんだ?
スターダスト、オーシャン、フレイム……この姉妹は知っていることがあるはずなのに、頑なに教えようとしない。だけど、それを問いただしたところで返答は俺でも見えている。
「ねぇ、いったい何のこと言ってるの?」
『……詳しいことはドリームランドを抜けてからだって約束したでしょう』
ほら、こうやって教えようとはしてくれない。いったい何故なのか。
確かに異質物関連や魔女が宿す魔法の情報は狂気に魅入られる部分はある。実際に『SD事件』でヴィラクスが敵に回り、ラファエルが暴走したように、その力と情報量は凄まじく手に負える物ではない。
それでも扱える者だって中にはいる。バイジュウの能力は『古のもの』由来であることをセラエノが口にしていたというし、ファビオラの炎だって守護者のルーツを聞く限りだと、そういう超常的な存在由来の物であるに違いない。
扱える者がいる以上、狂気に陥るなんて確信があるはずがない。だというのに彼女たち姉妹は頑なに語ろうとしない。
それだけ俺たちと姉妹では、何か決定的に分かり合えてない壁でもあるのか、それとも何かもっと別の——『狂気』を超えた『何か』があるとでもいうのだろうか。
だとしたら知りたいところではある。
……が、今は置いておくしかない。フレイムがこのドリームランドを抜ければ教えてくれると約束してくれる以上、言及するのは後でいいことだ。
今はカダスを目指すしかない。不思議で不可思議な光景をよそに、ガレー船は大空という海を裂いてカダス山へとたどり着いた。錨とか特にないのに空中で静止して問題なく降りれるあたり、このガレー船は色々と見た目以上に技術が秀でている。
「ここがカダスにある城……」
レン人の噂では『とある神』によって別の神々がここに幽閉され、神はすべて姿を消したという話もある曰くつきの場所。もしかしたらその『とある神』がニャルラトホテプの可能性もあり、だとすればサモントンで討てなかった借りを今ここで返さないといけない。
深呼吸を一つ。周囲の確認を一回。各々が持つ装備の点検を終えると、いつぞやに覚えたハンドサインを使って城内に突入する。
これでも一年はSIDのエージェントとして活動してるんだ。最低限の動きや索敵などは心得ている。互いに死角と射角を意識していくが、進めば進むほどにこの城には不気味な雰囲気しかないことだけ肌身で分かっていく。
この城には本当に何もない。ただただ広い空間だけが規則的に並んでいるだけだ。
ここに幽閉されていたのが神とはいえ、そういう生活感さえも城内にはない。食堂にも、調理場にも、客室にも、倉庫にも、それらしき形跡なんて見当たらない。最初からまるで何もなかったように。
それこそ『夢が終わった』ように——。
「どうなってるんだよ、これ……」
埃さえもない異質な城内。俺達は自然とエージェント訓練で培った陣形を無意識に解き、室内のありとあらゆる場所を調べていく。この不気味な雰囲気を拭えるような、ほんの小さくてもいいから『存在したであろう痕跡』を念入りに。
しかしそれでも見当たらない——。
ここには何かがいた痕跡なんてものはどこにもないのだ。
「ねぇ、レン人の話ってやっぱり噂止まりだったんじゃ……」
『それはない、ってことぐらいは気づいてるでしょう? ここの違和感はそんなことで片付けられる物じゃないって』
フレイムの指摘に俺は沈黙するしかなかった。
そう、違和感はもう一つある。その違和感とは先ほどとは逆で『存在しなかっただろう痕跡』も見当たらないのだ。
普通、長期間放棄された建物というのは埃が溜まったり、蜘蛛の巣があったり、どこか臭いが材質混じりになったりと、放棄は放棄なりに特徴というものが出てくるのだ。
だというのに、ここにはその特徴もない。まるで『今この瞬間に建てられた』かのように綺麗すぎるのだ。
「この城っていったいどれくらい前に出来たんだ……?」
『我が記憶してる限りでは、地球で『文化』というものが根付いてから比例している。それこそ卑弥呼という女王が統治していた縄文時代より以前からな』
それよりも前に存在しているのに、今この瞬間に建てられたように存在するなんてありうるのか?
その答えを探して城内の捜索は続く。意味も理由は分からぬまま続く。何一つ答えなど得ることなく続く。
そして——何も分からないまま終着駅へと着いた。
城内の奥の奥。豪華絢爛な両開きの扉を開けた先には、天井と床を繋ぐ長くて太い柱。それに一定の距離と並びで配置された長椅子と中央のカーペットの先には、多色で彩ったガラス細工が壁一面を彩っており、とても神秘的で芸術的な空間が広がっていた。
——ここは『礼拝堂』だ。神を祀る祭壇であり、本来の用途ならここに多くの信仰者が神を崇め、場合によっては結婚式などで利用される。それが礼拝堂という場所だ。
それは本来ならここは『誰かが訪れることを前提としている場所』ということを意味してもおり、この存在そのものが今までの矛盾を象徴しているかのようだった。
誰かがいたはずなのに、誰もいない場所——。
誰も利用しないのに、誰かが利用する場所——。
神はいないのに、神を信仰する場所——。
「——遅かったね。みんな」
その礼拝堂の先から、ようやく声が聞こえた。声色は決して敵意はない。けれど友好的な感じもない。
なによりも、その声は聞き覚えがあるのに、記憶とは違った声でもあった——。
俺たちが声の主へと向けて視線を向ける。
そこにいたのは『金髪の女性』だ。身長はまるでラファエルを思わせるような高身長であり、170cmに届くどうかという感じだ。
体型としては貧相ではあるが、足は長いのでスレンダー体型というかモデル体型といえる。
髪型は足先まで届くんじゃないかと思うほどに長い三つ編みだ。髪留めにはゼンマイを模したようなデザインであり、少し子供っぽくもあるのに、神秘的ながらも小悪魔的な彼女の風貌だと不思議と似合ってしまう。
なにより特徴的なのは『目』だ。エミリオも特徴的だが、彼女のはアニメでしか見ないようなキラキラとした星屑のような輝きを持つ瞳孔……俗に言う『しいたけ目』に近い模様であった。
こんな女性は知らない——。
だけどあらゆる特徴が、俺の記憶にいる『少女』の姿を重ね合わせた。
「……スクルドなのか?」
「うん♪ 正真正銘、本物のスクルド・エクスロッドだよ♪」
「だけどレンお姉ちゃんが知ってるスクルドでもない」と彼女スクルド——(?)はそう続ける。
「私は『未来のスクルド』——。今から十年後ぐらい先に存在する者」
「未来の……スクルドお嬢様……」
「久しぶりだね、ファビオラ。ちなみに十年後でも貴方は私のメイドとして雇われてるよ♪」
「相変わらず料理はアレだけど」と彼女は頬を指先で掻きながら遠い目で乾いた笑いを浮かべる。
その仕草は紛れもなくスクルド本人の者だ。困った時に、ちょっとだけぎこちない笑顔を浮かべるのはスクルドの癖みたいものだ。否が応でも彼女が『未来のスクルド』と直感的に理解してしまうほどに。
「どうして未来のスクルドがここに……?」
「それは『守護者』というシステムと、私自身が持つ『未来予知』の影響による『バグ』みたいなもの……かな」
「あっ、その前に私の役割を教えないといけないね」とそれはそれとして、と軽いノリで話を変えた。
「私はスクルド・エクスロッド——。役割は『管理者』。『あの方』の命令の下に、レンお姉ちゃん達を葬ることを任務とするもの」
しかしその内容は残酷な物だ。つまりは、スクルドは敵として俺たちの前に立ちはだかったということを意味している。
それは俺とファビオラが想像していた最悪の事だ。バイジュウがミルクと戦う運命になってしまった以上、同じように門の奥にいたスクルドも相手の操り人形として使役されている可能性も考えないといけない。それが現実となっているのだ。
俺とファビオラは生唾を呑んで覚悟を決める。元より想像していたことだ、何とかしてスクルドをなるべく傷つけずに無力化しないといけない。
「けど気乗りしないんだよねぇ~~。だって私はバグだから、完全な支配下におかれてないし」
だけど当の本人からは気の抜けたコメントを溢す。本当に敵意もなければ、誰からか命令を受けてるような強制力も感じない。ただ年を重ねた分だけの冷静さと大人びた佇まいを持ち合わせたスクルドがそこにいるだけだ。
「なら俺達が戦う必要はないの?」
「ちょっと違うかなぁ。『あの方』って言ってる通り、影響自体はしっかりと受けてるの。ただ未来の私だとその強制力はウイルスのように徐々に蝕んでくる感じで……もう少し時間が経てば、私は貴方たちに刃を向けないといけない」
そう言いながらスクルドの手に剣らしき武器が握られる。その武器は俺にとって忘れることなんてできない物でもあった。
「レンお姉ちゃんならこの武器に見覚えがあるでしょう?」
「ああ……」
武器の名は『光の鍵』——。ニューモリダスでの一件、俺がレッドアラートと対峙した時に出現した武器だ。事件が終わった後に、スクルドが残した言葉でそれがスクルドの力を使って手にしたということを知った。
だから『光の鍵』を持っていることには驚きはしない。けれど彼女の雰囲気からして、それを思い出して貰うためだけに取り出した感じではないことを瞬時に理解した。
「これがバグの原因なんだ。あの時、レンお姉ちゃんはレッドアラートと戦っていた。けれど武器としての性能が足りなくて傷をつけるだけが精一杯の結果に終わったよね?」
「まあそうだね……」
…………
……
「無理無理無理、できないッ!!」
……
…………
なんて情けないこと言っていたっけ……。
「そのあと、不思議なことが起きたよね? 言ってみて」
「うん……。策を練ろうとしたけど浮かばなくて、そうしたら急に翼と剣が姿を……変えて……」
そう、まるで『同一人物が成長した』かのように。『未来から届けてくれた』かのような力と温かさを、あの翼と武器が宿してくれたんだ——。
「そうだよね。こんな風に……ねっ!!」
スクルドの声に応じて鍵は展開していく。それは先ほど思い出していたレッドアラートと戦った時に、変化した物と同じ形状だ。でも、これがどんなバグの原因だというのか?
「あの現象は私と幼い私が繋いだ契約の力であり、その契約と『未来予知』の力が重なることで、今の私……というか『スクルド・エクスロッド』という存在は契約のバグと変質することになった」
まだ全貌が見えてこない。いったいスクルドが何の話をしたいのかが。
「幼い私はヤコブの『イスラフィール』で焼かれながらも、それでもレンお姉ちゃんを助け出そうとした。元々『守護者』……役割と紛らわしいから今後は『契約者』って呼ぶね。『契約者』の素質があった幼い私は、死にゆく意識の中で『あの方』と接触したの」
「そこで結んだ契約がレンお姉ちゃんに力を与えるというもの」とスクルドは説明を続ける。
「だけど結果は知っての通り。『最初の力』はレッドアラートに届くことはなかった。だから契約者として得た特権と、私自身が持つ能力を組み合わせることでちょっとした裏技を利用したの」
「裏技……」
「契約者は契約した瞬間に、あらゆる時間・空間から隔絶されて独立した時間と空間で管理されることになる。これは契約者というより『因果の狭間』にいる者の特徴ではあるんだけど……それはレンお姉ちゃんでも分かるよね?」
「分かるよ。だってアニーもソヤも、ギン爺もハインリッヒだって一度はそこにいたんだから」
……未だにスクルドが説明したいことの全貌が掴めないだけど。
「契約者はあらゆる時間・空間から隔絶される……。それってつまり、記憶と記録の連続性からも独立されることも意味しているの」
「……どういうこと?」
「例えるなら漫画と一緒。漫画は途中のページを裂いたら読者として内容は分からなくなっても、その物語や登場人物自体には何の影響もないでしょう? ページを裂かれたことに気づかないまま物語自体は続くんだから」
「……でもギン爺とハインリッヒはそこが終着点、つまり事実上の死を迎えてるし、ソヤだって肉体的にはそうだ。アニーだって肉体を丸ごと幽閉された以上は、その例えは不適切だ。言い方はアレだけど同じように例えるなら、彼女たちは最終巻のオチとしてそうなってるだけじゃないか」
「その通り。レンお姉ちゃんの言ってることは正しいよ。その四人……ううん、ほぼすべての魔女や契約者はそんな運命として本を閉じるに違いないね」
「でも私だけは別なの」とスクルドはその特徴的な瞳孔で、俺と視線を交えた。
「私自身の終着点はそこじゃない、本来なら。その確証も説明も私にはできる」
「何を言ってるんだ……?」
「言ったよね。『未来が視えなくなった』って。私が予知していた未来は変わって、私はその『変化した未来の世界線』で死んじゃった。だったら元々あったはずの『変化してない未来の世界線』にいる私はどうなってると思う?」
「……死んでいない、ってこと?」
「そういうこと。今ここにいる私は、その『変化してない未来の世界線』から呼び込まれたスクルドってこと」
「つまり……タイムパラドックス?」
「それが一番近い表現だね。幼い私は『未来予知』の力で、予め知っていた『変化してない未来の世界線』の記憶と記録を辿り、そして契約者としての力で今の私にそれを同期することでレンお姉ちゃんを助けるのに必要な力を賄うことに成功した」
「じゃあ……俺のせいなのか?」
そういう経緯でスクルドが契約者になってヨグ=ソトースに傀儡になったというのなら、俺はどうやって謝ればいいんだ。
「そういうことにはなるけど気にはしないで。レンお姉ちゃんを守りたいと思うのは今の私でも同じことだから。きっと同じように力不足を感じたら、更に未来の私に同期することを選ぶから、どの時間軸でも『スクルド・エクスロッド』という存在はこの選択に後悔することなんてない」
そう言われても心の重荷が軽くなることなんてない。本人が気にしなくても、俺自身が気にしてしまうんだから。
「私が言いたいのはここから。このバグは私が契約者から解放された瞬間に終わる。本来なら連続性となっているはずの記憶・記録という物は『スクルド・エクスロッド』という存在を媒体にすることで一つに集結している。『あの方』の言語統制の大部分をすり抜けるという奇跡的な状態として」
「えっと……」
「時間がないの。私が契約者としてあらゆる知識を得られている今なら、ニャラルトホテプどころかこの世界そのものを『知る事ができる』の——」
それは俺にとって予想もしない言葉だった。そしてそれは大いに価値のある言葉でもあった。
それらが意味すること、それらが何に繋がるかを俺は瞬時に理解した。
「それこそ——レンお姉ちゃんが見たように『世界の端が崩れている』ことも『ロス・ゴールド』についても——」